子爵令嬢の婚約(セアラ・チェイルリー、1850年04月)
公爵令嬢ミリア・ウィザーズ=シーズリーが次の茶会を開いたのは、セインツ卿の夜会の翌々日だった。
この日をミリアが選んだのには理由があり、夜会の噂を聞くためである。
――― この国では基本、夜会は未婚の男女の狩り場であり、ミリアのように婚約者を持つ格式高い令嬢が、格下の夜会に参加することは、ほとんど無い。
しかし、ミリアとてうら若い令嬢であり、同じ年頃の令嬢たち、人気の高い紳士たちの織り成す恋模様に興味が無いわけではなかった。
令嬢たちも心得たもので、ミリアに聞かせるために、「夜会で○○家と○○家の婚約が公表された」 だの 「誰某は何某と3回も踊った」 「あの方たちはバルコニーに1時間も出て……何をなさっていたのかしら」 といった話題を口性なく提供する。
ミリアはそれをおっとりと微笑んで聞き、令嬢たちが嫉妬しそうな局面では、さりげなく 「ああ…… あのお家は今、勢いが良いですものね。あとは家柄さえあれば、完璧でしょうかしら……?」 などと政略を匂わせ、あるいは、 「まぁ…… 皆様の方が素敵ですのに。実は見る目が無い殿方だったのですね」 と令嬢たちを持ち上げる。
言う者によっては、あからさまにも映るだろうその発言を、令嬢たちは全て 『ミリア様のお気遣い』 ととっていたし、ミリア自身も、そう思っていた。
――― しかし、この日のお茶会で中心になったのは、令嬢たちの噂話ではなく、招待された中のひとり…… セアラ・チェイルリーであった。
「本当に羨ましいこと!」
『ミリア様の優しい気遣い』 により、一昔前のキツいコルセットに、こけおどしのようなバッスルスカートがつき袖が膨らんだドレスで仮装させられた令嬢たちは、その苛立ちと、どうしても隠せぬ嫉妬を多少込めて、口々にこう、セアラに言っていた。
「まさか、ラッセル子爵様とご婚約だなんて!」
「孤児院から引き取られて、間もありませんのに……」
「本当。まるで夢物語のようなお話ですわね」
令嬢たちに人気の高かった伯爵家長男の急な婚約発表は、ミリアの茶会の客たちの心にさざ波を立てるには、充分だったのだ。
――― しかも、その相手は先日まで見下していた、孤児院上がりの低位貴族の家の少女である。
令嬢たちは、プライドをいたく傷付けられながら、それを隠し、なんとかこの縁談のアラを探そうと躍起になっていた。
「「「いったい、いつ出会われたの?」」」
「あ、あのう……出会ったのは、先日の夜会が初めてで…… その、親同士の昔からの約束だそうで……」
令嬢たちの言葉に微妙に含まれた棘を察知し、セアラがしたしどろもどろの返事に、彼女らはやっと、得心がいった、という顔をした。
「あら…… 御両親の勝手で決められたの? ……おかわいそう……」
同情に満ちた口調でミリアが呟けば、令嬢たちも口々に 「本当に」 「しかたがありませんけれども」 「やはり恋した方と結ばれたかったでしょうねぇ」 とセアラを労る。
「あ、あ、あのでもっ! とっても素敵な方なので、私はラッキーだと思ってて!」
慌てて言い出したセアラに、ミリアは内心で 『それは…… この方たちを不快にさせてよ……?』 と呟いた。
この令嬢たちのうち誰ひとりとして、セアラを妬みこそすれ、同情などしていない。
セアラは今、何を言っても、彼女らの密かな不興を買う立場なのである。
…… それとなく、黙って受け流すように伝えて差し上げなければ。わたくしは構わないけれど、彼女らはきっとますます、嫉妬してしまうでしょう。
そう考え、ミリアが口を開こうとした時。
「あのあの、でもっ! きっと、ラッセル様はアンラッキーだと思っておられるに違いない、と思うんですぅ……」
セアラのあまりにも率直な発言に、誰かが、ぷっ、と吹き出した。
「だってですね! 私、垢抜けないですし、皆様のように所作も言葉遣いも、美しくないですし…… 」
明らかに、その場の空気が変わる。
「ラッセル様とは全然、釣り合いがとれてなくて…… 本当にどうしようかと!」
「あら、そのようなこと、訓練なされば宜しいのよ」
「良い家庭教師を紹介して差し上げるわ」
「ドレスの選び方だって、勉強なさるか、良い侍女をつけるかなされば、すぐに垢抜けるわよ」
先ほどまでとは違い、令嬢たちがセアラに対し、親身になってアドバイスしていることは、見てとれていた。
…… 『孤児院上がりの可哀想な少女』 が、自分の助けも借りずに、それを成し遂げた ……
ミリアは、胸の奥で何かが鈍くきしむような音を立てた、と感じながら、敢えてそれを無視する。
――― 『優しい公爵令嬢』 である自分が、セアラの成したことに、快以外の何を感じるというのだろう?
