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4 再会と求婚

 リレイシェルには王都を出発点として東西南北に伸びる街道があり、北へ向かうその街道はブランノワ辺境伯領に続いている。その街道を馬車はひた走った。

 アンヌマリーはその車窓から、初めて王都以外の父王が治める国をながめた。秋の近いその時期は春小麦が街道近くの一面を綺麗な黄金色に染め、さわさわと風にそよいでいた。農村の人々が収穫の準備に姿を見せ、子どもたちが遊ぶ。


 あの人のいる場所へ近づいていく。

 夢が現実になることがアンヌマリーの心から少しずつ落ち着きをなくしていく。

 八年も前のことを、あの人は覚えているのだろうか。アンヌマリーのことをどう思うのだろうか。読書も刺繍も手につかず結局、窓を過ぎていく風景をただ美しいと眺めることしかできなかった。


 そして、7日めには、北に向かって走ってきたことがはっきりとわかるほどに、空気が変わっていた。王都では夏の終わりだと思っていたのに、もう晩秋の気配がした。


「もうすぐ辺境伯領に入る。今日はそこで泊まって明日の昼には辺境伯の城に着くぞ」


 夕刻が近づいて、ラヴェルが言った。いよいよなのだとアンヌマリーが口元を引き締めるとラヴェルが軽く笑った。

 

「今からそんな顔をしていたら、明日ブランノワ辺境伯に会うころには顔が固まってしまうな。しゃんとしろ、アンヌ。いつも俺にするみたいに気ままにしていればいいんだ」


 ラヴェルにからかわれ、ぷんと頬を膨らませて拗ねてみせる。そんな子供じみた仕草に二人で笑った時だった。


 ゆっくり馬車が止まると、護衛の一人が馬を馬車に寄せてきた。

 ラヴェルが細く扉を開けると何事かを囁いて、さっと身を離す。


「どうしたの?」

「辺境伯が領境まで迎えに来ているそうだよ」

「え?」

「殿下が使いを出すとは言っていたが……そうか、辺境伯は誤解しているかもしれないな」

「誤解?……どんな?」

「婚約を断った相手の王女が急に領地にやってくると言ってきたら、どう思うと思う?」

「……それは」


 アンヌマリーは顔色を変えた。

 再会に浮かれて、考えることができなかった。王家の意向に背いたとして罰せられると考えていてもおかしくはないのだ。



 ゆっくりと馬車が止まる。

 馬車の外から、護衛と挨拶を交わす人の声が聞こえる。

 足音が聞こえてきて、外から扉が叩かれる。

 ラヴェルが内からドアを開くと、外からその扉が大きく開かれた。

 扉の前で、一人の男が片膝を立てて跪き頭を垂れていた。


「アンヌマリー王女殿下、ムラート伯爵。ようこそ参られました。ブランノワ辺境伯レナート・ローゼリッツでございます」


 硬い口調にアンヌマリーは恐れを感じて、ラヴェルを見た。馬車から降りたラヴェルが声を掛けるが、ブランノワ辺境伯は動かない。


「ブランノワ辺境伯殿、どうぞ顔をあげられよ」

「いえ、この度の王太子殿下のお申し出に対するお返事は私の一存によるもの、どうぞ罰するのであれば私を」


 とっさにアンヌマリーはラヴェルの手も借りずに馬車から飛び降りた。

 そのまま頭を下げるブランノワ辺境伯に合わせて腰をかがめた。


「ブランノワ辺境伯、どうぞお顔をおあげになって」

「しかし」

「謝っていただくために来たのではないのです。どうぞお顔を」


 重ねて言うと、ようやくブランノワ辺境伯が顔をあげた。顎の細い、それでも男らしい精悍なよく陽に焼けた顔。記憶にある姿はまだ青年期の初めだったことが今ならば分かる。面影のまま大人になった姿がそこにあった。少し高いところにあるアンヌマリーを見上げる切れ長の瞳は、深い夕闇を閉じ込めたような濃紺で変わらず吸い込まれそうな光を放っていた。


