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16 170年前の恋の話

 次の日の放課後、家に着いて善の耳に耳栓を詰める。


「聞こえる?」


 結衣が聞くと、善は首を横に振った。


「善のバカ」


 本人を前にして悪口を言っても聞こえないのだから、結衣はここぞとばかりに不満をぶつけようと思う。


「聞こえないが、言っていることはわかるからな」


 結衣はヒュッと喉を鳴らす。


「なんでわかるの?」

「口の動きを見ていればわかる」


 結衣は慌てて両手で口を隠した。

 ヒヤヒヤしながら善に目を向けると、大きな手で頭を鷲掴みにされた。指に力が入って肩を跳ねさせる。


「今はなにを言った?」

「なにも言ってない」


 口から手を離して首を目一杯振る。

 善は興味を失ったように結衣から手を離した。


「時間を無駄にした。行くぞ」


 結衣は善の後ろ姿に向かって舌を突き出す。

 善が振り返り、すぐに引っ込めた。


「早くしろ」


 結衣は家を出ていく善を追いかける。

 鳥居の前で手を繋いで、階段を下った。

 善は口の動きを見ないと会話ができないから、無言で目的地まで歩く。


 ローレライの探している人は、どんな人なんだろう。

 会わせてあげたい。結衣は心の底から願った。


 善がふっと笑う。結衣が善に目を向けると、柔らかい表情をしていて、不覚にもドキリと胸が騒いだ。


「力が流れてくるような、いい祈りだった」


 結衣は祈ったつもりではなかったけれど、善に届いたらしい。もしかして、結衣の心の中は、常に善に知られているのだろうか。

 結衣は眉間に皺を寄せて口を尖らす。


「褒めているのに不機嫌になるなんて、変なやつだな」


 善は興味をなくしたように、無表情になって正面に向き直った。

 普段思っていることは聞こえていないようでホッと息を吐く。無意識にでも、祈ったことは善に筒抜けになるようだけれど。


 昨日ローレライのいた場所に着くと、すでに歌が聞こえた。

 やっぱり悲しい気持ちがこもっていて、結衣は今日も涙を流した。


 善が親指で結衣の涙を拭う。結衣は驚きすぎて、涙が引っ込んだ。胸が早鐘を打ち、落ち着け、と込めて手で胸元を押さえた。


「泣き止んだか? ローレライがいなくなる前に話しかけろ」


 ローレライは男性が話しかけると「あなたじゃない」と言って、どこかに行ってしまう。

 結衣と善はローレライの元まで走った。

 幸いなことに、今日は近くに人がおらず、ローレライに話しかけている人はいなかった。

 近くで見ると、儚げな美人で、結衣は思わず見惚れる。


「おい!」


 繋いでいる手を善に引かれて、結衣はハッとした。

 歌に魅了されたわけではないのに、惹きつけられる魅力がある。

 こんなに綺麗なローレライの探している人は、誰なんだろう。


 結衣は大きく息を吸い込んで「あのー……」と声をかけた。

 歌うのをやめたローレライは結衣に目を向けて「あなたじゃない」と眉を下げて切なく嘆く。


「だれを探しているの?」


 ローレライは口を閉じて俯いた。


「私と隣にいる善で、探すお手伝いができないかな?」


 ローレライは口元を両手で覆い、青い瞳に涙を携えた。


「探してくれるの?」

「うん、探している時は歌うのやめてもらえる? 善が魅了されちゃうから」


 ローレライが目を細めて微笑むと、綺麗な涙が頬を伝った。

 結衣は善の肩を叩いて、こちらに視線を向けさせる。


「善、耳栓とってもいいよ」


 善は耳栓を抜くと、違和感があるのか耳を弄る。


「あっ、それでね、誰を探しているの?」


 結衣が聞くと、ローレライは白い肌を赤く染める。


「かっちゃん」


 ローレライは愛おしそうに名前を呼んだ。


「かっちゃん? 探す手掛かりが欲しいから、些細なことでも教えて欲しいな」


 ローレライは力強く頷いた。


「私とかっちゃんが出会ったのは、170年前」

「待って! 170年前?」


 結衣はローレライの言葉を遮った。ローレライは不思議そうに目を瞬かせる。


