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悪恋〜ヴィランに恋する乙女の短篇集〜  作者: KUZUME
その名を愛という
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第3話

 「ドクター!!!」

 「………あ?」


 もう見ない顔だと事務的に忘れ去った顔に、呼ばれ慣れない名詞で、首への圧迫感と共に呼び止められた三度(みたび)の出会いに思わず咥えていた煙草をぽろりと落とした。




♦︎




 「で、あんたはいつまで人の服を引っ掴んでんだ?」

 「ああっ!すみません…!あの、でも、私…!」


 服の裾を握り締めていた手をぱっと離すと、その手をばたばたと動かしながらもう見る事はないと思っていた顔の女、ローズは顔を青くさせたり赤くさせたり1人で面白い程慌ててみせる。


 「…あんたが何か俺に言いたい事があるのは分かった。聞いてやるから、とりあえず落ち着け」

 「すっ、すみません…」


 胸に片手を当ててゆっくりと深く呼吸する彼女を見下ろして、落としてしまった煙草を靴底で踏みつけて火を潰す。

 懐からもう一本煙草を取り出して咥えながら、目の前の堅気の彼女には不用意に関わるべきではないと頭の隅では分かっているのに、何やらわくわくとした気持ちを無視出来ずに彼女が落ち着くのを待っている自分が居る事を自覚しながらライターの蓋を開ける。


 「…えっと、まずは、私あれからドクターの事ずっと心配で…あの、患者さん?は大丈夫でしたか?なんでか凄く興奮してるようでしたたけど…」

 「患者…?あー…あれはあの()()の持病の発作みてえなもんで…うん、大丈夫だ」

 「そうでしたか…確かによく分からない事を口走ってましたもんね…」

 「…」


 火が付いた煙草を吸って、彼女を避ける様に上に向けて煙を吐き出す。


 「他は?」

 「え?」

 「他には何か言いたい事はあるのか?」

 「あ、はい!あります!」

 「分かった。ゆっくり聞くから、もうどもんないようにな」


 先ほどの彼女の慌て方が面白くて、思い出してふっと頬を弛める。

 きょろりと辺りを見渡し、すぐ近くの街路樹の下に設置されているベンチを見つけるとそこへローズをエスコートする。ふと頭の中に部下のマルコが現れてこんこんとお小言を言い出したがそれは丸っと無視をして既に彼女が座るベンチへ人2人分を開けて自分も腰掛けた。


 「あの、この前のランチなんですけど!」

 「なんだ?食べ足りないからまた行きたいって事か?」

 「え…じ、実はあそこのケーキも美味しいって評判らしくて……じゃなくて!!」


 想像したのか頬を淡く染めてごくんと喉を鳴らした彼女がはっとした様に首を振る。勿論俺も100パーセントそう思ったわけじゃないが、段々とわざと彼女を揶揄うのが楽しくなってきてしまってつい余計な口を挟んでしまう。


