表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/15

別離(クリフォード・ウィザーズ、1861年以降)

 人生の最初の10年を振り返るなら、それは少年にとって間違いなく、幸福に輝いていた日々であった。


 彼が長じて(のち)もしばしば見せた良い気質…… 明るさや快活さ、人懐こさといったものは、その頃に培われたものに違いない。


 故あって幼少時から彼を引き取っていた、実の母親の従姉妹は、常に厳しくも優しかった。

 変わった名前の乳母は、そのまま母親代わりとして少年を、我が子のように可愛がってくれた。


 …… それが一転したのは、彼が10歳の時。


 育ての親のような存在であったアデレードの遅い婚姻が、決まった。

 28歳の彼女は、近年勢いを持ち始めた隣国との友好を図るため、隣国王の第2妃として差し出されたのだった。


 公爵家の姫とはいえ、変わり者と名高いアデレード。自由気ままな生活を送っていた彼女も、王命には逆らえなかったのである。


 アデレードは、少年のために、寄宿舎付きの学校を手配しようとしていたが、それを阻んだのは、他ならぬ2公爵家の当主たちだった。


 アデレードの兄のハワード公爵と、ミリアの父のウィザーズ公爵である。


 ――― いくら忌まれた出生とはいえ、少年…… クリフォードは紛れもなくウィザーズの血筋であり、跡取りにするに不足はない。

 学校などにやって自由な教育を受けさせるより、ウィザーズの館で、跡取りとしての知識と教養を身につけさせるのが先行。

 ……そう、彼らは判断したのだ。


 アデレードの反対は受け入れられず、少年は彼女が隣国へと発つその日に、ウィザーズ公爵家に引き取られる…… 『帰る』 こととなった。



「わたくしが教えたこと、忘れないでね?」


 別れ際にアデレードは、少年に幾度目かの確認をした。


「あちらの家では、辛いことも多いかもしれないけれども……」


「決して人のせいにしない。人のせいにしないで済むよう、己の意思で選ぶこと…… でしょ」


 アデレードは心配しすぎだ、と、クリフォードは笑った。


 …… もし本当に己の意思で全てを決められるなら、アデレードについて行きたい。

 そうした想いが、彼の口から出ることはない。


「そうよ。我慢なんかしなくていい、どれだけケンカをしてもいいのよ。人生を他人のせいにするのは、不幸なことですからね」


「アデレードは? 今さら、他国の第2妃だなんて……」


 どうして僕よりそっちを選んだの、という質問もまた、飲み込まれた。…… クリフォード自身にとっても、そうした問いは幼すぎるように思えたから。


 見捨てられたように感じること自体が間違いなのだ、と彼は自身をなだめた。


「それこそ、王様のせいなんじゃないの?」


「いいえ。わたくしが選んだのは、あなたがこの国で平和に暮らせる未来よ…… あなたがいなければ、決心がつかなかったかも、しれなかった」


 彼女は少し黙り、それから小さく、ありがとう、と呟いた。


 友人(セアラ)を陥れたふたりの子を育てるのは、時に割りきれない想いをもたらしはしたが…… それでも、もしもう一度、友人(セアラ)に会うことがあるなら、彼女は胸を張るだろう。


 子供に罪はないのだ、と。この子はわたくしに、他者に無条件の愛情を注ぐことを教えてくれたのだ、と。


「少し遠く離れるけれど、いつも気にかけているわ」


「大丈夫だよ。お母様と暮らすんだから、僕、楽しみにしているんだ」


 楽しみよりも不安が大きくても、少年は、それを言わなかった。

 言えばアデレードはきっと受け止めてくれるだろうと分かってはいたが、クリフォードは異国へ旅立つ彼女に一抹の不安も残したくなかったのだ。


 しかし、アデレードは困ったような顔をした。


「お母様は……同じ館にいても、あなたには、お会いになれないのよ、クリフォード」


「でも、僕のこと好きなんでしょう。知ってるよ。

 僕の産着は全部お母様が作ってくれたものだし……」


 季節ごとの贈り物も、誕生日も、必ずお祝いをくれるもの。それから、お手紙にはいつも愛している、って書いてくださるし……


 ひとつひとつ指を折り、自身に言い聞かせるように数える少年を、アデレードは強く抱きしめた。




 ――― それが、彼が肉親の温もりを感じた、最後の時になった。





 ウィザーズ公爵家は、ハワード公爵家とは親戚でありながら、家風は全く違っていた。

 簡単にいうならば、外聞を気にし、『身分』 や 『品の良さ』 という価値観でがんじがらめに縛られている家である。

 使用人が主人と必要以上の口を利くことは許されず、家族の間にも親しいやり取り、というものは一切なかった。


 クリフォードの母親代わりでもあった乳母のズデンカは、人種が違う、という理由で、アデレードが嘆願していたにも関わらず、ウィザーズの館に入ることを拒まれてしまった。


 クリフォードの実の母親のミリアは、彼の前に一度も姿を現したことがない。


 そして実の祖父母であるウィザーズ公爵夫妻は、彼に対して冷淡であった。


 彼らはクリフォードに部屋と食事と高価な衣装を与え、一流の教師をつけてはくれた。

 しかし、孫に触れることはおろか、必要以上に話しかけることも一切しなかった。


 クリフォードがこの家に来て以来、最もよく聞いた言葉は、 「ウィザーズの名誉を汚してはならない」 と 「これ以上、恥を重ねるな」 であった、と言えば、彼の味わった寂寥を理解してもらえるだろうか。



 ――― わずか10歳だった少年は、温かな愛情溢れる腕の中から急に、冷たくよそよそしい人々の中へと放り出されたのである。

 …… それも、他人ではなく、血を分けた肉親であったがために、彼らの冷淡さと無関心は、より強くクリフォードの心を突き刺し、凍えさせた。


 少年は次第に、満たされない心を他者からの賞賛で埋めるようになっていった。

 祖父母からの 「恥を重ねるな」 という声を聞きたくないがために、失敗も気にくわないことも、全て他人のせいにする癖がついた。


 アデレードとした約束は、単なる、幸せだった遠い昔の想い出のヒトコマに過ぎなくなった。

 ……『人生は自分自身のものだ』 など美しい理想に過ぎず現実的でないのだ、と、その約束自体を責めることで、約束を守ることのできない自身の醜悪さから目を逸らしたのだ。


 それでも、彼はまだ、ウィザーズ公爵家の一員であろうとした。

 名誉を重んじ、恥をかくことを恐れ、『優秀でかつ善良』 であろうと努力を重ねた。

 ……この家には、実の母が居たから。


 声を聞いたことも、姿を見たこともないが、母はしばしば、手紙やささやかな贈り物を寄越してくれた。

 やや拙い文字で書かれるその手紙はいつも優しい言葉であふれ、贈り物の1つ1つには心遣いが感じられ…… 家族の温もりを思い出させるそれらは、他のどのような賞賛よりも少年の心を満たした。



 ――― 彼が事実を知る、その時までは。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