急患
その日の朝早くに、村人が屋敷に血相を変えて現れた。
「ひ、姫さまはいらっしゃいますか?」
シンプルな藍染の綿のベストとズボンを着ていたので、貴族ではない平民だとすぐに解かった。年のころは三十と少しくらいか? 短くさっぱりと刈り込んだ頭に麦わら帽子を乗せた痩せた男性だった。
いつもなら来客の相手はアイリさんがするのだが、たまたま僕が玄関先にいた時、やって来たので応対した。ずいぶん焦っている様子だった。
「とりあえず、落ち着いてください。何があったんですか?」
「こ、子供が病気で、熱が下がらないんです」
男は涙ぐんでいた。これはよほどの重大事か、と僕は思った。
「何事ですか?」
そこへアイリさんが現れた。
「ああ、姫さまっ! た、助けてくださいっ! 息子の傷が化膿して熱を出して、医者でもお手上げなんです」
「何の傷ですか?」
「ファングラットに噛まれて、その毒で」
そのひと言で僕とアイリさんもことの重大さを認識した。
ファングラットとはモンスターの一種で、牙に毒があることで有名なのだが、これは実は毒ではない。体内に入ると毒のようにふるまう細菌が原因だ。細菌は目には見えないほどの大きさなので、毒だと認識されることも珍しくない。
問題なのが傷は治癒魔法、毒は解毒魔法で治療できるのだが、微生物である細菌にはどちらも効かない。村医者でも治癒魔法は使えるが、感染症などは薬草などの薬に頼るしかない。
「アイリさんは薬学を?」
「ええ、幼少のおりから嗜んでおります」
「医者も、もう姫さまに頼るしかないと」
お願いしますと繰り返して村人は頭を下げた。
「村の薬師はどうなっているのですか?」
僕は訊いた。
「エイリーンのばあさまは、もう高齢で薬草の採取ができるような状態ではないんです。最近じゃあ実質、姫様に村の薬師を代行してもらっていた状態です。ばあさまが言うには薬は切らしちまって、取ってきてもらうしかないと」
ちなみに、ファングラットは茂みや森の中にいくらでもいる中型のネズミに似たモンスターで、その牙に病原性があることは有名な話だ。抗生作用のある薬草でなんとかなるもので、通常ならどこの薬師も薬を備蓄しているものなのだが。
「ユウキさまをお迎えする準備で、薬師の仕事を後回しにしていたのが仇になりましたね。来週には私の代わりの薬師が来る予定でしたが」
「それじゃあ、僕にも責任があるな、薬草を取りに行こう」
「あ、ありがとうございます」
涙ぐみながら村人は頭を下げる。
「今の時期に目的の薬草は採れるの?」
「はい、近くの山で採取できるはずです。一つの箇所に群生する特徴があって、場所を知らないと探すのは困難ですが、わたくしは場所を知っていますので」
アイリさんには慌てた様子はない。薬草の自生している場所も知っていると言うし、これは問題ないだろう。
「すぐに出かけましょう」
アイリさんは採取用の道具を魔法バックに詰め、僕は一応、聖剣ブレイブを持った。もしかしたらモンスターと戦闘になるかもしれないしね。
「ファングラットの熱ですぐに死ぬことはないですが、長引くと後々まで身体が衰弱することもありますし、急ぎましょうユウキさま」
「うん、行こう」
僕達は走り出した。僕は全速力の八割くらいの速度で駆けた時速は百キロを超える。アイリさんは平然とした顔で付いてきた。うん、やっぱりこの人も相当に鍛えているな。
魔力を足先から放出して加速する走法なので、もしかしたら魔法を使い慣れているアイリさんの方が、最高速度は早いかもしれない。でも事故を起こすリスクを考えれば全速力よりちょっと余裕を持たせて走るほうがいい。その方がスタミナも続く。
フロア村の田園風景を走り抜け、山道へ、やがてうっそうとした緑の塊が見えてきた。