「覚えていらっしゃいますか……?」


 思わず問いかけると、ブランノワ辺境伯は少し、まぶしげに目を眇めた。


「アンヌマリー殿下、お久しぶりでございます。その節は大変なご無礼をいたしました」

「いいえ、いいえ。決してそんなこと。わたくしのほうこそ名乗りもせず…」


 硬かったブランノワ辺境伯の顔が少しほぐれ、アンヌマリーはホッとする。


「あの、婚約をお断りになったことは兄から聞いています。でも、どうぞわたくしのことをお嫌いでないのなら、しばらくお側に置いていただけないでしょうか?」

「……アンヌッ」

「そして、お側にいてもいいとお思いになったら、わたくしをもらっていただけないでしょうか」


 そして、安心のあまり心の声が漏れてしまった。途中でラヴェルが遮ったのも無視して、アンヌマリーは最後まで言い切った。多分必死の顔をしていたのだろう。ブランノワ辺境伯が、切れ長の目を大きくしてアンヌマリーを見つめていた。

 

「えー、そういうわけでご迷惑とは思いますが、しばらく滞在させていただきたいのです」


 ラヴェルが額を押さえ、ため息交じりの声を出した。


「決して無理強いではありません。あなたのお返事がどうであろうと、王家のブランノワ辺境伯への信頼は揺るぎない、とオレール王太子殿下から言付かっております」

「王家からの信頼には感謝いたしますが…」

「どうぞお立ちください、ブランノワ辺境伯。王太子殿下からの使者が伝えていると思いますが、今回はお忍びです。何しろ目的が目的ですからね。改めてご挨拶いたしましょう。私はムラート伯爵ラヴェル・ヘイドンです」


 ブランノワ辺境伯が立ちあがるのを待って、ラヴェルが自己紹介をする。ラヴェルはムラノブ公爵家の嫡男で儀礼爵位を持っているのだ。


「そして、私の従妹のアンヌです」


 ラヴェルが改めてアンヌマリーを紹介する。ムラート伯爵とその従妹のアンヌ。嘘ではないが王都から遠いこの辺りではそれで、実は次期公爵と王女だということは分からないだろう。


「アンヌマリーです。いえ、今はどうぞアンヌとお呼びになってください」


 畳みかけるような二人の挨拶にブランノワ辺境伯は気圧されたように困った顔のまま頷いた。


「分かりました。ああ、いや、滞在に関してはどうぞ好きなだけご滞在ください。田舎のことにて行き届かないところは多々あると思いますが」


 そして、少々言いづらそうに言いよどんだ。


「ですが、もうひとつのほうは、その、お応えできかねるのではないかと…」

「機会をくださいませ、是非!」


 まだ、断られるのは早い。アンヌマリーは慌てて口を挟んだ。少し落ち着いたのか、ブランノワ辺境伯はそれには答えず、儀礼的に頭を下げた。


「滞在の間、私のこともレナートとお呼びください。今日はこちらからすぐの街に宿を用意しております。明日は私の城へご案内いたします」




「覚えていてくださった…」


 扉が閉まり、ゆるゆると動き出した馬車の中で、アンヌマリーがため息とともに声をもらした。

 アンヌマリーの瞳の色を幸せをもたらす色だと言ってくれた人。いつも家族の陰に隠れるようにしていたアンヌマリーが自分から行動できるきっかけとなった人。

 願いが叶うなら、もっと側に行きたいと思うのだ。

 

「会ったことがあったのか」

「ええ、ほんの子供のころに」


 夢を見るような声で答えた。さらに問おうとして止め、ラヴェルは年下の従妹に厳しい声をかけた。


「とにかく、一度断られていることは忘れないように。無駄に傷つきたくはないだろう」

「わたしが嫌われているわけではないと思う?」

「噂通りなら、昔の恋人が忘れられないのだろう」


「どうしたら好きになってもらえるのかしら…」


 そんな呪文があればいいのに、と眉を下げてアンヌマリーは呟いた。

 成人前の王女には、親族以外の男性と会話をする機会などあまりない。まして、婚姻に至る道筋などまったく想像もつかない。


「さあ、それは辺境伯に聞いてみるしかないな」


 ため息をついてラヴェルが言った。


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