戦中戦後の話を軽~く書いてみるよ(1)
この文章を書いている今日は終戦記念日だ。
終戦記念日が近づくと戦争の話がテレビから盛んに流れてきて、うんざりしたとか嫌だなって思う人は多いんじゃないかな。楽しい話じゃないもんね。
直接体験者から話を聞ける時代が終わろうとしてるね。
私も戦後世代だけど、戦争を体験していない世代の子供が増えてきて風化させてはいけないなと思いつつ、私の手駒は少ない。だから、聞いたことだけでも書いておこうと思う。
私の親世代は戦争を経験していて話を何度か聞いている。体験した本人から聞いた話なので、誰かの持論とか思想とかを含まないリアルな話。
先に言っておくけど、それほどグロテスクな話は聞かなかったので私が書くこともわりと軽い感じになると思う。(人によってはグロく感じることもあるかもしれないけれど)
日常的に親から戦争の話を聞くということはなかった。聞くのはやはりテレビで戦争の話が出たときかお酒の席くらい。子供に聞かせるのだから言葉を選びエピソードを選んで話してくれたんだと私は思っている。
私の両親の戦争体験は全く違う。
父は宮崎に疎開していて、母は地上戦の沖縄で逃げ回っていた。
あまり深く突っ込んで聞かなかったので曖昧な部分もあるけれど、父は造船所にいたそうだ。出兵していないので、たぶん小学校高学年か中学生くらいだろう。
空襲で防空壕へ逃げ込み、大人たちから習ったことを実践した。耳を塞いで口を開けて攻撃が終わるのを待つのだ。父によると、爆音で鼓膜が破れないように耳を押さえて、爆風の圧で内蔵をやられないように空気の逃げ道として口を開けておくように言われたんだそうだ。
空襲の最中、防空壕のなかでは「青島様! 青島様!」と逃げ込んだ多くの人が唱えるように言っていて何の呪文だろうと思っていたそうだ。その時父は知らなかったそうだけど、青島神社の神様にすがっていたんだろうとのこと。
空襲が終わって壕から外へ出ると景色が変わっていた。
近くに落ちた爆弾の圧で隣の壕がつぶれて、その中に避難していた人のほとんどが亡くなっていたそうだ。
「自分もあっちの壕に逃げ込んでたら死んでいた」
とっさの行動で生死がわかれる。
ゾッとする話だ。
呟くように言った父の表情には「助かって良かった」という感情は見えなくて、悲しさとも憎しみとも違った深い感情があるようだった。それは、いま目の前でその光景を見ているようで。信じられない気持ちと驚きで言葉を失くし見つめている人に近い感じがした。
空襲でどんな風に景色が変わったかとか、人々がどんな死に方をしたかなど具体的なことは聞かなかった。話すのも聞かせるのも嫌だったのかもしれない。
その後、死体を集めて火葬したと父が言い、大勢が亡くなったと話した。
火葬の話を聞いて母が口を開いた。
「沖縄では火葬はしてなかったよ、そんな暇はなかった。あちこちに亡くなった人が倒れていて、足を引っかけて何度も転びそうになった」
母は幼くて激戦地の南部を逃げまどったそうだ。母親や兄弟に手を引かれて壕から壕へと逃げ回った。
「アメリカーにどこから撃たれるかわからないから、飲み水は夜汲みに行ったよ」
水飲み場の回りで兵士が沢山亡くなっていたそうだ。人は水なしでは生きられないから狙っていたんだろうね。水場に集まる草食動物を肉食動物が狙うみたいに。
これはグロい話だけど。
昼間見ると水は赤く染まっていたそうだ。つまり、少なからず血の混じった水を飲んでいたことになる。
「変な味しなかったの? 臭くなかった?」
私はそんな事を聞いたと思う。
夜の暗い中では気づかなかったし、匂いはわからなかったそうだ。血の匂いはあちこちからしていただろうし、腐敗した死体の匂いも強烈だったらしいから。
沖縄戦が終結した後、沢山の死体をブルドーザーで集めて穴に埋めているのを見たそうだ。それはアメリカ軍が。
母の家族は沖縄で逃げ回っていた。
何もわからず逃げ回って、夜は照明弾が地面を明るくしたときに逃げていたそうだ。
「え? それ、照明弾じゃない? かえって危ないんじゃないの? 敵を見つけるために明るくしてるんでしょ?」
驚く私に母は言った。
「そんな事は知らんのに。明るくなるから逃げやすいと思って逃げてたさぁ」
逆に、民間人だとわかって撃たれなかったという可能性もある。でも、母はこうも言っていた。
「飛行機がダダダダッって撃ってきて、すぐ横を弾が飛んでいったこともある」
とっさの判断だ。パイロットも草影から出てきた人間が子供か兵士か見分ける間もなく撃ったんだろう。
「なんで防空壕に入ってなかったの?」
その質問には首をすくめてた。
「壕の中を覗いて日本兵がいたら入らなかった」
首をすくめたまま笑って母はそう言った。
日本兵は怖かったそうだ。
兵隊は民間人を守る存在・・・・・・とは言えなかったようで、爆弾が落ちてきて死ぬリスクやどこにアメリカ兵がいるかわからない恐怖を上回る怖さって、どれほど怖かったのかと想像が追いつかなかった。
ドキュメンタリーなどで、敵に見つかるからと泣く子を殺せと母親に命じた兵士の話や、戦争ドラマでの言動を見ていると確かに怖い存在だったかもと後から思った。
いまでは笑い話になったエピソードもある。
昼間戦闘が激しくなる前に若者や子供たちは山に逃げたそうだ。たぶん戦闘の初期の頃だろう。でも、老人は足手まといになるからと壕にとどまっていた人もいたそうで。後々、母が聞いた話。
行動を一緒にしていた知り合いのおばあさん。
壕に残っていたら、上で人が歩いているような気配を感じて壕から外へ出て叫んだ。
「あんたたち何してるか! 早く山に逃げなさい!」
子供がまだうろついていると思ったらしい。
しかし、外に出たおばあさんはあっという間にアメリカ兵に取り囲まれて銃口を向けられていたそうだ。その後収容所に入れられたという。
「よく撃ち殺されんかったねぇ~」
と、母は笑って私も笑った。
母もまた山の中でアメリカ兵に囲まれて収容所へ送られたそうだ。それがいつの事なのかは本人にもわからない。
母は幼かったので記憶違いかもしれないけれど、こんなことも話していた。
「昼になったら静かになりよったよ。アメリカーも昼ご飯食べてたんだはず」
鉄の暴風と言われた激戦の沖縄で、静かになる時間があったのかとにわかには信じられないけれど、母はそう言った。
最近、沖縄戦の最中に日本兵と米兵が一緒に浜辺で食事をしたというドキュメンタリーを見た。そんな事ができる場面があったなら、母の話したお昼休憩ももしや・・・・・・と思わなくもない。
母は芋虫が苦手だ。
いや、苦手というよりも怖いらしい。それは戦争体験から来るもので、グロい話になるけれど・・・・・・。
怪我をした人の傷口にウジ虫が沢山いて、這い回り、ピンっと跳ぶのをみたそうで。子供ながらにゾッとしたことが芋虫を見ると思い出されるようだ。その話をした時、母はブルッと身震いして体をすくめていた。
そりゃそうだ。
その光景もグロテスクだけど、生きたまま虫に食べられるなんてゾッとする。母から聞いたのかドキュメンタリーか、どちらか忘れてしまったけれど。ウジ虫が肉を食らう音を聞いたという話には私も身震いした。
>>> 戦中戦後の話を軽~く書いてみるよ(2)へ続く。




