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「君を愛することはない」と旦那様が言うので、契約通り慰謝料を請求して離縁します。あと、隣の公爵様が溺愛待機中ですが何か?

作者: 夢見叶
掲載日:2026/01/01

三年前の、初夜のことだった。

 寝室に入ってきた夫――ジェラルド伯爵は、開口一番にこう言い放った。


「君を愛することはない」


 まるで舞台俳優のような、陶酔しきった宣言だった。

 政略結婚とはいえ、初対面の妻に言う言葉ではない。普通の令嬢なら、ショックで泣き崩れるか、怒りで震えるところだろう。

 けれど、私は微笑んだ。

 心底、安堵したからだ。


「承知いたしました、旦那様」

「……は?」

「愛されない、という確約を頂けて安心しました。では、こちらの書類に署名をお願いできますか?」


 私はサイドテーブルに用意していた羊皮紙とペンを差し出した。

 ジェラルド様は眉をひそめてそれを覗き込む。


「なんだこれは」

「『白い結婚に関する合意書』です」


 私は淡々と説明した。

 第一条、互いに寝室を別にし、肉体関係を持たないこと。

 第二条、互いの生活および交友関係に干渉しないこと。

 そして、最も重要な第三条。


「――第三条。本契約から三年が経過した場合、『夫側の希望』として婚姻関係を解消する。その際、夫は妻に対し、慰謝料として金貨一万枚および領地の鉱山権利を譲渡する」


 読み上げた私を、ジェラルド様は鼻で笑った。


「金貨一万枚? 正気か? そんな契約、結ぶわけがないだろう」

「あら。でも『愛することはない』のでしょう? 愛のない結婚生活に一生私を縛り付けるおつもりですか? それはあまりに不誠実では?」

「ぐ……」

「それに、三年間です。三年経てば、あなたは自由になれる。私というお荷物を、正当な理由で排除できるのですよ。今の発言を記録係に聞かせるよりも、ずっと穏便だと思いませんか?」


