128 放課後諜報クラブ 2
「マイクチェック、感度良好――そちらはどうだい」
「ああ、よく聞こえる――問題ないぜ!」
そろそろ、サツキ先生が店にやって来る時間になる。
御堂と植木、そして、まんまと買収された音威と平賀は、仕掛けをこっそり店内に施していた。
御堂の語った「作戦」というのは、こんな感じだ。
まず、普通の人間の目には見えない超極小の集音器(軍事用でも出回っていない代物)を、氷川くんのテーブルに仕掛け、サツキ先生との会話を拾い、音威の『音を発する者』で音を増幅させて俺たちのいるテーブルまで届ける。
そして、その他大勢は状況の監視――いうか、要するに何の役にも立たない野次馬であるが、音無さんの『音を消す者』で全員の音を隠蔽し、状況を見守る間、サツキ先生に気づかないようにする。
平賀は「マイクの充電・起動」という一見居ても居なくてもどっちでも良さそうな役割を与えられ「俺はまたバッテリー役かよ」不満を漏らしていたのだが、極小マイクの通電に必要なのは超繊細な電流の調整らしく、御堂いわく『電気を発する者』の平賀にしか任せられない重要な仕事だという事だった。
それがホントかどうかはともかく、持ち上げられた平賀は「まあ、それなら仕方がないか」と大人しく従っていた。
俺としては、そんな超微小なサイズの集音器をどうやって準備したんだとか、あの変態に聞きたいことは山ほどあるのだが――作戦の概要としては、以上である。
別案として、より安全な「御堂の能力で姿を消して、みんなで仲良く氷川くんの背後に張り付く」という案もあるにはあったのだが、それには全員が御堂に密着しないといけないので、当然、女子勢から却下された。
そういうわけで、以上の方針が決まった。
つまり、結局、やろうとしてることは「盗聴」。
ーー限りなく犯罪に近い何か、である。
友達の恋愛のサポートだと言い切れば、多少の情報収集は許される――というのが変態の言い分だが、そんなのは一方的な論理である。
確かに、俺たちが会話の内容を把握するのは氷川くん合意の上ではあるのだが、サツキ先生はもちろん知らない。
まあ、別に機密や重要情報がやり取りされるわけでもなく、別に聞かれたって大して問題のない会話なのだとは思うが――
音威と平賀は良心の呵責があるのか、少し渋っていた様子だが、氷川くんのサポートと言う大義名分と御堂の『悪魔の囁き』に丸め込まれた形だ。
「――氷川くんのあんな表情、初めて見るわね」
女子たちはやはり興味津々という感じで待機する氷川くんを見つめている。
氷川くんはその時が近づくにつれて、だんだんと緊張した面持ちになり、そわそわと店の入り口を見て落ち着かない様子だ。
確かに、いつものクールでちんまい氷川くんとは少し違う。
憧れの女性の登場を待ちわびる、純真無垢な少年といった風情だ。
顔貌が非常に整っている氷川くんだけに、いつもの様子とのギャップが受けるらしく、風戸さんは「くぅ〜、これもよかたぁぁぃ……!」と一日の労働が終わってやっとビールにありついたおっさんのような声を出し、火打さん、音無さんと一緒にくねくねと悶えている。
その脇で、香川さんが氷川くんの様子を凝視しながら、熱心に例の「B x B」ノートと「B x G」ノート双方に何かを描き込んでいる。
一方、男子陣。
「すげえな、音威!! こんなこともできるなんて見直したぜ!」
「はっ!! どこが難しいんだ、こんなこと。楽勝だったぜ、なあ、平賀!」
「あ、ああ……そうだな」
「フフ、君たちがここまでやる気になってくれるとは……素晴らしい、想像以上だよ。平賀くん、音威くん」
モヤシ男と変態に持ち上げられたチョロ男x2は、まんざらでもなさそうな顔をしている。
俺は極力、彼らの犯罪的行為には加担はしないようにしている。
でも、かといって積極的に止めるようなことはしていないので、ここで一緒に盗み聞きしている時点で俺も同罪のような気がしないでもない。
だが、仮に俺がここから立ち去ったとして、状況は良くはならないだろう。
色々と考えてはみたが、やはり、こいつらをそのままにしては立ち去れないのだ。
俺は動向を注視しつつ、行き過ぎたところがあったら止める役割の人間としてここにいるつもりだ。
……ふう、やれやれ。
うちのクラスはほっとくと犯罪に走りそうな奴らばかりで困るな……。
ん……ちょっとまて?
