繰り返す王子と妖精農場
ぽかぽかとした、ほどよい陽気のそこは農場だった。風車小屋と小さな家屋と、そしてさほど広くもない畑があり、黄金に色づいた小麦が揺れている。
とてとてと、一人の幼女が畑に向かって歩いてくる。透き通るような白い肌に水色の美しく長い髪を持つ人間離れしたその幼女の背には、薄く光る四枚の羽根が生えている。それは、妖精族の証であった。
妖精は、畑の側まで来ると小さな右手を麦の穂に向けてかざす。宙に浮かぶ収穫、という文字を、妖精は左手でちょんと突いた。直後、麦畑に変化が訪れる。妖精のかざした右手に、ばさりと麦の束が一束現れ、そして麦畑のきっちり四分の一から、麦が消えて土がむき出しとなったのだ。
麦束を手にした妖精は、今度は風車小屋に向かう。小屋の入口の扉を開けて、無造作に麦束を放り込む。そして待つこと数分、ひとつの麦束が五つの袋詰めされた小麦粉へと変わり排出される。えいや、と気合を入れて、妖精は小さな身体で袋のひとつを肩に担いだ。
身体の半分ほどの大きさの袋を持って、よちよちとやって来たのは小さな家屋。煙突のついたその家屋には、石窯が設置されている。妖精は袋のままの小麦粉を、石窯の中へと放り込む。ぱんぱん、と小さな両手を合わせてはたき、妖精はまた風車小屋へ向かう。山積みになった残りの小麦袋を、倉庫へ運ばなければならない。家屋の裏手にある倉庫まで、四往復。よし、と妖精は両拳を握りしめ、気合を入れる。
「俺も手伝うよ、コムギ」
妖精の背後から、一人の青年が姿を見せて言った。
「これは、私のお仕事です、フロイ様」
振り返った妖精、コムギが眉を寄せて言う。だがフロイと呼ばれた青年はコムギの表情を気にすることなく、両脇に小麦粉袋を抱え上げた。
「コムギにばかり、無理はさせられない。それに、収穫は無理でも収納は手伝えるのだから、良いだろう?」
それは問いかけではなく、決定事項を伝えるといった調子の言葉だった。コムギは仕方なく、慌てて袋をひとつ持ち上げるとタタタとフロイの先へと駆けた。
「倉庫の扉は、私にしか開けられません」
「そうだったな。じゃあ、倉庫の前まで、運ぶとしようか」
言いながら、コムギを追ってフロイも歩き出す。人間の青年であるフロイの歩幅は広く、ちょこまかと歩くコムギを追い抜くことは容易い。だが、決してフロイはそれをしない。コムギの斜め後ろの位置を、ずっとキープしていた。
「私の後ろ頭に、何か興味深いものでもありましたでしょうか」
振り返らずに、感じる視線にコムギは問いかける。
「後ろ姿も可愛いな、と思っているだけだ。気にするな」
さらりと出てくるそんな言葉に、コムギは首を傾げる。
「容姿に賛辞を受けている、と認識してよろしいのでしょうか」
やはり前を向いたまま、コムギは再度問う。
「無論、そのつもりだよ、コムギ。愛する者への賛辞を、俺は惜しむつもりは無い」
しっとりとした、低く甘い声音でフロイが答える。
「愛ですか。私には、理解しかねるものです」
対するコムギの声は、淡泊そのものであった。
「そのうちに、理解できるかも知れない。もちろん、そのままのコムギでも、俺は一向に構わないが」
「それは無いでしょう。種として、妖精は人間とは根本的に違うのです」
つれない塩対応にも、にこにことしているフロイの顔が、コムギには振り返らずとも解っていた。金髪碧眼の整った顔立ちとすらりとした上背を持つ文句なしの美形であったが、コムギにとってそれは意味をなさないものだ。
到着した倉庫へ、小麦粉袋を投げ入れる。フロイが運んだぶん、作業は早く済んでしまった。
「パンが焼けるには、十分掛かるのですが」
「それなら、小屋の前で待てばいい。天井の染みを数えている間に、パンも焼けるだろう」
「パン焼き小屋の天井に、染みはありません。空いた時間で、麦ジュースを作ります」
「どうせなら、エールにしてくれ。コムギの作ったもので酔うのは、快い」
「わかりました」
うなずいて歩き出そうとするコムギの身体が、フロイに抱き上げられる。
「このようなことをせずとも、移動に支障はありません、フロイ様」
コムギは眉を寄せ、抗議を試みる。だが、フロイの腕は緩まず逆にぎゅっと抱き寄せられ、逞しい胸板へと押し付けられる。
「俺がこうしたいんだ、コムギ」
すん、とうなじに顔を寄せて鼻を鳴らすフロイに、コムギは諦めたように息を吐く。
「わかりました。それも、願いならば」
雷が鳴っても離さない、という意思の強さを感じる抱擁に、コムギは全身の力を抜く。抵抗が無いということをどう感じているのか、フロイがゆっくりとした足取りでパン焼き小屋へ向かう。
