明日に備えて
今日は試験2日目だが、私は昨日一次を突破したのでお休み。
明日の二次試験に向け、予習復習をしようと思っていたのだが・・・
「流歌、凛さんが来てくれたわよ」
「姉弟子が?」
橘 凛 25歳。
私と同じ荒木門下に所属する女流二段。
「凛さん、今日はどうされました?」
「・・・・・・」
凄く、無口な人。
背が小さくて、年齢より随分若く見える人。
コミュニケーションが取り辛いけど、悪い人では無い。
聞き手の仕事は来た事が無いらしい。
クイックイッ「・・・・・・」
「なんですか?それ」
「・・・・・・」
「・・・開けて見ろと?」
コクコク「・・・・・・」
なんだろう・・・ああ、棋譜か。
明日の二次試験は現役奨励会員との対決になる。
目ぼしい相手の棋譜を持って来てくれたようだ。
助かる、棋士の棋譜はネットでいくらでも見れるけど、奨励会員となるとそうはいかない。
ん?・・・あれ?そもそも奨励会に記録係って居たっけ?
・・・居なかったよな?・・・これはどうやって手に入れたんだろう?
「姉弟子、これは・・・」
「・・・・・・」バタン
玄関の扉を閉め、姉弟子は帰って行った。
・・・・・・
どうしよう。
そもそもこれ、反則なんじゃないの?
対戦前の奨励会員の棋譜を手に入れるなんて・・・
いや、そもそも記録自体が残らない物なのに。
時々ネットで見かける事はあっても、それは本人達の記憶を掘り起こした物だと聞く。
なんで姉弟子がこんな物を。
本物なのかどうかも解らない。
姉弟子がおかしな物を渡して来るとは思わないが、信憑性に疑いがある。
どうすれば良いのかな?
見ないでおこうか・・・
出来れば手元に置いておくのも嫌だけど、かと言って捨てる訳にも。
・・・ここは、師匠に電話で相談だ。
『ああ、それは凛がネット対局や、色んな研究会に参加して集めた物だよ。良く見てみると良い』
「え?」
良く見てみろって・・・
・・・あ、これ・・・奨励会員の相手、全部凛さんだ。
奨励会員同士の対局の棋譜じゃ無かったのか。
『流歌ちゃんの為にって言ってたよ』
「え?師匠、凛さんと話した事あるんですか?」
『あたり前じゃないか。何を言ってるんだ?』
えええ?
私、未だに凛さんがどんな声なのか知らない。
き、気になるなぁ。
『凛は確かに無口だが、それなのに頼み込んで奨励会員が居る研究会に参加させて貰ったらしいよ』
「なんで私の為にそこまで・・・」
『・・・凛は、たくさん見て来ているからな。棋士になれなかった私の弟子を』
「・・・・・・」
荒木先生の弟子で将棋界に入ったのは、今の所女流の凛さんだけだ。
過去にも弟子はたくさん居たのだが、ことごとく夢破れ、儚く散っている。
『それは凛の頭の中から掘り起こした物だ。けして、やましい方法で手に入れた物じゃ無い』
「で、ですが」
『・・・気にする事は無い。将棋界はそんなに綺麗な世界でも無いからね』
「・・・・・・」
『さすがに奨励会の4級全員分とは行かなかったみたいだけどね』
明日、私は4級編入試験を受ける。
恐らく相手も4級で平手になるのだろう。
因みに6級から始める子は4級と戦う時は駒落ち戦になる。
「・・・解りました。姉弟子の期待に応える為にも、必ず合格して見せます」
『・・・ああ、頑張るんだよ』
電話を切り、早速確認してみるか。
まずややこしいから説明しておくが、研修会と研究会は別物だ。
研修会は奨励会の下部組織、研究会とは棋士同士で行う勉強会みたいな物。
研究会には奨励会員の参加も珍しいものでは無い。
・・・研究会の棋譜は関東近辺の子達の物なんだ。
遠い子は研究会に参加するのも難しいだろうからな。
ネットで勉強出来る現代では、そこまで困る事も無いんだけど。
こっちはネット対戦の棋譜か。
でも、ネットなんて匿名なのに、その中からどうやって奨励会の子を見つけ出すんだろう。
今度姉弟子に聞い・・・声聞いた事無いんだった。
・・・確かに皆、筋がしっかりしている。
定石の基本が出来ている子ばかりだ。
