冬至祭の日(ミリア・ウィザーズ/セアラ・チェイルリー、1850年12月)
空地に、大きな樅の木が立てられ、リボンや小さな人形で飾られていく。
「……もう冬至祭なのね」
窓から見下ろし、ミリアはひとりごちた。
――― 王都であれば、街角に柊やナナカマドの枝が飾られ、吟遊詩人たちの 『光の歌』 が流れるのを漏れ聞く、そんな時期である。
が、今、田舎で謹慎中のミリアには、祭りは、己に関係のない話、としか思えない。
――― 一連の騒動からの月の2巡りと半を、ミリアは薄闇の中で過ごしていた。
令嬢たちは皆、彼女から離れてしまって、手紙1つ、寄越さない。……皆、ミリアがあれだけ優しくして、何度もお茶会に招いてあげたのを、忘れているのだ。
令嬢たちだけではない。
両親ですら、滅多に顔を見せなかった。
唯一、やってくるのは……
「ラッセル様がお見えです」
告げられて、ミリアはタメイキをつく。
ラッセルも、ミリアと同じく謹慎中…… にも関わらず、変装してはコッソリと、ミリアに会いに来るのだ。
…… もし、それが世間にバレたら、また、なんと後ろ指をさされることだろう ……
そう、ミリアは危惧しているのだが、わざわざ、こうして会いにきてくれるラッセルに、それを言うこともできなかった。
――― こんな状況になってもまだ、世間の評判を気にする女だとは、思われたくなかったのだ。
「……やあ。調子はどうでしょうか」
「ありがとうございます。そこそこに、ございますわ」
部屋の入り口に立ち尽くし、ほの暗い瞳を向ける男を、振り返る。
――― 調子なんて良いはずが、ない。
この男のせいで、ミリアの人生は転落したのだ。
輝かしくいつも正しく、微笑みを投げるだけでも有り難がられていた公爵令嬢から、他人を羨み世間の目を気にして日陰に潜むようにして生きなければならぬ、落伍者へと ―――
なのに、男の目は眩しそうに、少々せり出してきたミリアの腹へと注がれる。
「……私たちの子も、順調のようですね」
「ええ」
ミリアは腹に手を当て、微笑んでみせる。
「最近よく、動きますの。……たまに、夜も寝られなくなりますのよ」
――― 子が動くから、ではなく、恐怖で、だが。
皆に祝福されて、王家の血に連なる子を生むはずだった自分。
どこまでも、死ぬまで変わらぬ、広々とした道を歩むのだと思っていたのに……
まさか、片田舎でひっそりと、誰からも愛されぬかもしれない子を、生むハメになるとは。
――― 自分のこれからの人生も、生まれてくる子の人生も全く見えないのに、運命は確実に、やってくる。
それがミリアを憂鬱にさせ、何かの拍子には恐怖に陥れるのだが、それを、ミリアは誰にも言えなかった。
「大事にしてください…… このようなことを頼める立場ではないのですが…… こんなことになってしまい、本当に申し訳ないとも思っておりますが」
男も近づき、ミリアの腹にそっと手をあてる。
「それでも、私は、あなたとこの子が、愛しいのです」
……いつか、ささやかでいいから、親子3人だけの幸せを築けたら。
男の都合の良い願望を、ミリアは黙って聞いた。
虚ろな瞳で。口元に、形だけの微笑みを浮かべながら。
※※※※
同じ頃。
セアラは自室にこもり、手紙をしたためていた。
冬至祭の今日、街には魔除けのナナカマドとヒイラギの枝が飾られ、家々からも店からも、特別な御馳走の良い匂いが流れる。
しかし、大道芸に集まる人々の喧騒も、街角から漏れ聞こえる 『光の歌』 も、彼女の心を覆う闇を払いはしない。
パサついた髪。
淀んだ表情。
……かつて、明るくイキイキとしていた面影は、どこにも見えない。
痩せ細って蝋のように白く、青い静脈が浮き出た指が支えたペンは、時に戸惑い、時に止まり、ゆっくりと文字を紡ぎ出していく。
『アデレード様
このお手紙をあなたが見る頃には、私は今の姿では、この世におりません。
あなたは強く、真に正しい。
けれども、私はあなたのようにはなれませんでした。
……忘れようとすれば、するほど、憎しみが、怒りが、悲しみが、胸の中に居座り続けているのがわかります。
幸せにならなければと努力しても、ほかに、何も感じられないのです。
……ただ、苦しい、苦しい、苦しい。
苦しくて、もう、これ以上生きていられません。
たくさんのお気遣いと励まし、本当にありがとうございます。
――― アデレード様とふたりのお茶会は、いつも楽しかった。
永遠に、さようなら
……では、なくて。
あなたに対する、最後の良心と友情を振り絞って、告白します。
――― 死者が最も力を持つ、冬至祭の今宵。私が、命を断つ意味は、おわかりでしょうか。
私には、これしか、なすすべがないのです。
――― それでもお友だちでいて、とは、虫の良いお願いでしょうね。
でも、どうか…… 許して、ください。
セアラ』
書ききって、小さく溜め息をつき、封筒に入れた。
「…………」
しばし迷うが、自分の髪をひとふさ断ち、紙で包むと、それも封筒へと入れる。
チェイルリー子爵夫妻から与えられたもの以外を形見にしようと思えば、こんなものしかなかった。
唯一、セアラ自身のものといえば、その指にはまった指輪だが……。
本当の両親から残された、古い血筋を表す紋章入りのそれは、アデレードには、あげられない。
……今から、使わなければならないのだから。
セアラは立ち上がって机から離れ、骨ばった手を、すっと目の高さに上げた。
――― 繊細な金細工は、生と死の象徴たる槌に絡まり、互いを咬みあう2匹の蛇。
古代、神官の家系であったと、指輪と共に伝えられていた。
その秘密は、幼い頃にきいていた子守唄の中に隠されていて、思い返せば必要なことは何なのか、存外にするするとわかってしまうものだった。
『指輪に封じられし太古の御霊よ……』
低い祈りが、セアラの口から漏れる。
『我が血、我が心臓、我が魂をもって、汝を甦らせん故に』
短刀を逆手に持ち、尖先を喉につきつける。
『疾く我が願いを叶えたまえ―――
ミリア・ウィザーズ=シーズリーに、復讐を』
ぐい、と力を込めて押せば、薄い皮膚は簡単に破れ、吹き出る血が、指輪に描かれた2匹の蛇を濡らす。
『呪われよ
呪われよ
呪われよ …… !』
セアラの最後の叫びは、切り裂かれた彼女の喉から発せられたのか、それとも、霊となった彼女の念が迸ったものなのか……
それは、セアラ自身にも、わからなかった。
17歳の少女の瞳に、最後に映ったのは、窓の外、低く雲の垂れこめた、星ひとつ見えぬ夜空だった。