7 子ども扱い
窓から見える人通りが多くなってきたところで馬車が止まった。
「ここが、さきほど言った最も人が集まる場所です。降りてご覧になりますか?」
「ええ、見てみたいわ」
「では、どうぞ」
レナートがエスコートをして馬車から下してくれる。目の前は広場になっていて、その中心には円形の噴水があった。アンヌマリーが周りを見回しているうちに、馬車から降りたラヴェルが「アンヌ、頑張れよ」とそっと声をかけた。
「レナート殿、私はちょっと気になるところがありましたので、見てきます。しばらくしたら戻りますので、それまで従妹をよろしく頼みます」
レナートに声を掛けると、近寄ってきた従者と護衛を連れてラヴェルがさっさと歩き去ってしまった。
「私と二人でお嫌でなければ、すこしその辺を見て回りますか?」
レナートの優しい声。頬に血が昇るのがわかる。アンヌマリーはこくこくと頷いた。
どうぞ、と差し出された左腕の肘のあたりにそっと手を添える。
レナートの体温が指先に感じられる。すぐ近くにあるレナートの存在にどうしたらよいかわからなくなってしまう。
「なにかご覧になりたいものがありますか?」
「あ、あの……マルチーヌたちになにかお土産を買いたいわ。いつもとてもよくしてくれるの」
「ああ、アンヌ様はいつも優しくしてくださるとマルチーヌから聞いています」
ゆっくりと歩き出しながら、言葉を交わす。
「マルチーヌは私の乳母でもあるのです。このラウールが私の乳兄弟でマルチーヌはその母親です」
少し後ろで護衛の役を果たしている男に視線を送った。いつもレナートの側で姿を見る男が、急に二人が振り返ったのに驚いた顔をして、それから人好きのする顔を笑顔にしてぺこりと頭を下げた。
「まあ、気が付かなかったわ。ねえ、ラウールさん、マルチーヌへのお土産はなにがよいかしら」
「そんな、お袋へ土産なんてとんでもないことです」
「せっかく言ってくださるのだから遠慮するな」
「でも待って。エミリアを置いてきてしまったわ。どうやってお買い物をしたらいいのかしら」
慌ててアンヌマリーが言うと、乳兄弟たちは楽しそうに笑った。
「私がいますから、大丈夫です。ご心配なく」
「そうですね、レナート様がおいでですから大丈夫です。ではデドモンドの店の菓子を買っていただきましょう。母もほかの女たちも好きですからね」
「ええと、でもそれではレナート様に買っていただくことにならないかしら」
「お気になさることではありません。先ほどラヴェル殿に保護者を任されておりますから」
また子ども扱い、少し悲しくなりながら、それでもレナートとこうして軽口を交わせることが嬉しくて、頬が緩んでしまう。
広場は噴水を中心に道が東西南北に続いている。おそらくそれぞれの城門に続いているのだろう。そして、広場の周りとそれらの道の左右にはいくつもの商店があった。そのうちのひとつが目的の菓子の店だった。マルチーヌが好きだという菓子をエミリアや他の侍女たちの分も含めて選び、ラウールがそれを受け取った。
店を出ると、再び差し出された腕に手を添えて、ゆっくりと歩き出した。すれ違う町の人はレナートが領主だと気づいているのか、男は帽子をあげ、女は腰を折って挨拶をしてすれ違っていく。
「皆さん、レナート様の顔をご存知なのですね」
「ええ、若いころはよく町へ降りてきていましたから」
「まあ、おひとりで?」
「一人の時もあれば、ラウールや他の者たちと一緒の時も。私は祖父に育てられたのですが、祖父とけんかをすると城を逃げ出していたのです」
「逃げるだなんて」
落ち着いた大人の男性だと思っていたレナートの思いがけない話を聞き、アンヌマリーは嬉しくなった。町に来て少しレナートに近づけたように思える。その時だった。小さな子供の泣き声がして、アンヌマリーは慌てて回りを見回した。すぐ近くで小さな男の子がうずくまるようにして泣いていたのだ。
