母と子 1
「あれ、いない?」
「ええ。今日は北区で事件があったそうで、呼ばれていて。わざわざ来てくれたのに、すみませんね」
あれから傭兵斡旋所ではすぐに説明があったらしいが、残ったのは真面目な人達だ。
お陰で少しながらも仕事が入るようになってきたたらしい。
「ううん、勝手に来ただけだから。じゃあまた来ますねー」
「長に伝えておきますよ」
「はい、よろしくお願いします!」
まさかの肩透かし。暇だろうと思ってた罰だろうか。
(今日は一日貰ったのになぁ)
細則が出来たと言ったら、じゃあ見せてこい!とハリーに言われて来たのだが。
すっかり元気になり、厨房に入ってくれたお陰で回転率が格段に上がっている黒鹿亭は、もう大丈夫だ。
(うぬぬ…あと準備することは…)
せっかく貰った時間だ。他にやる事があればそれをやればいい。
大通りを広場に向かって歩いていると、背後から馬車が抜かしていった。
「!!」
幌馬車に描かれた、狐のマーク。エドワードだ。
(よし、販路だ!!)
既に町にある雑貨屋には話を通してあり、ハリーの友人だという初老の店主はいつでもどうぞ!と言ってくれている。
ギブソンという名の店主は、近くの大きな町に販路があると言っていた。
…と言っても馬車で2週間はかかる町だ。
もう一つ、いつも身軽であちこちに赴くエドワードを仲間に引き入れたい。
(まぁ、別に敵対してる訳じゃないし…大丈夫っしょ)
あの一件以降顔を合わせていないがそれもそのはず、彼は行商に行ってたからだ。
黒鹿亭であの日に会ったのは、ハリーたちが税金を滞納していたからに過ぎない。
「よし、善は急げ!」
ランは広場を通り抜け、北区の通りにあるエドワードの店に向かった。
彼の店は広場からほど近い場所にあり、エドワードにそこそこの財力がある事を伺えるような…小さくてもレンガ造りの頑丈そうな3階建ての店舗兼家だった。
正面は営業中、ではなく、在席中というという札が掛かっている。
(いますよーってだけか)
そもそも行商人なので店舗はいらないようだ。
中は応接間なのかな、と思いつつ扉についた狐がコインをくわえたノッカーでノックしてみる。
「はい!エドワード商会へようこ…そ…」
にこやかに扉を開けてハキハキした声がかかったが、尻つぼみとなった。
「こんにちわ、エドワードさん」
閉められないようにガッと足を扉に割り込ませる。
「…失礼しました。ご用件を聞きましょう。寒い中、ご足労頂き、ありがとうございます」
来たからにはお客様として接してくれるらしい。
扉を開か招いてくれたので、中へ入ると想像通り1階は応接間だった。
どうぞと言われて柔らかいソファへ座ると、エドワード自らがお茶を持ってきてくれる。
「人は雇ってないんですね」
「外にばかり行ってますからね。自分の目で見て仕入れて売りますし、必要ありません」
今日の彼の出で立ちは立襟の白いブラウスに、焦げ茶と黒のツートーンのベスト、黒いズボンだ。
橙色で先が白い尻尾がふわんと出ている。
「尻尾が何か?」
「暖かそう」
素直に言うと、彼はくつくつと笑った。
「ええ、冬場は重宝しますね。夏場はしんどいですが」
モニクもそうだ。涼しそうな顔をして汗疹が…と嘆いていた。
「夏になったら友人の薬湯をお届けしましょうか?」
「モニク殿でしたか…。そうですね、お願いしたいです」
犬獣人の犬よりの顔、としている彼女には若干、心を許しているようだ。
内心でモニクにお礼を伝えていると、エドワードが切り出す。
「最近は黒鹿亭は繁盛しているようですね。羨ましい限りです」
「そうですねー。あそこまで客が来るとは思いませんでしたが…」
「元から地力があるんです。コックさえ追加で雇えばああなりますよ。…先を越されましたが」
読めない琥珀色の目を向けてくる。
(よくわかんないなぁ)
毛皮で表情筋が全く分からない。
一口お茶を飲むと、ちょっと相談がありまして、と切り出す。
「なんでしょう?面白い話ですか?」
