呪いのはじまり(ミリア・ウィザーズ/アデレード・ハワード、1851年01月)
一命は取り止めていたものの、ラッセルはその後、臥せることとなった。
目は見開いたまま、意識は朦朧としており、 「……すまなか…… ゆる……」 と譫言がその口から漏れるかと思えば、この世のものにあらぬような呻き声を、しきりに上げる日もある。
身体は終始冷たく、皮膚は足先から徐々に固くなり、鱗のような様相を呈しはじめた。
診た医師も首をかしげつつ、『おそらくは…… この鱗が心の臓まで達してしまえば、もはや命は持たないでしょう』 と診断を下した。
――― その診察の帰り、医師は落馬により死んでしまう。
医師だけではない。
ラッセルの身の回りを世話していた下男も、原因不明の熱で死に、見ればその手には、蛇のような咬み跡が残っていた……
この出来事をきっかけに、もともと少なかった使用人は次々と逃げ出した。
今、ミリアの身辺を世話しているのは、金で買った手伝いの少女、ただひとりだけである。
また、噂が広がり、ミリアとラッセルの元を訪れる者は、全く居なくなったのだった。
――― ただ、1人を除いては。
「そろそろ、ご自身の醜悪さをご自覚なさったかしら、親愛なる従姉妹さま?」
ミリアでさえ怖くて近寄れないラッセルの身体を、器用に拭い終わったアデレードは、その手で紅茶を淹れて優雅に口に運びつつ、歯に衣着せぬ物言いをした。
「わたくしが…… 醜悪ですって?」
手渡された紅茶を持て余しながら、ミリアは返す。
「このような有り様になってしまったのは、あの恐ろしい悪霊のせいなのよ……?
セアラは悪い子ではなかったけれど…… あの子と出会わなければ、このようなことには、ならなかったのに……」
「わたくしの友達を悪霊呼ばわりなさらないで」
アデレードの紅茶を飲む手が、ごくわずかに震える。
「あなたの、そのおめでたい思考が今の事態を招いていること、少しはお考えなさいな」
「……おめでたい、ですって? わたくしが……? ひどいわ、アデレード」
ミリアは紅茶を卓に置き、両手で顔を覆った。
「わたくしは、ひとりぼっちで、こんなにも辛いのに」
「そう思いたいのなら、そう思っておおきなさい」
アデレードも、カップを置いて立ち上がる。
言いたいことを言ったら、もう用はないらしい。
「たとえ、あなたが少々反省したところで、あの子が許すとも思えませんものね?」
自ら帽子を取り、コートを羽織りながら、彼女は、くすり、と小さく笑った。
「あなたのことですから、知らぬうちに、ほかの方の恨みを買ってもいそうですし…… ふふ。
お気をつけになって?
もし、呪いがその方たちの、恨みまでをも吸い込んでいたとしたら…… きっと、なまなかでは祓えぬほどに、強いものになっているでしょうから」
「なんのことだか……わかりませんわ」
ミリアは当惑していた。
実際にセアラの霊を見たのだ。これが 『呪い』 であることは、薄々勘づいている。
けれども……
「なぜ、このわたくしが、そのように多くの方から恨まれなければ、なりませんの?」
「それがお分かりにならなければ」
アデレードは醒めた目で、言い放った。
「わたくしも、2度とここを訪れることは御免被りますわ」
「…………!」
ミリアの顔が、青ざめる。
両親からですら、半ば見捨てられている今、アデレードまで来なくなってしまったら。
「お願い、見捨てないで! こんな可哀想なわたくしを、見捨てるというの?
あなたがそこまで酷い方だと、思いたくありませんわ!」
「わたくしは、別に、ひどいと思っていただいても、かまいませんのよ?
……あなたは、ご自分の裡に汚い感情を認めたくないだけでしょう、従姉妹さま」
――― いつまでも、おひとりで 『わたくしは悪くない』 とおっしゃっていれば、よろしいのではないかしら?
アデレードはミリアに手を振って別れを告げた。
……かつて皆が 『優しい』 『謙虚』 とミリアを誉めそやしていた頃から、彼女が全く変わっていないのを、改めて感じながら。
――― 大した中身を持たず、自身の核となる信念も行動原理もなく、ただ、周囲に流されてフワフワと生きる女である。
己の言動に責任を持たず、周囲からの賞賛や関心を買うためにその場限りの言動を繰り返し、都合が悪くなると全てを他人のせいにして、被害者ぶるのだ。
幼い頃から、ミリアは、一緒に行動していても何かあれば 「アデレードが……するから」 「アデレードのせい」 と言っては大人たちの叱責をアデレードに集中させてきた。
そして後になって 「そのようなつもりでは、なかったのよ」 と誤魔化しにかかる。ここでミリアを責めると、「謝っているのに、酷いわ」 と泣くのも常であった……
他人にとってはどうか知らぬが、アデレードにとってミリアは、従姉妹でなければ金輪際、付き合いたくない女であった。
――― それでも従姉妹であるから気にかかるのも事実であり、だからこそ、こうして手助けにきているのだ…… 普通なら、感謝の一言もありそうなものだが。
(この方の場合は、当然、とでも思っているのでしょうね)
タメイキをつくしかない、間柄である。
泣きじゃくるミリアに 「また、気が向けば寄りますわ」 と告げ、ひとりエントランスへと向かおうとした時。
「奥様! 奥様、お早くっ……!」
手伝いの少女が、大声で呼びながら駆けてきた。
「旦那様が……! 大変です……っ!」
……そういえば、先程、ラッセルの身体を拭いた時には、鱗がもう胸まで達していた、とアデレードは考えた。
ミリアは気づいていなかったようだが、もう長くないのは、分かっていたことだったのだ。
一気に慌ただしくなる雰囲気の中、アデレードはそっと、館を後にした。