「ええ、30年間一緒にここで暮らしていたの」


 この町で一緒に暮らしていたってこと? そんなに前ならもう亡くなっている。人間はローレライと違って、そこまで長く生きられない。


「私は見聞を広げるために、いろんな国で過ごしていたの。生活費は歌を歌って船を沈めて得ていたわ」


 善の眉がピクリと跳ね上がる。


「落ち着いて。最後まで聞こ」


 結衣が止めていなかったら、善はローレライに掴みかかっていたかもしれない。


「それで?」


 続きを促す善に、結衣はホッと胸を撫で下ろした。


「日本に着いて、海からこの川に辿り着いたの。船がないから人を魅了しようと思った。私が歌っていると、手拍子が聞こえたの。私の前でニコニコと手を叩いていたのが、かっちゃんだった」

「かっちゃんは魅了されなかったの?」

「ええ、なぜかわからないけれど、かっちゃんには私の歌が効かなかった。でもあまりにも楽しそうに聞いてくれるから、私も嬉しくなって時間を忘れて歌ったわ」


 ローレライは昔を懐かしむみたいに、斜め上に目を向けて優しい表情を見せる。


「楽しく歌った後、住む場所がないと言ったら、かっちゃんは家に連れて行ってくれたの。それから30年、ずっと一緒にいたわ。私が歌うとかっちゃんは喜んでくれるし、その顔を見るのが私は幸せだった」

「素敵! 私もそんな恋がしてみたい」


 結衣はローレライの話を聞いて、胸がキューっと疼いた。

 ローレライは不思議そうに口を開く。


「隣の人が彼なんじゃないの?」

「違うよ!」


 結衣は真っ赤な顔で否定する。


「そうなの? ずっと仲良さそうに手を繋いでいるから」

「繋ぎたくて繋いでいるわけじゃない」


 善がそっぽを向いて口を開いた。


「それでも手を離さないなんて、二人とも照れているの? 私もかっちゃんと手を繋いでお出かけしたいな」


 千代のように誤解をするローレライだったが、結衣と善の繋がった手をジッと見つめて羨ましがる。


「私たちのことはどうでもいいんだって! ローレライとかっちゃんのことを教えてよ」


 結衣は熱くなった顔を手であおいだ。

 ローレライは「わかったわ」と頷いて話を再開する。


「私には親が決めた婚約者がいたの。いろんな国を見たいと出かけたけれど、期限は決まっていた。でも私はずっとかっちゃんと一緒にいたくて帰らなかったの」


 ローレライが俯く。

 幸せな恋の話が、切ないものに変化しそうで、結衣はゴクリと喉を鳴らした。


「婚約者が、帰らない私を追いかけてきたの。一人でいる時に無理矢理連れ出されてしまったわ。私はかっちゃんにサヨナラすら言えなかった」


 ローレライが涙を流し、結衣も鼻の奥がツンと痛くなる。


「連れ戻されてからは、外に出ることを禁じられた」

「閉じ込められていたの?」


 結衣がおずおずと訊ねれば、ローレライは小さく頷いた。


「ずっと監禁されていたけれど、私がずっとかっちゃんを忘れられないから、婚約者だった男は自分だけを見てくれる人に出会って、私のことを捨てたわ。だから私はかっちゃんと過ごしたここに戻ってきた。歌っていれば、かっちゃんがまた手拍子をして、私の前に現れてくれるんじゃないかって思って」


 結衣の目頭が熱くなる。

 長い間離れていても、そんなに思える人がいるなんて、素晴らしいことだと結衣は感動した。でもだからこそ、ローレライに話さなければいけないと思う。人間の寿命のことを。


 胸がキリキリと痛むが、ぎゅっと押さえつけて意気込む。


「あ、あのね、かっちゃんのことなんだけど……」


 結衣は話そうとしても、声が出てこなかった。口を開閉していると、善が結衣の後を引き継ぐ。


「人間は170年も生きられない。思い人はもうここにはいない」


 善は淡々とした口調だけれど、繋いだ手が少し震えていたように思えた。

 傍若無人で辛辣な善だけど、優しいところがあったりもする。結衣に対してはごく稀にだが。

 言いにくいことを善に言わせてしまって、結衣は気持ちが沈んだ。

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