 「あのランチはドクターへのお礼のつもりだったのに!」

 「つもりも何もお礼だったんだろう」

 「ええ!でもお会計をドクターがしましたよね!?それじゃお礼になってないです!」

 「そうか?」

 「そうなんです!」

 「そうか」

 「……」

 「……」

 「…あのっ、ですから…!」


 わたわたと慌てる彼女にまた頬が緩む。煙草の煙を空へ吐き出すふりをして彼女から隠してくつくつと込み上げてくる笑いを堪える。

 目に見えて慌てる様が可笑しい。

 きっと何も考えずに、俺を見つけたから声を掛けて。何も考えずにただお礼をしたいと言って具体案を用意していなくて今必死に頭を回している。

 女をいたぶる様な趣味は決してないがどうして、彼女が困っているのを気付かないふりをして、その眉が下がるのを眺めているのが心の底から面白い。


 「あ、」


 咥えていた煙草を落として、先ほどから意味をなさない音の羅列だけを並べていた唇に吸い付く。

 ふに、とその柔さを遊ぶ様に軽く唇を合わせて、そして離れざまに下唇を()んで離れる。


 「…」

 「じゃあ()()がそのお礼ってことで」

 「………ぁ、え…?」


 目をまん丸に見開いて固まる彼女に笑いが込み上げる。そしてふ、と近距離で視線が合わさる。

 みるみる間に顔全体を真っ赤に染め上げていく彼女に、可笑しくって面白くって上がっていた口角がぴくりと固まる。


 「…ローズ」

 「あっ!あの、ドク…ん!」


 ジリジリと落とした煙草の火種が地面を焦がす。

 そんなのを視界の隅に、空いた手で彼女の熱い頬を包んで彼女の言葉を飲み込む様に唇を合わせる。

 柔くて、熱くて、蜜みたいに甘いその唇をよくよく味わって今度はゆっくりと離す。


 「……ところで、今日も何か用事があってこの辺うろついてたんじゃないのか?あんたの家は隣街だろう」

 「………は?え、ええ…え?」

 「夜になるとこの辺も酔っ払いやら何やら出るからな、遅くならない内に用事済ませてとっとと帰った方がいい」

 「えっ!?えっ!?」

 「2()()()のは勉強料って事で。この街じゃあ黒いスーツ着た悪い男には気をつけるんだな」

 「……え?それって、どういう…」


 べろりと自身の唇を舐め腰を上げると、ぽかんと固まるローズをベンチに残しそのまま()()()()()の裾を翻して立ち去る。

 大分距離が空いてから彼女の驚愕とも混乱ともつかぬ叫び声が聞こえたが、それを無視して人通りの少ない通りを進んで行く。

 不思議な偶然の短い逢瀬だったが、この港街の黒いスーツの意味を知らない様子の一般人とのおふざけが意外にも気に入ってしまった事に一つ舌打ちをして、唇に残る感触を忘れる様に煙草を咥える。


 「ボス」

 「首尾は」


 通りを進んでいれば、すっと空気から溶け出る様に自然と後ろに付き従う部下。

 後ろに視線を遣る事なく、歩きながらよく手に馴染んだ黒い革手袋を嵌める。


 「問題ありません。銃をチンピラに横流ししていた奴は縛り上げてあります」

 「そのチンピラ共と奴の使いっ走りは?」

 「チンピラのリーダー格の男一人と奴の手下二名も纏めて部屋に転がしてます」

 「ふん、代替わりってのは大なり小なり身内でゴタつくもんだな。…使いっ走りから聞く事は何もねえ。何人か寄越すからお前らでとっととバラせ」

 「はい、ボス」


 人々の活気で明るく賑わう街の中心から離れた静かな通り。そこに静かにけれど大きく聳える豪奢な門を正面から潜り、玄関ホールからひっそりと続く大ホールへと足を進める。

 ぎいい、と蝶番の軋む音をゆっくりとなるべく大きく響く様に気をつけて開け放つ。


 「…よお。親父から俺みたいな若造にボスが変わったら色々と出し抜けると思ったか?」


 立派なグランドピアノが鎮座するその大ホールの中央に、老紳士然とした男とそれとは対照的な粗野な印象を受けるまだ若い男が麻縄できつく縛り上げられて文字通り転がっている。

 それを視界に収めて鼻で笑えば、老紳士がきっと眼光鋭く床から一瞥をくれる。


 「くそっ、貴様…!そもそもお前が何事も無くボスを継げたのも我々重鎮が後ろ盾になったからだというのに、恩を仇で返す気か!」


 転がされた男二人の前に用意されていたこれまた豪奢な作りの椅子に腰掛け足を組む。


 「困るんだよ…つまらない小銭稼ぎの為に組織の人間でもないそこらのチンピラに銃なんかばら撒かれると…この街の治安が悪くなるだろ?」

 「若造が何を分かった様な事を…っ!」


 パアン!と乾いた音がホールに響き渡る。

 びくりと男が肩を揺らす。


 「喧嘩がしたいだけなら拳で出来るだろ?銃ってのはこう、喧嘩じゃなくて何か片をつけたい時に玄人が使うもんだと俺は思うんだよ」

 「……っ」


 老紳士が真横で血を流し事切れているチンピラのリーダー格だったものを視界に入れて口を震わせる。

 カツンと軽い音をたてて空の薬莢が床に落ちて転がり、俺の靴先に当たって止まる。

 その短い一連の動きをなんとなく目で追って、そして手に持つ銃口と共に視線を再度老紳士へと戻す。


 「俺はお飾りの、てめえらのお人形さんなんかになるつもりはねえ。こんな家業だ。綺麗事なんか言わねえが、受け継ぐ時に、こっちはこっちなりに腹決めてんだ」

 「待っ──!!」


 もう一発。ホールに乾いた音が鳴り響いた。




♦︎




 「ボス、お疲れ様です」

 「マルコか。どの世界でも若いってだけで舐められるのは変わらないな」


 煙草を吸いながら、部下が死体をホールから運び出していくのを眺める。


 「きっと貴方がジジイになった時には、最近の若いもんは~って言ってますよ」

 「…俺がジジイになってもお前はずっと小言を言ってそうで嫌だな」

 「私だってジジイになってまで貴方に小言なんて言いたくありませんよ。言いたくありませんけど貴方が言わせてるんでしょ、きっと」

 「安心しろ、てめえがヨボヨボになる頃には暇を出してやるよ。精々余生を謳歌しろ」

 「有り難くって涙が出ますね。ついでに貴方が今汚してくれたこの伝統ある大ホールの床掃除を思っても涙が出ます。信じられませんよ、この大ホールを一体なんだと思ってるんです?そもそもここが作られたのは──」


 和やかな談笑だった筈が一転、くどくどと小言なのか呪詛なのか吐き出し始めたマルコに降参だと両手を上げてホールの外へと歩き出す。

 マルコが真後ろにぴったりとついて言い続けてくる言葉を聞き流しながら執務室がある一角へと足を止めずに進む。

 執務机に着いて用意されたコーヒーを飲みながら、彼女はきっと砂糖を入れてコーヒーを飲むのだろうなとぼんやり思った。

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