プロローグ2:運命
「いやー、歌った歌った!」
カラオケで2時間、その後延長して1時間。計3時間を4人で回した帰り道、吉野さんは満足そうに伸びをしていた。
「いやお前すげーよ」
「え?何が?」
延長したとはいったが、吉野さん以外の3人は始めの2時間で喉が限界を迎えており、残りの1時間を一人で歌い切ったのだった。
にもかかわらずあっけらかんとしている彼女は、只者ではないと思う。
後ろを歩いてる達也と鈴木さんもぐったりとしていて、心なしか会話が弾んでいない気がする。
いつもより控えめに話しながら改札まで歩き、方向別に解散となったのだが、
「真斗くんもこっちだったんだねー」
「吉野さんも?」
「うん!あれ、でも電車一緒になったことないね?」
「あー、俺朝7時には学校つくようにしてるから、時間違うかも」
「はやっ!私その時間起きてないよ??」
ひゃー、と、情報量がゼロの反応を示しながら楽しそうに笑っている。
吉野さんも部活には入ってないらしいので、特に早く来る必要もないのだろう。
いつも始業5分前くらいに駆け込んでくるイメージがある。
「そんな早く行ってなにしてるの?」
「勉強してる」
「勉強!?」
「まあできて困る物でもないしな」
昔からの癖で、ある程度はやっておかないと落ち着かない体質になってしまったのだ。無意味だと気づいた今でも。
「真斗くん」
「ん?」
「その話、もうやめよっか」
どうしたのだろうか。先ほどまでは周囲にエネルギーを振り撒くような、エネルギッシュな笑顔を浮かべていたのが、急に深刻な表情をしている。
「私、結構頑張ってこの学校入ったのね」
「え、うん」
なんの話をしようとしているのか、全く読めない。
吉野さんは、意を決したような表情を浮かべてから、ゆっくりと口を開く。
「なのに! 入学早々! 勉強の話をしないでもらえるかな!?」
「は?」
「私はね、長く苦しーーーい受験生活をなんとか乗り切ってここにいるわけ! だから! もう!勉強のことは考えたくないの!」
「はあ」
突然真面目な雰囲気を醸し出したので何事かと思ったが、この上なく学生らしく、可愛らしい主張を全力でぶつけられて、苦笑すると同時に安堵した。
表に出したつもりはないが、俺が抱えている悩みに気がつかれたのかと思ったのだ。この悩みは人に話すべきじゃない。どうせ理解されないのだから。
「ジュース奢って!」
ホーム中央に2台、並んで立っている自動販売機を指差しながらじっとこちらも見つめてくる。
「え、なんで」
「気持ちよく歌って帰れるはずだった私の気分を台無しにしたお詫びです!」
腰に手を当て再びあのエネルギッシュな笑顔に戻って、というより、さらにご機嫌な表情を浮かべている。
まさか、始めからこれが狙いだったんじゃないだろうな。
「ま、良いけどさ……」
「よろしい!」
吉野さんは満足そうに頷くと自動販売機に向かってスタスタと歩いて行った。どれにしよっかなーと選んでいる姿を見て、まるで子どもみたいだなと思う。
理不尽な理由でジュースおごれ、だなんて普通なら図々しいとしか思わないことでも吉野さんがやると嫌に感じない。
これが計算だとしたら恐ろしいことこの上ないのだが、きっとそうではないのだろう。そう信じたい。
それはきっと彼女のもった「才能」なのだろう。
「これにする!」
そういった彼女が指差していたのはメロンソーダだった。
それさっき、カラオケのドリンクバーでも飲んでなかったか?
