将棋界の一番長い日
「流歌、3月2日が何の日か解るね?」
「はい」
「当日連盟の検討室に来なさい。奨励会二段の君の意見も聞きたい」
「・・・解りました」
師匠から電話が来た。
3月2日は将棋界の一番長い日。
A級順位戦の最終戦、一斉対局の日だ。
「当日は深夜になると思うが・・・」
「大丈夫です。私の刺激になるのは間違いないですし、タクシー代くらい対局料で稼いでます」
「そうか。じゃあ頼んだよ」
パパママにも一応言っておく。
パパは終わったら迎えに行こうかと言ってくれたが、遠慮しておいた。
本当に何時になるか解んないからね。
そのあとすぐに玲奈からメッセージが来た。
3月2日、皆で部室で観戦しないかと言うお誘いだった。
ごめん、検討室に行く事になっちゃった。
でしたらそちらを優先してくださいと、玲奈は解ってくれた。
うーん、皆でワイワイも魅力的だけどね。
今回は勉強を優先させて貰う。
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3月2日 将棋連盟
普段は対局室に使っている部屋が改造され、特別検討室になっていた。
これからたくさんの棋士がやって来るのだろう。
たくさんのモニターにそれぞれの盤面が映し出されている。
今はまだ、駒も並べられていない、まっさらな状態。
熱戦が繰り広げられる前の静けさ。
あのモニターは49生かな?
どこか派手な会場で解説を交えながら盛り上がってる。
あれはアババ?うわ、人気解説者がこんなに?
まるでお祭り騒ぎだ。どこを見ていいか解らない。
対局自体は数年前からどこかの料亭で行なわれている。
A級は10人、対局は5局、それを一斉にやる。
現地にもたくさんの棋士が行っているはずだ。
「あ・・・り、凛さん」
おいでおいで「・・・」
あ、姉弟子も来てたんだ。
数日後には女王戦決定戦を争う相手。
き、気まずい。
たべる?「・・・」
「だ、大丈夫です・・・そ、それより、女王戦、よろしくお願いします」
うんうん「・・・」
「あ、あと、三段昇進おめでとうございます」
ありがとう「・・・」
「凛、流歌、早いね」
「師匠、おはようございます」
姉弟子が来る事教えといてくださいよ。
心の準備が・・・
でも考えてみれば当たり前か。
今日は将棋界全体が注目する日。
棋士や女流、記者、その他関係者が続々と入って来る。
今頃関西でも集まってるんだろうな。
そもそも将棋界の一番長い日とは何なのか?
名人戦の予選とも言えるA級順位戦は10人の棋士の総当たりのリーグ戦で行われる。
成績1位は名人挑戦、下位2人はB1に落とされ、B1で上位だった者と入れ替えられる。
B1に落ちれば基本給が下がるし、当然名人挑戦からも遠くなる。
棋士の頂点に君臨する10人の棋士が名人挑戦権を、そして残留を目指して朝から深夜まで戦う一日を、いつしかそんなふうに呼ぶようになった。
最大9勝、だが星勘定が重なり、プレーオフになる事も多い。
対して、降格は星勘定が並んでも、前年の成績を元に設定された順位が低い方が落とされてしまう。
様々なドラマを産む日なのだ。
持ち時間はそれぞれ6時間、2回の食事休憩をはさみ、それを1日で行う。
やる方も見る方も大変な一日。
モニターに棋士の出勤風景画映し出される。
これも恒例になってる。
棋士がどんな気持ちでこの日を迎えるのか。
その心情をカメラが捉えようと狙いを定める。
対局室に入った姿も追われる。
どんな気持ちで対局相手を待っているのだろうか。
始まりの時間をどんな気持ちで迎えるのか。
あ、手に汗握ってた。
今から緊張してると流石に持たないな。
少し緩めないと。
「そうかい。今頃大学の部室でも記録係のあの子達が」
「はい、今頃ワイワイやってると思います」
「・・・そっち行きたかったなぁ」
え?今コイツなんつった?
コイツって言うか、師匠だけど。
今日は将棋界の大事な日でしょ。
真面目にしてくださいよ。
自分が来いって言ったくせに。
「A級なんて、夢のまた夢・・・」
駄目だコイツ。ほっとこう。
因みに師匠は現在C2。
一時はB2まで上がった事があるけど、現在58歳。
成績は下降線をたどっている。
まあ58歳でフリークラスじゃないんだから頑張ってる方なのかも。
「すでに降級点が二つ付いていて、今季も駄目だった」
ああ、遂にフリークラスに落ちそうなんだ。
フリークラスとは順位戦から除外されるクラス。
収入がグッと減る。
降級点とは成績下位者に累積されていく、イエローカードみたいな物。
C2の場合はこれが3枚貯まるとフリークラス落ち。
こうやって棋士の数が増えすぎないよう調節されてる。
よく考えたもんだよ。
囲碁なんて引退が無いから棋士が400人くらい居るらしい。
それもどうなの?生涯現役の人がどれだけ居るの?
