二話 公爵令嬢アレクサンドラ
アレクサンドラは波打つ金の髪、輝くエメラルドの瞳を持つ美少女だ。しかも、国で最も権勢を誇るリュミエール公爵家の唯一の娘でもある。
誰もがアレクサンドラに従い媚を売った。
両親と兄達にも溺愛され、欲しいものはなんでも手に入ったし、どんな我儘も叶えられた。
16歳のこの日までは。
春のある夜。
王宮で、王侯貴族の令嬢令息がデビュタントを迎える夜会が開催された。
会場は、宮殿の中で最も大きな広間だ。真紅のカーテン、黄金の調度品と装飾、大理石の床が豪奢だ。
天井では幾つものシャンデリアが輝き、華やかに着飾った王侯貴族たちを照らす。
王国での成人年齢は16歳だ。まだ幼さの残る令息令嬢たちが、緊張した面持ちで入場していく。
アレクサンドラは、デビュタントを迎える令息令嬢の中で最も身分が高いため、一番最後に入場した。
アレクサンドラの美しさと高貴さに周囲がどよめく。
「あの方がリュミエール公爵令嬢!純白のドレスがこの上なくお似合いでお美しい!」
「お噂通り。いいえ、それ以上に華やかですこと」
「なんて眩い金髪だ。ああ、まるで黄金の薔薇のようだ!」
婚約者であるクレマン・ブリュイアール侯爵令息にエスコートされたアレクサンドラは、デビュタントのための白いドレスを着ている。
純白の生地に白糸でダイヤモンドを縫い付けたドレスは、デコルテを見せつける流行の形。
大粒のダイヤモンドと真珠のパリュールと共に、アレクサンドラの美貌と豊かな胸元を引き立たせている。
(今宵から私の華々しい日々が始まるのね)
アレクサンドラは、すでにお茶会や行事などを通して社交界に君臨しつつあった。だが、夜会に参加できるのはデビュタントを迎えた今夜からだ。
(私の美貌をしっかり目に焼き付けなさい)
「流石はリュミエール公爵家のご令嬢……」
「なんて優美な……」
自信に満ち溢れた淑女の笑みと振る舞いに、感嘆の声が絶えない。
(ふふん。当然よ。この私を誰だと思っているの?
さあ、さっさと国王陛下にご挨拶してしまいましょう。そして私のダンスの巧みさを見せつけてやるのよ!)
などとご機嫌に考えていたアレクサンドラだが……。
「アレクサンドラ様、お聞きしましたか?この夜会には、あのオプスキュリテ辺境伯家の令息も参加しているそうですよ。辺境伯の嫡男で、アレクサンドラ様の従兄弟……っ!」
アレクサンドラは、周りにはわからないよう婚約者の足を踏んだ。
クレマンは顔と声に出さなかったが、痛みで腕を強張らせた。
アレクサンドラは扇子を広げて顔を隠しつつ囁く。
「あの蛮族がなんですって?せっかくのデビュタントに穢らわしい名前を聞かせないで」
「……申し訳ございません」
アレクサンドラの機嫌が悪くなり、クレマンは萎縮して黙り込んだ。その態度も気に食わない。
クレマンは長い金髪を一つくくりにした、アクアマリンを思わせる水色の瞳を持つ貴公子だ。
アレクサンドラと同年代の子息の中で、最も美しく身分が高い。
だからアレクサンドラの婚約者に選んでやったのだが。
(真面目すぎてつまらないし、顔も見飽きてきたわね。私に逆らわないし、何でも言うことを聞くのは便利だけど)
そろそろ捨てようかとアレクサンドラは考える。
(気が利かないのよね。せっかくのデビュタントに、オプスキュリテ辺境伯の名を出すだなんて最低よ。
しかも、あの辺境伯の息子が私の従兄弟ですって?)
確かに、アレクサンドラの母であるリュミエール公爵夫人と、オプスキュリテ辺境伯夫人は腹違いの姉妹だ。どちらもこの国の元王女である。
しかし、両家の交流は全くない。
(ふん。冗談じゃないわ。あんな蛮族と顔だけ元王女の息子が親戚だなんて!)
