43 終着点
設楽応玄は焦っていた。
というより、混乱して訳が分からなくなっていた。
それは自らがオーナーである異能者高校が最底辺の格下だと思っていた相手に敗れたからでも、鳴り物入りでエースのつもりで獲得したレベル4の異能者の子供が全く役に立たなかったからでもない。外部のものが立ち入るはずのないこの庭園のフロアに余所者…それも複数の組織の人間が入り込んでいたから、というのも一つの理由ではあった。
しかし、何より彼を驚かせたのは、数年前に帝国陸軍の研究施設から逃げ出してきて行き場を失っている所を拾ってやり、その後様々な目覚しい成果を上げ続け、今や設楽がもっとも信頼する優秀な部下、異能開発研究所所長の「桐生ヨウスケ」が忽然と姿を消し、同時に設楽が莫大な私財を投じて蓄積開発した重要な研究成果がそっくり丸ごと持ち去られていたことであった。
一体、何があったというのだ。
桐生君は、彼は一体なぜ急にいなくなった?
なぜ彼と一緒に作り上げてきた研究成果がごっそりと消え失せているのだ?
そうして設楽応玄はやっと気がつく。
してやられたのだ。
私は、奴に完全に利用されたのだ。
奴は最初から、利用するために私に近づいたのだ。
そう思うと胸の奥から沸き起こる憎しみにむせ返りそうになり、とっさに目の前のテーブルに置いてあったグラスの水を飲む。
一気にそれを飲み干し、そうして、一息置いて幾らか冷静さを取り戻した彼は……
目の前に、いつか見た、忘れもしない、スーツを着込んだ巨躯の男が立っているのにはじめて気がついた。
「……もうやめろと言ったじゃねえか……」
殺意ともとれる怒気を孕んだその声色に、設楽応玄の体は緊張で縮こまり、今飲んだ水が全て一斉に流れて出ているのではないかというほどの大量の冷や汗が全身の至る所から吹き出るのを感じた。
この、目の前の大男は以前……彼の大事な研究所を潰して回った悪夢の権化のような存在。
そして自分の体の関節という関節を殴り潰し、杖なしでは歩けない体にした張本人。
どんなに調査しても名前と肩書き以外不明だった男。
帝変高校校長、玄野カゲノブ。
設楽にとってはこの上ない、恐怖と絶望の象徴。
あれから自分は奴を恐れ、この場所は何重にもセキュリティを増し、重厚な隔壁を増設し、どんな化け物も入れないようにした。そして、桐生という絶好の人材を引き入れ、誰にも知られないよう、細心の注意を払ってプロジェクトを再生させた。そのはずだった。そのつもりだった。
いや、対策は完璧だったはずだ。だからこそこの男は今まで入ってこれなかったのではなかったか?
「お、お前は……そんな馬鹿な……ここには誰も入り込めないはず」
そう言ってから、もうすでに、複数の侵入者がこのフロアに入り込んでいたことを思い出した。
もう、取り返しがつかないほどに混乱していた。
自らの頭の中も、この施設の中の状況も。
彼が人生をかけて積み上げてきた何もかもが音を立てて崩れていくのを感じた。だが、まだ終わったわけではない。まだ負けたと決まったわけではないのだ。そうだ、冷静になれ。まだ彼らがいたはずだ。
桐生のもたらした技術と設楽の提供したカネによって、数々の失敗作を生みだしながらも最終的に成功作として生み出された「レベル4」の護衛が三人、ここにはいる。
この庭園には、とてつもなく優秀な戦闘員がいるのだ。この三流高校の校長に留まっているような人物など、軽く捻りつぶせるほどの絶大な戦力が。それを自分は保持している。男がどれだけの異能を持っているのかわからないが、彼らにかかってはひとたまりもあるまい。自分は何も恐れることなどなかったのだ。そう思った。
だが、混乱してよく回らない彼の頭は、ひとつの違和感に辿り着いた。
待てよ。なぜ…
なぜこの男はここにいる?なぜここに平然と立っている?
あの優秀な護衛たちは何をしていたのだ…
そう思い、先ほどまで三人の護衛が立っていた場所を目にやると…
見るも無残に手足が異様に折れ曲がり、身体中の関節という関節を潰され、口から泡を吹いて倒れ伏している三人の護衛の姿があった。
「ケヒッ」
喉の奥から、奇妙な音が漏れた。
そうして、彼は自らの杖に手を伸ばす。そうだ。ついにこれを使う時が来たのだ。今が、その時なのだ。まさか使うことはあるまいと思いながら、どこまでも用心深い自身の性格がそれを作らせ、設置させた。この地下施設に複数配置された小型水爆と、その起動装置。それを使う時が来たのだ。
自らの人生の終焉がこんな形で訪れようとは。あまりにも無念。あまりにも口惜しい。
だが……もう、軍の人間が複数ここに入り込んでいる。
自分がこの国を作り変えようとしていた……国の構造を丸ごと転覆しようとしていた決定的な証拠がこの施設にはゴマンとある。
彼らがそれにたどり着くのは時間の問題だ。いや、すでに見つけ出しているかもしれない。
脱出も、絶望的と言っていい。
この目の前の男を倒す術はもうここにはない。
頼みの綱は全て切れたのだ。
そうして設楽応玄は自らの杖に手をやり、取っ手にある隠しスイッチに親指を置く。
これを押せば、全て終わる。自らの人生は自らの手によって潰える。
だが軍の異能警察に捕らえられ、拷問を受けながら搾りカスとなるまで全ての情報を抉り出されるのと比べれば、なんと潔い結末か。
自分の意思で進んで来た自らの人生は、自分の手で終わらせるのだ。それが、私の、設楽応玄の生き様だ。最後は他の誰にもできないぐらい、華々しく散ろうではないか。
それはそれで、一つの勝利なのだ。
そう思い、目の前の男を睨みつけ……口に引き攣った笑いを浮かべながら、思い切り手に持った杖のスイッチを押す。
カチリ
しかし、そういう音がして、沈み込むはずだったスイッチは、あまりにも抵抗なく親指を受け入れた。
いや、そこにあるべきものがないような、そんな指が空を切る感覚。
しまった、緊張のあまり手が滑ったか、そう思い手元に目をやると…
そこにあるはずのものがない。
杖が、大事な杖が自分の手の中から失われていた。
見れば、その杖は目の前の大男の手に握られていた。
そうして、その男はその杖を投げ捨てる。
「ケハッ」
再び、声にもならない音が口の奥からした。
もう、何も考えられない。体の全てから力が失われる。
どこからか、複数の足音がする。
黒い軍用特殊素材のスーツに身を包んだ男女が数人、こちらに走ってくるのが見えた。
そして、庭園の中程……
様々な庭木が生い茂るこの設楽応玄のお気に入りの場所まで来ると彼らは立ち止まり、
長い黒髪を後ろで束ねた女が自分の側までゆっくりと歩いてくる。
その女は、手にした紙の束から……
「極秘」と書かれたここの研究書類の一枚を取り出し、言った。
「設楽応玄。国家反逆罪容疑で緊急逮捕、連行します。」
そうしてこの施設の主人、設楽応玄は軍服の人物らによって手足を枷で拘束され、そのまま首に薬物のアンプルを差し込まれ……
意識を暗い闇の中へと落としていくのだった。
本章のシリアス部分を回収して次は…例の手紙の回収
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