22 セラフィアの花を私に
「なんて気持ちのよい空気なんでしょう」
アンヌマリーは、すぐ後ろにいるレナートの顔を振り仰ぐようにして言った。左手でアンヌマリーを抱く力を強くして、レナートがとろけそうな顔で笑った。
あの事件から二週間ほどがすぎ、ようやくレナートの仕事が落ち着いた今日、レナートが城下町の外にアンヌマリーを連れて行ってくれることになったのだ。アンヌマリーはそれぞれの馬で行くつもりだった。しかし、いつしか冬に移り変わったブランノワ辺境伯領の寒さを口実にレナートはアンヌマリーを自分の鞍の前に座らせ、コートでくるんで抱き寄せた。二人を乗せたレナートの愛馬は機嫌よく走り出した。
あの日、城に戻ったアンヌマリーをエミリアは泣きながら迎えてくれた。護衛騎士のボーズも命に別状はなく、アンヌマリーを守れなかったことを膝をついて詫びた。そして、家令のアンドレと侍女頭のマルチーヌも身元の不確かな者を城内に出入りさせ、アンヌマリーを守れなかったことを詫びた。
アンヌマリーを連れ出した侍女は、ブランノワ領の有力者の紹介で雇い入れた者だったが、今回のことを受けて調査したところ、ボーモン家から金銭支援の見返りに紹介していたことが分かった。ボーモン家は、かつては繁盛していた商家であったが、先々代の当主の際に不当な取引をしていることが発覚し大幅に商権を奪われていた。一発逆転を狙った当主が、デールの口車に乗ったのだという。そのデールは、アンヌマリーをボーモン家の別邸の離れに閉じ込めた後、高飛びを図ったが、侍女役の女が第二の城門で捕らえられそうになると、その女を逃そうとして、結局ともに捕まったのだという。
パウルとデールが捕らえられたことで、おおよその経緯が明らかになったため、ラヴェルが報告のため、一足先に王都へ帰ることになった。急ぎの馬車の旅はアンヌマリーの負担が大きいため、アンヌマリーは辺境伯領に残ることなった。追って、レナートも報告と共にアンヌマリーとの婚姻の取り決めのために王都へ行くことになったため、そのときにアンヌマリーも同行することになったのだ。
ラヴェルはアンヌマリーを大切にしてくださいと頭を下げた。レナートはまじめな顔でそれを約束し、二人は黙って握手を交わした。アンヌマリーははじめ大げさだと笑い、それからラヴェルに抱き着いてこれまでのことを感謝した。すぐにレナートに引き離され叱られたけれど。
今回の騒動は、フランとの外交においてリレイシェルにとっては大きな持ち札になるだろう。一応とはいえ貴族籍の男がフランの貴族の指示で動いたと証言し、いくつかの証拠も見つけられている。フランも簡単になかったことにできるものではない。
そして、ファリア・フォン・ヴァイカートは。
その夫が犯行にかかわっているとはいえ、フランの貴族女性がブランノワ辺境伯領内にいたという事実は表ざたにするべきではないという判断のもと、速やかにリレイシェルとフランの両方に国境を接する大国の第二の都に住む親戚の元へ送り届けることになった。ラウールとマルチーヌの親子がその任に就いた。そこからは、その親戚の庇護のもと、ヴァイカート家ではなく、実家であるアッヘンバッハ家の領地に帰るつもりでいると、旅立つ前一度だけ会ったファリアがアンヌマリーに告げた。「一度くらいは、自分の人生の行方を自分で選ぶつもり」だと、ファリアは初めて見る晴れやかな顔で口にした。
レナートは見送りには来なかった。ファリアも何も言わなかった。アンヌマリーも。ただ互いの幸せを祈って別れた。
第二の城門を出て東へ半刻ほど馬を走らせると、そこは小高い丘のうえの草原になっていた。北側には川が流れているため、険しい崖になっている。南側はなだらかな斜面になっており、遠くに王都につながる街道を旅する人の姿が見えた。そして、正面にはシアラリラ山がはっきりとその山容を見せていた。以前見たときは、まだ青く見えた斜面も、早くも雪が降り始めたのか白く染まり始めていた。
「ここから見るシアラリラ山も美しいでしょう。王都に戻る前に、ぜひお連れしたかったのです」
「もう、雪が降り始めているのね、とっても綺麗ね」
レナートは、アンヌマリーをそっと馬から抱き下ろした。二人がシアラリラ山を眺めながら、散策をしている間に従僕が草の上にマットを引き、持ってきたお茶の準備をしてくれる。
「まあ、ここでお茶をいただけるの」
受け取ったお茶に口をつけて、アンヌマリーは笑った。
「なんて贅沢なのかしら」
ずっと憧れていたシアラリラ山を見ることが出来た。そして、目の前にずっと憧れていた人がいて、その人が恥ずかしくなるような優しい目で見つめてくれるのだ。こんな幸せなことはない、とアンヌマリーは思った。
「ええ、本当に贅沢ですね。でも、もっと欲張ってもいいでしょうか」
「え?」
「どうぞ、これを受け取ってください」
レナートが胸元の隠しから取り出した物をアンヌマリーに差し出した。銀製の指輪だった。くるりと輪になった先が銀色の長い花弁になっていて、その花弁の内側から鮮やかな紫の色がのぞいている。
「これは……」
アンヌマリーは思わず髪に手をやった。今日も結い上げた髪に、以前レナートが買ってくれたかんざしが刺さっている。それと同じ装飾の指輪だった。
「作らせました。本物の婚約指輪は王都の宝飾店で誂えるつもりですが、まずブランノワのものであなたを飾りたい」
かんざしに触れたアンヌマリーの左手をレナートが引き寄せた。心臓につながる静脈があると言われる薬指にそっと口づける。そして、そっと指輪をはめた。アンヌマリーの白い指に銀色のつぼみをもつ鮮やかな紫色の花が咲いた。
「セラフィアの花ね」
かつてレナートが教えてくれた、アンヌマリーの心を癒してくれた花だ。アンヌマリーの人生を明るくしてくれた花だ。
「なんて美しいのかしら」
手を太陽の光にかざすようにして、アンヌマリーは言った。
「美しいのはあなたの瞳です。幸せを運ぶセラフィアの花の瞳だ」
きらきらと輝いてセラフィアの花の指輪を見つめるアンヌマリーの紫の瞳をレナートが見つめている。初めて会ったときは、とても哀しそうな顔をしていた人が、今は幸せそうに笑っている。自分と一緒にいるレナートがこうして笑ってくれることが嬉しいとアンヌマリーは思った。
「あなたはいつか私がセラフィアの花をもらえるといいと言ってくださった。私が幸せになるように願ってくださった。……私にとって、幸せはあなたなのです」
アンヌマリーの頬をそっとレナートの両手が包んだ。ぬくもりが伝わってくる。
「どうかセラフィアの花を私にくださいませんか」
紫水晶の瞳に薄い水の幕が張って、よりいっそう美しくきらめいた。喜んで、アンヌマリーは答える。他の答えは見つからなかった。
セラフィアの花をあなたに 了
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