王子様との結婚を平民が夢見た結果
Bエンドの先へ。
目の前の状況について行けない。
何故、平民の私が王城で白いドレスを着ているのだ。
何故、こんなにも多くの人々が、私を祝福しているのだ。
「…今日は良き日だ。ようやく念願が叶ったな」
何故、私の横に、殿下が立っているのだ。
――新郎として。
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ポーションショップの朝は早い。日が昇る前に届く薬草をポーションへ加工し、在庫と一緒に商品棚に並べ、日が昇る頃には店を開ける。
ポーションの効果は、調合した薬草の鮮度にも左右される。早い内に作った方が、安定剤を入れた後の品質を高く保てるのだ。
しかし一番の理由は、早朝に需要が集中してる点にある。
「ヒールポーション5つと、毒消し3つね」
「こっちはハイポーション10個!急ぎで頼む!」
「32番さんお待たせしました!銀4枚銅30枚になります!お母さーん!33番さん、ハイポ、オーダー10個でーす!」
「はーい、今作ってるわー」
朝方の客の殆どは冒険者で、それも日帰りの依頼を受けている者が多い。開店と同時にポーションを買い込み、すぐに出発していくのだ。もちろんゆとりを持って動く冒険者もいるので、そういった客は夕方に集中する。
「はい、33番さんどうぞ。無事に帰ってきてくださいね」
「おお!いってくる!」
「はい、いってらっしゃい」
「ありがとうございましたー!」
ラッシュ客を一通り捌き切る頃には、既に陽が高く昇っていた。嫌な客も中にはいるが、私達が作ったポーションが冒険者達の、そして社会の役に立ってると思うと、大きなやり甲斐を感じるのも確かだった。
しかし…それにしても…!
「げ、激務だ…!ポーションショップが、ここまで忙しいなんて…!」
在学中も、休みの日に調合作業を手伝ったりはしていた。だがそこに販売や在庫管理、受注生産も入るとなると、ここまで忙しくなるのか…!
母はよくぞ、これまで一人でこなしてきたものである。
「お疲れ様、クリス。偉いわねー務めてまだ日も浅いのに、よく頑張ってるわよ」
「ありがとう、お母さん。でもこんなに忙しいなら、もっと在学中に頼ってくれて良かったのに。大変だったでしょ」
「貴方は十分手伝ってくれてたわ。それに、自分が忙しいからって娘に寄っかかってたら、亡くなったお父さんに笑われちゃうわよ」
「…そっか」
学園を卒業後、私は無事に父が遺したポーションショップを継ぐことができた。卒業式後のトラブルで、途方も無い額の借金を抱えることにはなったが、一応返済の目処が立っているのだから文句は無い。
そう、文句は無いのだ。基本的には。
「失礼します!クリス様、ボリエ第二王子殿下より登城の要請です」
……これさえ無ければな。くそ、また厄介事を片付けさせるつもりか。
「あらあら、こんにちは兵隊さん。いつも娘を送り迎えしてくれて、ありがとうね」
「礼には及びません、マダム。職務ですから」
殿下とは三年間、色々あった。殴り合いから始まり、怪しげな薬物の出処を一緒に調べたり、二人してゴブリンに追い回されたり、挙げ句の果てには今の奥様から二股を疑われたりもした。あの人が絡めば厄介事には事欠かず、お陰様で今も尚、腐れ縁の仲という訳だ。
それにしても先週、ようやく例の白い粉の分析調査を終わらせて、裏商人を成敗したばかりだったのに!もう次の仕事かよ!?
「風邪を引いてるってことに、してもらえませんか?」
「無理です」
即答しおったわ。よくわかってんな、この人も。
「駄目よ、クリス。兵隊さんを困らせたら」
「むう…」
「お店の方は大丈夫よ。新人一人抜けたくらいで、どうにかなる店じゃないわ」
流石はお母さん…この人のことは一生尊敬できる気がするよ。
まあ、嘘ついても後で調査されるし、無駄な抵抗だろう。ここは大人しく、付いて行くことにしよう。
「わかりました。大人しく出頭しますので、道中よろしくお願いします。兵長さん」
「出頭ではなく、登城です。よろしく、クリス様」
「いってらっしゃーい!お土産持って帰ってきてねー♪」
…もしかしたら私の周りで最強なのは、殿下ではなく母かもしれない。
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一応、外行の格好に着替えた私は、自分が芋臭いことを自覚しつつも、殿下達の部屋へ向かった。しかし卒業後に何度も通っているためか、周りの貴族達が私を指差すことは無い。
「やあ、クリス君。息災かな?」
「かろうじて」
このドライなやり取りもいつも通り。しかし学園の頃とは違い、そこには必ずもう一人、奥様の姿が合った。
「いらっしゃい、クリスさん。いつもごめんなさいね、ボリエ様のわがままに付き合わせてしまって」
「恐れ入ります。私もアベラール様にお会い出来るのを、いつも楽しみにしておりますので。今日もお綺麗ですね」
「まあ!クリスさんったら」
ああ、アベラール様は今日も麗しいな。ほんと癒やされる。誰かさんと違って、中身と外見が伴っているものな。
「おい、アベラールには随分優しいじゃないか。たまには俺にも何か言え」
「殿下も中身と外見が伴ってますね。とても麗しいです」
「こいつ…」
「それで、ご用件は?お役に立てることなら良いのですが」
役に立たなさそうなら呼ばん。そんな皮肉が飛び出るものかと思っていたが、何故か殿下はすこし考え込んでいるようだった。
「…呼びつけておいて悪いが、これをお前に任せて良いか、正直今も迷っている」
「能力が不足しているからですか?」
「お前に限ってそれはない」
その言葉は喜んで良いのか、どうなのか。冗談と思いたいが、むしろ本音だからこそ、何でもかんでも私に投げつけているような気もする。
「どちらかと言うと、卒無くこなしてしまいそうで怖い」
こなされたら困るような依頼を、何故…。
「ボリエ様、クリスさんがお困りです。まずは内容を話していただかないと」
「…それもそうだな。おいクリス、お前結婚する気はあるか?」
「は?無いですが」
何言ってんだ?
