家でくつろぎの一時
「ああ……美味しかったな。ラーメン」
「はい、また食べに行きましょう」
屋敷に帰ってきた僕たちは、リビングのソファーでくつろいだ。お腹もいっぱい、とても満足した気分だ。
ベンリさんは、使用人室のベッドと石窯を見事に修理してくれて、ピカピカの新品の銅フライパンをはじめとした調理器具たちも、これも見事に台所に収まっていた。
「ふう、ちょっと喉が渇いたかな」
「そうですね。ラーメンは美味しいですけど、スープまで完食すると喉が渇きますね。今、紅茶をおいれしますわ」
湯沸かし器に魔力を注いで、一分ほどで湯が沸く。鉄瓶の形をした魔道具で、結構高価な品だ。サイズも二人で使うには大きい。もっと小型の物をルシアが愛用してたっけな。
ティーポットに茶葉を入れ、湯気の立つ熱湯を注いだ。アイリさんがそれを持ってくると、アールグレイの良い香りが僕の鼻腔をくすぐった。
「さあ、召し上がれユウキさま」
「いただきます」
一口、茶を口に含むと、花のような良い香りが口いっぱいに広がった。渋みは控えめで味は軽やか、僕はそれを少し口の中で転がして、ごくっと嚥下した。
「うん、美味しい。良いお茶だ」
これならルシアもたぶん満足するんじゃないかな。そういえば僕はここに来てから、よくルシアのことに想いを馳せた。
現役勇者時代は、地獄の連続で、もしもう一度あれをやれと言われれば、今の僕には不可能かもしれない。
そんな時期の出来事で、唯一良かったと思えたのはルシアとの恋だった。
ルシアは僕と性交渉するとき、異様なほど神経質に避妊魔法をかけ避妊具の着用を求めた。
大聖女の第一子は必ず、大聖女が産まれる。その唯一の例外が勇者の子を妊娠したときだ。この時は大聖女の遺伝子を勇者のそれが上書きしてしまう。
だからルシアは僕とは結婚できないと、常々口にしていた。それでも激戦のなか、僕達二人は恋をした。
それは激務のなかでも優しく光る。暖かで確かな恋だった。
ルシアとの恋だけが、現役勇者時代で唯一失いたくなかったものだった。でも二人の恋は終わって、僕は今辺境で自由な暮らしをしている。
「……さま……ユウキさま」
名前を呼ばれて僕ははっと顔を上げる。紅茶の香りに誘われるまま、イメージの世界に没頭していたようだ。
「はい、アイリさん……何でしょう?」
アイリさんは僕を見てクスリと笑う。チャーミングな笑顔だ。
「ベンリさんからお買い物のお礼に、沢山の地物のトウモロコシを頂きました。よろしければ明日の朝、ポタージュスープにでもしようかと思うのですが」
「うん、良いね。美味しそうだ」
新鮮な野菜で作ったスープも美味しそうだな。ベンリさんには感謝しなきゃ。
「明日は何かご予定はお有りですか?」
「ん……特に何もないけど」
明日の予定は何もない、こんなことは孤児院にいた時以来だ。もう十年以上、馬車馬の如く働いてきたんだよな。
「一息ついたところですし、ユウキさまの健康診断をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「健康診断……? ああ、そうか」
魔王は倒されたとはいえ、五百年後にはまた復活する。勇者の血脈は受け継がなければならない。
僕は孤児院出身で、正確な血筋は解っていない。でもかつての僕の先祖に勇者がいたことは確実だ。だから僕は勇者に覚醒したんだ。
「それでは上半身だけでいいので、お召し物を脱いでいただいても?」
「うん、よろしくお願いします」
僕はラフな格好のシャツを脱いだ。下は作業用の動きやすいコットンのズボンで、寝間着がわりに着ていたものだ。
「す――」
アイリさんが僕の裸の上半身を見て、息を呑んだ。
僕の身体は醜いほどの高密度な筋肉の束に覆われている。
「失礼しました。それでは診察させていただきます」
アイリさんは僕の心臓の音を聴診器で聞いて、診断魔法をかけた。
「医術魔法が使えるんですね」
「幼少のおり、少々医術をたしなみました」
「へえ……凄いですね」
暗黒魔法は究極の対人魔法だ。歴代ブラック家の将軍は戦場ではそれはそれは恐れられたらしい。
「今はアイリさんのお兄さんが魔法軍統括指揮官なんだっけ?」
「はい、兄は生真面目でとても強い人です。わたくしのことも色々と気にかけてくれました」
兄のことを話すアイリさんはとても優しい顔つきをしていた。本当に兄を慕っているのだろう。
「お父さんは全軍総司令だったかな? 僕も凄く強そうな人だと思ったのを覚えているよ」
「はい、もう結構な歳なので、軍は引退したらどうかと勧めたんですが、まだまだいけると本人は言い張っています」
対軍隊用広域破壊魔法ブラックドラゴンブレス、戦場でその黒い波動を見たものは皆死ぬと恐れられている。アイリさんの父は誰でも知っているくらいの、有名魔術師だ。
ブラックドラゴンブレス……アイリさんも使えるんだろうか? 聞いてみたかったがちょっと怖いのでやめた。
「異常はなし……と、ユウキさまは健康です。ですがまだ魔王との戦いの疲労は残っていますので、無理はいけませんよ」
「うん、ありがとう」
僕は健康、そうと解かると今度は眠くなってきた。
「僕は歯を磨いてもう寝るよ」
「はい、ユウキさま、おやすみなさい」
この日も僕は、とても深く眠りについた。