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天猫の徒然にゃるままに  作者: 天猫  咲良


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戦中戦後の話を軽~く書いてみるよ(2)

 朝ドラの「あんぱん」で、たかし君が兵士をしていた頃の部分を見たことがある。

 階級はわからないけど、部下のいる身分の彼は部下や中国の人に優しく接していたようだった。優しく接する彼を「弱腰」というようなニュアンスで指摘する同僚がいた。


 この場面で母の話を思い出した。


 戦場を逃げ回っていた母は日本兵が怖いと言っていたが、戦争が激しくなる前はそうでもなかったようだ。

 部隊がいくつかの村に配備されていたらしい。母も幼かったので大人から聞いた話。


 たかし君の様に優しい隊長がいる部隊では村人と仲良くしていたようで、一緒に防空壕作りをしたり酒を汲み交わしたりしていたらしい。しかし、別の部隊では違った。

 村人を馬鹿にするような振る舞いがあったり「明日、出撃するから食事を出せ」とブーツのまま家へ上がり込み飲食していた。が、翌日も翌翌日も出撃はなく、別の家に同じことを言って食事を振る舞わせていたそうだ。


 部隊を率いる隊長がどんな考えを持っている人なのか、それは困難な状態になったときに民間人の生死に大きくか関わってくるように思う。


 子供に白旗を持たせて防空壕の外へ出して安全を確認してから外へ出た日本兵もいれば、いつでも殺せる状態で銃口を向けながら米兵を殺さず見逃した日本兵もいる。

 食料の持ち出しを許さず防空壕から民間人を追い出した部隊があるかと思えば、途中の防空壕まで守ってくれた部隊もある。


 先の優しい隊長が率いていた部隊はその後どうなったのか。

 村人を馬鹿にしていた隊長が率いていた部隊はどうなったのか。


 部隊名も隊長の名もわからないからその後を追うことはできない。





 戦後の沖縄は基地に関わること以外に仕事はあまりなかったそうです。

 沖縄に帰ってきた父は友人と一緒に米軍で働いていたと言っていた。基地から基地へ物資を運搬するトラックの運転手だったと聞いている。英語が話せなくても基地の名前さえ聞き取れれば仕事になったんだろう。


 いまも差別はあるけれど、昔はもっとあからさまだったらしい。

 沖縄の人を馬鹿にしていた米兵もいたが、米兵の中でも黒人差別は日常茶飯事だった。英語を話せない父や友人には米兵がどんな会話をしているかわからなかったけれど、表情や仕草で伝わるものがあったそうだ。


 おじさん(父の友人)の話でこんなことを聞いたことがある。


 ある時、白人の米兵に酷いことを言われたらしい。

 内容はわからないが馬鹿にされていることは明らかで、それでも逆らえずムカつきながらも黙って椅子に座っていた。すると、隣に黒人の米兵が座って「セーム」と言って肩をとんとんと叩いたそうだ。


「あれはどういう意味だったんかなぁ。いまでもわからんさぁ。天猫ちゃんはわかるねぇ?」


 たぶん、それは「Same」だろう。

 その事を伝えるとおじさんは何度も頷いて「それなら納得がいく、そうかそうか」と笑顔を見せていた。




 おじさんたちがフェンスを乗り越えて米軍の食料庫に盗みに入った話は酒の席での鉄板の笑い話だ。


 長く連なったウインナーを懐に隠し、他にも色々服に詰め込んで倉庫から出たところを警備兵に見つかった。銃を向けられ殺されるかと肝を冷やしたそうだ。

 伏せるように命じられて慌てて地面にうつ伏せになり、その後立てと言われた。

 服に食料をいっぱい詰め込んで重くなった体ではすぐに立ち上がれなくて、亀のようにジタバタともがいた。


「かーみーぐわぁ(亀ちゃん)みたいに、こんなしてパタパタ~してさ」


 と、身振り手振りで笑わせてくれた。

 地べたでばたばたする彼らを見て米兵はひとしきり笑い「ゲラウドヒア」と言って見逃してくれたそうだ。


 泥棒を見逃す米兵がいる一方で、フェンスの側に1口吸ったタバコを捨てて拾いに来た日本人(沖縄の人)を撃ち殺して笑っていた米兵の話も聞いたことがある。


 コザ暴動で燃やされた車は白人のものばかりで黒人の運転する車は見逃されていた話。米兵の夫婦の養子になり温かく育てられた人の話や、養子とは名ばかりで奴隷のように扱われてアメリカ人を憎んでいる人の話。


 日本兵の話や米兵の話を色々聞いたけれど、良い人もいれば悪い人もいる。人も物事も見る角度、出会う人で変わってくる。


 武力があり国という大きな後ろ楯と社会の空気をまとった軍隊(いまの日本では自衛隊)を率いる人がどんな思想や偏見・差別を内に秘めているか。それは気にかけるべきだと思う。

 震災での自衛隊の働きは素晴らしい。凄いと思う。いまの自衛隊に対する良い印象を悪くしてしまわないように。あの戦争で見せた人間の本性と思える悪い部分が出てしまわないように。人の心を育てることは大切だと思う。


 北方領土を奪い返すために戦争をしよう・・・・・・と言った若い議員の話を数年前に聞いた。いや、もう少し前だろうか。あれは呆れた。酒の席で酔ってたからと聞いているが、心に無いことが酔ってぽろっと出ることはないだろうと思う。


 軽々しく戦争をと言うのが下っ端の議員ならまだ消せる。気軽に戦争をと言う人が上に立たないように注視していかなくてはいけないと思う。


 過激な党がちらほらと出てきて不安がよぎる。


 慰霊の日

 原爆の日

 終戦記念日


 ちゃんと伝えられているだろうか。

 戦争は怖い、戦争をしてはいけない、戦争は悲しい。ただそれだけで抑止力になっているのか。


 グロテスクなまでに悲惨な戦争を伝えては嫌気がさして逃げられてしまう。

 お涙頂戴のような悲しいお話では物語を聞くように終わってしまうかもしれない。

 ウクライナもガザも遠い国のお話で実感は伴わないだろう。


 頭でわかるのと肌感覚で実感することは大きな違いがあると思う。

 人の醜い部分が露になる戦争を、どう実感させられるか。とても難しい。私たちも戦争を知らない世代だから。



♪戦争が終わって

 僕らは生まれた

 戦争を知らずに

 僕らは育った ♪


 タイトルは忘れたけれど、子供の頃に聞いたことがある歌。

 日本が戦争を体験したことがない人だけになるのも、もう目の前まで来ている。


 どんな大人になりたいですか?

 どんな日本にしていきたいですか?

 平和な世の中を続けるためにどうしたらいいか。

 平和ってなんなのか。


 未来はなってみないとわからない。今したことの良し悪しは未来の自分に返ってくる。

 昔あったことは昔の出来事ではなく形を変えて未来に起こるかもしれないこと。


 小学生も中学生も高校生も、そして大人も。

 終戦の日を「悲しく辛い話を聞く日」ではなく、未来を考える日になるといいな・・・・・・と、思ったりします。





■■ 戦中戦後の話を軽~く書いてみるよ/終わり■■




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