「そうか。なら、いい」
何故か少しホッとした様子の殿下は、私に開封済みの封書を手渡した。翡翠色の封蝋…ということは、王家からの書類ではない。
「もしや、隣国からの親書ですか」
「そうだ、王家からだな。宛先は俺なんだが、ちょっと読んでみろ」
「え、大丈夫なんですか?」
「ああ、内容に問題はない」
私は促された通り、その書類の中身を拝見した。……拝見してしまった。
「これは…」
そこには殿下達のご結婚をお祝いする名目での、祝賀会への招待状だった。日時は二週間後の夜、会場は隣国の王城内、来客用のディナールーム。祝賀会と言っても立食形式ではなく、お互いの王子が選んだ者だけで開かれる夕食会。
「どう思う」
「内容に問題はありませんが…」
「そう、内容にはな」
だが、ありえない。あってはならない招待状だ。何故ならば。
「…いつご結婚を発表されたのですか?」
二人のご結婚は、対外的にはまだ発表していないはずである。
「正式発表はまだよ。ヒューズ第一王子のご結婚が決まるまでは、秘匿する予定だったの」
私は後で直接知らされたのだが、爵位を持つ家には、事前に箝口令が敷かれていたらしい。だから卒業式の日にご結婚されたことは、参加した家以外誰も知らないはずだ。
「王位継承が俺と兄上のどちらになるかは、まだ決定していないからな。ここで兄上より先に結婚したと隣国に知られれば、やはり俺が王になる可能性が濃厚だと、現時点で判断されかねん。そうなれば、陛下と兄上に迷惑がかかる。まあ、既に知られてしまっているようだが」
「そこはボリエ第二王子殿下が、王位継承されるのではなかったのですか?確か、殿下と殴り合った次の日に、血統が優先される云々とお聞きしましたが」
「え?」
ヒューズ第一王子は妾の子であることが、公然の秘密となっている。
「本来はそうだが、最終的には総合判断だ。俺は入学した後の失点が多過ぎるからな。大々的に披露宴を開けなかったのは、そのへんも関係している」
「それは奥様が気の毒ですね」
「…本当ですわ。まあでも、この人が描いてたようなパレードは私の肌に合わなかったし、ボリエ殿下が無能判定ギリギリで助かりましたわ」
…中々言うようになったな、奥様も。ていうか本当にパレードやる気だったのかよ。思ったより浮かれてたんだな、この人も。
「…今は言い返さないでおく。話が逸れたが、要するにこれは極めて非公式なものだ。恐らく夕食会を通じて、俺と兄上のどちらを今後重視すべきか、判断材料を集めたいのだろう。だから向こうも、王家以外には秘密にしていると思う」
「そこまで秘匿されてますと、夕食会の場で暗殺されるのでは?」
「今回に限っては無いな。非公式とはいえ、王国直々に招待した場で人が死ねば、当然その責任は呼んだ側に帰する。良くて国際問題、悪くて戦争だ。だから向こうも努めて夕食会に徹するだろう。そこでお前には、この夕食会に随伴してもらいたい」
「はい、わかりまし…」
…はっ!?