「どうしたの、大丈夫?」
駆け寄って、アンヌマリーは身をかがめて話しかけた。けれど、まだ二つか三つくらいに見える幼い男の子は泣くばかりだ。アンヌマリーはそっと身体を抱きよせた。ゆっくりと背中をたたいていると、ひきつるような声を出していた子どもの声が少し小さくなる。
「大丈夫よ、ほら、怖くないわよ」
子どもを抱えたまま立ちあがろうとしてよろけたアンヌマリーを支え、
「私が抱きましょう」
レナートがおそるおそる子どもを抱きあげる。いかにも不慣れな抱き方にすぐに子どもは大声で泣き出して、アンヌマリーのほうに手を伸ばす。
「こら、おとなしくしなさい」
幼い子供の力は強い。まして、普段子供とかかわりのないレナートなどにとっては嫌がって暴れる子どもはどうしたらいいのかわからないのだろう、なだめる声は困り切っていた。初めて見る焦った顔もうれしく思いながら、アンヌマリーが手を伸ばした。
「レナート様、わたくしが抱きますわ」
孤児院で泣いている子どもをあやすこともあるので、それくらいはできる、とレナートから子どもを受け取った。アンヌマリーにしがみつく子どもにレナートはやれやれという顔をして、ラウールに近くに親がいないか探すように命じた。
「あなたお名前は?」
「シギリス……」
「シギリス、よいお名前ね。ここには誰ときたの?」
「……ジローとユーグ」
「ジローとユーグね、お兄さんかしら」
「ジローとユーグ、いなくなっちゃった……」
再び思い出した子どもの目に涙が浮かび始めたとき、十五、六歳の少年が二人、兵士に連れられてやってきた。
「シギリス!」
「ジロー!ユーグ!」
アンヌマリーが下してやると子どもは一目散に二人に向かってかけていき、抱きついた。
「シギリス、ちゃんと着いて来いって言ったろ」
「見つかってよかった」
片方の少年に抱きあげられて号泣している子どもを2人がなだめ、それからレナートとアンヌマリーのほうに目を向け、慌てて頭を下げた。
「領主さま、すみませんでした。こいつにはよく言って聞かせますので」
「私に謝る必要なはい。助けたのはこちらの方だ。言うのなら彼女に礼を言いなさい」
「はい。あの、ありがとうございました」
「どういたしまして。よかったわね、シギリス。お兄さんたちが迎えに来てくれて」
アンヌマリーが言うと、ようやく泣き止んだ子どもが抱かれたままぺこりと頭を下げた。アンヌマリーが小さく手を振ると、そっと手を振り返してくる。そうして、三人が慌ただしく立ち去っていくのを見送ってから、アンヌマリーとレナートは安心して顔を見合わせた。
「帰りましょうか、そろそろラヴェル殿もお待ちでしょう」
「ええ」
馬車に向かって歩いている途中で、アンヌマリーはひとつの店の窓から見える髪飾りに心を引かれて立ち止まった。
「こちらのお店を見てもよろしいでしょうか」
許しを得て店に入ると、まっすぐにその髪飾りに向かった。
銀製のかんざしの先が銀色の長い花弁になっている。その一部は花開いて中から鮮やかな紫の色が覗いていた。
「セラフィアの花でございます。まあ、お珍しい。お客様も同じ色の瞳をしていらっしゃるのですね。幸せをもたらす美しいお色ですわ」
手に取ったまま見とれていたアンヌマリーに店の女性がそっと言葉をかけた。
あの日聞いた通りに。
「これをいただこう」
アンヌマリーの後ろからレナートが言った。
「そういえばシアラリラ山もまだお見せしていませんでしたね。実際に行くことは難しいのですが、城から眺めることができます。戻ったらお目にかけましょう」
目の前にセラフィアの花。優しいレナートの声。アンヌマリーは泣き出しそうな気持ちをこらえた。