ここにいる奴らのほぼ全員が『異能警察予備隊』に抜擢されてなかったっけ……?
現状、犯罪者予備群なんですけど?
俺、その隊長をやってくれって言われてたような……。
……この集団をまとめる自信、全くないんですけど。
俺がそんな事を考えていると、ファミレスの入り口を凝視していた香川さんが、素早く「BxB」ノートをバッグの中にしまい込み、周囲に注意を呼びかけた。
「みんな――対象が来たわよ、警戒して」
それはサツキ先生の来店を告げる声だった。
時間通りに待ち合わせの場所に来た彼女は、すぐに店の中に氷川くんの姿を見つけると、にこやかに同じテーブルに着いた。
「ふふ、氷川くん、元気にしてた?」
「は、はい、あの、突然の呼び出しに来てくださってありがとうございます、サツキ教官」
今日のサツキ先生は清楚なお姉さんっぽい感じの私服だ。今までバトルスーツ姿しか見たことなかったので、普通の格好が微妙に色っぽく感じる。氷川くんが若干、ぎこちなくなるのもわからないでもない。
「可愛い教え子からのお願いだもの、当然でしょう」
「……は、はい……!」
可愛いって言われてちょっと照れてるやがる。
まあ確かに、可愛い。
脇の女子テーブルから「ふおおおおおッ! そんな表情も良かぁ!」という風戸さんの声が聞こえた。
……音無さん、こっちに来る音も消し去っていいんだからな?
うるさいが、放っておいて、会話に耳をすます。
「何か頼む? 私はコーヒーをもらうけど」
「あの、僕は……その」
「ふふ、遠慮することないのよ。なんでも注文して。育ち盛りなんだから」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
そうして、オーダーを取りに来た店員さんにサツキ先生はホットコーヒーを頼み、氷川くんは色々と迷った挙句、「じゃあ、これをください」と、『お子様カレーセット』を注文した。
その場の全員が、息を飲んだ。
…………。
俺は別に、誰が何を頼もうと、自由だと思う。
でも、この状況で、これはアリなのか。
彼の目的は確か、「サツキ先生のお婿さんになりたい」だったはずだ。
俺は混乱し、思わず御堂の顔を見つめたが、案の定、奴は首を縦に振った。
やはり、奴の入れ知恵か何からしい。
「フッ……勘違いしないでほしい。僕は、自分に素直になった方がいい、と助言しただけだよ」
ああ、その結果が、アレか。
こちらからはサツキ先生の表情は窺い知れないが、注文をとった女性店員さんの肩はプルプルと震えていた。隣の女子テーブルは言わずもがなである。
「――それで、私に相談って? 私で力になれることなら、協力するわよ」
サツキ先生はあまり動じなかったのか、店員さんが去ると会話を続けた。
……相談?