「なんで私!?私はただのポーションショップ店員ですよ!?そこはプロに任せるべきでは!?」
これまでも無茶振りは多々あったが、今回のは極めつけだ。いくらなんでも私の領分を超えすぎている。
「いや、ぜひお前に頼みたいんだ。お前を公私ともに信用できるからという、一種の個人的感情もあるにはあるが、今回は政治的理由が大きい」
こ、この人は、なんで真顔でそういうことを言えちゃうかな…!?ほら、アベラール様がすごい顔で見てるよ…殿下を。
「実はこの件は、アベラールにも事前に相談したんだ」
「……はあ。クリスさん、私からもお願いします」
「奥様まで!?」
「おそらく隣国は、この人が王になるかもしれないと予想しています。ですが現段階で諸外国から変に外堀を埋められてしまうと、国内世論にまで影響が出かねません。仮にボリエ様が 無 能 非 才 でなくても、周辺国にはまだ迷っててほしいのです。そのためには、平民であるクリスさんを友として紹介するのが、一番効果的と判断しました」
…まじ?そこまで強調する?あの殿下が青褪めてるの、初めて見たんだけど。
「え、ええと…もう少し補足してください。私でないといけない理由は、どのあたりにありますか?」
「平民であるクリスさんが、殿下の友として出席すれば、相手国は困惑するでしょう。特定の平民を友であるだけで重用するような王子が、果たして王に選ばれるのかと、それだけで相手に疑念を与えられます」
人は判断に迷えば、実像よりも大きな影を、実物大と勘違いするものです。政治とは騙し合いなのですよ。そう語るアベラール様は、学生時代とは比較にならないほど、大人びて見えた。
「それに私も、クリスさんなら安心して殿下の隣を任せられますわ。クリスさんの、安全が、確保されていれば、ですけどねっ!」
…アベラール様は披露宴で起こった惨劇を、まだ許していらっしゃらないのだな。
「……もちろん身の安全は保証する。護衛をつけるし、俺達の傍から離さないようにする。夕食会には両国の毒見役がつくし、お前は食事をしながら座ってるだけでいい。もちろん報酬も弾もう。お前の借金、その半分と同じ額だ」
…ポーションショップ7軒分の金か。借金の方は最終的には帳消しになる約束なので、これは破格の条件と言えるだろう。
「こちらからは誰が出席されるのですか?」
「俺とアベラール、そして兄上と、友人役の護衛が一人ずつ。二人ともSランク冒険者だ。そしてこちら側の毒見役と、お前で、合計7名になる。向こうは第一王子から第三王子、そしてそのご友人と毒見役で合計7名となる。表向きはな」
つまり、向こうがSランク級を3人以上用意してる可能性もあると。なんだよ、十分危ないじゃないか。でもまあ、報酬に見合ったリスクだろうし、夫婦揃って私を頼ってくれてるというなら、ここは乗ってやろう。
私にとって、二人とも数少ない友達だからね。
「用件はわかりました。ところでさっき、私に結婚が云々言ってたのは何です?話を聞いても、本件と関係なさそうですが」
「もしお前に結婚願望があって、向こうの王子様に見惚れでもしないか不安だった。揃いも揃ってイケメンなんだよ、あの国」
「王子と名のつく人は恋愛対象外なのでご安心を。それよりもう少し報酬に色を付けてください」
「可能な限り叶えよう。袖の下抜きでな」
「私が留守の間、誰か一名、店にアルバイトを入れてください。母一人だと苦労させてしまうので」
実際は私なんていなくても平気だろうが、タダで楽をさせてやれるなら、この際利用させてもらおう。
「よかろう。兵長を店に派遣する。出発までの護衛と、店の警備も兼ねてな」
おーまいがー…兵長さん、すみません。職務と思って耐えてください。
「他にはあるか?」
「いえ、十分です。では、また出発の日に」
「ええ、また会いましょう、クリスさん。…ところでボリエ様?クリスさんと、殴り合いをなさったとは、どういうことですか?詳しくお話していただけますわよね?」
後ろから、狼狽しながら私に助けを求める殿下の声がした気がするが、恐らくは気のせいだろう。王族が平民に助けを求めるなど、あってはならないことである。
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そして夕食会当日。長い長い馬車の旅を終えた私は、隣国の城門前へと降り立った。そして私は、普段は絶対に着ないような豪華なドレスを――
――着ていなかった。
「あの、本当に普段着で良いんですか?これ、ポーション調合してる時の服ですけど。なんならポーション染みもありますが」
「良い。ドレスコードは指定されていないし、俺もアベラールも大分崩した格好だ」
私の目からは、王族の服装基準は測れない。確かに殿下も奥様も、先日お会いした時と同じような服とドレスに見える。そして私の目からは、これで十分に豪華絢爛に見える。
なんなら、一緒の馬車でついてきた、お二人の自称友人である護衛の男性も、私の目からは大貴族に見えてしまう。みんなほんと、おしゃれだね。
私達から少し遅れて、別の馬車が到着した。その馬車から、殿下とは比較にならないほどの権威と迫力を感じさせる、一人の青年が降り立った。その後ろにもう一人、剣を携えた女が続いた。
「ボリエ、待たせたか?」
「兄上!いえ、私も今来たところです」
デートかよ。
「本日はよろしくお願い致します、義兄上様」
「こちらこそ、アベラール殿」
この人がヒューズ第一王子か。私も実際に見るのは初めてだが…統治者の雰囲気を纏っている。身分の低いものが、無意識に頭を下げたくなるような凄みがあった。殿下やアベラール様より、もっと多くの宝飾を身に着けているのも、その一因なのだろうが。
ではすぐ後ろの女性が、自称お友達の護衛なのか。あの人だけは絶対怒らせちゃ駄目だな。纏ってる空気が、また別の意味で違うもの。
「兄上、紹介します。彼女が本日随伴する、私の友、平民のクリスです」
「そうか、君がクリス君か。ボリエからはよく聞き及んでいるよ」
「始めまして、クリスです。本日はどうぞ、よろしくお願いします」
…頭を深く下げたせいでよく見えないが、頭から足まで観察されているのだけは、感覚でわかる。こんな服装だものな…訝しむのも当然だが。
「頭を上げたまえ」
「はい」
「…なるほどな」
な、何がなるほどなんだ?この人、よくわからないが、一言一言が重くて、ちょっと怖い…。
「ボリエ。彼女を大事にしろよ。アベラール殿共々、お前にはもったいない人だ」
「は、はい」
「クリス君にはこれを」
これは…コロコロ草の造花、いやブローチか?あまりにも精巧で、一瞬本物の花かと思ったが。
「これは…?」
「お守りだ。ボリエの事で困ったことがあれば、これを騎士に見せなさい」
「それだと毎週見せることになりそうですが」
「ならば毎週見せなさい」
要するに、これを見せればヒューズ様の助けを得られるわけだ。それはなんともありがたいが…そんな簡単にあげて良い物なのか?
