紅芳と美花の縁談 ③
春の終わり。見合いの日が来た。
紅芳はおめかししてベルナールを待つ。
黒珠が張り切って支度してくれたのだ。
紅玉の飾りがついた簪で黒髪を結い、赤い生地に白い薄衣を合わせた衣装を着ている。
刺繍や装飾は最低限だ。首を包む部分だけ少し華やかにすることで、派手すぎず上品にしてある。
黒珠は仕上げに軽く化粧をしてくれた。
淡い色に染まった目元と唇は愛らしい。紅芳は姿見で確認し、自然と笑みを浮かべた。
「ありがとう黒珠。我ながら綺麗になったよ」
「お褒めいただき光栄です。紅芳様の美しさあってこそですわ」
後は、ベルナールと偶然を装って出会うだけだ。
ベルナールたちは昨日到着した。成人していない美花と紅芳は出迎えに出れなかったので、まだ姿を見ていない。
出迎えに参加した黒珠によると、銀髪に青い瞳で恐ろしく整った顔だという。オプスキュリテ辺境伯夫人と並ぶと、あまりの美しさに目が潰れそうだとも。
(どんな人かな。会うのが楽しみ。結果がどうなるかはわからないけど……)
紅芳はワクワクしながら、離れで一番見晴らしのいい部屋で待機した。
眼下の庭園をながめていると、やがて本邸の方から美花とベルナールたちらしき一団が出てきた。
一団は談笑しながら庭園を歩いている。
(銀髪……あの人が、ベルナール・オプスキュリテ辺境伯令息かな。思ったより背が高い。顔はまだ見えないな。頭を飛ばして確認……は、しちゃ駄目だ。
あ、こっちに来た。そろそろ私も竹林に向かって……。
ん?様子がおかしい)
どうやら揉め事が起こったようだ。
(美花姉様の護衛が一人拘束された?一体何があったの?)
一団は本邸の中に入っていった。
とりあえず黒珠に情報収集を頼み、自室で待機した。何が起こったか、わかったのはすぐだった。
黒珠は二時間ほどで戻った。その表情は硬く、報告内容は悪夢のようだった。
「はあ?美花姉様の護衛がオプスキュリテ辺境伯令息に暴言を吐いた?祖先同士の確執を持ち出して?美花姉様の見合いの真っ最中に?」
「はい。護衛はすぐに取り押さえられました。オプスキュリテ辺境伯令息は冷静に事を納めて下さったそうですが、考えられないほどの大失態です」
「しかも罵ったのは、例の元藍家の護衛!?美花姉様の心配通りじゃない!」
紅芳は頭を抱えた。
「護衛は自分が何をしたかわかってるの?飛頭蛮一族とオプスキュリテ辺境伯家に亀裂を入るかもしれないのに!」
オプスキュリテ辺境伯家とその領軍は、かつて妖怪を虐げ排除した西方諸国の尖兵であり、飛頭蛮一族の宿敵であった。
飛頭蛮は祖先と歴史を重んじる種族だ。故に、今でもオプスキュリテ辺境伯家と領軍に複雑な想いを抱いている者はいる。
しかし、先人たちの努力のもと和平を結び相互理解に努めた結果、西方との交易と魔獣討伐での共闘ができるようになったのだ。
それまで、飛頭蛮一族が住む地方は貧しかった。
国境ではオプスキュリテ辺境伯家を始めとする他国との攻防が絶えず、どんなに潰しても魔獣の群生地が乱発する。しかもろくな産業がなかった。
今の豊かさは和平あってのことなのだ。
また、オプスキュリテ辺境伯領が属する王国は、西方諸国との緩衝地帯だ。
オプスキュリテ辺境伯領はその玄関口であり、交易の要であり、妖怪の存在を忘れた王国中央との窓口でもある。
オプスキュリテ辺境伯家との友好関係は、絶対に保たねばならない。少なくとも現時点では。
だというのに、飛頭蛮一族の頭領たる飛家が雇っていた護衛が、辺境伯令息を罵ったのだ。
この件が、オプスキュリテ辺境伯領の民に知られればどうなるか。
あの領は、西方で唯一妖怪と人間が共生できている地なのに不和を招きかねない。
「護衛はどうしてこんなことを?」
「尋問中です。何者かの企みが背景にあるかもしれません」
なんて事だ。もう見合いどころではない。
(……せっかく美花姉様が頑張ってくれて、黒珠がおめかししてくれて、黒狼が応援してくれてたのに……)
離れにいる他の家臣たちもだ。
その気持ちに応えられなかった。紅芳のせいではないが、とても悲しい。
(……悲しむのは後。私は私に出来ることをしよう。引きこもりとはいえ、考えて調べるくらいはできるのだから。
黒幕がいるとして、今回の件で得をするのは……)
悲しみを顔に出さないようにしながら、考えて手を打つ。
「黒珠。手間をかけるけど、引き続き情報収集して。それと調べて欲しいことが……」
「かしこまりました」
黒珠は再び本邸へ向かった。
(はあ……散歩でもしようかな。最近は王国語や文化の勉強ばかりで、竹林に入ってなかったし)
紅芳は、気晴らしに竹林に行くことにした。
ここが運命の分かれ道だったと、後に紅芳は振り返る。
◆◆◆◆◆
竹林に入ってすぐ。紅芳は異変に気づいた。
(微かだけど、この匂いと気配は……!)
竹林の奥。普段、紅芳ですら行かない辺りに何かがいる。耳を澄ませた。その時だ。
ーーーガオオオオーン!オオン!ガウ!ーーー
ーーーうわあ……たす……ーーー
葉擦れの音に混じり、獣の吠え声がした。そして人の悲鳴も。
(しかもこの気配と匂い!ただの獣ではなく魔獣だ!どうして?竹林は広いけれど邸の敷地内なのに……いや、そんなことは今はいい!)