歳を取って弱くなったらプロの意味が無いような・・・
まあ他競技の話は良いか。関係無いし。
モニターの中にどんどん棋士が出勤して来る。
この人が最後かな。表情硬いなぁ。
検討室も混雑して来た。
奨励会員も何人か居る。良かった、肩身の狭い思いをしなくてすんだ。
いよいよ対局が始まる。
将棋界の長い一日の幕開けだ。
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勝負は中盤に差し掛かり、動きが激しくなって来た。
どっち見ればいいの?あっちもこっちも気になる。
ああ、この盤面は差がついてるね。
勝てば1位通過なのに、どうしてあそこで無理攻めを・・・
この盤面は確か仲の悪い2人。
どうしてそんな2人が最終戦で・・・
しかも2人共降格の可能性があんだよね、他の対局の結果にもよるけれど。
こっちは静かだな。
でも先に手を出した方が不利になりそう・・・
今は刃物の研ぎ合い、そんな際どさが盤面から伝わって来る。
『ここ、怪しくないか?』
『ああ、千日手は勘弁してほしいな』
近くから聞こえて来る。
そうは言っても対局者だって必死だ。
自分が不利だと思ったら、迷わず選ぶだろう。
ふう、一度私も休憩を・・・緊迫感で持たない。
何か冷たい物でも・・・あ、名人だ。
名人 佐川 天飛虎。
貴族と称される、お洒落に敏感な若き名人。
投了前に、リップクリームを塗って、唇を潤す事でも有名。
この人も今どんな気持ちで見てるのかな。
自分のタイトルを狙っている者達の激戦を。
誰が上がって来てほしくないとか、あるのだろうか。
勝手に自分と重ねる。
私は姉弟子と当たりたくなかった。
あんなに優しい人と、ギクシャクしたくなかった。
でも勝負の世界でそんな甘い事言ってたら笑われる。
あいつは向いてないと言われる。
心とは裏腹に、割り切らなければならない。
でも嫌なのぉ。
解ってても嫌なのぉ。
私元々メンタルそんな強くないのぉ。
はあ、この甘さが女が棋士になれない理由の一つなのかも。
こんな私でもいっちょ前に羽月さんに挑みたいとか大それた夢を持っていて、言うのは簡単だ。
実行する力があるの?才能があるの?覚悟があるの?
答えの出ない自問自答。
・・・戻るか。
検討室に戻ると盤面が結構変化していた。
ちょっと眼を離すとこれだもの。
追わなきゃ、それも五面。
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勝負は終盤、いよいよ佳境に入って来た。
どこを追えばいいの?あっちもこっちも激しい戦い。
ここは捻り合いか、本当ならじっくり考えたいのに、すぐ隣で動きがある。
逆転を狙う一手、その検討も出来ないうちに、他で動きがある。
ああ、49生もアババもしっちゃかめっちゃかになってる。
こっちだってそうだ。どれを見れば良いのやら。
玲奈からメッセージ?ごめん見てる暇はないよ。
多分放送がバタバタしてるから訳が分からなくなっているのだろう。
検討室もうるさい。
あっちこっちで、この手はどうだ。あの手はどうだ。
あの手の意味は?あれはおかしい。ここ見逃してた。
議論が飛び交い交差する。
「ここはこうでは?」
「うおお、お前誰だ?」
「美人奨励会員二段 君島 流歌です。知らないんですか?」
「・・・・・・」
ふう、ついつい見当違いな事言ってるグループに口出してしまった。
だって耳障りだったんだもの。
プロ棋士もピンキリだ。
昔は強かった人でも歳を取れば弱くなる。
下位の棋士よりも、伸び盛りの奨励会員の方がよっぽど強い。
「じゃあここはどうだ?」
「良く見えますが、数手進むと差が明らかですよ」
「なるほど・・・こっちもか?」
「はい、この局面はもう死んでいるのでこっちから・・・」
「だがここを見逃してるだろ?」
「!」
それでもプロはプロ。
私には無い経験がある。
小娘の知らない修羅場を潜って来ている。
「これだと押し込まれるぞ?」
「確かに・・・でもこう受ければ・・・」
「綱渡りに見えるけどな」
「うーん」
「いや、逃げ切れるよ」「そうだね、行けそう」
議論の輪が広がって行く。
まるでバトルロイヤル。
「君島さん、こっちにも来てよ」
「は、はい」
「この局面はどう思う?若い人の意見も聞きたい」