「兄上、干渉しすぎです。彼女は平民ですよ。王族が軽々と、見返り無しに物を与えてはいけません」
「お前こそ、身分を気にし過ぎだ。一番の友なら、もっと手を貸してやれ。平民と我々では、そもそもの生活水準が違うのだから」
「しかし、それでは…」
私には二人の言い分の、どっちが正しいかは分からない。ボリエ殿下の方が、王族の感覚としては正しい気がする。一方でヒューズ様の方が、平民に目線を合わせてくれてるように感じる。しかし、どちらにしてもそれは――
「民草を守ってこその国家だし、お互いに助け合うのが本当の友だ。物心両面でな。しっかり見てやれよ」
――圧倒的強者からの、慈悲に過ぎないだろうけど。
「では、行こうか。あまり待たせてもよくないからな」
そこだけは殿下そっくりな、不敵な笑みを浮かべたヒューズ様は、威風堂々と王城へ入っていった。その後ろには、例のSランク級冒険者が付いていた。
さて、私たちも行かないと。なかなか歩を進めない殿下を促そうとすると――。
「…クリス」
――らしくない、自信なさげな声がした。
「はい、殿下?」
「俺はお前を、本当の友だと思っている。だが俺は、お前の友として、相応しくないのではないか」
いつもと様子が違う殿下へ、真っ先に寄り添ったのは奥様だった。
「ボリエ様…義兄上様の言ったことは…」
「わかっている、アベラール。しかし、兄上の言うことに、心当たりが無いわけでもないのだ。俺は身分を意識するあまり、こいつを蔑ろにしてたかもしれん。あの日のことだって…」
…馬鹿だな。この人も、私も。
「絶交するなら、学生の内に済ませてますし、こんなところまで付き合いませんよ。今も散々迷惑を掛けておいて、何を今更」
「だが兄上の言う通り、俺がお前をもっと手厚く保護していれば、これまでの苦労だって少しは――」
「くどいですよ、殿下」
本当に今更だ。誰がいつ、そんなものが欲しいと頼んだのだ。
「必要ないから頼らなかったんです。確かに私は、皆さんから見ればか弱い平民かもしれませんが、自立した一人の人間です。あまり弱者扱いされるのは迷惑です」
私と殿下を結ぶ線は、施しの有無で切れるようなものではないはずだ。
「…はははっ!お前がか弱いものか。だがそうだな、すまない。俺がどうかしてたよ。結婚してから少し、気持ちが緩んでいたかもしれん。俺がお前の強さを信じなくて、どうするのだ」
「わかればよろしい」
さて、そんなことよりも。
「クリスさんには敵いませんわね。ボリエ様が頼るだけのことはありますわ」
「奥様。このブローチは、奥様が預かってて貰えませんか?私には必要のないものです」
私はアベラール様に、コロコロ草のブローチを手渡した。私が持っているより、その方が良い。
「いいのか?それは兄上から直接賜った――」
「ええ、これも罠かもしれませんから」
「…!?」
「余計な荷物は、持たないに限ります」
私の一言で、空気が一変した。
「さあ参りましょう、殿下、奥様。どうか努々油断なさりませんように。もうここは敵地と考えるべきです」
私は、この場に一番そぐわないスカートをなびかせながら、殿下たちよりも先に王城へと歩を進めた。その足は、緊張のあまり震えている。ああ、くそ。なるようになれだ。
「この戦場を利用しているのは、たぶん敵だけではありませんよ」
どうか、生きて帰れますように。
ーーーーーーーー
「よく来てくださいました、ボリエ・フォン・バシュレ第二王子殿下。そして、ヒューズ・フォン・バシュレ第一王子殿下」
三人の王子が横に並んで、この場で最上位の二人を歓待した。ただし、第二王子を先に呼んでいる。
「お招きに預かり、光栄です。アーマン第一王子、ブリアック第二王子、ディオン第三王子」
返礼したのもボリエ第二王子殿下だ。招待されたのはボリエ殿下と奥様なので、誰に対しても失礼に当たらないのだろう。たぶん。
その後まもなく夕食会が始まり、向こうの王子様三人+自称ご友人と、こっちの殿下二人と奥様+自称ご友人で歓談されていたが、大したことを話していないようで、予想外の表情を見せ合っており…。
要するに何を話し合ってるのか、私にはさっぱりわからなかった。別言語で会話してるかのよう。
ご友人サイドも合わせて笑うばかりで、自分から話そうとしないし、そもそもどこが笑うポイントなのかも全然理解できない。私は数日で叩き直されたテーブルマナーのもと、黙々と食事をするしかなかった。うんうん、美味しいな、このパン。
だって仕方ないじゃないか。平民がこんな、国のトップ同士で話し合うような政治談義を、理解できるわけがない。チラチラとこちらへ視線が送られることはあるが、会釈することしかできない。でも、ワインは美味しいね。毒も無いし。
それにしても、普通に顔と名前を覚えられないな、これ。なんとか覚えられそうなのは、さっきからずっと一人つまらなそうにしている、ディオン第三王子くらいか。残りは服がゴージャスすぎるのと、皆ずっと笑顔が張り付いてるから、顔が印象に残らない。どれも美男子ではあるんだけど。
「それで、先程からずっと静かに食事をされているそちらのご令嬢を、そろそろご紹介頂けるだろうか」
ぎくっ。一番奥の席にいる、たしか向こうの第一王子が遂に話を振ってきた。と、とりあえず食事の手は一旦止めるけど…下手なこと言わんとこ。もぐもぐ…今は口の中に物が入ってますよー…。