「おはよー!」
週末は特に用事もなく平和に過ごし、週明けの月曜日。いつも通り教室で自習していると、ボリュームが大きいわけでもないのになぜか聞き取りやすい声が降ってきた。
「あーー!本当に勉強してる!」
声で誰が挨拶してきたのかはわかっていたが、目で見て確認する前に話題がふれられてきた。
「おはよう、吉野さん」
「あのね、真斗くん。次私の前で勉強したら、今度はご飯を」
「奢らないからな」
「えー!良いじゃんけちー!」
「勉強しただけで罰金とかどこの暴君だよ」
いや金ではないから罰飯か?こいつはそんなに勉強のことを考えたくないのだろうか。
「あ、そだ真斗くん。真斗くんって、いつも一人で帰ってる?」
「一人だな、こっち方面の知り合いいないんだよ」
「じゃ、今日一緒に帰ろうよ」
俺の机に手をついて、身を乗り出してくる。ミルクチョコレート色の髪が僅かに揺れている。
彼女はそのまま俺の耳に口を近づけ、小声で
「さやっちと古賀くんについて話たいんだ」
ああなるほど。
おそらく鈴木さんから事情を聞いたか、二人の様子を見て察したかで、俺から達也側の情報を引き出したいって所だろう。
幸い俺たちの使ってる路線は利用者が少なく、内緒話をするにはもってこいというわけだ。
「はいよ、りょーかい」
「やったー!放課後またくるねー!」
要求を速やかに通すと、タッタッタッと効果音の聴こえそうな足取りで、固まりになって話している友達の方へ走っていった。
「でさー、やっぱあの二人いい感じだと思うんだよねえ」
駅に向かいながら、早速お目当ての話題を切り出してくる。
「そうだなあ、達也もそれっぽいこと言ってたし」
「やっぱり!?」
「そろそろ達也からデート誘うんじゃないか?」
「そっかそっかー。うへへへへ」
吉野さんは笑っているが、いつものようなエネルギッシュな笑顔ではない。ニコニコというよりはニヤニヤという方が正確だろう。野次馬根性丸出しである。
「ね!わたしたちで応援してあげよっか!」
「応援ってなあ。別に俺らが特に何かしなくても。多分達也の奴が」
自分でなんとかすると思うよ。そう言いながらちょうど駅まえのテニスコートを通り過ぎようとした時、先ほどまで隣にいた吉野さんがいないことに気がついた。
さっと後ろを振り返ると、ちょうどテニスコートの真ん中がよく見える位置で吉野さんが立ち止まって、どこかのチームが練習しているのを見つめていた。
いつもの笑顔とも、勉強の話を拒否するときの真面目な表情とも違う、その眼差しには羨望と諦念が宿っているようで、
「どうかしたの?」
思考すると同時に、条件反射で聞いてしまっていた。
「え?ああ、ごめんごめん!ちょっとぼーとしてた!」
すぐにいつも通りの表情に戻って笑うが、俺には先ほどの羨望と諦念が1割ほど残っているように思えた。
「そうか。まああんま無理すんなよ」
明らかに何かあるのは分かったが、人に触れてほしくない部分というのはあるものだ。自分から話そうとしないのならこちらから踏み込むべきではないだろう。
なので、とりあえずあたり触りのない労いの言葉を投げる他なかった。
「おーおー、真斗くんは良いやつだねえ」
「別に普通だろ」
「でもね、私別に隠してるわけじゃないんだよ?」
吉野さんは左斜め上を見て思案するようにした。
しばらくするとスラスラと話し始め、この話をするのが初めてではないのが伺える。
隠してるわけじゃない、というのは本当なのだろう。
「私小学生の頃から中学までさ、テニスやってたんだよね。実はジュニア選抜に選ばれたこともあってね。結構頑張ってたんだよ?」
吉野さんは話しながら胸を突き出し、得意げにして見せる。まさにドヤ顔である。
テニスでジュニア選抜、そう聞くと中学の頃俺が自分の凡庸さを痛感する一つの要因となった子のことを思い出す。クラスが同じになったことがなく、名前どころか顔すら覚えていないのだが。
「でもまさにそのジュニア選抜の合宿中にね」
