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悪恋〜ヴィランに恋する乙女の短篇集〜  作者: KUZUME
その名を愛という
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第1話

 潮の匂いが鼻腔を掠める。

 海からの強い風と、港に泊まる船の音。

 陽気な天気と人々、そこかしこにいる野良猫が陽だまりに寝そべり欠伸をしている。

 気の良い屋台の店主が店の前を通ると気付いて声を掛けてくる。


 「ぼっちゃん!朝からこの通りに来るなんて珍しいねえ!どうだい?今朝獲れたての魚が揃ってるよ!」


 咥えていた煙草を胸ポケットから取り出した携帯灰皿に押し付けて、にこにこと両手に店自慢の商品を持つ店主に苦笑を返す。


 「おい、もうぼっちゃんって歳じゃねえだろ」

 「あっ、いけねえや。つい癖でなぁ。悪いね、()()()()…それにしてもほんのちょっと前まで親父さんの足元をちょろちょろしてたのになあ…」

 「…」


 果たして既に何回交わしたかも分からない話題に肩をすくめるに留める。

 俺の生家は海に面したこの美しい街に根を下ろす、いわゆる日かげを生きる人間の集団だった。

 何も知らずにただ楽しく過ごした幼少期や、家業を知ってそれなりに反抗した青年期を経て、つい最近俺は親父から組織の頭を受け継いだばかり。

 組織の人間には勿論、組織が根を下ろす街の住民には新ボス就任を知らせた筈だが、会う奴会う奴皆にぼっちゃんと呼ばれ、まるで祖父母の様な反応をされる事に少なからず辟易していた。


 「それで、今朝は何かあったんで?まさかうちの魚を買いに来ただけじゃないでしょう?」

 「ああ、悪いがこれからちょっと煩くする。すぐそこの噴水広場の裏だ」

 「そういえば最近よそもんがうろついてるって聞いてるが…」

 「そうだ。ちょっと行ってシメてくる。特に問題が起こるとは思わねえが、うちの人間を数人この通りに置いてくから、万が一何かあったら言ってくれ」

「ぼっちゃん…!本当に立派になって…!」


 目に涙まで滲ませ出した店主の手に札を握らせ魚のフライの串を一つだけ取るとさっさと歩き出す。

 サクサクの香ばしいその串にがぶりと噛みついて、目的の場所に着くまでに一体全体何度このくそみたいなやり取りをすりゃいいんだとため息を吐く。


 「ボス、街の人間に面倒がいかないように手を回すのもボスの仕事ですよ」

 「分かってるよ」


 舌打ちを一つして、すっと後ろに寄ってきた親父の残した教育係兼部下のマルコに返事をする。


 「だけどあいつら皆して同じような事ばっかり言いやがる」

 「それだけ親父さんは街の人間にも慕われてたんですよ。いいじゃないですか、これも孝行だと思って」


 後ろから伸びてきた手がまだ一口しか食べていない串をすっと奪ってサクサクと軽快な音をたてる。

 また一つ舌打ちをして、いつの間にかぞろぞろと現れた部下を連れて静かな裏通りを進む。


 「…相手のゴロツキ共は?」

 「9人全員、住み着いてる家に揃ってます」

 「ふん、せめて正面きって喧嘩売ってきたなら盛大な俺の就任式になるってのによ」


 ニヤリと口角を上げて目の前の扉を蹴破るべく足を上げる。




♦︎




 血溜まりの中に立つ。

 少しよれたシャツの衿を直して、取り出した煙草を咥える。


 「また一つ事故物件が出来ちまったな」

 「ボス冗談言ってないで。もう悪童なんて呼ばれてた子供じゃないんだからやたらめったら突っ込んで行って死体作るのやめて下さ──」

 「うわあっ!!」

 「っ!?」


 後処理を開始する部下を眺めていれば、突如上がった短い悲鳴にはっとして意識を向ける。

 すぐさま振り返った目にはしかし、血を流す部下とナイフを握り外へ駆け出して行ったボロボロのゴロツキの男の背中だけが写った。


 「クソ!」

 「っボス!」


 咥えていた煙草を血溜まりの中に落とし、部下の焦った声を無視してゴロツキの背中を追ってすぐに走り出す。

 何処へ行く。この通りを抜けた先は。とんだ失態だ。

 様々な事が脳裏に浮かぶ間に、ゴロツキが駆けて行く先からは、ガヤガヤと人々の陽気な声がしてきている。


 「(──噴水広場に出る…!)」


 ナイフを持った血塗れのイかれた野郎を一般人の暮らしの場に放つわけにはいかない。

 速く速く速く!と脳内で唱えて脚を更に動かす。


 「うわあああああ!」


 ざあざあと水の音が耳に届く。

 伸ばした手を掠めて遂に狭い路地を抜けて噴水広場に躍り出たゴロツキがナイフを振りかざして大声を上げるのが見開いた目に入る。

 しかしまだ朝早いせいか、どうやら聞こえてきていた人々の声は噴水広場ではなくその先の市場からだったらしい。

 一般人に被害が出る前に捕まえられる、と安堵するのも束の間、ゴロツキの体に隠れていて見えなかった向こうに明らかにゴロツキのものではない華奢な腕が見えてぎょっと目をむく。