「そうですね、先手の奇襲が失敗した今となっては・・・・・・
ああ、戦ってる気分。
盤面は五面、相手はA級10人。
先手後手両者の立場で考える。
普通ならあり得ない話だ。
A級一人と戦うのだって大変だ。
それを10面指し?奨励会二段の立場で。
冷静に考えれば笑ってしまうだろう。
身の程知らずも良い所だ。
棋士ですらないものが、こんな蚊帳の外で偉そうに。
・・・そうだね。今はまだ蚊帳の外。
外野、第三者、オーディエンス。
モニターを見つめるだけのワナビー。
登りつめたい。あの場所に座りたい。
見る側から見られる側になりたい。
好き勝手言ってる奴らの鼻を明かしたい。
『おい、一つ終わったぞ!』
『プレーオフの可能性が出て来たな』
記者が慌ただしく出たり入ったりしている。
現在1位の人が負けた。
確か1勝差で追いかけてる人が3人。
最大4人のプレーオフになる可能性があったはず。
『こっちは後手が不利になって来たぞ』
『落ちるのか?タイトルホルダーだぞ?』
その隣では降格をかけた争いが激化していた。
この盤面が一番難しいんだよな・・・
こんなの読み切るなんて・・・
「君島さん、ここはどうだろう?」
「え?これどこの盤面ですか?」
「あれだよ」
「あれ?いつの間にか逆転してる!」
な、何があったの?戦況が全然変わってる。
ちょっと気を取られるとこれだ。
なんてせわしない・・・
『ここも決まりそうだな』
『ああ、勝者は降格を逃れ、敗者はプレーオフならずか』
一人が生き残り、一人が脱落か。
意味合いは違えど勝ちたいのは一緒。
ふう、これで残りは3局か。
これで少しは余裕が・・・
あれ?
『出たよ千日手!』
『・・・指し直しか。何時に終わるのかな』
で、出たー。
これで深夜3時くらいまで徹夜決定。
記録係可哀そう。
でもA級同士の対局を2局も間近で見れるよ!頑張って!
対局がもう一つ終わった。
1位に並び、プレーオフを決めたか。
これで現在、プレーオフが2人。
残りは仲の悪い2人と、千日手の2人。
仲の悪い二人は相変わらずの捻りあい。
先手が有利だけど決めきれずにいる。
千日手の指し直しが始まった。
先後を入れかえ、残り時間を加算されて最初から。
すでに両者疲労困憊の表情。
『ああ、遂に後手が諦めたか』
『先手は生き残ったな。後手は・・・指し直し局次第か』
仲の悪い二人の対局が終わった。
嫌いな人同士、頭を下げる。
これってどんな気持ちなんだろ?
負けた方は屈辱だよね。
そして負けた方はまだ降格の可能性があるみたい。
すべては指し直し局に委ねられた。
深夜3時
『今回は形勢が明らかだな』
指し直し局も終盤。
はっきり後手不利な戦況に入っていた。
後手は勝てばプレーオフに行けた。
しかしその望みも風前の灯火。
先手は勝てば降格を逃れる。そしてさっきの仲悪い対局の敗者が落ちる。
さっきの敗者は今どんな気持ちで待っているのだろうか。
勝者の方も終了を待ち望んでいるのかも知れない。
仲の悪い人がB1に落ちるのだから。
『決まったか』
『タイトルホルダーのB1陥落、すぐに記事を作るぞ』
『プレーオフは2人か。すぐに現地にインタビュー取らせろ』
結局戦局はそのまま変わらず終了。
長い長い、一日だったな・・・
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・・・結局始発を待つことになった。
深夜でタクシー捕まらないし、記者の皆さんがタクシー使いたいみたいだし。
帰りの電車の中で考える。
壮絶だった・・・
これが、プロの中でもトップのA級の争い。
A級になっても、辛酸をなめ合い、屈辱にまみれ、降格に怯える。
恐ろしい世界だな・・・
プロになったら、ただ男と戦うだけじゃ無く、あんな化物達と闘わなければならないのか。
登らないと闘う事すら許されないのか。
刺激にはなった。でも同時に恐怖を感じた。
家
「流歌!てめえ朝帰りかよ!!」
「ひぇぇ、ごめんなさいお父様」
私がメンタル弱いのはパパのせいだと思うんだよね。
な、何も無いよ!疲れてるんだから寝かせてよ!
何もしてないって!将棋漬けの毎日で寂しいもんだよ。
よそ見してる暇なんて無いんだよ・・・
化物達の中で、闘って行かなければならないんだから。




