十二話 地下の訪問者
アレクサンドラが地下に収容されて一カ月経った。
地下にある独房は、石造の壁と床と鉄格子で出来ている。
壁も床もジメジメして汚い。寝台は固くシーツも布団もない。便所も仕切りがないため、常に悪臭がしている。
昼も夜も真っ暗で食事は1日に一回、固いパン一つに薄いスープだけ。
粗末な麻のワンピースを着せられたアレクサンドラは、身体を拭くことすら出来ない。全身が汚れていて、自慢の金髪もくすんで見る影もない。
「どうして……どうしてこんな目に……許さない……許さない……」
緑色の瞳だけが、憎悪、怒り、悲しみなどの負の感情でギラギラ輝いていた。
「許さな……ヒッ!」
鉄格子からパッと明かりが差し込んだ。看守の見回りだろうか?アレクサンドラは眩しさに目を細め、身を守るために光を避けてうずくまった。
看守に反抗的な言動をしたと思われれば、棒や鞭で叩かれる。
ガタガタ震えていると、さらに光が増えた。足音もたくさんする。
(何?いつもと違う?)
戸惑っていると、水晶が触れ合うような澄んだ声と、低く凛々しい声がした。
「ずいぶん弱ったわね」
「みたいだな。面を上げろ。罪人」
「っ!?なっ!ま、まさか……!」
アレクサンドラは鉄格子に駆け寄り、しがみついた。
鉄格子の向こうには、この世に居るはずのない女と焦がれてやまない男が居た。
「まさか……フェイ・ホンファン!お前は死んだはずじゃ……!……ああ!貴方は!」
ランプの灯りに照らされて輝く艶やかな黒髪、血のように赤い瞳。
最後に見た時と違い、髪は短い。おまけに、ドレスはデコルテが出ているデザインだ。だが、恐ろしく整った顔は見間違いようがない。
その隣で女に寄り添う、騎士の正装を着た銀髪碧眼の美丈夫もだ。こんなにも雄々しく美しい男は他にいない。
「ベルナール様!迎えに来てくれたの……ぎゃっ!」
「俺と俺の最愛を気安く呼ぶな」
アレクサンドラは肩を突かれて倒れた。ベルナールが、剣を鞘ごと抜いて鉄格子の隙間から突いたのだ。
二人は、激痛で悶えるアレクサンドラを見下ろしながら話す。
「あら。まだ元気があるみたいね。よかった。そうじゃないと面白くないわ」
「俺は不満だ。罪人はもっと弱らせるべきだろう。待遇が良すぎるせいだ。後で国王陛下に進言しなければ」
「オプスキュリテ基準で物を考えないの。これ以上悪くしたら、普通の人間は死んじゃうわ」
ベルナールの青い瞳が、アレクサンドラを捉えて冷たく光った。
「こんな妄想癖の罪人は、さっさと死んだ方がいいだろう」
「な、なんで……」
「初めて会った時から貴様が不快で仕方なかった。傲慢で身勝手で妄想癖の気色悪い生き物め。
オプスキュリテ辺境伯家を見下す癖に、俺の顔に執着して無理矢理婚約しようとする恥知らず。
ずっと叩っ斬ってやりたくて仕方なかった」
「べ、ベルナー……ひっ!うううー!ううー!」
激痛と悲しみでアレクサンドラの瞳から涙があふれる。
「ベルナール!いたぶるのは止めなさい!