ああ、そうだった。
氷川くんは彼女に「相談がある」ってことで彼女を呼び出したんだった。
お子様カレーセットのインパクトで目的が消し飛ばされかけていたが、そう、ここからが本番だ。
彼の夢――「サツキ先生のお婿さんになりたい」を実現するための第一のステップが、ここから始まるのだ。
ここが正念場だぞ、氷川くん。
頑張れ。
「あ、あの――実は」
さて、彼はここでどう話を切り出すのか。
見守る俺たち全員が手に汗握りつつエールを送る中、氷川くんは、
「あの夜の出来事が、忘れられないんです」
切なそうな表情で、そう切り出した。
いきなり、ド直球だった。
案の定、近くでお茶をしていたおばちゃん達が、彼らのテーブルをチラ見しつつ、なにやらヒソヒソと会話し始めた。
見た目中学生ぐらいの男子と美人の成人女性がそんな話を始めたら、まあ、それは仕方のないことである。
全部、誤解なんだけど。
「あの時のこと? ふうん……じゃあ、またしたいんだ」
一方、サツキ先生はとても嬉しそうに笑った。
それはいいよね。それ自体は。
――でも、ねえ、サツキ先生?
なぜ、よりによってそのような言葉選びをするのでしょうか?
背後のおばちゃんギャラリーが目をひん剥いて二人を見つめて――や、やはりッ! みたいな、疑惑が確信に変わったような顔をしているんですが。
「それと、で、出来ればもっと、激しめに攻めて欲しいんです。前よりも、ずっと激しいのがいいんです……!!」
氷川くんは懇願した。
彼の表情は真剣そのものだった。
心の底からの熱意が伝わってくる。
それだけに、隣のテーブルのおばちゃんたちは、ま、まあ、そういうこともあるわよね……? みたいな感じで少し落ち着きを取り戻し、お茶を啜っていたのだが。
「ふふ、そうなの? そんなに、激しいのがいいんだ。じゃあ、今度は私も――いろんな道具とか使って張り切っちゃおうかな?」
ここで、おばちゃん達が口に含んだお茶を一斉にぶち撒けた。
ーー先生?
もしかして、ワザとやってます?
ですよね?
おばちゃんたちは、さっきまで一応の理解を示そうとしていたのが嘘のように二人を凝視し、奇異の目で観察している。
「は、はい! 喜んで! どんな責められ方でも、僕は嬉しいですから……!」
氷川くんの鼻息は荒く、目は潤んでいた。
おばちゃんたちは、キラキラした表情でサツキ先生を見つめている氷川くんを、昼間からすごいもの見ちゃったわ、みたいな感じで目を細めている。
ああ、誤解の連鎖が止まらない。
誤解、だよな?
何だかだんだん、誤解と言い切る自信がなくなってきた。
一方、俺の隣のテーブルでは、奇怪な鳴き声をあげながら悶える女子三名の向かいで、香川さんの「B x G」ノートのページがものすごい勢いで捲られ、埋まっていく。
俺はあのノートが何であるか大体察してしまった。
というか、実は最初から正体はわかっていたが、正直あまり認めたくなかったのだ。
でも最早、認めざるを得ないだろう。
――あれはいわゆるネタ帳だ。
目が血走っている香川さんのあの感じからすると、相当に濃い闇が詰まっているに違いない。
火打さんと音無さんは、横からそのノートを覗き込み、なるほど、なるほど、と頷きながらも、「でも、やっぱり御堂くんとの絡みの方が需要あるよね」「そうだね」と囁き合っている。
――闇は、どこまでも深かった。
どいつもこいつも、腐ってやがる――。
身近に存在した闇の淵を目の当たりにして絶望に打ちひしがれる俺をよそに、二人の間でどんどん話が先に進んでいく。
「じゃあ、次はいつがいい?」
「ぼ、僕はいつでも。もう心の準備はできていますから」
「ふふ、そうなの?」
当の二人は楽しそうだ。
いやいや、まあ、落ち着け。
ここでちょっと冷静になろうか。
ここまでの彼らの会話は、誤解を招くような表現が多々あるが、実際は氷川くんは単にサツキ先生に『訓練』をお願いしているだけのはずだ。
そう、結局はそれだけだ。
