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8 シアラリラ山

 城の東翼に整えられている客間のなかの化粧室で、アンヌマリーは鏡に向かっていた。

 後ろに立ったエミリアが丁寧にアンヌマリーの金色の髪にブラシを通して結いあげる。前から見てもかんざしが見えるように横から、レナートにもらったセラフィアの花のかんざしをそっと差し込んだ。


「本当にアンヌマリー様の瞳と同じお色ですね。鮮やかできらきらとしていてとてもお美しいですわ」


 エミリアが誇らしげに言う。

 エミリアは最も近くでアンヌマリーの世話をしてきた侍女で、長い間アンヌマリーのレナートに対する思慕を見守ってきた。婚約の打診を断られて傷つくアンヌマリーも見てきたから、こうしてレナートがアンヌマリーへ贈り物をしてくれたことにも主人を思って嬉しさが止まらないようだった。




「でも、レナート様は、いつも子供を見るような目でわたしを見ている気がするわ」

「恐れながら、私もそう思います」

「十二歳しか離れていないのに……」

「辺境伯様にしてみたら十二歳も、でございますよ。そのうえ、アンヌマリー様は無邪気でいらっしゃいますので」

「それは子供っぽいということでしょう、ひどいわエミリア」


 そんな会話をしたのは二、三日前のことだ。どうやってレナートに近づいたらいいか分からず困り果てるアンヌマリーを見ていたからこそである。美しい髪飾りを見て喜んでいると、さらに、レナートから晩餐の前にシアラリラ山を見る時間をいただけないか、という使いがきたのである。


「アンヌマリー様の女性らしさを引き出すために腕によりをかけますわ」


 そう気合を入れてエミリアは準備を始めたのだった


 屋外に出ることを考え、襟元の開きを控えめにした柔らかな繻子のドレス、袖も長袖にして露出を控えめにした分、胴衣を体に添わせ、スカート部分も広がらないようにしたことで、平均よりもやや長身なアンヌマリーのスタイルの良さを際立たせている。上半身は白に近い薄紫色で、足元にいくほど濃い紫色になるグラデーションになっている。化粧は白粉ははたく程度にして、目じりにほんの少し淡紅色をのせ、落ち着いた紅紫色の紅で口を彩った。十六歳の少女がほんの少し色づき始めた、色香がほんのりと漂う美しい仕上がりだった。

 

「お美しいですわ、アンヌマリー様」


 アンヌマリーが立ちあがると、エミリアが感激したように言う。

 

「いつもと違うわ、なんか違う人のよう」

「辺境伯様もきっとアンヌマリー様がもう立派な淑女でいらっしゃることにお気づきになります」


 鏡を見ると、見慣れた紫色の瞳がこちらを見返してくる。自分だけれど自分でない見慣れない顔。エミリアの言うように、一人の淑女の姿があった。そして、鏡に映るレナートがくれたかんざしがアンヌマリーに勇気を与えてくれた。


 


 姿を現したアンヌマリーに、やはり晩餐に向けて衣服を改めたレナートは驚いたように目をしばたいた。そして、昼間よりも少し丁寧なエスコートで導かれたのはアンヌマリーの客室のある東翼の最上階で、屋根のないそこは東翼の端にある塔へ続く外廊になっていた。


「まあ、なんて……」


 一歩足を踏み出したアンヌマリーは、言葉を失った。

 塔から視線を少し、右に移すとその向こうにひとつだけ飛びぬけて高い頂を持つ山並みがあった。その山並みは、夕暮れの空にはっきりとその稜線を見せていた。


「あの中央の山がシアラリラ山です」


 山の下のほうは木々が色づき始めていたが、まだ雪には早い季節、シアラリラ山は岩肌を青く見せていた。


「あの山に雪が降るのですね」

「そうです。そうして春が近づくと、セラフィアの花が銀色の蕾を持つのです」

「セラフィアの花、このかんざしのお花ね」


 そっと、髪にさされたセラフィアの花のかんざしに手をやった。一日の終わりの鮮やかな光が、まっすぐに立つアンヌマリーの姿を際立たせる。綺麗に装ったその姿はもう少女ではなく、一人の可憐な淑女だった。レナートはまぶしそうに目を細めた。


「よくお似合いです。店の者が言っていた通り、アンヌ様の瞳の色は幸せを運ぶ色なのです」

「昔、あなたがそうおっしゃってくださった」

「覚えていらっしゃっるとは思っていませんでした。八年も前のことです、まだお小さくていらした」


 昔を思い出すようにレナートは言った。


「八歳でした。でも、忘れたことはありません。ずっとわたくしを支えてくれた大切な言葉ですもの」


 アンヌマリーは、シアラリラ山に背を向けて、レナートに向き直った。背の高い彼を見上げたけれど、陰になって表情がよく見えなかった。


「それまで持つべき色を持って生まれなかったこと、疎んじる人もいる色を持って生まれたことで、みんなにわたくしのことを見ないでほしい、と思いながら暮らしていました。でも、あなたの言葉を聞いて、そう考えてくれる人もいることを知って、わたくしができることはしていきたい、と思えるようになりました。そうしたら、毎日が楽しいと思えるようになったのです。あなたのお蔭です。本当にどうもありがとう」


 そう言うと、アンヌマリーは右手でスカートをつまみ、カーテシーをした。王族が家臣にカーテシーをすることは本来ありえないことであるが、今は人としての最大の敬意を表したかったのだ。


「おやめください、殿下。恐れ多いことです」


 レナートが片膝をついて跪いた。アンヌマリーが姿勢を戻すと、レナートが右手を差し出した。それに応えてアンヌマリーが右手を乗せると、そこにレナートの唇がかすかに触れた。


「どうぞ私の感謝と敬意をお受け取りください。アンヌマリー殿下」


 手をとったまま、レナートはアンヌマリーに視線を合わせた。


「あの日、あなたは隣国(フラン)と戦った私と私の兵士たちをいたわってくださった。そして、私の幸せを祈ってくださった。私のほうこそ、あなたの言葉で慰められたのです。ずっとお会いする機会があったら、お礼を申し上げたいと思っておりました」


 夕日が沈み、辺りは夕闇に包まれ始めた。ほのかな紅色が青になり、藍になりやがて深い濃紺になる。それは、レナートと同じ吸い込まれるような美しい色だ。その色に包まれたなかで、二人きりで思い出について話をし、ずっと言いたかった感謝の気持ちを伝えられたことで、アンヌマリーは少し、レナートに近づくことができたように思えた。

 だから、つい聞いても許されるのではないかと思ってしまったのだ。


「レナート様、どうぞお立ちになって」


 レナートが立ちあがると、アンヌマリーはゆっくりと視線を巡らせた。シュノン城の北側は切り立った崖になっており、東から西へと幅の広い川が流れている。その川のさらに向こうは、今はもう夕闇で見えなくなっているが森林地帯があり、さらにその向こうには。


「あちらがフランでしょうか?」


 アンヌマリーの顔の動きを追ったレナートが頷いた。夕闇で互いの顔が見えないことがアンヌマリーの口を開かせた。


「わたくしをお嫌いでないとおっしゃいました。それでも婚姻をお断りになることにはあちらの方が関係ございますか?」


 レナートが身じろいだ気配がした。そして、次に聞こえてきた声はこれまで聞いたことのない冷ややかな声だった。


「恐れながら、それは殿下には関係のないことと存じます」

 

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