八話 フェイ・ホンファン 後編
ベルナールがエスコートしている令嬢、フェイ・ホンファンは絶世の美女だった。
黒髪は艶やかで星の輝く夜空のよう。水晶らしき飾りがついた簪で結い上げられており優美だ。
肌は白く滑らかで白絹のよう。唇は愛らしさと色気が同居している。
女性にしては背が高く、ドレスを着ていてもわかるくらい均整が取れた体つきだ。
特に首はすらりと長く、ドレスが白いのも相まって白鳥を思わせる気品がある。
そして最も印象的なのは、弓形の眉の下で輝く紅い瞳だ。
事前に聞いた通り、血のように赤い。だが、その色合いも形も輝きも恐ろしいほどに美しい!
(しかもベルナール様のあの娘を見る顔!なんて甘く優しいの!)
アレクサンドラが嫉妬と怒りに身を焦がしている間に、ホンファンはベルナールを伴い国王に挨拶した。
アレクサンドラの居る場所からは声は聞こえないが、所作の美しさは良く見えた。国王も、だらしない顔でホンファンに見惚れている。
貴族たちが口々に囁く。
「あのお方が、オプスキュリテ辺境伯令息の婚約者様ですのね。お姿だけでなく所作も口上も完璧ですわ。なんという優美さでしょう」
「ああ、まるで大輪の牡丹か夜の女神のような美しさだ」
「あれがヒトゥーヴァの娘なのか?魔獣の血を引く化け物一族ではなかったのか?とてもそうは見えないな」
「それは迷信ですよ。あんなに美しい化け物がいるものですか。あと、その名は蔑称です。このような公共の場で使ってはいけません」
「なんてお似合いのお二人でしょう!まあ!オプスキュリテ辺境伯令息のあの笑み!熱愛されているのね!」
「オプスキュリテ辺境伯令息の御衣装はご令嬢のお髪の色ね。ご令嬢はデビュタントの白だけど、まるでオプスキュリテ辺境伯令息のお髪に合わせたかのよう」
「文句無しに似合いの二人だな。絵に描いて飾りたいくらいだ」
(こんな!こんなはずでは!おかしいわ!ベルナール様は私のものなのに!あの娘は醜い化け物であるべきなのに!)
アレクサンドラは嫉妬と怒りで目の前が暗くなった。
ベルナールとホンファンだけが眩い。
しかもホンファンはドレスも眩い。純白のそれは、見るからに生地も仕立ても上等で……だが、アレクサンドラはあることに気づき唇をゆがめて嗤った。
(ふふん!所詮は田舎者ね)
アレクサンドラは自信満々な足取りで、国王への挨拶が済んだ二人に近づく。取り巻きたちも続く。
アレクサンドラの横恋慕は、社交界の暗黙の了解だ。誰もが道を開けた。
何人かがアレクサンドラに聞こえないように囁いている。非難するような眼差しだ。
(ふん。宰相たちの一派ね。クレマンにエスコートされてない事を非難してるのかしら。頭が固いんだから。……それにしても、最近は嫌な視線を送る者たちが増えたわね。
まあ、私の美しさと我がリュミエール公爵家の繁栄を妬む気持ちは理解できるから、見逃してあげるわ)
周囲を見下しつつ、アレクサンドラはベルナールの前に歩み出る。
「ベルナール様、お久しぶりね。お会いできて嬉しいわ」
淑女の笑みを浮かべてアレクサンドラが声をかける。もちろん、さり気なくデコルテを見せつけるようにしてだ。
ベルナールの視線が向けられた。その途端、ホンファンに向けていた甘やかな笑みが消える。
「……リュミエール公爵令嬢様、お久しぶりです」
ベルナールは、氷のように冷ややかな無表情で挨拶を返す。声も冷たい。
アレクサンドラは内心で歯噛みしつつ、ホンファンに目線を移した。
紅い瞳と目が合う。感情の見えない眼差しだ。
「婚約者もご一緒なのね。初めまして。私はリュミエール公爵が娘、アレクサンドラ・リリーシア・リュミエールよ」