損得だけではなく、面白さも必要とは少し意外だった。
(行商をしてるのは、そういう面白さがあるからなのかな)
「そうですね。面白い人には面白いです」
にっこりと笑顔で言って、自分が冒険者ギルドを立ち上げようとしていることを話した。
黒鹿亭、そして傭兵斡旋所をひとまず引き込んでいることを話す。
話し終えるまで、エドワードはチャチャを入れることもなく、じっと聞き入っていた。
「なるほど、それで素材を売捌くための、販路が必要なんですね?」
説明するまでもなく、ランが想定しているエドワードの役割が分かったようだ。
「そうです。一応、ギブソンさんにも相談していて了承を得ていますが、町2つだけでは、需要と供給が成り立たない」
「ほう。高等学校を出ているんですか?」
高校どころか大学も出ているが、この世界の高等学校とやらが、どの程度の学力を有しているかわからないので曖昧に答える。
「…まぁ、そんな感じです」
しかしこれで、夢物語ではなく実際にギルドを新設し稼働させようとしている事は伝わったらしい。
「ふむ…問題は申請が許可されるか、ですか」
「そうなりますね」
異界人という事をアピールすれば許可されそうだが、あの王子がいる限り安心はできないし、保護しましょうと王宮に連れ戻されるのも嫌だ。丸尾と二人で囚われてしまえば、外に出れなくなる。
「勝算は?」
正直聞かれても全く分からない。が、ここはあえて強気で言っておく。
「五分よりは上です。なお、申請者は元騎士である二人の名を借ります」
「そうでしょうね。私でもそうします」
エドワードは大きく頷いた。
「して、私は魔素材や採取品の引取りをすれば良いので?」
「はい。価格としては、売値に近い…でも損をしない値段で。まぁ、こっちも半分以上は欲しいですが…よく売れるものは買値が低くてもいいですけど、王都や大きな街で金貨1枚になるような素材を大銀貨5枚で、というのは嫌です」
ハッキリと告げるとエドワードはクスリと笑う。
「ギルドのマージンもあるでしょう?…私の儲けがなくなりますが?」
想定内の答えだ。
エドワードも別に嫌がらせのように言っている訳ではなく、純粋にどうするのか?と尋ねているのを感じた。
「ギルドを立ち上げられたらですが…広げたいんですよ。ギルド自体を色んな土地の、町や村に。…行く行くは、王都に。その売買を全て独占出来ると言ったら?冒険者相手の商売も込みで」
負けじと笑顔で言うと、エドワードの笑みが深くなった。
「なるほど、美味しそうな…とても面白い話です」
こう言ってくるこの子はいったい幾つなんだろうかと思う。
高等学校を出て、王都からこの町に行商をしながらやって来たのだろうが、学校は優秀であれば年齢は関係ないと聞いた。
「エドワードさんは幾つ?」
「?…19ですね」
「若い!思ったより若かった」
ハリソンは26歳だが彼が若いというので、22,3歳くらいだと思っていた。
「年齢がなにか?」
「いや、19歳でもうお店持ってるんだなぁ、凄いなって思って」
侮りよりは、称賛のほうだ。自分に置き換えれば19歳なぞまだ大学生だった。大学卒業後は社会人1年目で先輩にしごかれてかなりヘコタレていたのを思い出す。
「まぁ、死にものぐるいで這い上がってきましたからね…」
苦労したのは目に見えてわかる。
彼の右耳が少し欠けていたり、首筋に毛がない部分があるのをスカーフのようなタイで隠していると聞いた。
行商中に魔物や盗賊に襲われたのだろうか。
「それほど危険なら、お母さんが心配しそうですね」
ランが裏もなく言うと、エドワードがじろりと睨む。
「…何が目的ですか?」
逆だった尻尾を見てランは慌てた。
「え?あー…言葉はそのままです。ハリソンとハリーを思い出していました。紛らわしくてごめんなさい」
素直に謝ると、彼は逆立てた毛を元に戻した。
「…いえ、私も過剰反応でした。これでは弱点を晒しているようなものですね。修行が足りません」
「お母さんだし、仕方ないですよ」
自分だって同じ立場ならそう思う。
