15 悲しい歌
次の日の学校帰り、結衣は美咲に聞いた場所に着くと、自転車を降りる。
耳を澄ませてみても、車の走る音ばかり聞こえる。
毎日いるわけじゃないようだし、正確な時間もわからない。
少し待ってみようと、自転車を端に停めた。
三十分待ったが歌声は聞こえず、諦めて帰ろうと肩を落とすと、笛の音のようなものが聞こえた。
耳を傾けると、歌声だと気付く。
透き通った高音が綺麗だった。
「でも、すごく悲しそう」
結衣の頬を涙が伝う。
歌声に影響されて、自然と溢れてきた。
結衣は辺りを見渡して、歌っている人を探す。
河川敷に降りる階段に座る女性が見えた。20代前半くらいの、宝石のように輝く青い瞳と、プラチナブロンドのウェーブヘアが特徴の綺麗な人だった。
「やっぱり悲しそう」
歌っている表情が切なくて、その顔を見ていると胸がキューっと締め付けられる。
結衣が痛む胸を抑えて眺めていると、スーツを着た男性がゆっくりと近付いた。
男性が声をかけると、女性は悲しい顔を引っ込めて、屈託ない笑顔でそちらを向く。でもすぐに表情は翳った。
「あなたじゃない」
そう告げると、川下の方へ歩いて行った。
女性はずっと見ていた結衣にも視線を向けるが、すぐに目を逸らした。
そんな切ない表情をして、悲しい歌を歌いながら誰を待っているのだろう。
結衣は待っている人を探して、会わせることはできないかと考えた。
帰宅して夕飯を食べながら、結衣は話す。
「すっごく綺麗な歌声で、ものすっごく綺麗な外人さんだったよ」
「聞けてよかったわね」
千代が穏やかに笑い、結衣は大きく頷いた。
「でもね、すごく悲しい歌声だったんだ。悲しい気持ちが入り込んできて、歌を聴いていると涙が止まらなかったの」
善が「泣いたのか?」と顔を覗き込んできた。結衣は咄嗟に背を反らして離れる。
「私が泣いたかはどうでもいいんだけど、待っている人がいるみたいだし、探してあげられないかな?」
「結衣、明日そいつのところに、俺を連れて行け」
昨日は興味なさそうだったのに、急に乗り気になったのはどういうことだろうか。人の恋愛にも関心はなさそうなのに。
「もしかして、すっごく美人だったから会ってみたくなったの?」
善は侮蔑するような目を向け、鼻で笑うと食事を再開した。
「結衣ったらヤキモチ? 善様は結衣のことを大事に思っているから大丈夫よ」
千代の勘違いに肩を落とす。今の表情で、どうしたらそんな解釈ができるのか。
宗一郎は「仲良くするんだよ」と小さな子に言い聞かせるように結衣に聞かせた。
次の日は学校が終わるとまっすぐ帰宅して、着替え終わるとリビングを覗く。善は相変わらず、カーペットの上で寝転がっていた。
「善、出かけるよ」
「ああ」
気怠そうに立ち上がる。
「おばあちゃん、出かけてくるね。夕飯までには帰るから」
「いってらっしゃい」
千代に見送られて家を出る。
鳥居の前まで歩き、善に手を握られた。
鳥居の外でも会話ができるように握られたのはわかっているが、急な接触には慣れない。
「どうした?」
「なんでもない」
照れくささを隠すように、顔を背けた。
神社の石階段を下ると、結衣はスマホを耳に当てる。
他の人には善が見えないから、電話をしているふりをすれば、一人で話していても不審に思われないからだ。
「善は歌が好きなの?」
「嫌いではないが、それで連れて行けと言ったわけではない」
「じゃあやっぱり美人だから」
「違う」
歌でも女性でもなければ、なにが目的なんだろう、と結衣は首を捻る。
話しながら15分ほど歩くと、昨日女性を見かけた場所に着く。
微かに笛の音のようなものが聞こえた。
悲しい歌に涙が溢れる。目元を拭って、結衣はキョロキョロと辺りを見渡す。
川上の方に女性を見つけた。
「昨日と少し場所がズレてるね。この笛の音みたいなのが声なんだよ。すごく綺麗でしょ?」
結衣は善に向かってはしゃいだ声を上げるが、善は女性を焦点の合わない目で見つめる。
フラフラと女性に近付くから、結衣は手を引っ張られる形でついていく。
「善? どうしたの?」
結衣の声が聞こえていないようだ。虚な目に不安が膨らむ。
「ねえ、善ってば!」
結衣は声を荒げるが、善にはやはり届かない。
善は女性の前でピタリと止まる。
「おい」
善が声をかけると歌声が止む。
花が咲いたような表情でこちらを向いた女性は、近くで見るとうっとりと見惚れてしまうほど綺麗だ。
でも女性はすぐに表情を曇らせる。
「あなたじゃない」
視線を落として川下へ向かっていく。
結衣は「ブッ」と吹き出して、慌てて片手で口を押さえた。
善がフラれた。善の顔を覗き込むと、まだ瞳に生気が感じられない。
「善?」
善の顔の前で手を振ると、ハッとして結衣と視線を合わす。
善は大きく息を吐いて、その場にしゃがみ込んだ。「くそっ」と悪態をついて、頭を掻いた。
「残念だったね。フラれちゃって」
「違う」
地を這うような声に、結衣はビクリと体が跳ねる。
「奴はローレライだ」
「ローレライって歌声で魅了して、船を座礁させる水の精だよね?」
「ああ、結衣はなんともなかったか?」
結衣は頷く。善はローレライの歌声に魅了されていた? だから様子がおかしかったのだろうか。
「男にしか効かないのだろうな」
「でもあの人は悪い人じゃないよ。だってあなたじゃないって拒否してる。だれも水の中に連れ込まれてなんていないでしょ?」
美咲の兄も昨日のサラリーマンも善も、結衣の知る限りは全員が同じ言葉で袖にされた。
善は口元に手を添えて瞼を下ろす。
「理由を聞きたいが、俺はあの歌を聴いたらまた正気を失うだろう」
「私に任せて! 善は耳栓でもして、話を聞くときに外せばいいでしょ」
「……それしかないだろうな」
善は大きく息を吐いた。
「帰るぞ」
善が結衣の手をキュッと握る。
結衣は照れ隠しで「善がフラれたとき笑っちゃった」といたずらっ子のように口角を上げた。
「忘れろ」
ドスの効いた声と、射抜くような鋭い視線に結衣は小さく肩をすくめた。




