おわりに(1878年08月13日, アリシア・トインビー)
「――― あれが、太古の蛇神の呪いだと知ったのは、随分後のことだったよ」
私の前で穏やかに語るのは、クリフォード・ウィザーズ=シーズリー…… 『慈悲の公爵』 の2つ名を誰もが耳にしたことがあるだろう、その方である。
滅多に人前に姿を現すことのないウィザーズ公爵が、こうして取材に応じてくれたのは、隣国王の第2妃アデレードによる呪詛事件が表沙汰になったからだ。
「向こうの王家にも抗議を送ったのだがね、彼女は嵌められたのだと思う。
……あの 『2匹の蛇の指輪』 をアデレードが持っていたのは、単に形見としてだろう。
そもそもあれは、セアラ嬢によってたまたま呪いに使われたが、元々はそうしたアイテムではない。
……その上、あの蛇神たちは今、僕の身に巣食っているのだからね」
隣国で暴れようがないだろう?、と、公爵は、屋内でも決して脱がない手袋の端を一瞬めくってみせた。
そこに見えたのは確かに、皮膚を覆う硬い蛇の鱗。
「向こうにしてみれば簡単なことだ。単に、彼女をここに返した上で、相互不可侵条約に調印すれば良いだけなのだから……。
何も、第2妃として存続させてほしいとは言っていないし、彼女の名誉を傷つけた贖いを求めてもいない」
穏やかな口調と柔らかな笑みの奥で、公爵の眼だけが鋭く光っている。
――― もし、要求が聞き入れられない時には。
「それほどに、本物の蛇神の呪いが見たいのならば、ご希望通りにしてやれば良い。
……なに、それも簡単なことでね。
単に、隣国王を訪問し、その場で死んでやれば良いだけのことなのだよ。
呪術師のいない彼の国では、対処のしようもない。あっという間に蛇神は繁殖するだろう…… 僕の心臓、僕の血、僕の魂を糧に、ね」
サラサラと世間話のように語られる言葉に、私は戦慄を禁じ得なかった。
――― ご自身に宿る呪いを、恐ろしいと思われたことは。
「いや…… むしろ、恐ろしいのはこっちだよ」
公爵は笑って、折り畳まれた紙を私に寄越した。
古いものなのだろう、少し黄ばんでいる。
――― 手紙?
「差し上げよう。これがなければ、僕はとっくの昔に、呪いを断つために最適な方法で死んでいたね」
――― 大切なものなのでは?
「内容はもう、覚えているし…… それに僕も、長くは持たない身だから」
良い記事を楽しみにしているよ、と公爵は杖をついて立ち上がった。
公爵と別れた後、渡された手紙を広げた私は、その内容に打ちのめされた。
以下、許可をいただいた上で、その全文を掲載するものである。
……この記事の本筋とは若干ずれるものではあるが、その是非は、読者諸兄それぞれに判断していただきたい。
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わたくしの可愛い子へ
クリフォード、あなたがこの手紙を見る頃には、わたくしは、蛇神に喰われているか、あるいは自ら命を断っているか…… どちらにせよ、この世には居ないことでしょう。
あなたには、いくつも謝らなければいけないことがあります。
まずは、わたくしの不明により、こうなる原因を作ってしまったこと……
セアラ様に命を断たせ、あなたのお父様を、わたくしの代わりに死なせてしまったこと。あなたの出生を、罪にまみれたものにしてしまったこと。
……こうなるとわかっていたら、と、後悔しない日はありません。
(けれども幾度となく考えてもやはり、あなたは生まれるべき存在ですので、そこでまた、困ってしまうのですが)
あなたが生まれて以来、1度も触れず、目を合わさず、話しかけも笑いかけもしなかったこと……
それでも、なんとか愛していると伝えたくて、侍女に手紙や贈り物をさせたのですが、それがより、あなたの心を傷つけてしまったこと。
ですが、少し、言い訳させてください。
あれは、あなたにかかった蛇神の呪いをわたくしに移し、それが再び、あなたに戻らぬようにするためだったのです。
……一旦はあなたに宿ったモノであっただけに、それには、細心の注意が必要でした。
呪術師には、あなたとの関わりを徹底して断つように、と言われていました。わたくしが触れたものも、一切渡さぬように、と。
(この手紙は侍女に書いてもらっています)
そして呪いの事実を伏せたのは、噂が立つことで、またはあなた自身が引け目に感じることで、あなたの将来に影響が及ばぬようにするためでした。
(ほら、愛する人ができても結婚できなかったりすると、困るでしょう?)
……それでは子供の命は守れても、育てることはできない、と。子供はとにかく愛情を欲するものだから、と。不幸な子供を作る気か、と。
散々、アデレードにも言われましたが、わたくしは、ともかく、あなたにできる限り、生きていてほしくて、必死だったのです。
正直に申し上げます。
誰からも愛され、幸せな人生であれば、そういうように育てば、それはもちろん、素晴らしいことでしょう。
……けれどもそれ以上に、わたくしは、あなたに、こう願っています。
生きていて、生きていて、生きていて…… たとえ、この世の大部分が汚濁に塗れており、そこでのたうち、苦しみ、泥を啜ることになろうとも。
あなただけは、生きていてほしいのです。
わたくしは先に逝っているというのに、勝手な願いでは、ありますが。
どうか、あなたがあなたの人生を、放棄することのないように。
信じてください。たとえ、どこで何をしてどのような目に遭おうと、あなたの人生は、あなたのものです。
最後に。
愛しています。わたくしの血、わたくしの心臓、わたくしの魂を賭けて。
愛しています。わたくしの総てを賭けて。
わたくしの、そしてお父様の、たったひとりの、子よ。
愛しています、愛しています、愛しています、愛しています……。
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終
(太陽神歴1878年08月13日, 記事:アリシア・トインビー)




