出会い、裏切り(ミリア・ウィザーズ、1850年08月)
垢抜けない可哀想な娘を、自分の力で婚約者好みに変身させる ――― このアイデアは、ミリアにそこそこの満足を与えたし、夢中にもさせた。
彼女はその案を早速、実行に移すべく、『婚約のお祝いを差し上げる』 との名目で、セアラとラッセルを個人的に招待したのだ。
――― それを、喜ぶ者こそあれ、断る者など居ないことを、彼女はよく知っていた。
しかし、彼女には予想外だったのが……
そうして、のこのこと出向いてきた相手が、いくら取り繕っても欲がにじみ出てくるような一般的な貴族男性などではなく、非常に爽やかで謙虚な好青年に見えることだった。
「女性がどのような装いだと、好ましく見えまして?」
単刀直入に、だがあくまで上品に聞くミリアにラッセルは 「さぁ……あまり、考えたことがないので」 と口ごもる。
「本人が好きなら、よほど奇抜でない限りは何でも良いと思いますがね」
まったく洒落ていない口調は、少女たちに人気が高い男性とは思えないほどであったが、それもまた微笑ましい、とミリアは考えた。
(もしかしたら、セアラさんとはお似合いなのではないかしら)
この思いがふっと頭をよぎった時、また、ミリアの胸の奥で、何かが軋むような音がしたが、その正体など知る必要はないだろう。
「あら、それでしたら、またお話を伺わなくてはなりませんわね」
彼女は冗談めかして、その言葉を口にし、その後に続けた 「セアラさんに約束したのですもの。絶対にラッセル様好みに仕立ててみせましょう、と」 という台詞を、自身も信じたのだった。
――― その後も、約束通りに、彼女はしばしばラッセルとセアラを招待した。
やがて、それは、『セアラさんもお忙しいから』 という理由で、ラッセルだけになり、彼女がいつしか、その会合を、心待ちにするようになっても。
婚約者ではない青年の、なんでもない話や口振りをふとした瞬間に思いだし、あるいはその微笑みをまた見たい、と願うようになっても。
――― 誰も、ミリアに、何も言わなかった。
なぜならミリアは、『いつも優しく正しい』 公爵令嬢なのだから。
そして、ミリア自身も、己の裡に芽生えたその心を何と呼ぶのかを、知らなかった。
彼女は、定められた婚約者がいる我が身をしばしば不幸だと感じていたが、それでも、婚約者である王子との未来を信じきっていたのだ。
その未来は…… あるきっかけで、いとも簡単に破られることと、なるのだが。
――― その日、ラッセルとミリアは、庭を散歩しながら 『話し合い』 をしていた。
話題は相変わらずの、セアラのドレスのことである。
「この前の水色のドレスはいかがでして?」
「彼女に、よく似合っていましたよ」
「わたくしが見立てて差し上げたのよ?」
「……だと思いましたよ」
青年の声がわずかに含みを持つのを、ミリアは満足して聞いた。
それがどのような意味を持つのか、深く考えることはしない。
――― 考えても、どうにもならないことなのだし、自分が善意から正しく振る舞っているのは、紛う方なき事実なのだから。
――― 彼女の、与えられた人生に対する、自身でさえ気づいていない程にささやかな反抗は、この日も、何事もなく終わる筈だった。
……もし、そこで俄に雨が降らなければ。
その雨が、激しくならなければ。
この国の夏を象徴するような、鋭い光…… 稲妻が、空を走り、周囲を赤く照らし、鳴り響きさえ、しなければ。
…… あのようなことには、決して、ならなかっただろう……
と、ミリアは後に、何度となく振り返ることになるのだが、この時の彼女は、そんな運命を知る由もなかったのだ。
――― 慌てて身を寄せた、手狭な物置小屋で、雷が周囲を照らし、音を轟かせる度に、ミリアは怯えて青年にすがった。
…………仕方がないのだ、怖かったのだから。その時、頼れる存在が、彼しかいなかったのだから。
…………青年がやがて、抱擁を返し、その抱擁が次第に熱を帯びたものになっていっても。
…………いつの間にか、口づけを交わしていても。
それは断じて、ミリアのせいではない。
悪いのは、雷であり、それに乗じて想いを遂げた青年であり、青年をミリアに紹介した、セアラである。
雷雨が止み、明るい夏の日差しが小屋に差し込んで、我に返ったミリアは…… 泣いた。
わたくしは決して、そんなつもりではなかった、と。
婚約者でもない男性に騙されたのだ、と自身を憐れみ、その男性の裸の胸に涙を落とした。
オロオロと彼女を慰めようとする青年を、あなたのせいよ、となじった。
――― その時、彼女は忘れ果てていたのだ。
庭の散歩などという非常にプライベートなことを青年に提案したのが、自分だったということも。
己が彼を前に、どれだけ華やいだ表情を作り、甘えた声音で話していたのか、ということも。
――― 彼に抱かれて、あなたのものになりたいの、全て忘れさせて、と乱れたことさえも……。
結局ふたりは、お互いのために、口をつぐむことを選んだ。
――― だが、しかし。
その秘密は、月が2回と半分巡った後に、破られることとなる。
ミリアの急な体調不良によって。
急いで呼ばれた医師は、彼女の両親であるウィザーズ公爵夫妻に人払いを頼んだ上で、こう告げた。
「お嬢様は、間違いなく、妊娠しておられます」