「柔らかく、温かい。コムギを抱いていると、俺は安らぎという言葉の意味を本当に知ることが出来るんだ」
首筋へ寄せられた唇から、熱い吐息と囁きが齎される。
「妖精は、皆そういうものです。エールを作ってパンの焼きあげもしますので、そろそろ降ろしてくださいませんか?」
変わらぬ塩対応であったが、やはり気にした様子もなくフロイがコムギを解放する。自由になったコムギは麦畑へ向かい、再び麦束を収穫する。空いた畑のリキャストタイムは、一時間。まだまだ種を植えることは出来そうにもない。麦束を手にしたコムギは小屋へ戻り、テーブルに置かれたジューサーへ麦束を放り込んだ。麦ジュース、エールという選択肢が出てくるが、フロイの希望通りエールを突く。こちらは、十秒で完成した。
「ご希望の、エールです。どうぞ」
「うむ」
真鍮のジョッキごと生成されたエールを、フロイに手渡す。そうこうしているうちに、石窯からチン、と甲高い音が鳴った。どうやらパンも、焼き上がったようである。やはり皿ごと生成されたそれを、コムギは手渡す。
「コムギ」
パンの皿を脇へ置いたフロイが、長椅子に腰掛けてぽんぽんと膝を叩いてコムギを呼んだ。
「どうしてそれを、望まれるのでしょうか」
「コムギを膝に乗せて、コムギの作ったパンを喰い、コムギの作ったエールを呑む。これが、完成された俺の食事スタイルだからだ」
迷いのない真っすぐな綺麗な瞳で、フロイが言う。
「わかりました。それが、願いと仰るのでしたら」
フロイの太股の上へよじ登り、コムギはぽすんと腰を下ろす。ふむ、と満足そうにうなずく気配が、コムギの頭上であった。
「……ここは、楽園だな。こうして腕の中にコムギがいて、腹の中も、コムギで満たされて」
「胃の内部へ入っているのは、パンとエールです、フロイ様」
しみじみとした呟きに、コムギは淡々と返す。
「ああ。だが、これは間違いなく、コムギの作った、コムギにしか作れない楽園なのだ。地獄のような、現世に比べれば、な」
ジョッキを握ったままのフロイの腕が、コムギの胸をそっと抱く。
「外は、お辛いのですか」
「ああ……もう、幾度目になるか……数えるのも、馬鹿らしいくらいに、繰り返してきたんだ。もう、うんざりなんだよ」
コムギのつむじに、フロイの顎がそっと触れる。
「出来ることなら、永遠に、コムギとここでこうしていたい。コムギを抱いて、コムギだけを感じていたい……」
「それは、叶えられない願いです」
コムギの言葉に、密着しているフロイの身体がぴくりと震える。
「そうだな。俺は、望まれているから、な……幾度でも」
フロイの声音はコムギに向けられたものではなく、自分自身へ向けたもののようだった。だからコムギは返事はせずに、フロイの腕にそっと手を添える。静かな、和らいだ時間が、過ぎてゆく。
「そろそろ、来られるようですね」
畑の横へ視線を向けて、コムギは言った。げ、と咽喉に詰まったような声が、コムギの頭上から漏れる。
「もう、なのか……くそっ!」
毒づいたフロイがパンの皿とジョッキを置き、コムギの身体をぎゅっと抱きしめる。
「フロイ様」
「嫌だ嫌だ! 俺は、留守だということにしてくれ!」
「それも、叶えられない願いです。扉が、出てきますので」
駄々っ子のように首を横へ振るフロイに言い聞かせ、コムギは視線の先を指差した。畑の横に光の渦のようなものが現れ、そして大きな、人間が通れるほどの扉が現れゆっくりと開く。そうして、そこから一人の人間の少女が姿を見せた。
「……やっぱり、また、ここへ来てしまうのですわね。どんな人生を送ろうとも」
すらりとした美しい、赤い髪と紅玉の瞳を持つ少女が、小さな農園を見渡して言う。
「ようこそ、いらっしゃいませ。それとも、お帰りなさいませ、でしょうか、ライナ様」
フロイの膝の上から、コムギは軽く頭を動かして少女に声をかけた。ぎゅっと全身を抱き締められているために、それだけしか出来ないのだ。
「ただいま、コムギちゃん……って、何をしているのかしら、フロイ?」
コムギに笑みを向けた少女、ライナがフロイとの体勢を一見し、低い声を上げる。
「見れば解るだろう。愛を育んでいるのだ、悪役令嬢」
対するフロイも、ライナへ向け冷ややかな視線と声をぶつける。
「……どう見ても、危ない幼女性愛者の犯罪行為にしか見えませんわよ! さっさとお離しなさいな! この変態王子!」
憤怒の形相で駆け寄ったライナが、一瞬にして膝の上のコムギをフロイから奪い取り姫抱きに引き寄せる。それは、一瞬の早業で、コムギにも何をされたか理解することは出来なかった。