つまりは、ことは順調に進んでいるし、何も問題などない。
そうだ、最初から問題などどこにもないのだ。
俺は努めてそう思おうとしていたのだが――
「じゃあ、今晩、うちに来る?」
――再び、その場にいる全員が息を呑んだ。
同時に、「ふおおおおッ!?」と、どこかで鳥の鳴き声のような音がした。
見れば声の主は隣の女子テーブルの風戸さんだった。
火打さんは、テーブルに突っ伏して悶えていた。
サツキ先生は続ける。
「最近、激しいのに付き合ってくれるパートナーがいなくて運動不足だったのよ。……汗をかいたらシャワールームもあるから、泊まっていってもいいわ」
音無さんが拳を握り込み、小さくガッツポーズをしていた。
香川さんは相変わらず無言のまま、ものすごい勢いでノートに何かを書き込んでいる。
おばちゃんたちは、今にも通報しそうな勢いで携帯電話を握りしめ、見れば、音威と平賀は石になっていた。
奴らは何の片棒担いでいるのか、今更ながら自覚したらしい。
「ふふ、じゃあ、早速今から行きましょうか」
「た、楽しみです……!」
一方、氷川くんは、真っ赤な顔をして恍惚の表情を浮かべている。
今、ファミレスの中に濃厚な混沌が作り出されていた。
「あ、その前に。氷川くん、ちょっとここで待ってて」
そう言って席を立った。
どこに行くんだろう、と疑問に思っていると、彼女はだんだんと俺たちのテーブルの方に近づいてきた。
そして、しばらく歩くと、立ち止まった。
俺たちの目の前で。
「もちろん、君達もよ。聞いてたでしょ?」
「え?」
こっちの音は聞こえてないはずでは?
御堂はやはりこうなったか、みたいな表情で爽やかな笑みを浮かべ、首を振っている。
こいつ、作戦立案者のくせに。
やはりアレは死亡フラグだったのか。
「お店に入った時にそれとなく周囲を観察して置くのは軍人の基本よ? それに、あなたたち明らかに不自然な動きをしていたもの。こんなの誰だってわかるわよ?」
とのこと。
最初からバレてたらしい。
「じゃあ、早速行きましょうか。前の異能警察予備隊の訓練は中途半端に終わっちゃったしね。ちょうどよかったわ。もちろん、いいでしょう? とても暇そうだしね? 人の話を盗み聞きしてるぐらいだし――ね? 学校にも報告しておくから、さっき言った通り、深夜までいてくれても、泊まりでもいいわよ」
サツキ先生の顔に、笑みが浮かんでいた。
本当に、見惚れてしまいそうな優しい笑みなのだが、彼女の背後にドス黒い「何か」がーー。
なんだか命の危険を覚えるような濃密な殺気が。
見えたような気がした。
「「「………………」」」
誰一人として「今忙しいです」とは言えない雰囲気が漂っていた。
のだが。
「あ、私は部外者みたいなので、残念ですけど!! 失礼します!!」
そう早口でまくし立てて、ファミレスの入り口にダッシュした女子生徒がいた。
この中で唯一、『異能警察予備隊』に選ばれていない香川さんだ。
彼女はそそくさとノートをしまい、店の中からものすごいスピードで逃げ出そうとしたのだがーー
「ふふ、あなた、対校戦争に出ていた香川さんでしょう? ふふ、大丈夫だから、一緒に行きましょう」
気づけば、サツキ先生に、肩をガッチリと掴まれていた。
「あの、でも……!?」
「みんな一緒だから、ね? 大丈夫、怖くないから」
そこまでの動きが、全く見えなかった。
ああ、もう逃げられないな。哀れ。
じゃない。
何が大丈夫なのかさっぱりわからないが、ここに居る全員が半ば強制的に訓練という名の地獄に連れて行かれることは確定しているらしい。
「じゃあ、行きましょうか。前よりちょっと厳しいぐらいの訓練にしようと思うけど……大丈夫。君達なら、きっと耐えられる筈だから。安心してね?」
もちろん何一つ安心材料などあるはずがないが、従わざるを得ない。
皆が虚ろな目をしてファミレスを後にする中ーー
ただ一人、氷川くんの笑顔だけが眩ゆいぐらいに輝いていた。