 ジェラルド様は少し考え込み、やがてニヤリと笑った。

 どうせ私ごときが、三年も耐えられるはずがないと高をくくったのだろう。あるいは、三年もあればどうとでもなると甘く見ているのか。

 彼はペンを取り、サラサラと署名をした。


「いいだろう。どうせ君のような地味な女、抱きたいとも思わない。三年後、泣いて縋っても捨ててやるから覚悟しておけ」


 捨て台詞と共に、彼は寝室を出て行った。

 残された私は、インクが乾いたのを確認して、丁寧に書類を折りたたむ。


「……言質と署名、確かにいただきました」


 私は胸元から取り出したロケットペンダントを開く。

 そこには、幼い頃に離れ離れになった、黒髪の少年の肖像画が入っていた。


「あと三年。……約束通り、待ちますからね」


 私は契約書を宝石箱の底、二重底の下に隠した。

 これが私の最強の武器カード

 三年後の今日、彼が逃げられない場所で切るための、絶対的な切り札だ。


***


 それからの三年間は、ある意味で平和だった。

 ジェラルド様は「愛さない」という宣言通り、私を空気のように扱った。

 屋敷の予算を勝手に使い込み、愛人を囲い、夜会では私を壁の花にして他の令嬢と踊り明かす。

 使用人たちも、主人の態度を見て私を軽んじた。「飾りの奥様」「愛されない可哀想な人」と陰口を叩くのが聞こえても、私は何も言わなかった。


 ただ、日記をつけた。

 何月何日、誰と会っていたか。屋敷の金がどこに消えたか。私への暴言、冷遇の数々。

 すべてを淡々と記録し続けた。


 ジェラルド様は、時折私を見ては優越感に浸っていたようだ。

 廊下ですれ違うたびに、彼は嘲るように言った。


「まだ居たのか。しぶとい女だ」

「契約ですから」

「ふん。強がるな。本当は俺に愛されたくて必死なんだろう? だが無駄だ。俺の心は高潔なバラ、ミレーヌだけのものだ」


 ミレーヌというのは、最近彼が熱を上げている男爵令嬢のことらしい。

 私は表情を崩さずにカーテシーをする。


「左様でございますか」

「……チッ。可愛げのない」


 彼は私が泣かないのが気に入らないらしい。

 でも、残念ながら涙なんて一滴も出ない。

 だって、今の私はとても忙しいのだから。


 私は屋敷の図書室に籠もり、領地経営の帳簿を洗い直していた。

 ジェラルド様が遊び呆けている間に、傾きかけた領地経営を裏から立て直す。もちろん、私の名前は出さず、「匿名の有識者からの助言」として執事に指示を出して。

 おかげで領地の収益は回復し、私のヘソクリも潤沢になった。


 そして、夜。

 私はこっそりとバルコニーに出て、使い魔の白フクロウを飛ばす。

 足には小さな手紙を結んで。

 手紙の宛先は、王都の公爵邸。


『あと、一年です』

『あと、半年です』

『あと、一ヶ月』


 返事は来ない。でも、それでいい。

 彼が動くのは、すべてが終わった後という約束だから。


 そうして、時は満ちた。


***


 結婚三周年の記念パーティー。

 ジェラルド様は、この日を「私を断罪する日」に選んだようだ。

 大広間には多くの貴族たちが招かれていた。本来なら夫婦の絆を祝う場だが、空気はどこか殺伐としている。

 中央に立ったジェラルド様は、隣に派手なドレスを着たミレーヌ嬢を侍らせていた。

 対して私は、三年前の古いドレスを着て、一歩下がった場所に立っている。


「皆様! 本日は集まっていただき感謝する!」


 ジェラルド様がグラスを掲げ、声を張り上げた。


「この良き日に、私は重大な発表がある。私、ジェラルド・フォン・ベルンは、ここにいる妻ヴィオラとの離縁を宣言する!」


 会場がどよめいた。

 予想通りだ。彼はこの公衆の面前で私を捨て、ミレーヌ嬢との婚約を発表するつもりなのだ。

 自分は「愛のない結婚に苦しんだ被害者」であり、真実の愛を見つけたのだと演出するために。


「ヴィオラ! お前のような石のように冷たい女とは、これ以上暮らせない。三年間、俺はお前に愛を与えようと努力したが、お前はそれに応えなかった! よって、これはお前の有責による離縁だ!」


 素晴らしい。

 息をするように嘘を吐く。

 ミレーヌ嬢が「まぁ、可哀想なジェラルド様」とハンカチで嘘泣きをしている。

 周囲の貴族たちが、憐れみと軽蔑の目で私を見た。


「何か言い残すことはあるか? 今ここで土下座して謝るなら、修道院への寄付金くらいは恵んでやってもいいぞ」


 ジェラルド様が勝ち誇った顔で見下ろしてくる。

 私は、ゆっくりと顔を上げた。

 扇を閉じ、静かに口を開く。


「――異議あり」


 凛とした声が、広間に響いた。

 ジェラルド様が眉を跳ねさせる。


「は? 異議だと? 往生際の悪い……」

「往生際が悪いのはどちらでしょう、旦那様」


 私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。

 三年前、彼に署名させた『白い結婚に関する合意書』だ。

 それを見た瞬間、ジェラルド様の顔色がさっと変わった。


「そ、それは……!」

「皆様、ご覧ください。これは三年前、結婚初夜に夫ジェラルドと私の間で交わされた契約書です」


 私は契約書を広げ、近くにいた監査官――今日の日のために、こっそりと招待しておいた王国の法務官――に手渡した。

 法務官は眼鏡の位置を直し、厳粛な声で読み上げる。


「……第1条、肉体関係の不存在。第3条、三年後の離縁および、夫都合による慰謝料の支払い……。ふむ、署名は間違いなくジェラルド卿のものですな。封蝋も正式なものです」


 会場の空気が一変した。

 どよめきが、「可哀想な妻」から「嘘つきの夫」への非難へと変わっていく。


「な、なんだそれは! 偽造だ! 俺はそんなもの……!」

「偽造ではありません。筆跡鑑定も済ませてあります。それに」


 私はもう一冊、分厚い手帳を取り出した。

 三年前書き溜めた日記と、横領の証拠書類だ。


「ここには、あなたが『愛さない』と宣言してからの三年間、いかに契約を遵守し、私を放置し、その間に愛人と遊興に耽っていたかが全て記録されています。領地の帳簿もありますよ。あなたが使い込んだ裏金の流れも、全て」