「ならば」
にこやかな己の唇から出る口調が、普段にも増して優しくなるよう、ミリアは気をつけた。
「わたくしが、アドバイスして差し上げるわ? ラッセル子爵の好みもお聞きして…… きっと、ご満足されるように、あなたを仕立てて差し上げてよ?」
※※※※※
「それで、今度、ミリア様をラッセル様に紹介することになったんですぅ……」
ガックリと肩を落とすセアラに、アデレードは優雅に小首を傾げてみせ、ただひとこと、言い放った。
「おやめになった方が、良くてよ?」
「ええ、そこまでしていただくのは申し訳ない、と言ったんですけど…… ご本人も、周りの方もそれはそれは乗り気でいらっしゃって……」
――― ハワード公爵家の庭園の片隅の、気のおけないふたりだけのシンプルなお茶会。
溜まりに溜まった何かを吐き出すように、セアラは両手で紅茶碗を持ったまま、ふぅぅぅぅ、と深いタメイキをつく。
「子爵様がお断りしてくださることを期待してたんですけれども…… 公爵家と親しくなれるのは良いことだ、とむしろ喜ばれてしまいまして……」
「それはそうでしょうね」
アデレードは軽く、肩をすくめた。
ラッセルは、公爵家と特別なつながりがあるわけではない。
そこへ、プライベートで知り合いになれる機会が転がりこんできたのだ。
普通の貴族なら、まず間違いなく食いつく。なにしろ、貴族社会で建前よりも大切なのは、人脈なのだから……。
――― 人脈があるから良い役職につけ、人脈があるから儲け話が転がりこんでき、人脈があるから、多少の罪を犯しても罰せられないのである。
貴族たちは、人脈を築くために、建前を使いまくるのだ。
……それを知らないセアラを、だからこそ、アデレードは友人として遇しているし、その無垢さを愛でてもいるのだが。
結婚するということは、大人になるということで、大人になっても真に無垢なままでいられる人間というのは……
まぁ、よほどの偉人かよほどの阿呆かのどちらかだろう、と思うアデレードである。
「ねえ、あの人たちを会わせるのは、もう仕方ないのかもしれないけれど……」
彼女は、もう二度とは来なくなるかもしれない、この瞬間を惜しみつつ、友人のために口を開いた。
「絶対に、ふたりきりにさせないようにね? 自信と野心がある方が、より良い人脈を手に入れるために、何をするか、だなんて…… わかったものでは、ございませんもの」
けれども、アデレードの無邪気な友人には、その忠告の意味するところなど半分も通じなかったらしい。
「へ? どういうことですか?」
口いっぱいにクッキーを頬張りながら、怪訝そうな顔をするセアラに、アデレードは困ったように微笑み 「約束よ?」 と念を押した。