紅芳は頭を飛ばし胴体を走らせた。
それからは無我夢中だった。
虎に似た中型魔獣と、魔獣に襲われている少年を見つける。
(居た!銀髪の西方人!オプスキュリテ辺境伯令息だ!)
ベルナールはクヌギの大木に登り、必死に耐えている。魔獣は左前脚を怪我しているため、木に登れないらしい。
(令息が攻撃したんだ。良い判断だ。アイツは虎に似てるけど、虎ほど木登りが上手くない。前脚を片方失っただけで木に登れなくなるもの。アイツが回復する前に助けなきゃ!)
紅芳は頭部を飛ばし、ベルナールの元に向かった。
「うわああ!た、助けて!」
ベルナールはクヌギの木にしがみつき、二つの言語で必死に叫んでいる。
「い、嫌だ。し、死にたくない……!助けて!誰か助けてくれ!」
「じゃあ、もうちょっと頑張って!」
「へ?東の隣国語……うわ!」
ベルナールの悲鳴に紅芳の心が冷えた。
「き、君、誰?飛頭蛮の子?」
(いくらオプスキュリテの人間でも、いきなり飛頭蛮の生首に話しかけられたら驚くし怯えるよね)
しかも紅芳は、昼夜関係なく頭部を自在に胴体から離して動かせるのだ。
(怖がらせちゃった。きっと嫌われた。ううん!今はどうでもいい!)
「それは後!話を聞いて!私があの虎擬きを引きつけるから、その隙に木から降りて逃げて。急いでね!」
「え?で、でも君が危ない……」
ベルナールの心配そうな顔と声。冷えた心が少しだけあたたまる。
「私は大丈夫だから!早く!」
(この人は私が助ける!まずは魔獣を引き離さないと!大丈夫!魔獣の左前脚はまだ回復してない!動きは鈍いはず!)
それから紅芳は、魔獣を挑発するために頭部を飛ばした。
「ほら!こっちに来い!間抜けな虎め!動きが遅いよ!」
「グルルッ!ガウッ!」
最初は反応の鈍かった魔獣も、うるさくまとわりつく頭部に激怒する。とうとう引きつけるのに成功した。
「こっちよ!」
竹林のさらに奥へ誘う。魔獣は紅芳の頭部を追いかけ、ベルナールは木を降りて逃げた。
(よし!魔獣の動きも思った通り遅い!後は私も逃げ……!)
「ガウッ!」
「きゃっ!」
魔獣の爪が紅芳の頭部を襲う。咄嗟に逃げたが、竹にぶつかって地面に落ちた。
クラクラする頭で再び飛ぶ。魔獣を見て目を見開く。
(左前脚の怪我が治ってる!まずい!速度も回復し……ひっ!)
「ガオオ!ガオウ!」
魔獣は竹を足場に跳躍し、紅芳の頭部に迫る。口が開き鋭い牙が見え……。
(仕方ない!やるしかない!)
紅芳は覚悟を決め、口を開いた。
(炎の精霊よ!私に力を!)
ーーーゴオオオオオ!ーーー
「ギャオオオン!」
紅芳の口から炎をが放たれ、魔獣の頭を飲み込んだ。たまらず魔獣は落下する。
ーーーゴオオオオオ!ーーー
そこに、魔獣の背後から炎の追撃が加わる。紅芳の胴体の手が放ったのだ。
(竹林が燃えるからやりたくなかった!けど、こいつは危険だ!今ここで討伐しないと他に被害が出る!)
家臣は戦えない者の方が多い。彼らを思い浮かべて炎の威力を上げた。
ーーーゴオオオオオ!ーーー
「ギャオオ!ガオ!」
紅芳の頭部と胴体で魔獣を焼く。効いていると思った。しかし。
(苦しんでるけど致命傷じゃない!なんて固い毛皮なの!しかもまた回復している!私じゃ倒せない!でも、でも、やらなきゃ!)
悲痛な想いで炎を吐いていると、誰かが近づく気配がした。護衛か誰かが来てくれたのかと思い顔を向け、紅芳は思わず口の炎を止めて驚く。
(オプスキュリテ辺境伯令息!?逃げたはずじゃなかったの!?)
「っ!?ちょっと!逃げてなかったの!?」
「君!そのまま攻撃を続けて!……風の精霊よ我に力を!」
ベルナールが風魔法で竜巻を放つ。紅芳の炎を纏い、増幅し、魔獣を巻き上げ焼いていった。
「グギアアアアアアア!」
断末魔の悲鳴が竹林に響く。
(なんて強力な魔法!これがあったから、魔獣の左前脚を傷つけれたんだ!)
しかし魔獣は死なない。必死にもがき、炎の竜巻から逃れていく。
「くそ!もう一度、魔法を!」
(そう!もっと炎を……あっ)
急速に力が抜けて意識が霞んでいく。魔力切れだ。
「だ、駄目、私もう……」
紅芳は必死になって魔力をかき集めたが、足りない。頭部と胴体の両方が地に落ちた。
(このまま……死ぬのね……)
「魔力切れか!……そのままじっとしててくれ!」
ベルナールは跳躍し、紅芳の胴体と頭部を抱きしめる。
(私をかばってくれた?嬉しい。でも駄目……!)
「ガルルルッ!」
魔獣は炎の竜巻から逃れ二人を襲おうとし……。
「若君!お下がりください!」
「ギャオオン!」
第三者の声と共に魔獣が両断された。ベルナールの護衛が斬ったのだろう。
「よ、よかった……」
ベルナールの声に、紅芳はホッとした。助かったのだ。
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