ジュニア選抜に選ばれると合宿に招待され、選抜メンバーだけを対象としたハイレベルな練習に参加することができるらしい。
しかし吉野さんは、そこで限界まで自分を追い込んだ結果運悪く肘を故障、復帰が実質不可能となってしまったらしい。
「いやあ、つい張り切っちゃってねえ。だって選抜だよ??張り切るなって方が無理じゃない??むしろなんで私しか怪我してないの!?」
気を使わせまいとしているのか、あるいはただ素なのか、理不尽に怒ってみせる。
「というか、真斗くん。私のこと知らなかったんだ」
「え?」
知らなかった?そりゃこの話を聞くのは初めてだし、中学の頃は吉野さんと知り合ってすらなかった。
だから、知ってるはずがないと思うのだが。
吉野さんは俺が困惑しているのを見とめると、「やっぱり」と少し呆れ気味に呟く。
「私たち、中学同じだよね?」
「え、本当に?」
「そんな嘘ついてどうするのよ」
吉野さんはやや顔を赤らめて頬を膨らませながら答える。聞くまでもない、ご不満の様子だ。
さらに、「まじか、そこからか」と本音が漏れていらっしゃる。
「だから私のことも知ってると思ってたんだよね。ていうか、話したことあったと思うんだけど」
「ま、まじ?」
「まじまじ」
「それはごめん」
俺はそこまで他人に興味がない人間ではないはずなのだが、それに選抜に選ばれてたのなら表彰だってされてるだろうし、それこそ関わりがなくても名前くらい・・・
ん?待てよ
俺の記憶回路で2つの事象が違いに強く結合した。
俺に自分の凡庸さを自覚させた「中学の頃、最年少で選抜に選ばれたあの子」
今、目の前にいる吉野さんが?
しかし、だとすると俺が吉野さんを知らなかったのも納得できる。
俺は「あの子」の名前を知らない。
というか、知らないように努めていた。
知ってたまるかと思っていた。
名前を覚えないことで自分の頭の中から、自分と同世代に次元が違う才能を持った奴がいるという事実を追い出そうとしていたのだ。
子供じみた、くだらない抵抗だ。
でも、そうせずにはいられなかった。
合点がいくと同時に、目の前に立っている女の子に対してどんな顔を向ければ良いのかわからなくなった。
先週初めて一緒に遊んで、今日は友達の恋バナをするために一緒に帰って、まだ恋愛感情なんかは持ってないが、少なくとも友達としては仲良くなれるかもしれないと思っていた。
しかしその子は俺が以前、理不尽な理由で認めようとしなかった子で、しかも、俺が憧れたその才能は非常にも潰れてしまっていた。
目眩がするほどの情報を一気に流し込まれ、俺の脳みそは回転を止めてしまった。視界がぼやけ、思考がまとまらなくなる。
今、俺はどんな顔をしているのだろうか。
すると、正面から声が聞こえる
「ええええ? なんで泣きそうな顔してるの!? 別にそんな気にすることじゃないから! いやほんとに!」
「ああ、ごめん。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
なんとかそれだけを搾り出して会話を終えようとしたとき、倒れる寸前のコマ程度の回転しかしていなかった脳みそを、ある思考がよぎった。
俺は吉野さんの才能に嫉妬していた。
でも、そんな才能を持っていた人間が突然それを奪われたら?
今まで情熱を注いできたものを失い、「自分には何もない」という感覚に陥るのではないだろうか。
俺と同じように、いや、落差がある分、俺よりも悲しみは大きいかもしれない。
しかし、それに気がついたところで確かめる勇気はない。
「本当に大丈夫だから。じゃ、そろそろ行こうぜ!」
強引に会話を打ち切り、歩き出す。
吉野さんは一瞬不思議そうな顔をしていたが、話そうとしない俺に諦めたのか、すぐにいつも通りの笑顔に戻ってついてきた。
その日はそのまま家に帰ったが、いつもならとっくに寝ている時間になっても吉野さんとの会話が頭から離れず、胸にしこりとなって残っていた。