蛇神の呪い~生誕(ミリア・ウィザーズ/アデレード・ハワード、1851年05月)
屋敷へ戻り、火傷の手当が済んだ後、呪術師はミリア以外の人払いを求めた。
アデレードは 「わたくしにも聞く権利があるわ。お友達と従姉妹が関わっているのだもの」 と言い張ったが、呪術師が頑として聞き入れなかったため、最終的には引き下がるを得なかった。
呪術師とふたりきりになった部屋は、急に少し寒くなったように感じて、ミリアはかすかに身震いした。
――― あの日、ラッセルとミリアを襲った悪霊の暗い眼差しが、部屋のどこかからまだ、ミリアに注がれているような気がする。
しかし、呪術師は 「ひとりの女性の恨み、といった程度の呪いではありません」 と、言った。
「太古の蛇神の力を借りた悪霊、などではなく…… 蛇神そのものの怒りを買った、と考えるべきでしょう」
強力な上に、現代の呪術とは違う論理の呪いであり、ゆえにそれを断てる呪術師はいない。
今は一時的に止めているが、蛇神はやがて、また腹の中の子を殺そうとするだろう……
そう説明されて、ミリアは息を呑んだ。
「なぜ…… そのような」
「わかりませんが…… もしかしたら、件の悪霊となった女性が、古くは蛇神を奉ずる家柄であったかも、しれませんな。
そこに連なる女性に、悪霊となって呪うほどに恨みを持たせた…… そのこと自体に蛇神が怒っている可能性も」
「…………!」
理不尽だ、という想いが、ミリアの胸中を渦巻く。
…… なぜ、自分が、ここまでの目に遭わなければならないのか。…… 確かに、セアラの婚約者を奪い、彼女が命を断つ結果になったとはいえ、自分にはそこまでの悪意はなかったし、それを予想して動いたわけではない。…… ただ、そうなってしまったのだ、仕方がなかったのだ……
以前のミリアならば、ここで、身も世もなく泣き崩れるだろう。
自分にはそんなつもりはなかった、あまりにもひどい、とセアラを責め、運命を嘆くだろう。
なんとかして、と呪術師に詰め寄るだろう。
――― しかし、今は、わかる。
いくら理不尽でも、それは、自身が招き寄せた結果なのだ。
他人を心のどこかで見下しながら 『良い人』 を演じていた。自分は 『良い人』 なのだから、常に賞賛され愛されるのが当然だ、と思っていた。
自分が微笑んで、あるいは憂鬱な顔で、願いを口にすれば、人はその通りに動くものだと信じていたし、実際に多くの場合、その通りになったのだ。
――― そうした振る舞いにより、傷つけられ、ミリアを恨んだ人間は、もしかしたら、セアラだけではないかもしれない……。
呪術師は知る由もないが、以前アデレードが言った通り、『呪いが他の方の恨みを吸い込んでいる』 こともあるのでは、と思ってしまう程には、今のミリアは自省していた。
それでも、まだ、良い方なのだ。
その呪いが、ミリア本人に向けられるだけ、ならば。
「呪うなら…… わたくしに向ければよろしいのに…… なぜ、この子なの……!」
火傷で痛む腹に手を当て、ミリアは涙をこぼした。
「なぜ、わたくしではないの……!?」
「……呪いを、移す方法はあります」
しばしの沈黙の後に口を開いた、呪術師の表情は、鬱々としていた。
「だがそれは、お子を死産されるよりなお、つらいかもしれませぬ」
「何をおっしゃるの」
ミリアの答えに、迷いはなかった。
「この子を失う以上につらいことなど、ほかには、ございませんわ」
※※※※
月が満ち、花の季節。
ミリアは男の子を産んだ。
一時は母子共に危ぶまれるほどの難産であったのもまた、蛇神の呪いなのだろうか。
地元の産婆は屋敷を訪れるのを拒み、この時ミリアの周囲にいたのは、ラッセルの葬儀と同じ、2人。アデレードと手伝いの少女である。
そして、いま1人、乳母として雇われた女もいた。ズデンカという変わった名の彼女は、我が子を死産して婚家先を追われた身であり、呪いの噂など気にしてはいられない様子だった。
手伝いの少女が介助をし、ズデンカが子を取り上げ、アデレードが清めた。
しかし、アデレードが赤子をミリアの傍らに置こうとした時、異変が生じた。
産褥の苦しみに息も絶え絶えであったはずの母親は、起き上がり 「寄らないで!」 と叫んだのだ。
最初、疲れで錯乱しているのだ、と、女たちは考えた。
「あなたの子よ」
抱かせようとすれば、ミリアは必死に逃げる。
「いや! いや! こんな子は知らない! わたくしの子ではないわ……!」
あまりにも錯乱が激しいので、アデレードはついに、従姉妹に赤子を抱かせるのを諦めた。
……ミリアはおそらく正気ではないのだろう、と彼女は判断した。
――― アデレードの知っているミリアなら、もし赤子に愛情を欠片も持っていなかろうと、愛情のあるフリをしてみせる。
ミリアが最も恐れるのは 『酷い母親』 と自他共に認めてしまえることなのだから。
そして、赤子を遠ざける時には、もっと何か、もっともらしい理由をつけるだろう。
……それをしない、ということは。
「また 『呪い』 のせいなのかしら?」
数日後訪れた呪術師に、アデレードは確認した。
「そのせいで、ミリアは赤子に何か、恐ろしい幻覚でも、重ねているのかしら」
「…………」
当たらずとも遠からず、と呪術師は答えた。
「ミリア様と約束しましたので、真実を明かすことはできませぬ。
ただ、あの方は今後、一切、赤子に触れることは愚か、声をかけることも、微笑みかけることもなさらないでしょう」
「それで…… 子供が育つと思って?」
アデレードは知っている。
ミリアの両親は、生まれてきた孫を 『恥』 としか考えていないことを。ラッセルの親族にしても、同じことだった。
「人の情愛を知らずに育つ子が、どうなるのか…… 神話では父を殺し知らずに母を娶り、その後真実を知って、苦しみ抜いて死んでいくのよ?」
「それでも…… 今、この赤子を生かすためには、それより方法がございませぬ」
呪術師は言い張り、最終、タメイキをついたのはアデレードの方だった。
「よろしい。赤子は、わたくしが引き取ります…… 名は、クリフォードで良かったわね?」
――― わたくしの夫が、生きていた証を……。
出産の前に、何かの話のついでのようにミリアが言ったことを、アデレードは覚えていた。
――― 赤子のために縫った衣類は、部屋の片隅の籠の中。赤子に渡す夫の形見は、机の右の引き出し、鍵は宝石箱の中。
会う度にちょくちょくとそう言われ、アデレードは 『まるで遺言ね。そのように心細く思われなくても、あなたは図太いから、最後まで生き残るわよ』 と笑い飛ばしたのだった。
…… ミリアはその時 『まぁひどい』 と微笑んだ。その笑みがあまりに綺麗だったので、一瞬、嫌な予感がしてしまったものだったが。
…… もしかしたら、あの時にはすでに、こうなることが、ミリアにはわかっていたのだろうか?
疑念がアデレードの胸を掠めたが、それに答える者は誰もいなかった。
「クリフォード……」
代わりにミリアが、弱々しくその名を発音し、ひとつうなずく。
……その痩せた頬には、涙が一筋、伝っていた。