「ああ、あれは私の友人です。私はまともな友人が彼女しか――」
「ボリエの優秀な忠臣ですよ、平民の。そうですよね、クリス嬢」
ボリエ殿下の紹介を無理矢理遮ったのは、ヒューズ第一王子殿下だった。その内容に、思わず口の中の物を吹き出しそうになった。
ぎょっとしたのは私だけではない。アベラール様も、そして強引に割り込まれた殿下も困惑していた。
「ボリエ殿下の、忠臣?平民が…ですか?」
「ええ、彼女は紛れもなく平民です。ボリエはとても器が広く、有能であれば平民であっても、差別意識を働かせることなく、登用して側に置く器量があるのです。まさに王の器と言えましょう。自慢の弟です」
…なるほど。ヒューズ殿下の狙いは、そっちか。やはりこの場で味方と言えるのは、最初から私達三人だけだったんだな。
「兄上、どうして!?」
「隠すことでもあるまい。お前がこの場に呼んだ時点で、クリス嬢がここに出しても恥ずかしくないくらい、有能であることは保証されたようなものだ。ならばこの場をお借りして、きちんとご紹介するのが、筋というものではないか」
私たちのシナリオは、食事に夢中な平民を、ボリエ殿下が贔屓してかわいがってる、元学友という立ち位置にすることだった。そうすれば、殿下は身内贔屓するだけの無能かもしれないと向こうが考え、王位継承権争いの優位性を疑う。結果的に、引き続きお互いの動向を伺う関係を続けることが出来る。
実際、大部分の人にとっては、その方が良かっただろう。ただヒューズ殿下に限っては、そうではなかったのだ。
「クリス嬢はボリエが入学してより三年間、ずっと傍で支えてきた、まさしく忠臣です。ボリエの危機には我々よりも早く駆けつけ、時に無礼を承知で忠言を続け、公私ともにその身を捧げてきたと聞いております。それも見返りを求めずに。ボリエはそんな彼女の忠義と能力を認め、卒業後も傍に置くことを決めたのです」
「おお…!」
正統な血筋である、ボリエ殿下こそ王に相応しいと思わせておけば、周辺国はボリエ殿下が王位につく可能性が高いと見るだろう。
そうすることで、自然と諸外国からヒューズ殿下への注目度は下がる。その結果、暗殺や草の対象は、ボリエ殿下の方に偏ることになる。
「私などには到底、真似できません。ボリエこそ、我が国の誇りです」
要するにこの男は、ボリエ殿下を売って、自分の安全を買ったのだ。
「素晴らしい…!なんという器の広さだ!流石です、ボリエ第二王子殿下!」
なるほど、これが政治か。やはり私みたいな平民は、こんな場所にいるべきではないな。ポーション販売でヒーヒー言ってる方が、よほど似合っているし、肌に合っている。
「では、やはり次の国王に即位するのはボリエ様ですかな」
「いやいや、それは些か早計でございましょう」
「しかしご結婚されたと有れば、いつお子が出来てもおかしくありませぬ。男のお子が生まれることを、期待したいものですな。そうすれば貴国も安泰だ」
「え、ええ…そうかも知れないですね」
こっそり子供が生まれても、すぐにわかるぞと。まだ妊活も始めて無いだろう時期に、露骨なことだ。
「さて、そろそろメインディッシュを持ってこさせましょう」
運ばれてきたのは、分厚いステーキ肉の塊だ。ついさっきまで火で炙られていたのか、脂がパチパチと跳ねる音がする。
まず毒見役が、端を一枚切り分けた。柔らかな肉は、ナイフを押し当てるだけで肉汁が溢れ出し、その先の食欲を唆る赤身と脂身を晒しだした。
そしてその端の肉を一口大に切り分けると、両国の毒見役は同時にステーキを口にし、咀嚼し、嚥下した。
「……毒は入っていないようだ。では、ボリエ第二王子殿下。こちらの肉をどうぞ。この中で最も旨い部位ですぞ」
そう言って、数枚に取り分けられた肉の一枚を、ブリアック第二王子自ら、ボリエ殿下に差し出した。そして同じように別の肉を自分の皿へと取り分け、まず自らが先にステーキを口にする。
「うむ、いい肉だ。我が国の肉は、大陸で最も脂身が甘いと言われてましてな。ささ、ボリエ殿下も」
恐らくあの肉に毒はない。それは先程確認しているし、向こうの肉も大丈夫そうだ。差し出されたのは切り出された中で、二番目の肉…もし毒が入っているなら、もうとっくに――。
一体、私の中で何が引っかかったのだろう。この時はほぼ、直感的に動いていた。
「お待ちを、ボリエ殿下」
「…クリスさん?」
体と口が、勝手に動きだした。
「どうした」
「申し訳ありません。卑しくも私は、今日のために昨日の食事を抜いておりました。一番美味な肉と聞けば、食指が伸びて仕方ありません。そのステーキ肉を、私に譲っていただけませんか?」
「なっ…無礼だぞ、クリス君!」
「そうですぞ、クリス殿。ここは貴殿の自宅ではないのだ。いくらご友人とはいえ、ボリエ第二王子殿下に対し――」
「………」
王族たちの叱責は当然だった。罵声を浴びせる向こうの第一王子、第二王子、そしてヒューズ殿下。その中でディオン第三王子だけが、何故か無言のまま私を睨みつけていた。
「クリス」
殿下と目が合った。その目に迷いはない。恐らく、私の目にも。
「はい、殿下」
「許可する。よく噛むように」
「はい」
覚悟を決めて、私は殿下のステーキ肉を手早く一口大に切り取り。
「待て、クリス殿!!」
