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呪術師(ミリア・ウィザーズ、1851年02月)

 どうしよう、とミリアは思った。


 目の前には、首まで鱗状の皮膚で覆われ、苦しそうに息をする、ラッセルがいる。

 誰が見ても、今際(いまわ)のきわが近づいていることは、確かだ。


 ――― 症状がこれほどに進んでいたとは、今まで、気づかなかった。


 ミリアがただ、自身の不幸を嘆き、誰かがなんとかしてくれるのを待っている間に、ラッセルは、確実に死へと進んでいたのだ…… たった、ひとりで。


(誰か、助けてくださったらいいのに……!)


 ミリアは願った。……が、しかし。


 頼りにしていた従姉妹(アデレード)は、僅差で帰ってしまったらしい。

 金で買い、ロクに教育もしてこなかった手伝いの少女は、少し離れた位置から、ただオロオロとミリアとラッセルを見ているだけだ。


 ――― ここには、ミリアしかいない。

 ――― どうすれば良いのか、わからない。

 ――― これまでミリアは、自分の意志で動いたことなど、なかったのだから。


 ただ、周囲の意向を汲んで、それに添うように、振る舞っていたに過ぎない。己が悪く思われないように、己が賞賛されるように……


「………………っ!」


 言葉にならない叫びが、ミリアの口から漏れる。


 ――― 先程、アデレードに言われた 『己の醜悪さ』 が突如として、理解できたのだ。


 ラッセルが、周囲からの謗りを受けながらも、世間よりも婚約者よりもミリアを大切にしてくれていた時…… ミリアは、世間から謗られ、両親から見離された己しか、見ていなかった。


 ――― 悪霊(セアラ)が最初に狙っていたのは、ミリアだ。

 それを庇ってくれたラッセルが、死の床に臥せるようになっても…… ミリアは、このような恐ろしい状態から逃れられず、誰からも助けてもらえない己を、憐れむだけだった。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……クリフ様……!」


 ひざまずき、ベッドから力なく伸びた手を、両手で包み込む。

 ……その腕は見る影もなく痩せ細り、硬い鱗で覆われていたが……

 それは、かつて、力強くミリアを抱きしめてくれた腕だったのだ。


「ごめんなさい……!」


 固くなり、開かなくなった瞼に、口づける。

 ……その瞼の下の瞳が、ミリアだけを見つめて明るく微笑んでいた時に、ミリアは確かに、嬉しかったのだ。

 ……セアラの気持ちも、考えずに。


「ごめんなさい、セアラ……! 許して……! クリフ様を、連れていかないで!

 ……愛しているの、愛してしまっていたの、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 ラッセル…… クリフの目が、かっ、と開いた。

 ……その虚ろな眼差しは、今、どこも見ていない。


「ぅぅ、う……」


 色を失った唇から、声が漏れる。


 …… もう、おそい ……


 それは、しわがれ、かすれてはいるが、確かにセアラの声だ、とミリアは思った。



 ※※※※



 クリフォード・ラッセルの葬儀…… それは、葬儀と呼ぶにはあまりにも、惨めなものだった。


 参列者はミリア、手伝いの少女、アデレードの3人。

 呪いを恐れた近隣の住人はもちろん、公爵家からも、息子よりも名誉を重んじたラッセル伯爵家からも、誰1人やってこなかったのだ。


 葬儀を取り仕切ったのは、アデレードが手配した呪術師である。


 ……通常の葬儀ならば、神官が冥府へと死者を送る儀文を読み上げ、香が焚かれ、ひとりひとりが棺に花を添えて死者との別れを惜しんだ後、土葬されるところだが、それらの一切は省略された。


太古(いにしえ)蛇神(へび)の呪いです。私には…… いえ、現代(いま)の呪術師では、対応できる者はいないでしょう」


 呪術師は遺体を調べ、無表情に告げたのだ。


「できるのは、呪いが他へ漏れるのを防ぐことだけ」


 呪術師の指図によって、遺体は太陽神の加護を受けた布で全身を覆われ、神殿から分けられた炎で焼かれた。


 埋葬、というよりは、処理、と呼ぶ方が相応しい。そんな葬儀であった。



 その葬儀が終わる頃、ミリアの下腹部が急にずきり、と痛んだ。


 うずくまる彼女が見たものは……


 ――― 己の腹に、ずぶずぶと入っていく2匹の蛇。


「……やめて……! こないで……!」


 必死で掴み、引きずり出そうとしても、手は空を切るのみだった。


「……だめ、だめ、だめ! この子だけは、だめ……!」


 ミリアの叫びも虚しく、蛇は既に尻尾まで、ずるずると腹に隠れようとしている。



「やめて、お願い、やめて……!」



 急に叫びながら、腹をかきむしり出したミリアに、真っ先に動いたのは呪術師だった。


 太陽神の炎くすぶる(おき)を拾い上げ、それをミリアの腹に押しつけ、呪言を叫ぶ。


止まれ(イース)!』


 (おき)の熱で呪術師の手が、赤く爛れてきた。おそらくミリアの腹も同様に爛れているはずだが、呪術師も彼女も、動かない。


止まれ(イース)!』


 汗が、呪術師の額から吹き出る。


 今…… 彼は全霊で、不可視の蛇と戦っていた。


 ――― 太古(いにしえ)蛇神(へび)は、混沌より出でて、世に生きる全ての者に死ぬ運命をもたらした後、太陽神に殺されて太陽神の権威を高めた。


 ゆえに、太陽神の炎を蛇神(へび)は嫌う。しかし一方で、現代の魔術の礎となる、太陽神がもたらした言葉の連なりによる呪文は、蛇神(へび)には効かない。


 原初の力を持つ蛇神(へび)を抑えるのは、今は殆ど継承されていない原初の言葉、そしてより強い霊だけである。


 ――― 実に、不利な闘いだった。


止まれ(イース)!!』


 女の腹に入り中の赤子を絞め殺そうとする蛇を、3度目の叫びでやっと止めた時、ミリアの腹の表面も呪術師の手のひらも、黒く焦げたようになっていた。


 ぐったりとうずくまるミリア、そして、その前で膝をつき、肩で息をする呪術師…… その様子からは、それが命までをも賭した闘いであったことが、見てとれた。


「……祓ったの?」


 アデレードの問いに、呪術師は力なく、首を横に振った。



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― 新着の感想 ―
[一言] 壮絶ゥ!!! 砂砂コンビが本気出してきましたね!!! 続きも楽しみですよ!!!
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