随筆
家の裏手に川がある。
時折、磯臭さを運んでくる以外これといって印象のない川だが、上流へゆくとコバンザメのような細長い公園がある。
この公園には川にしなだれかかるように桜が植えられていて、小舟から水面を触ろうとする少女たちがはっと頭によぎる。
ちょうど早朝目が覚めたので、そこをたらたらと何をするでもなく上を見上げて歩いていたわけだが、そういう風に時間を潰していると大概妙な思いつきが生まれる。
そうなると、外面上は行儀良く取りすましているくせに、内側ではあれやこれやと真摯にあやとりに取り組んでるようなそんな変なギャップがある。
そもそもの始まりは老齢化に伴う桜の伐採だった。
人間社会上、倒木の危険性のあるものをそのままにしてはおけないのだから別に批判するわけではないが、妙に切なく思える。
最期の時、力尽きて地面に倒れ込み大地と一体化を始める。そうして自分の死骸からまた新たな命が芽吹きだす。その幸福もなくただ細かく刻まれて火葬され塵となってしまうのは何とも切ない。
そうなると、人の人生も切ない。
はじめから終わりまで管理された私達は、死んでもそこから新たな生命の糧になることがあるだろうか?
狭い高熱の釜で焼かれたこの世の忘形見が、一体誰の腹を満たすのだろう。
私が死んだところで、誰かの益になるのだろうか。
病院の白いベッドで死んでいく自分を想像したが、どうにもそんなものはなさそうだ。
傍らに別れを惜しんでくれる客がいたら「どうか僕が死んだら、美味しく食べてくれ」なんて言ったらそいつはどんな反応をするだろう。
それを思うと少し面白い。
畳み掛けるように「好き嫌いはするなよ、食べ残しは失礼だろう」と続けてやろうか
ちょっと楽しみになってきた。
もし絶好のチャンスが到来したら、是非実践したい。
一応、スケジュール帳の最後のページに書いておこうか
ふと胃袋が切なさを訴えた。
思いつきは突然始まり突然終わる。
腹を空かせた私は川を下った。