アレクサンドラは格の違いをわからせるため、つま先まで神経を尖らせながらカーテシーをした。
優美な所作と青いドレスからのぞく谷間に視線が集まる。あちこちから感嘆の溜息がこぼれた。
「お初にお目にかかります。私は飛家が娘、飛紅芳と申します」
しかしホンファンのカーテシーは、より洗練されて優美だった。声も素晴らしい。水晶の球が触れ合うようだ。
ほのかに笑みを浮かべた顔も、なるほど牡丹や女神に例えられるのも無理はない。
一瞬、アレクサンドラは嫉妬しかけたが……。
(ふふん。必死になって礼儀を習ったのでしょうけど……)
「素晴らしいご挨拶をありがとう。でも……だからこそ残念だわ」
憐れみと嫌味を柔らかい声色で包んで投げてやる。
自分の前に出ようとしたベルナールを制し、ホンファンは表情を変えずに問う。
「残念。とは、どういうことでしょうか?」
「あら?わからないの?そうよねえ。貴女は遥か遠い場所からいらしたもの。我が国の流行に疎くて当然よね。よくってよ。この私が教えてあげる。
残念なのはそのドレスよ。
首まで隠すだなんて、流行遅れにも程があるわ」
そうだ。ホンファンの純白のドレスは、しっかりと襟ぐりを隠すデザインだ。
首の上まで詰まっていて、上半身は肌にそう形だ。腰の切り返しからふわりとスカートが広がる。
仕立てと生地は良い。特に白糸と無色透明の輝石を使った刺繍は見事だ。
おまけにホンファンの体型が美しいので様になっているが、王都の流行りではない。
流行は、デコルテを下品にならない程度にアピールするデザインだ。
(ベルナール様の礼服は、王都の貴族たちと遜色ないデザインよ。この娘の野暮ったいドレスは、本人かその親が用意したのでしょう。
見苦しくってよ!この田舎者が!)
「うふふ。慎み深いを通り越して年増のようなデザイン。貴女、王都に来る前にセンスを磨くべきだったわね」
「これは失礼。私が紅芳に贈ったドレスは、リュミエール公爵令嬢様のお好みではなかったようですね」
冷笑を浮かべたベルナールの言葉に、アレクサンドラは狼狽えた。
「え?あ、貴方が贈ったの?このドレスを?」
「はい。紅芳のドレスと装飾品は、全て私の贈り物です。特にドレスは細かく注文して作らせました。
王都の流行については存じておりますが、私は紅芳の肌を誰にも見せたくない。だからこのデザインにしたのです。
野暮な男の悋気とご笑覧下さい」
「っ!!」
取り繕う間もなくアレクサンドラの顔が引きつった。
そして、ベルナールの愛情と執着と嫉妬が込められたドレスを纏う女……ホンファンは微笑む。
「ベルナール、それだけではないでしょう?私の一族の伝統を重んじてくれた。私はそれがとても嬉しいのよ。
リュミエール公爵令嬢様。我が一族は、私やこの者たちのように、首まで隠す衣装を着るのです」
そこでようやく気づいたが、ホンファンの背後に黒髪黒目の若い男女がいた。
男は帯剣していて体格が良く、女はやや小柄だ。顔と雰囲気は良く似ているので兄妹だろう。
「この者たちは私の従者で、黒狼と黒珠と申します」
どちらも異国情緒あふれる灰色の衣装を着ている。確かに、首をしっかり隠すデザインだ。
「このドレスは、私を大切にしてくれているベルナールの想いそのものです。
リュミエール公爵令嬢のお気に召さず残念ですが、私はこのドレスを着れることが誇らしくてなりません」
「紅芳。私も君にドレスを贈れたことが誇らしくてたまらないよ」
寄りそい微笑み合う二人を見て、アレクサンドラは気が遠くなり……どうやってリュミエール公爵家に戻ったのか思い出せない。
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