オプスキュリテ辺境伯家は、東の国境を護る大貴族だ。
他国の侵略を防ぎ交易の安全性を保つのはもちろん、時に他領や国軍に援軍を出す。
そして何より、王国の魔獣討伐における最大戦力である。
王国の東部には魔獣の群生地が多い。
魔獣とはただの獣ではない。恐ろしく力が強い上に魔法を使う特殊な生き物だ。
時に大繁殖して、都市や国を滅ぼす災厄となってしまう。
オプスキュリテ辺境伯が、国境を護り魔獣を討伐してくれているので、王都をはじめとした他の地域は平和を謳歌できているのだ。
その為、王族や高位貴族が降嫁することも少なくない。
ただしアレクサンドラら中央貴族の多くは、彼らに対し砂粒ほどの敬意も抱いていない。
戦と魔獣討伐しか能のない野蛮な田舎者だ。賤しい蛮族だ。そう見下している。
特に、現オプスキュリテ辺境伯の評判は悪い。
アレクサンドラも公式行事で見たことがあるが、一目で嫌悪した。
(あの醜い大男。死ぬまで辺境から出てこなければいいのに)
オプスキュリテ辺境伯は、この国にはほとんどいない黒髪の持ち主で、筋骨隆々の大男だ。顔も厳つく、大きな古傷が他者を威圧する。
(息子も同じような醜い大男でしょう。まあ、顔だけ元王女が産んだそうだから、多少は見れる顔かもしれないけど。
顔だけ元王女は、お母様ほどではないけど美しいらしいし、一応は王族だし……。
ああ!それでも嫌だわ!従兄弟だなんて絶対に認めない!)
イライラと考えているうちに、国王の元に着いた。金髪緑目の太った男だ。
「おお!アレクサンドラ!良く来た!一段と美しくなったな!」
「恐れ入ります。リュミエール公爵が娘アレクサンドラ・リリーシア・リュミエール。
王国の太陽たる国王陛下にご挨拶いたします」
かしこまりつつも、アレクサンドラの叔父に当たるので内心は気安いものだ。
(胸元を凝視するのがいやらしいけど、叔父様はお小遣いをくれるから許してあげるわ)
「そっちはブリュイアールの若造か。お前も良く来た」
「もったいなきお言葉ありがとうございます。ブリュイアール侯爵が息子……」
アレクサンドラはクレマンの挨拶を聞き流しつつ、お小遣いに想いを馳せていたが……。
「ん?どうした。……チッ。仕方ない。通せ」
侍従が国王陛下に何事か囁いた。ややあって、入り口の方が大きく騒めく。
騒めいているのは、主に令嬢たちだ。
「まあ!なんて凛々しいお方なの!」
「お美しい!奇跡のようなお顔立ちだわ!」
「一体、どちらの方かしら?お名前を知りたいわ」
アレクサンドラは眉をひそめる。
(私より後に入って、私より注目されてるですって?生意気な)
「今さら入場した方がいらっしゃるとは。無作法ですわね」
「はっはっは!許してやれ。田舎者ゆえ、到着が遅くなったらしい」
(田舎者が私より注目されてるですって?一体どこの誰よ!)
閉じた扇子を握りながら、アレクサンドラは苛立った。しかしその人物が人混みの向こうから現れた瞬間……魅せられた。
現れたのは、この世の美を凝縮したかのような少年だった。
短く整えられた銀髪は月の光。凛々しく整った顔立ちは神々の彫刻。鋭い青い瞳はサファイアの輝き。
デビュタント用の白を基調とした礼服を着ていてもわかるほど筋肉が発達しているが、背の高さと相まって雄々しさという魅力になっている。
(なんて素敵な方……欲しいわ!この方こそ私の隣に相応しい!)
アレクサンドラは少年に夢中になった。
彼はアレクサンドラとクレマンの前を通り過ぎ、国王陛下に礼を取った。
国王陛下は若く美しい少年が気に食わないらしく、嫌味たっぷりに声をかける。
「はるか遠い地から、わざわざ良く来たな」
「はっ。オプスキュリテ辺境伯が息子、ベルナール・オプスキュリテ。王国の太陽たる国王陛下にご挨拶申し上げます」
「!」
アレクサンドラだけでなく、会場中が驚愕に揺れた。
(あのオプスキュリテ辺境伯の息子!?嘘でしょ!全然似ていないじゃない!)
クレマンが納得したように呟いた。
「ああ、あのお方がお噂の。確かにあの鋭い青い瞳は、オプスキュリテ辺境伯閣下に似ていますね」
言われてみれば、目つきといい色といいそっくりだ。
他は、美貌で知られた元王女の血を濃くひいたのだろうか?
ベルナールの美貌に舞い上がっていたアレクサンドラだが、少し冷静になった。
(穢らわしいオプスキュリテ辺境伯と顔だけ元王女の息子。蛮族の血を引く賤しい生まれなのね。私に相応しくないわ。
……でも、本当に美しい。少し遊んであげても良いかしら?)
アレクサンドラは扇子を広げ、唇をニヤリと歪めた。
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