「婚約破棄したくらいで、ヒトをギロチンにかける危険物よりは遥かにマシだろう」
そう言って手を伸ばすフロイからコムギを守るように、ライナが身を回す。
「浮気の末に国家を傾けたりするからですわ! 自業自得でしょうに、ねえ、コムギちゃん?」
「外の世界の詳細は、わかりかねます。ですが、今回は、そういうことになっていたのですね」
「ええ。前世の記憶とかいうのを取り戻して、そこのロリコン王子に処断される未来を回避して、騎士団長と国を建て直して……苦労してきましたわ、今回も。コムギちゃんに、癒して貰いたいですわね、二十年くらいは」
すりすりと頬を擦りよせながら、ライナがそんなことを言う。
「なるほど。俺を処刑してから、二十年は生き永らえたということか。騎士団長とくっついたのなら、そのまま幸せに暮らしていればよいものを」
「……気づいたら、ここへ来ていたのですわ。何度か前の、貴方と同じく」
「……前の話はやめろ。考えたくもない」
「まあ、今回はピンク髪の平民ともども処刑してやりましたものね。刑場での貴方の表情は、それはそれはとてもいい気味でしたわ、オーッホッホッホ!」
ライナの高笑いは、堂に入った見事なものだった。
「やめろと言っているだろう。ここへ来たら、前の話は蒸し返さない。そういう約束だったはずだ」
「……そうでしたわね。どのみち、すぐに戻されるんですものね」
フロイの言葉に、ライナが大人しくなりコムギをそっと降ろす。
「メインヒーローと悪役令嬢のお二人が揃われました。再び、扉が開きます」
地面へようやく足を着くことのできたコムギは、平坦な声で扉を指して言う。ライナが出て来たばかりの扉は、強く光を放ち始めていた。
「……このまま、あそこに入らなければどうなるんだろうな」
扉を見つめ、フロイがぽつりと言った。
「恐らくは、解放されるのかも知れません。妖精ですので、詳しいことはわかりませんが」
「ずっと、ここに残れる、ということには、なりませんの?」
ライナからの問いかけに、コムギは首を横へ振る。
「扉が閉じれば、跡形もない消滅が待っています。それは、確実なことです」
「成程な。世の中、そんなに上手くは出来てはいない、ということだな。どうする、ライナ? 騎士団長との幸せな人生抱えて、ここで泡のように消えるのも一興じゃないのか」
美しい顔に意地悪な笑みを添えて、フロイが問う。
「悪い冗談ですわ、フロイ。私、コムギちゃんと添い遂げるまで、消えるつもりはありませんことよ?」
ねー、とコムギへ向けて妖艶にライナが微笑する。
「妖精は無性ですので、ライナ様ともフロイ様とも、添い遂げることは出来ません」
淡々と、コムギは答えた。
「でも、コムギちゃん。首筋に、キスマークが付いてましてよ? フロイと、そういうことを、致したということではないの?」
「フロイ様は時折、肌を合わせることを願われましたので」
ライナが、フロイへ胡乱な視線を向ける。それは完全に、犯罪者へ向けるソレであった。
「俺は、出来るギリギリのところを探っていっただけだ。お前だってこの間、とても見られない姿を晒していただろう、ライナ?」
「……過去のことは、無しに致しましょうか。お互いに」
「未来に生きる、それが俺たちに出来ることだ。覚えておこう、お互いに」
言い合っていた二人が、深くうなずき合う。通じるものが、互いの間に流れているらしい。
「ここを出れば、この農場の記憶は、お二人とも忘れてしまうのですが」
「帰って来れば思い出す。お預けになるだけだ」
「いずれは、ずっと一緒にいる方法だって、見つけてみせますわ」
にっとフロイが笑い、ライナも嫋やかに微笑んで見せる。
「行ってらっしゃいませ、お二人とも。お帰りを、コムギはお待ちしております」
ぺこり、と頭を下げるコムギの前で二人の変態が手を取り合い、片方の手を挙げて扉をくぐってゆく。やがて扉が消えて、農場には静寂が戻る。
「次は、どちらが先に、来られるのでしょうね……不謹慎ではありますが、少し、楽しみです」
幼いコムギの口が、大きく三日月状に歪みを見せる。それを見ることの出来る者は、誰もいない。コムギは己の中に生じつつある変化を、静かに受け入れる。それは歪んだ二人の望む、コムギへの願いであるからだ。人間の願いを叶えるのは、妖精の大事な仕事なのであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今作も、お楽しみいただけましたら幸いです。