咀嚼し、ゆっくりと味を確かめた。
--------
「起きろ、クリス。立ったまま寝てたのか?」
「…え?」
何が起こっているのか、状況が理解できない。見覚えのあるダンスホールだった。豪華絢爛なシャンデリア、そして見覚えのある面々。
そこにいたのは、学園のクラスメイト達だった。自分が平民故に相手にされず、遠巻きから見下してきた者たち。それが、今は私のことを見直すように、あるいは羨み、妬むような目を向けながら、万雷の拍手を向けていた。
「…今日は良き日だ。ようやく念願が叶ったな」
隣から、聞き覚えのある声がした。最悪の出会いと殴り合いを経て、様々な困難を共に乗り越えてきた、唯一無二の存在。私の友。
「色々あった三年間だったが、お前のお陰で、俺は道を誤らずに済んだ。お前という存在の大きさに気付けた。政略結婚の道は絶たれたが、悔いはない。…この選択が最善だったと、確信している」
「殿下…?」
「クリス…愛している。共にこの王国を盛り立てていこう」
殿下が着ている服は、あの披露宴で着ていた服だ。私があの日、汚してしまった、白い服だった。
そして私が身に纏うドレスは、あの日アベラール様が着ていたものだ。新婦だけが着ることを許される、神聖な白いドレス。
これは、夢なのか?それとも、どこか別の未来でありえた、私達なのか。
「クリス?」
…これはこれで、Aエンドなのかもしれない。或いは、これが私にとって、一番幸福なのだろうか。入学式からこの日まで、選択肢を間違えなければ、こんな未来もあったのだろうか。
でも。
「……違う」
違うんだ。私が知っている殿下は、こんな甘い人ではない。殿下は、こんな睦言で私を溶かそうとしない。
「あの人は、自分が王族であることを…私が平民であることを知っていました。平民としての私を尊重し、王族である自分を律していました」
初めて対等な友人を得た後も浮かれず、大事な友人を努めて平民として扱い、王族の特権を振りまくことなく、自分自身もあくまで一人の友として振る舞える人だった。
「貴方とは…違います」
「何を言っているんだ?愛されることが不安なのか?身分差なんてものは、俺がどうにでもしてやる。そうだ、いっそ俺の代で王政を廃して、民主制に移行しても良い。そうすれば皆が真の意味で平等となり、すべてうまくいく。これからはお前が手に入れられなかった幸せ、俺と一緒に――」
「違う!!私はそんなもの望んでない!!」
自分を殺してやりたいほど恥ずかしい。これはきっと幻惑魔法なんかじゃない。間違いなく私が見ている夢だ。私が心の何処か、頭の片隅で望んでいた未来、選び取ったかもしれない夢だ。
こんな夢は、殿下とアベラール様への侮辱だ。目の前にいる殿下は、選べた未来を選べなかった私の、後悔が形になったものだ。
だからこそ、私は…!
「私と殿下が選んだのは、そんな結婚生活じゃないんだ!私達は皮肉を言い合って、時々喧嘩して、それでもまた元の関係に戻れるような、そんな関係を望んだんだ!ありのままの関係を選んだんだ!」
「クリス!?違う、落ち着いてくれ!」
「私は自分の決断を信じる!!殿下の友達をやめたりしない!!」
私は披露宴会場のテーブルに駆け寄り、備え付けられたナイフを手にとって――
「止めろ!行かないでくれ!クリスー!!」
自らの左手に、深々と突き立てた。
夢の最後に見えたのは、絶望する殿下の顔だった。
「クリスさん!?」
目が覚めた時、私は自分で自分の左手に、テーブルナイフを突き立てていた。くそ、夢の影響で無意識に体が動いてたか…!
「み、水を、ください…!ピッチャーごと…!あと、空の容器と、包帯も…!」
「これを使え。そこの君、すぐに包帯を」
凄まじい痛みと、不愉快な快感に襲われる中、私は用意された大きな入れ物の中に嘔吐した。胃の中のもの全てを吐き出した後でうがいをし、用意された水の残りで左手の傷を洗浄した後、手早く包帯を巻いた。
「大事ないか?」
新しい水が、コップで差し出された。その御仁は差し出す際に、なんと自ら毒見をしてみせている。私は体内に巡る薬効を少しでも薄めるため、用意された水を全て飲み込んだ。
意外にも、それらを全て手配したのは、相手国のディオン第三王子だった。ボリエ殿下はその様子を訝しみつつも、先程肉を勧めてきた第二王子に詰問を始めている。
「ぷはっ!はあ…はあ…お、お見苦しいものを、お見せして、すみませんでした」
「クリスさん、大丈夫!?」
「大丈夫です…肉の方は飲み込んでませんので…」
「一体何を盛られたのかしら…」
「睡眠薬か、幻覚剤に類するものが混入されていたのでしょう。大丈夫、たぶん命に関わるものではありません…」
無味無臭で、本来なら胃から腸にかけてゆっくり効くタイプなのだろうが、舌下でも転がしたため一気に吸収してしまったらしい。もし普通に食べていれば、3口目辺りで少しずつ眠気に襲われ、朝まで目を覚まさなかっただろう。そしたら一体どうなっていたのやら。
殿下からは一応、解毒薬を預かっていたが、この手の薬には効果が無い。興奮剤も一緒に持ってくるべきだった。
「クリス殿、他に必要なものは?」
「え?い、いえ、毒薬ではなさそうなので、少し横になれば平気かと…」
ていうか顔近いな第三王子!?必要なのは距離だよ、距離!パーソナルスペース確保させろ!