 「…え、え!?」


 女の驚愕の声が耳に届くと同時にぐっと左の軸脚に力を込めて地面を蹴り上げる。

 後ろへ大きく振った右脚を腰を捻りながらゴロツキのこめかみ目掛けて叩きつける。

 鈍い悲鳴を上げて勢いのまま左へ吹っ飛んでいくゴロツキ、はもう視界になく、目の前には大きく目を見開いてぽかんとこちらを見上げる女の顔。


 「っ、やべ」

 「え?え?えええええ!?」


 空中でもう勢いは殺せない。

 せめて倒れ込む時の衝撃は和らげようと女の頭を抱え込み、そして。

 盛大な水しぶきと音をたてて女の真後ろの噴水へと女共々飛び込んだ。




♦︎




 「おい…おい、起きろ」

 「……うう」


 頭の先から靴下までびっしょりと濡れたまま、とにかく噴水から顔を出し腕の中でぐったりとしている女の頬を軽く叩く。


 「ちょっと、ぼっちゃん。噴水はプールではないって教えたでしょうが」

 「うるっせえな!泳ぎたくて飛び込んだんじゃねえよ!」


 すぐ後を追ってきていたのだろう部下のマルコが噴水の淵に肘をついてしゃがみ込みこちらを呆れた様に見つめている。見ていただろうにわざとこちらが苛つく様な事を言ってのけるマルコに思わず怒鳴り返す。


 「で?」


 一言問えば、マルコはくいっと顎で向こうを指す。

 その先を見遣れば、数人の部下が地面に倒れ伏すゴロツキを縛り上げていた。


 「帰ったら親父さんにどやされますね」

 「ふん、じいさんに聞いた親父の若い頃の失敗談でも持ち出すさ」

 「ところで」

 「あ?」


 マルコが再度くい、と顎をしゃくる。

 部下の目線を辿り、自分が未だに腕に抱くその存在を思い出す。


 「いつまで水浸しのままにさせとくつもりですか。見たところ怪我は無さそうですが、そのままじゃ風邪引かせますよ。女の子ってのは頑丈馬鹿のボスとは違うんですからね」

 「一言余計なんだよお前は毎回よ」


 ざばりと音をたてて立ち上がり、気を失ったままの女を抱いて不本意ながら浸かっていた噴水から出る。

 するとすぐさま大判のタオルを差し出してきた部下から受け取り近くにあったベンチまで進むとそれで大雑把に女を包んで寝かせる。


 「……んん、う」


 包んだタオルの端で濡れた顔を拭いてやれば、微かな唸り声がして、そしてうっすらと持ち上がる女の瞼。


 「……おい、いてえ所とか無いか?」

 「……?…はなが、いたい…なんで…?」

 「…」

 「…ボス?」


 気付いたらしい女からの自己申告に、恐らく自分がゴロツキを蹴り飛ばした勢いのままに女に突っ込んだからだろうと黙り込むも、マルコからじとっとした視線を貰う。


 「あー…鼻血も出てねえし、恐らく軽い打身だ。大丈夫だろ」

 「はぁ…ありがとうございます、ドクター…」

 「…」

 「ははぁ、お嬢さん寝惚けてますね」


 うっすらと開いていた女の瞼がまた閉じている。

 そうか、ナイフを持った男に襲われ掛け、そして更に知らない男に飛びかかられる様にして噴水へ突っ込むのは一般人の女には多大な負担だったんだなと今更思い至ってなんだか新鮮な気持ちになる。


 「ボス、彼女の荷物の中に身分証がありました。怪我が無いようでしたら自宅まで我々が送り届けますよ」

 「…そうだな」


 まじまじと意識のない女を観察する様に見つめていれば、後ろから女の部下に声を掛けられて意識を戻す。


 「アンジェラ、他に2人女連れてけ。家族と住んでんのか1人なのか知らないが、野郎共じゃアレだろう。1人だったら悪いが意識戻るまで居てくれ。適当に理由作って説明してクリーニング代と慰謝料を頼む」

 「はい、ボス」


 タオルに包まったままの女をアンジェラに託し、事後処理の為にマルコを連れてまた薄暗く静かな裏通りへと足を向けた。

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