凶行(クリフォード・ウィザーズ、1865年前後)
外出から帰宅する際、クリフォードは玄関でなく、北側の勝手口から入る癖があった。
母であるミリアの部屋が北館の一室であると聞いていたため、ふとした拍子に出くわさないか、と淡い期待を抱いているのだ。
手紙や贈り物だけのやりとりとはいえ、このウィザーズ公爵家で唯一、自分を心に掛けてくれている存在であり、実の母である。
……なぜ会ってはならないのか、理由も知らされていない少年としては、会いたくなるのも当然、といえた。
――― その日も彼は、勝手口から帰宅し、北館を通って自室に向かっていた。
途中、侍女が目の前を通り過ぎる。
もしかしたら、と少年は思った。
(この侍女が母付きだとしたら。後を着いていけば、部屋を開けた瞬間に母の姿が見えるかもしれない)
従者が止めるのもきかず、彼は侍女の後をつけた。
階段を上り、角を曲がった突き当たりの部屋。
――― 扉の隙間から見た母は、絵姿よりも少し痩せているようだった。
ちらりと見えたその表情は、明るく澄んで慈愛に満ちているように、彼には思えた。
…… そのまま、すぐに扉から離れれば良かったのだ。
しかし、母を求める心は少年の足をそこに留めてしまった。
「あの子がまた、手紙をくれたの」
漏れ聞こえる母の声は嬉しそうであり、その内容が自分のことであると知れたから、ますます離れ難かった。
「クリフォードは、こちらに来てから、よくお勉強しているのね。綴りの間違いも全くなくなって…… 飾り文字も上手に書くのよ」
「ようございましたね」
「ええ。寂しいでしょうに、よく努力していて……」
嬉しさと誇らしさでいっぱいになった少年は、「お母様、僕です」 と今にも扉の外から声を掛けそうになったところで……
次の侍女の言葉に、立ち竦むことになる。
「では、お返事はいつも通りにしておきますね」
「ええ…… お願い。誕生日も近かったわね」
「では、贈り物を選んで添えておきます」
――― 少年は、全てを了解した。
――― 手紙は、母が書いたものではなかった。贈り物も、母が選んだものではなかった。
――― やはり、自分は誰からも、愛されてなど、いないのだ。
無言で自室に戻った彼は、宝石のついた文箱に丁寧に仕舞い込んでいた、手紙を全て取り出し、一枚一枚、破っていった。
「ふふっ、ふふふふっ……」
散乱する紙片の中で嗤う彼の目からは、止めどなく涙がこぼれ落ちる。
嗤い声と手紙を破く音はそれからしばらく続き…… クリフォードの中に居た少年は、こうして、殺されたのだった。
クリフォードが、他の貴族のドラ息子たちと悪所に通い始めたのは、それからすぐのことだった。
彼は努力せずとも、人から簡単に賞賛され、受け入れられる方法を見つけたのだ。
家から金品を持ち出し、バラ撒けば仲間たちは口を極めて褒めあげてくれた。
女遊びは、最初は娼館であったが、すぐに別の楽しみを見つけた。
街角から貧しい少女たちを金で買い、仲間を集めて一晩中遊ぶ方が、色々なことができて刺激的で、仲間たちの尊敬を買える。
浮浪者を剣の練習相手に、散々甚振るのも面白かった。
浮浪者の方にも剣を持たせているのだから公平である、という論理だが、大抵は浮浪者が、傷だらけにされて終わった。
……もっとも浮浪者の方が強く、危険な目に遭うこともたまにはあった。
しかし、だから何だというのだろう?
――― クリフォードにとっては、己の命も仲間の命も、塵芥に等しかったのだ。
そして、クリフォードの仲間は、優越感を感じられてかつ刺激的であれば、どんなことでも歓迎した。
また、それがどのような悪行であれ、クリフォードには常に言い訳が用意されていた。
――― 自分が悪いのではない。自分が悪いことをすればするほど、仲間たちが喜ぶからいけないのだ。
――― そもそも、親からさえ愛されぬような人間が何をしても、それは仕方がないことなのだ。
ウィザーズ公爵夫妻は困惑した。
謹慎を申し付けてもいつの間にか館を抜け出しては悪行を繰り返し、勘当すると脅しても平然と 「どうぞ」 と言い放つ孫を、どうして良いか分からなかった。
――― 娘のミリアは 『失敗』 だった。
だから、孫は一切甘やかさず、厳しく躾けたのだ。
到底歓迎されない出生であっても、世間から陰口を叩かれるような人間にならぬよう、よくよく言い聞かせて育てた…… なのに、なぜ。
10歳までの育ての親であったアデレードに手紙が書かれ、一方では、あの恐ろしい呪いの影響もあるやも、と、呪術師が呼ばれた。
アデレードからはクリフォード宛に手紙が届いたが、クリフォードがそれを見ることはなかった。
――― アデレードは隣国に嫁いだ後もしばしば、クリフォードに手紙を宛てていたのだが、それらは クリフォードが 『母』 からの手紙を破り捨てた日から、封を開けられることなく部屋の隅に積まれているのだ。
そして呪術師は、「かの呪いとご子息の悪行には、直接の関係はございません」 と言明した。
ウィザーズ公爵夫妻はタメイキを吐きつつ、呪術師を見送るしか、なかった。
……が。
呪術師は、人気のない路地裏で、当の 『ご子息』 本人に捕まることとなる。
「教えろ。 『かの呪い』 とは何だ」
クリフォードは、呪術師と公爵夫妻のやりとりを立ち聞きし、呪術師の後をつけてきたのだった。
「……お知りにならない方が、幸せかもしれませぬが……」
「教えねば、この場でお前を殺す」
知らぬ方が良い、とこれ以上強く言う義理は呪術師には無かった。
――― こうして、クリフォードは知ることになったのだった。
忌まれ隠されてきた、己の出生の秘密を……。




