89 南極への召集
私が校長室に入った時、校長は篠崎ユリアさんと何やら話し込んでいた様だった。お父さんは私が校長室に入るのを見ると、開口一番にこう言った。
「すぐにあいつらに連絡してくれ。会わせたい奴ができたと」
「……それは、管理者の召集ってこと?」
「そうだ。南極の例の場所で、できるだけ早くにだ」
南極。かつて、各国がその地下に眠る『遺跡』をこぞって求め、激しい戦闘の舞台となった場所。私もかつてそこに立っていた……そこの重要性は知らされずに、ただ殺しあうための駒として。
できるなら私も一緒に向かいたい。でも、どうしても体がいうことをきかないのだ。
あそこは私のかつての同僚が多く眠る地。そして、私の手で多くの敵を殺めた地。十年以上経った今でもあの場所のことを考えただけで手足が震え、たまらなく怖くなる。
……きっと私がついて行っても使い物にならないに違いない。
「わかったわ。……緊急召集扱いで、皆さんにある程度事情は説明するけど、いいわね?」
「ああ、その辺は任せる」
南極の遺跡の定期的な清掃以外では、滅多なことでは顔を合わせない9人の【サイト】管理者の召集。よほど重大な事件が起きた時にしか使われることのない、各サイト管理者に与えられた緊急用権限。
でも、今回のこれは……確かにそれに値する出来事。
「今回は篠崎さんも一緒ってことでいいのね?」
「……はい。私も一緒に行きます」
彼女……篠崎さんは「玄野ユキ」と混じって以来、お父さんと行動を共にすることが多くなった。
「決まり次第、すぐ飛ぶ。こいつの為の準備をしてやってくれ」
「わかったわ。彼女に合うサイズの防寒着を用意しておくわね」
「……お願いします、メリア先生」
篠崎さん……いや、今は玄野カゲノブの妹「玄野ユキ」はそう言って小さく私に頭を下げた。
「ええ……でもくれぐれも、無茶はしないでね? あの場所は、危険なものがたくさんあるから」
「はい。大体のことは聞いていますから」
篠崎さんの雰囲気は以前とだいぶ変わっていた。
顔かたちはあどけなさの残る少女そのままだが、表情と言葉遣いがだいぶ大人びてきている様に思う。まともに日常会話すらできなかった彼女が、落ち着いて人と話している。
その変化は、彼女と融合した「玄野ユキ」の影響によるものだろう。でもその記憶は断片的でしかないらしい。彼女に残る記憶では、彼女は19歳だったという。南極での『事件』が起きる2年前だ。
「色々と確かめたいことがあるんです。今の私だからできることがあるかもしれない」
◇◇◇
「さ、寒い……!? こんなに厚着してるのに……!! これが、南極……!?」
私は玄野カゲノブに抱きかかえられ、南極までやって来た。
極地用の分厚い防寒着に身を包み、凍えない様にフードを深めに被っているがそれでも寒い。極低温の世界だ。
「なんだ、覚えてねえのか。ユキはここに来たことある筈だが」
「うん……「玄野ユキ」としての記憶は断片的にしかないみたいだから」
玄野ユキと混じった私、篠崎ユリアはそう答えた。あたりは真っ白な氷山とただただ広大に広がる氷原。よく見てみても見覚えのない風景だ。
だが私はあたりを見回しながら、ふとした違和感に気がついた。
「お兄ちゃん、向こうから誰か……来るみたい」
あたりにまだ人影は見えない。だが、うっすらとだが私の異能【意思を疎通する者】で『声』が聞こえる。声の数は8つ。
「ああ、あいつらだ。問題ない……って言っても覚えてねえか」
「……うん」
◇◇◇
しばらく待っていると数人の人達と合流した。
「これが玄野ユキと混ざったという例の少女か?」
「ああ。なんでかわからねぇが、あいつの記憶を引き継いでる」
白いスーツを着た白人の男性がお兄ちゃんと何やら話している。外国の人みたいだから、言葉は……あれ? 分かる!?
