映画
「ちょっとチケット買ってくるから」
「あ、ちょっと……」
僕は紗枝を止めようとするが、先んじる紗枝を止めることは叶わなかった。
どうしよう。僕は少し慌てていた。
まさか、まさか紗枝が見たいと思った映画はラブロマンスなのではないだろうか。ラブロマンスだなんてそんな映画を男女二人で見るだなんて、そんなのまるで恋人だ。
まさか紗枝のやつ、今回のクリスマスのこれをデートと思っているのではないだろうか。僕はあくまで遊びだと思って今日、紗枝を誘ったと言うのに。
この字面は少しだけ非道な言い方だったが、僕の今日の目的はその通りだった。
来年には板野君と付き合うかもしれない紗枝と、こうしてクリスマスに遊ぶことが出来るのは今年が最後のチャンスになるかもしれない。
だから僕は今日、紗枝を誘ったのだ。
どうしよう。
「お待たせ―」
オロオロする僕の前に紗枝が帰ってきた。
手には二枚の映画のチケット。最早引き返せない状況に、僕は一層取り乱す。
「あたし、この映画前から見たかったんだー」
「そうなんだ」
断りづらい雰囲気にされた。
まあ、チケットも買った今断る選択肢は消えかけていたが、それでもそれを言わさなければまだなんとかなったかもしれない。
完全に後手を踏んだ。
「えぇと」
「はい」
「……えっと」
「どうしたの? チケット。映画見れないよ?」
無垢な様子で首を傾げる紗枝に、僕はあわあわしていた。どうしたものか。
ただ、もうチケットを受け取るしかないことはわかっていた。
仕方なく僕は、紗枝からチケットを受け取った。
「良い席空いてたよー?」
クリスマスのラブロマンスなのに?
少しだけ、僕は何かがおかしいと気付き始めた。
ゆっくりとチケットを見ると……タイトルには『命』と書かれていた。
僕は目を白黒とさせた。
ラブロマンスとはとても思えないタイトルに、最早わけがわからなかった。
「見たかったんだよね、動物ドキュメンタリー映画」
「動物ドキュメンタリー映画?」
言いたいことは色々あったが、ラブロマンスと思っていた映画からの落差で、僕は呆けた。
「あたしがカピバラ好きなの、知っているでしょ?」
「うん。まあ」
紗枝は無類のカピバラ好きだった。でもそんな情報は多分、誰も欲しがっていないだろう。
「カピバラ主題のドキュメンタリー映画なんて、滅多にないじゃない」
「でも……動物物のドキュメンタリー映画って、生死を扱うことが多いよね。主役にカピバラが添えられているなら、もしかしたら死んでしまうかも……」
「……はっ!」
確かに、と言った具合に紗枝は驚いていた。
愛するカピバラが巨大スクリーンで屠られる姿を想像したのか、手からチケットを落としそうになっていた。
「大丈夫?」
「……駄目」
「だよね」
見てればわかる。
さっきの緊張から一変、あまりの落差に、僕はまもなく噴き出して笑った。
「あんた、なんで笑うのよ!」
「ごめんごめん。カピバラのことでそんなに執着する人、これまで見たことなかったから」
「何言ってるの、あたしが散々見せてたでしょ。……まったく」
まったくはどっちの台詞だ。
僕は、笑いすぎて溢れた涙を拭った。
「……紗枝、映画は見るよね」
「うん。まあ……折角買ったし、見るけど」
「ハンカチ、持ってきたから」
「そ、それくらいあたしも持ってきてる……!」
慌てて頬を染めて否定する紗枝は、酷く新鮮な姿に見えた。
僕が紗枝とクリスマスに遊びに来た目的は、紗枝とのクリスマスの思い出を作ること。
一つ。
まずはその目的を叶えることが出来たらしい。
僕は微笑み、紗枝の手を引いて映画館の中に足を踏み入れた。
まもなく始まった動物ドキュメンタリー……もとい、カピバラドキュメンタリー映画は、美しい四Kカメラをふんだんに使った高解像度のカピバラ親子の密着ドキュメントだった。
息子の誕生から、両親の死までを描くその映画は、渋い声のナレーションと妙にマッチしていて、時間が経つにつれて引き込まれていく内容だった。
「良かったね。良かったね……」
隣で、紗枝が涙声で涙を拭っていた。
彼女の言い分もわかるくらい、美しい親子愛を描いた会心の一作だったと思った。
名残惜しい気分の中、九十分の上映を終えた後、僕達はしばらく感無量でその場から動けずにいた。
「あたし、絶対ブルーレイ買う」
「そしたら、今度は君の家に見に行くよ」
「……え?」
「え?」
驚いた様子の紗枝に、僕は自分が大胆なことを言ったことに気が付いた。
「……その時は、泊まりね」
「う、うん」
どうして泊まりを指定するのか。
きっと、ドキュメンタリー映画のことを日が変わるまで語りたいからだろう。
とてもそうは思えないがそう思うことにして、僕はドギマギしそうな気持ちを落ち着けた。
異性の高校生と動物ドキュメンタリー映画見に行く人を俺は知らない
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