……ごめんなさいね。
アレクサンドラさん。今日は貴女にお礼を言いに来たのよ」
「ひっく……。お……お礼?何の?」
「貴女は、私たちの想像以上に踊ってくれたわ。
元国王も貴女の家族も貴女の恋愛ごっこに夢中で、私たちの動きに気づきもしなかった。
だからほとんど血を流さずに政権を交代できたのよ。
これでやっと、異国はおろか自国の武人を蛮族と見下し、外交も内政もお粗末な王国を正常化することができる。
このままでは内戦で国が荒れるか、緩やかに衰退して滅ぶか、周辺諸国の食い物になっていたもの。
私の祖国としても、西の緩衝地帯である王国がそうなるのは望ましくない。
だからお礼に選ばせてあげる」
「え……選ぶ?」
「貴女、このままだと死刑よ。しかも国家反逆罪を犯したから楽には死ねないわ」
「は?」
「新政権内で、どんな刑にするか議論されているの。候補は八つ裂き、生き埋め、火炙り、魔獣に生きたまま食わせる、後は……」
「ひいぃっ!いっ!いやああ!」
アレクサンドラは震えあがった。
以前なら「この私が刑に処されるわけないわ!」とでも言っていただろう。今はそんな事は少しも思えなかった。
アレクサンドラはようやく、己と他者の認識が違うことと、己が王家を滅ぼし国を危うくした大罪人だということを理解したのだ。
「安心して。お礼に選ばせてあげるから。今から言う三つから選びなさい。
このまま牢の中で死ぬまで生きる。
犯罪奴隷として娼館に行く。
髪を切り落として修道院に行く。
この三つよ。私としては修道院がお勧めね」
「え……?」
(このまま死ぬまで牢の中?嫌よ!きっとすぐに病に罹って死ぬか、看守に嬲り殺される!
犯罪奴隷として娼館に行くのも嫌!この私が身売りをするなんて死んだ方がマシよ!
確かに一番マシなのは修道院……でも、女の命である髪を切り落として修道院に入れば、一生出られなくなる。未婚のまま、死ぬまで神に祈りを捧げる日々を送るしかなくなる。
は?この私が生涯未婚?ベルナール様とも会えなくなる?)
アレクサンドラは葛藤した。そして、己の罪を自覚してなお、この期に及んでプライドも恋心も捨てきれてなかった。
「ま、待って。た、確かに私は大罪を犯したわ。償わなければならない。で、でも、わ、私には、利用価値がある。王家の血を引く『黄金の薔薇』ですもの。
それに純潔は失ってないわ!ベルナール様の側室になれば役に立……ぎあっ!」
剣の鞘がもう片方の肩を打った。ミシリと嫌な音がして、強烈な痛みに涙が止まらない。
「気色悪いことしか言えないのか貴様は!いい加減にしろ!」
「べ、ベルナ……さ……ま」
「ベルナール、落ち着きなさい。まあ、気持ちはわかるけれど。
アレクサンドラさん、ベルナールは私のもので私はベルナールのもの。彼が貴方のものになることはないわ。永遠にね」
ホンファンは蠱惑的な笑みを浮かべ、アレクサンドラを見下ろした。
(フェイ・ホンファンに見下ろされた!悔しい!悔しい!悔しい!)
しかし、いまアレクサンドラの命運を握っているのはホンファンだ。罵ることはできない。悔しくて涙が浮かぶ。
「惨たらしい処刑を受けるか、先程の三つのどれかを選ぶか。決めなさい」
「う……うう……」
(こんな女に従うしかないなんて……待って。本当にフェイ・ホンファンなの?)
アレクサンドラは少しだけ冷静になった。
(ホンファンは、確かに首を斬り飛ばされていた。首と一緒に切り落とされた髪と、真っ赤な血が溢れて……。生きているはずない。
でも、この女の顔は間違いなくフェイ・ホンファンの顔だわ。違うのは髪が短いことと、ドレスのデザインが違うことくらい)
髪は肩の少し上で切り揃えられている。
ドレスはあの日と同じ赤色だが、デザインはかなり違う。裾の広がりは抑えられていて、銀糸の刺繍もシンプルだ。
何より違うのは、デコルテを品良く見せるデザインだということと、白い首に宝石の付いたチョーカーをしていることだ。
チョーカーはドレスと同じ赤色の生地に、大粒のダイヤモンドと銀細工があしらわれている。
アレクサンドラの視線に気づいたのだろう。ホンファンは己のチョーカーを指でなぞり、挑発的な笑みを浮かべた。
「髪型もドレスのデザインも変えてみたの。
似合うかしら?肌を見せるドレスが着てみたいと言ったら、ベルナールがこのドレスとチョーカーを贈ってくれたのよ」
「っ!」
アレクサンドラは嫉妬と怒りで狂いそうだ。
(これ見よがしに見せつけて!この腹の立つ顔!言い方!変装した偽者のくせに!)