「あれ? 言葉がわかる? な、なんで??」
全員バラバラの言葉で喋ってて、どれも聞いたことのない言葉なのに……意味がわかる。
私がその状況に戸惑っていると、気がつけば私は背の高い男の人たちに囲まれていた。灰色の髪の熊みたいな男の人に、葉巻をくわえた昔の海兵みたいな人、目つきの鋭い中華服の男性。
「ふむ、あの威圧感は感じぬが……記憶がある? 俄かには信じられんな」
「どうやらあの異能まで引き継いでるってわけじゃなさそうだが……」
「ククク、一体どこからアレの記憶を? 本体はずっとこの南極にあった筈なのにな。奇怪なことよ」
「ひゃわっ!? はわわわっ!?」
いきなり長身の男性たちに囲まれて、いつもの悲鳴が出てしまう。私は反射的にお兄ちゃんの後ろに隠れた。灰色の髪の大きな熊みたいな人が振り返る。
「おい、クロノ。これは一体どういう状況だ?」
「……わからねえ。だが、直接会わせてみれば何かわかるかもしれねえ」
「……何か分かるって、どうやって?」
今度は少し離れたところにいた綺麗なピンク色の髪の女性が話しかけてきた。さっきの男性3人ほどではないけれど、この人からも威圧感を感じる。
私は、この人たちに歓迎されていない。
「玄野ユキ」があの時したことを思えばそれも当然……殺意を向けられないだけマシなのだと思う。それでも、怖い。
でも、ずっと怯えているわけにもいかない。私はここに、人の影に隠れて震えるために来た訳ではないのだから。
「わ、私は【意思を疎通する者】です! だから……」
「なるほど、彼女と会話はできなくても、本人同士での心の対話なら何か分かるかもしれないということか」
私が言い終わる前に、先ほどお兄ちゃんと静かに話していた白いスーツの人が言わんとすることを察してくれた。
でも、この人も決して友好的な雰囲気ではない。あからさまに表には出そうとはしないが、僅かに敵意と警戒の混じった視線をこちらに投げかけてくる。
「ククク、その思いつきのために我々が呼ばれたわけか」
「そんな言い方しないの、禹。少しでも手がかりは欲しいところでしょ」
胸元の大きく開いた服を着た緑色の髪の女性が、こちらを見て微笑んだ。この人もとても綺麗な女性。でも、私には決して目を合わさない。
そして、玄野カゲノブはそこに集まった8人に向かって軽く頭を下げて言った。
「手間かけて済まねえが、頼む」
「なに、やってみる価値は大いにあるのである」
「ああ、気にするな。結局、我々全員に関係のあることだからな」
アラビア風の衣装の男の人と、真っ黒なスーツに身を包んだ男性が笑いながら軽く手を振る。
「……お願いします」
少し遅れて、私も一緒に頭を下げる。そう、この人達には私たち……いえ、私の個人的な我儘に付き合ってもらっているも同然なのだから。
◇◇◇
私たちは南極の『大空洞』と呼ばれる大穴を下って行った。
そこに目的地となる場所がある。
『大空洞』と呼ばれるこの場所は幅数十キロ、深さ約2000メートルの、氷原に開いた巨大な穴だ。
地中の奥深くで何かが熱を発しているらしく、南極という極寒の地でもこの周辺だけは凍りつかないという。その熱の理由は不明だが、ここには大昔の文明の痕跡が見つかっている。
原理不明の不思議なものがたくさん見つかり、もしかしたら、現代よりも遥かに進んでいたかもしれないという正体不明の文明。この下にあるのはその『遺跡』だ。
その特異性から情報封鎖がなされ、世界のトップレベルしかその存在を知らない隠された場所。異能大戦中には各勢力がそこを巡って争うことになった。そんなに重要な物があるというのだろうか?
「玄野ユキ」もその戦闘に参加していたことがあったというが……今の私にはその記憶がない。
私たちは歩いて、ゆっくりと空洞を下っていく。下るにつれて、だんだんと暖かくなり、防寒着もいらなくなった。
「ここまで来れば、それはいらねえだろ」
「うん。ここに置いていく」
私以外、防寒着なんて誰も着ていないのを不思議に思っていたけれど、それはここの地下にあった不思議な道具を持っているから……ということらしかった。
お兄ちゃんは異能で寒さを感じない様に工夫しているということだったけれど、他の人たちもやろうと思えば方法は幾らでもあるらしい。
話を聞くたびに驚いたけれど、この人達を常識では測ってはいけないのだということは良く分かってきた。
私たちはたまに話をしながら、だんだんと空洞の中央部へと進んでいった。
中央に近づいていくと、さっきまでと雰囲気が変わった。床が白い石の様な材質のものになり、そこから暖かさを感じるのが分かった。
私たちはそのまま進み、不思議な彫像の様なものがたくさんある場所へと近づいて行った。
「こいつら、いつ見ても気味が悪いな。さっさと『掃除』しちまいてえぜ」
「おい、『異形』はこのままで行くのか、クロノ」
「ああ。こいつらはあと回しだ。動かしたりはしねえから心配するな」
私たちはその生きているかの様に精巧な彫像の間をくぐり抜けて、奥へと進んで行く。