「き、貴様……!」


 ジェラルド様が青ざめ、後ずさる。

 ミレーヌ嬢が「うそよ、ジェラルド様! 領地は裕福だって言ったじゃない!」と叫んで彼の手を振り払った。


「さて、旦那様。契約履行の時です」


 私は一歩、彼に近づいた。


「『君を愛することはない』。そう仰いましたね? ええ、私もあなたを愛したことは一度もありません。ですから、契約通りにしていただきましょう」


 私は指を三本立てた。


「一つ、即時の離縁。二つ、慰謝料として金貨一万枚。三つ、鉱山権利の譲渡。……ああ、金貨一万枚は今の伯爵家には用意できないでしょうから、屋敷と爵位の返上で充当していただいても構いませんよ?」


「そ、そんな……そんなことが通るわけが……!」

「通りますとも。ここは契約社会の王国ですから」


 ジェラルド様が膝から崩れ落ちる。

 完全にチェックメイトだ。

 私は冷ややかに彼を見下ろし、踵を返した。

 これで終わり。私の義務は果たした。

 あとは――。


「――よくやった、ヴィオラ」


 低く、甘い声が響いた。

 その声に、会場中の貴族が道を開ける。

 現れたのは、漆黒の礼服に身を包んだ、長身の男性。

 黒髪に、氷のように冷たいブルーの瞳。

 この国の筆頭公爵、アレクシス様だ。


「あ、アレクシス公爵……!?」


 ジェラルド様がひきつった声を上げる。

 アレクシス様は彼を一瞥もしない。

 まっすぐに私のもとへ歩み寄ると、当然のように私の腰を抱き寄せた。


「えっ……」

「遅い。待ちくたびれたぞ」


 耳元で囁かれ、私は顔を赤くする。

 彼は私の左手を取り、ジェラルド様が贈った安物の指輪を抜き取ると、床に捨てた。

 代わりに、ポケットから取り出したのは、大粒のサファイアが輝く指輪。

 公爵家の家紋が入った、婚約指輪だ。


「契約は完了したな? ならば、次は俺との契約だ」


 彼はそのまま、衆人環視の中で私の前に跪いた。


「ヴィオラ。三年前、父の遺言で無理やりあの男に嫁がせられた君を、俺は救えなかった。だが、今度は違う」

「アレクシス様……」

「愛している。俺の妻になってくれ。君を愛さない日など、一日たりとも作らないと誓う」


 会場から、悲鳴のような歓声が上がった。

 私は涙が溢れるのを止められなかった。

 幼い頃、家柄の違いで引き裂かれた初恋。

 彼がずっと裏で私を支え、今日のこの日のために準備をしてくれていたことを知っている。

 私は震える声で答えた。


「……はい。謹んで、お受けいたします」


 アレクシス様は満足げに微笑むと、立ち上がり、私を強く抱きしめた。

 そして、呆然とするジェラルド様へと冷徹な視線を向ける。


「聞こえたな、元伯爵。彼女は俺の婚約者だ。彼女への慰謝料、耳を揃えて払ってもらうぞ。足りなければ……わかっているな?」


 公爵家の威圧に、ジェラルド様は白目を剥いて気絶した。

 ミレーヌ嬢は悲鳴を上げて逃げ出し、衛兵に捕まっている。

 ざまぁみろ、なんて言葉は汚いから使わない。

 ただ、因果応報だと思った。


 私はアレクシス様の胸に顔を埋める。

 あたたかい。

 これからは、この温もりだけが私の世界だ。


「帰ろう、ヴィオラ」

「はい、旦那様」


 私は最高に幸せな笑顔で、新しい一歩を踏み出した。

最後までお読みいただきありがとうございました!

「愛さない宣言」からの鮮やかな逆転劇、楽しんでいただけましたでしょうか?

ヒーローのアレクシス様は、三年間ずっとヴィオラ様の報告書(日記)を楽しみに待ちながら、裏で伯爵を追い詰める準備をしていた執着系男子です。


少しでも「スカッとした!」「二人が幸せになってよかった!」と思っていただけたら、

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感想も一言いただけると小躍りして喜びます。

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あの契約書を読んでなんで「俺に愛されたいんだろ?」みたいな思考になれるんだ・・・
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