アレクサンドラは鉄格子を握りしめ、這い上がりながら叫んだ。
「お前は誰?!フェイ・ホンファンじゃない!あの女は確かに首を斬られて死んだはずよ!」
「私は本物の飛紅芳よ」
「嘘よ!だってあの時、首が斬れて頭が飛んだわ!生きているはずない!お前は偽者に決まってる!
それとも、ヒトゥーヴァの娘だから不死身とでも言うつもり?噂は流したけれど、あれは所詮はお伽話で……」
「本物よ。あの時しっかり斬られてたわ。ほら、ご覧なさい」
ホンファンがチョーカーを外した。現れた首には、真っ直ぐに赤い線が入っている。
そして赤い線を境に頭部と胴体が別れた。
「へ?」
さらりと黒髪が揺れ、ホンファンの頭部が宙に浮く。ふわりと飛んで鉄格子に近づき、アレクサンドラの指に頬を擦り寄せた。
「ひっ?!」
生温かい人肌だ。血が通った肌の滑らかな感触、さらりと流れて指を滑る黒髪にゾッとする。
(生きてる!生首なのに宙を飛んでる!首を斬られたのに生きてる!)
「ね?嘘でも偽者でも幻覚でもないでしょう?私は飛紅芳。貴女に冤罪を被せられて自害した。貴女の目の前で斬られて、頭がポーンと飛んだ女よ」
アレクサンドラは手を振るい払って悲鳴を上げた。
「ひっ!ひいいいいい!化け物!ヒトゥーヴァの娘!不死身の化け物め!穢らわしい!おぞましい!化け物……ぐげぇっ!」
鞘が鳩尾を思い切り突き、アレクサンドラは尻餅をついて痛みにもだえた。声が出ない。息が苦しい。
「おげえっ!がっ……!うぐっ……!……!」
「紅芳、もういいだろう。君の優しさを踏みにじり侮辱したこいつに、温情をかける価値はない」
「そうね。残念だけど……」
「ああ、汚れてしまったな」
ベルナールはハンカチを出し、ホンファンの生首の頬を拭いつつ、胴体の肩を優しく叩いた。
これ以上なく愛情に満ちた仕草で。
「ごふっ……はぁっ……は……。な……どうして……化け物、なのに……ヒトゥーヴァの……娘なのに……あ、愛されて……るの!」
「紅芳は俺が愛する唯一の人であり、この世で最も勇敢で賢く美しい人だ。化け物ではない」
「ちが……う!ベルナー……さま!目を覚まして……!」
「むしろ化け物は貴様じゃないか?」
「……え?」
「俺は、貴様ほど卑怯で愚かで醜い生き物を見た事がない。己の欲望のためにしか生きられず、平気で他者を虐げ、ついには己が家門と王家を滅ぼした。前から聞きたかったんだ。
何故、貴様のような醜い化け物が愛されると思ってるんだ?」
冷え切ったサファイアの瞳。その瞳に映る自分はどんな姿だろうか?
いや、確かめる必要はない。路傍の石より価値がなく、汚物より醜いのだろう。
「あ……ああ……」
(ベルナール様は私を愛してない。ヒトゥーヴァの娘を、化け物を愛していて、私を愛することは絶対にない)
アレクサンドラはようやく現実を受け入れた。
「あ……あああああ!あああああ!ぎあああああ!ぎゃあああああ!」
「やかましいな。もういい。さっさと死んでくれ。
行こう。紅芳」
「ええ。さようならアレクサンドラ……いいえ、身の程知らずの化け物さん。安らかに逝けることをお祈りしているわ」
「いやあああああ!あああああ!きあああああ!」
アレクサンドラは絶叫し続けた。
喉が潰れ心が壊れるまで。
◆◆◆◆◆◆◆
紅芳、ベルナール、従者の黒狼と黒珠の四人は、地下牢から出て王城の中に戻る。
もちろん紅芳は、頭部と胴体をくっつけて境目をチョーカーで隠している。
ベルナールはこの一年を振り返った。
(長い一年だった。まさか本当に、俺が笑っただけで王家が滅ぶとはな)
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