「……もう少しで、彼女のいる場所よ。覚悟はいい?」
「ええ」
緑色の髪の女性……シノさんが私に声をかける。
私は頷き、そのまま歩いていく。
この先にいるのが……私。玄野ユキの「本体」。
自然と身体が緊張し、冷や汗が出る。
正直いうと、怖い。
でも、私は、知らなければならない。
私がなぜ、あんなことをしたのか。
どこかから私、篠崎ユリアにもたらされた「玄野ユキ」の記憶。
でも、大事な部分はほとんど欠落している。
あのことも映像を見せられてはじめて知ったのだ。
記録映像で見たあの破壊ーー
異能大戦末期の『世界主要都市の同時消滅』。
あれは間違いなく私の【重力を操作する者】の力。
あんな力の使い方、有り得ない。
……どうやってやったのかもわからない。
でも、確かに私のやったこと。
自分で確かめなければいけない。そう思って歩いていく。
そして、私は一人の女性の前に辿り着いた。
そこには確かに私の記憶にある私の姿……「玄野ユキ」が立っていた。
あれが、十年前からずっと時間を凍りつかせたままの私。
……一瞬にして、数億もの命を刈り取った直後の私。
「そろそろ、動かすぞ。いいか?」
「……うん」
「何が起きるかわからねえ。気をつけろ。危なそうならすぐやめろ」
「分かってる」
玄野カゲノブが停めている「玄野ユキ」の時間を少しだけ動かす。その間に『私』に入り込み、記憶を探る。
うまくいけば、この破滅的な状況を変えられる何かが見つけられるかもしれない。でも、もし失敗すれば……。
「十年前の破滅の再現にならないことを祈るばかりだが」
ポツリ、とあの白いスーツに身を包んだ男の人、リヒテルさんの声が聞こえた。
「その時は……クロノ」
「ああ。危なくなったらすぐに止める」
そして、時がゆっくりと動き出す。
「玄野ユキ」の凍り付いていた表情がだんだんと生気を取り戻す。
「来るぞ」
同時に辺りの全てが振動を始めた。この感じは……。
「ああ、こんな怖えのは久々だぜ……」
「こんな力……心底、無力感しか感じないわ……」
「ククク、【根源系】とは本当にデタラメな力だ、何も起きないことを祈ろう」
ーーこの感じはよく覚えている。私が、【重力を操作する者】を使っていたときの感じだ。
「いまだ、やれ」
そうして、私は私……「玄野ユキ」の中へと入っていった。
人物ファイル061
NAME : 玄野ユキ
CLASS : 【重力を操作する者】 S-LEVEL 6
玄野カゲノブの8歳差の血の繋がった妹であり、現在唯一の肉親。当時15歳の時点で、玄野カゲノブよりも早くに異能に目覚め、ついで、数日後にカゲノブ(当時23歳)も能力に目覚めた。兄妹揃って桁外れに強力な異能者(のちに八葉リュウイチによって『根源系』と定義される)であり、世界に異能発生が発覚した直後、兄と共に各地を旅して混乱を鎮めるために奔走した。異能戦争最初期に家族を含めた親族を全員失っている。
玄野カゲノブが強くなったのはこの唯一の肉親となった妹を守るためであるが、当の玄野ユキの戦闘能力も凄まじく、並大抵の相手であれば傷一つ受けずに戦えた。軍や国という派閥には決して属さなかったが、共闘することも多く、協力関係のような立場にあった。
大戦時にはその筋の人間からは玄野カゲノブと並んで最強と称される異能者であり、二人揃っていれば問答無用で世界最強。どこの組織にも属さず、独自の活動を行なっていた。
彼女の異能は「重力」を操る能力で、あらゆるものを「どこまでも重く」、「どこまでも軽く」できる能力。操作できる重さに下限も上限もなく、敵対する者の身体を潰れるほどに「重く」して動きを封じたり、酸素だけを「軽く」して周囲一帯の空気を無酸素状態にしたりもでき、非常に危険な能力。
やろうと思えば局所的なブラックホールを作り出して強力な破壊を引き起こすことができ、逆にどんな物でも無視できるぐらいに質量を軽くすることで全ての物理攻撃を無効化できる。熱的、光学的攻撃も逆にブラックホールで吸収することで無化できる。
余りにも強力な能力者であるがために、その筋では「決して戦場で出会ってはいけない存在」として伝説化していたが、影響力の増大を恐れた各国は情報統制を行いその存在を隠していた為に多くの人間はその存在を知らない。実戦では「遠隔で敵の脳内の重力を操作して血流を乱して昏倒させる」など、非殺傷の方法で戦闘することがほとんどだった。
兄とともに「敵もなるべく殺したくない」という気持ちを持っていたがために、かなり「手加減」した状態で戦場を駆け回っていたが、それでも無敵。レベル5相当の敵と相対した時も、無傷で抑え込み交渉まで持ち込むという破格の性能を持っている。
だが、異能大戦末期、突如世界中の主要都市に小規模のブラックホールを出現させ一瞬で数億人を殺害した。現在、兄であるクロノの能力で時間を凍結されている。世界異能大戦終結の直接的原因であり、現時点で世界が瀕している危機の「元凶」でもある。
<特技>
加重 アグラベイト
浮揚 レビテイト