「この国の王子として、心から謝罪する。すぐに医者を手配する」
…さっきからやけに親身だな、この人。この人も平民を可愛がる口か?王族には変わり者しかいないのか。
「結構だ、ディオン第三王子。帰国の予定が早まったのでな。ブリアック第二王子、この件は後日、詳しい事情をお聞かせ頂く。それでよろしいですね、アーマン第一王子」
「ええ、それで構いません。愚弟が迷惑を掛けてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
「ち、違う!私ではない!こんな、こんなはずは!?おい、兄上、ディオン!なんとか言ってくれ!私は無実だ!?」
「見苦しいぞブリアック!!せめて王子らしく、潔く沙汰を受けるのだな!!」
「そ、そんな…」
とんだ茶番だ。もういいから早く帰って、ゆっくり寝たいよ、私は…。
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帰国してしばらくは、体が異常にダルく、兵長さんにアルバイト期間を延長してもらいながら、私は自宅でゴロゴロしていた。毎日のように王城勤務の医師が往診にやってきたが、幸い大きな後遺症も残らなそうだった。
そして一週間ほど休養を取った後、登城の要請が有った。兵長さんもめでたく、今日でアルバイト卒業である。長期にわたるお勤め、本当にお疲れ様でした。
「クリスさん、体調はどう?」
「たっぷり寝かせてもらえたので、むしろ出発前より良いくらいですよ」
左手の傷も、跡は残るかもしれないが、神経は切らなかったようだ。幸い動きにも支障は無い。だが二度とやるまい。痛いのは嫌いだ。
「今回のこと、本当にすまなかった。もう少しでお前を喪うところだったと思うと、今でもゾッとする。だが、よく俺の意図を汲んでくれたな」
「付き合いが長いですからね」
あの時、殿下から『よく噛め』と言われて本当に助かった。あれが無かったら、私は他の毒見役に倣って、思わず肉を飲みこんでいたかもしれない。
「まさかボリエ様、学生時代もこんな危ない橋を何度も…!?」
「待て待て待て、アベラール!落ち着け、流石にそれはないぞ!?そもそも俺だって、今回は矢面に立たせるつもりは無かったんだ!」
それにしても、あの殿下がこうも素直に謝罪するとは。これは相当アベラール様から絞られたか?或いは躾けられたか。
断言する。お二人のご結婚は、まちがいなく殿下にとっては正解であったと。
「とにかくもっとクリスさんを大事にしてあげてください!」
「わ、わかってる…。だがクリス、実際今回は助かったよ。お前は友どころか、俺の命の恩人だ。この恩は生涯忘れない。念の為言っておくが、往診代や治療費も含めて、今回は全部こっち持ちだ。全てこちらの過失だからな」
「それは何より。それにしても直接の殺し合いに発展しなくて良かったですよ。よく踏み止まりましたね」
あの時の殿下は、いつ剣を抜いてもおかしくない形相をしていた。
「お前の目が覚めてなきゃ抜いてたかもな」
…まじかよそこは自重しろよ。
「ところで、どうして俺の肉に薬を入れると分かったんだ?向こうに怪しい動きは無かったと思うが」
「あれは、直感としか。仮に何も入ってなくても、私の無礼で終わるだろうな、位は頭のどこかで考えていたかもしれません。あの時はそんな余裕も無かったですけど」
どうして入れたと思うか、とまでは聞かれなかった。それに聞かれても答えられなかっただろう。そこは政治の世界なので、平民の領分ではない。
「でも薬を混入させた方法は、そんなに複雑ではないと思います」
「そうなの?」
「ステーキを切るナイフの片面に毒を塗って、塗られてない方で毒見させるんです。そして毒を塗った面のステーキを、殿下に食べさせる」
「そのやり方は俺も本で読んだことがあるが、あの時は毒見役も同じナイフで、毒見用の肉を切り分けていたよな。その毒見役が無事だったのは何故だ?」
「一度肉を切ったナイフは、塗ってた薬も大分肉に移って薄まってますから、口にしても殆ど影響はでないはずです。塊肉も大きかったですしね」
「まあ…!」
「…なるほどな」
アベラール様は感嘆の声を挙げたが、実のところ手法としては割とメジャーだし、図書館の本に書かれてる程度の古典的な手である。
だがそれ故に、場が温まっている時ほど効果があるらしい。人間、気持ちの余裕が無い時ほど、シンプルな罠に掛かるものだ。
「ということは、やはり薬を盛ったのは第二王子だな。彼が俺にその部位を勧めてきたんだ。恐らく眠気が出た辺りで寝室に案内して、そこで何かするつもりだったんだろう。洗脳か、あるいは催眠か。恐らく殺すつもりはなかったはずだ。以前話した通り、直接的な外交問題になる」
「ボリエ様、そうとは限りませんわ。いえ、誰が盛ったかについてです」
意外にもアベラール様が、殿下の考察に異議を唱えた。
「あの時の狼狽えようは、演技には見えませんでした。もしかしたら本当に、第二王子は厚意を何者かに利用されたのかもしれません」
「その可能性は否定しないが、薬の盛り方としては不確実過ぎる気がする。誤って無関係な、それこそ自分の兄弟に、一番うまい部分を渡してしまう可能性もあるからな」
…第二王子がどんな人だったかは、正直何を話したかも覚えていないから、私には判断がつかない。人柄でいえば、印象に残っているのはディオン第三王子くらいだ。あの、顔が近かった人。
それにもう一つ、そもそも解決していない問題がある。
「ところで、誰が結婚の事実を漏らしたかは、結局分からずじまいなのですね」
「ああ。調査は続けさせているんだが、どうにも足跡を追えない。このまま迷宮入りにさせるつもりはないが…」
…今はどうにもならない、か。
「気持ち悪い幕切れですね」
「そうだな。わからない以上、本人達から聞き取るに限る。ついてこい」
は?