間違いなく、タダ者では無い者達の棋譜。
(あ、この子は強いな)
一人、飛びぬけて強いと感じた子が居た。
黒森 永邦君か。11歳。
ネットを立ち上げ、連盟のHPを広げる。
奨励会の成績を調べてみよう。
(ふーん、研修会からの編入で4カ月で4級か)
月2回、計6局行われる奨励会級位で結構な成績を残している子だった。
ふむ、この子だけは要注意。
恐らくはこの先、時間の経過とともに、自然に上に行く逸材だろう。
明日はどのみち3戦中1勝した時点で合格だから、もし最初にこの子と当たって負けても他で取り返せば・・・
・・・いや、それだとせっかく姉弟子が準備してくれた棋譜を何も生かせてない事になる。
この子と当たっても勝つつもりで行かなくては。
(・・・なるほど、ソフトの指し方をよく勉強している子だ)
近年、コンピューターソフトの進化は目覚ましい。
数年前には当時の名人を先手番、後手番で2連続撃破した。
もはや人間など相手になるどころか、遥か高みまで到達していると言われている。
(・・・でも、ソフトの研究なら私の方が)
親に反対された私の相手は、ネットの中かソフトしか居なかった。
それこそコンピューターソフトが注目される前から、私はいつかコンピューターが人間を抜かす時が来ると感じ、研究を進めて来た。
師匠に出会ったのもその中での事だ。
ソフトの指し方を覚え、それをネット将棋で試しながら対戦するうちに、私のアカウントがソフト指しなのではないかと某掲示板で疑われる事になる。
ソフト指しとは自分の手をソフトに選んでもらって直接指すこと。
簡単に言えば卑怯な小細工だ。
勿論そんな事はしていないが、本人のあずかり知らぬところで私のアカウントは注目を集め、日に日に観戦者が増えて行く事になる。
ある時、対局後のチャット画面で私は口汚く罵られた。
当時事情を知らなかった私は動揺するだけで、相手の一方的な中傷をただ茫然と見守る事しか出来なかった。
そのうちその相手はロビーにまで移動し、そこでも私のアカウントを中傷し続けた。
たまたま居合わせ、見るに見かねた荒木師匠が自らの身分を明かし、自分が確認すると言い出す。
当時のソフト指しには特徴があった。
序盤の定石を崩して来る。
ソフトが考えているから指すリズムが一定、人間のように局面で迷う事が無い。
少なからずプロからしたら、見破るのは難しい事では無かったらしい。
激しい動揺の中で行われたプロとの初対局。
平常心を失った私は酷い将棋を指してしまった。
周りの私への疑いはさらに深まる事になる。
だが師匠は疑わなかった。
ネットの中での私の動揺を感じ取り、フェアな対局では無かったとチャットで知らせて来た。
考えが至らず、こんな結果になって申し訳ないと言う謝罪を添えて。
私はその時、個人チャットで自分の個人情報を明かし、自らの弟子入りを志願した。
後日、将棋会館で待ち合わせをし、実際に対局する事で私は自分の疑いを晴らすと共に、弟子入りを許可して貰う事が出来た。
ネットの中での疑いはそのままになってしまったが、私の分身が忘れ去られるのに時間はかからなかった。
来る日も来る日も新たなソフト指しが登場し、暴れまわったからだ。
同時にネットの中での冤罪も増え、そのサイトは廃れてしまった。
私自身も、そのサイトに行かなくなってしまったので、その後の事は知らない。
解って欲しい人が解ってくれればそれで良いと、師匠に出会えてそう思えた。
フリーの将棋ソフトを立ち上げる。
タダで手に入るソフトでも、人間にとっては強敵だ。
少しでも気を抜けばあっという間に窮地に追い込まれる。
勝つこと自体が難しいと言っても良い。
(こんなものが、羽月さんよりも強いと言われる時代が来るなんて)
実際名人を倒してしまったのだから仕方ない。
悔しい気持ちも強いが、だからと言ってそれを活用しない手は無い。
でないと、余計置いて行かれる。
(自分が強くなる為なら、何だって利用してやる)
流歌は明日に備え、研究を続けた。