「母は、肺の病だと言われています。しかし薬を飲んでも一向に良くならず…」
ここでもまた”肺の病”だ。診断をしたのはハリーを診察した薬師だろうか。
「ハリーもそうでしたよ」
エドワードが両手を握り身を乗り出す。
「…詳しくお聞きしても?」
「うーん、モニクが診察したので…」
そう言えば診察結果を聞いていない。
モニクなら大丈夫と思って食堂経営のほうに掛かり切りで、任せっぱなしだった。
「…そうですか。では、母を診察して頂けるなら、私も手をお貸ししましょう。ただし、申請が通った場合ですが」
「!!…でも、治せるのは、別でもいいでしょうか」
モニクは薬師であって、医者ではない。そこそこできますよ、とは言っているが。
「構いません。…母が弱気になっていましてね。メイドはいますが…世話をするだけです。話相手でもいいんです。ハーブティーを扱っていましたよね?」
妙に詳しい。もしかしたら下調べを済ませて、遅かれ早かれ黒鹿亭に来たのかもしれない。
「扱っています。けっこう評判いいですよ」
日本でのハーブティーと違い、割と即効性がある。
こちらの世界の薬草は魔力を有しているので、薬効の効果が高いのだとか。
その分、配合には気を使うし、人にあった物を渡さねばならないが。
「それじゃあ…午後の休憩時間に連れてきましょうか」
モニクはいつもその時間に外へ薬草摘みに行っている。困っている人がいるなら、きっと来てくれるだろう。
「で、あれば助かります。雪が深くなる前に北部に荷物を届けてしまいたいので、明後日くらいには立ちますから」
「分かりました。じゃあ、今すぐ確認を取って…連絡しますね。ここってメルルのポストあります?」
入り口にはなかったように見えたので、質問をしてみる。
メルルとは魔法で生み出す青い小鳥のことで、伝言や手紙を運ばせることが出来る。
宛先…例えば”リフタニア国 レーベの町 黒鹿亭”という風に名前を付けたポストを設置しておけば、メルルで手紙を送る事が出来るのだ。
「屋上にあるんですよ」
「あー、だから見えないんですね」
宛先をお互いに教え合い、ランは確認してきます!と言ってエドワードと別れた。
(やっぱり焦ってたんだな…)
ハリソンから聞いていたのに、お母さんの病気の事をすっかり忘れていたので申し訳ないと思ってしまう。
相手はお金持ちだから大丈夫、と思っていたが、薬が効いてないとは思わなかった。
急ぎ足で黒鹿亭に戻ると、裏口から入ってこそこそと食堂内にいるモニクのところへ行く。
カウンター前のお客さんが去った所で話しかけた。
「モニク、お願いがあるんだけど…」
「なんでしょう?」
「エドワード商会の、エドワードさんのお母さんを診てくれない?」
「……今日は、斡旋所では?」
「なんか事件があったらしくてね、いなかったの。で、エドワードさんが帰って来たのがちょうど見えたから、話をしておこうと思って」
理由を話すと、快く了承してくれた。
「狐獣人で、肺の病?」
「そう。ハリーと同じなんだけど…」
「……そうですか」
顎に手を当てて考えている。棚からハーブティーを幾つか取り出した。
「今から行っても?」
「え?あ、ちょっと待ってて」
メルルを魔法で精製すると、”今からお伺いしてもいいですか?”とエドワード商会へ飛ばした。
「マリーは?」
「今日は自宅です。隣村の出産立会いに行っていたマーサさんのお母様が昨日に帰られたそうなので」
「あらら、ウチは寂しいね…」
「ええ、本当に」
女性客が減っちゃうなぁ、と思っていると窓際に設置されているメルルのポストが淡く光った。
「はっや」
もちろんエドワードからで、”了解です。お待ちしております”という返事だった。
「では行きましょう」
「ここは?」
「札を出しておけば大丈夫です」
モニクのハーブティー屋さんは不定期開催なので、閉店中、と札をカウンターに置けばいいそうだ。
彼女がマントと大きな鞄を持ってくるのを待って、二人は連れ立ってエドワード商会へ急いだ。