「ど、どこへ?」
「まさかボリエ様、お伝えしてなかったのですか?」
「伝えたら逃げるだろう、こいつは。行くのは客間だ。俺とお前に、客が来ている」
「…どちらさまでしょう」
「そんなの決まっているだろう」
ま、まさか…!?
「隣国の第一王子様と、第三王子様だ」
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恐るべき来客との対談は、一時間にも及んだ。
内容は今回の事件に対する謝罪と、主犯であるブリアック第二王子の廃嫡と、王位継承権剥奪の報告。そして実際に被害にあった平民クリスへの、補償についてだった。どうやら殿下が肩代わりしていた諸々の費用は、その補償によってほぼ相殺できたらしい。
だが漏れ出た情報の出処については、答えてもらえなかった。
「ボリエ殿下のおっしゃりようは尤もだ。私も話せるものなら話したい。だが実のところ、こちらも情報の出処を特定出来ていない」
「どういう意味ですか?」
「卒業式の日に王家の誰かが結婚したらしい。結婚式当日に披露宴を行ったらしい。披露宴でトラブルがあって中止されたらしい…といった情報が、時系列もバラバラに、それぞれ違う線の情報屋から売られてきたのだ。それらを全て集めて、整理してようやく、お二人が結婚した事実に辿り着いた。彼らの消息については、今となっては不明だ」
「…夕食会を企画したのは誰だ?」
「それはもちろん」
――ブリアック元第二王子だ。
対談で得られた情報は、これだけだった。
そこで話が終わってくれてれば良かったのだが、去り際にディオン第三王子が、とんでもない爆弾を投下していった。
「クリス殿」
「はい、なんでしょう?」
「手紙を書く。君とはまた会いたい」
客間の空気が絶対零度まで落ち込んだのは、言うまでも無い。
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「つ、疲れた…!殿下、私、過労と心労で、そのうちまた倒れそうです…!」
「しっかりしろ。しばらくは登城を命じる予定はないから、家でゆっくり休むと良い」
「原因が登城にあるご自覚は芽生えられたのですね…それが今回一番の収穫かもしれません…」
「クリス君」
その一声だけで、ピンと空気が張り詰めた。…ヒューズ第一王子殿下か。
「おや?あのブローチは着けてくれてないのか。残念だな」
あんな騒動があった後で、あれを着ける気など起きない。もし一度でも着ければ、ボリエ殿下の忠臣すらもヒューズ殿下に心惹かれたと、国内で散々宣伝するに違いないのだ。彼は国外の安全を買っただけで、国王になることを諦めたとは、一言も発していない。
恐らく、あれを使う日は一度として来ないだろう。
「兄上!!」
「控えろ。今はクリス君と話している。さて、今回はボリエが世話を掛けたな。体の具合はどうだ?」
「…問題ありません。少し、疲れましたが」
「それはいけない。君はよく頑張ってくれたし、ゆっくりと休むべきだ。ボリエも、あまり無理させてやるなよ。彼女がゆっくり休めるよう、アルバイトの一人でも、融通してやれ」
それだけ言うと、ヒューズ殿下は颯爽と歩き去ってしまった。今回の騒ぎの遠因は、自分の政治的発言に端を発したかもしれないのに、そんな事実は無かったかのような態度である。
これが政治に生きる、王族の姿か。ボリエ殿下はこの先、苦労しそうだな。そして巻き込まれる方の私も。
「…クリス。俺も今回、大きな収穫があったぞ」
「それは?」
「はっきりしたからだ」
兄上が俺とお前の、味方ではないことがな。
そう呟く殿下の目は、怒りよりも悲しみで濡れていた。
……私がただのポーションショップ店員でいられる日は、いつ来るのだろう。途方に暮れる思いだったが、今はただ自室のベッドが恋しかった。
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「アベラール様。殿下を躾けるコツを教えてください」
「大人だと思わないことですわ、クリスさん♪」
「お前らな…」