123 宣戦布告
薄暗い倉庫のような部屋の中、二人の男がくたびれた様子で地面に座り込んでいた。ボロボロになったスーツの上着を肩に掛けた細身の男と、タンクトップ姿の大男。二人とも満身創痍といった姿で、全身の皮膚から血が流れ出て、至る所に青アザのような模様が浮かび上がっている。
そんな二人の男を見下ろすように立っていた女性が、闇の中でも煌々と輝く瞳を細めながら言った。
「本当に無様ですね、漆原、竜胆。見ていましたよ。貴方達の敗走の一部始終を」
女はそんなことを、表情も変えずに淡々と言った。その眼にはなんの感情も篭らず、ただ事務的に必要なことを伝えているだけだと言わんばかりの冷たい声色だった。そんな女の叱責ともつかない温度のない言葉に、スキンヘッドの男が口を開いた。
「……ああ、その通りだ、蘭瞳。かろうじて目標を達成できたとはいえ……確かに、あまりにも醜態を晒したな。それに関しては恥じ入るばかりだが――」
同調するように、隣のスーツの男が言葉を加えた。
「まあ、ご覧の通りだが……なんとか当初通りの目標は達成できたんだ。確かに失態はあったが、それでお目こぼししてくれや――」
二人の傷だらけの男達が敗走の口実を口にしようとした時、部屋の奥からその様子を眺めていた十代半ばの少年が、手をひらひらと、大げさな身振りを添えながらそれを遮った。
「ああ〜、違う、違うよ。蘭瞳さんが言ってるのはそういうことじゃなくてね」
その小柄な黒髪の少年は顔には年相応のあどけない笑みを浮かべ、しかし、その口から出てきた言葉は辛辣だった。
「君たちが、何にも達成できないまま馬鹿みたいに戻ってきちゃったってことだよ。まだ、『目標』は生きてるのにさ」
少年の言葉に二人の男達は意外そうな表情を浮かべた。
「……何だと?」
「……何? あの女が生きている?」
少年の発言の意味を理解できていない様子の二人に、表情を変えずに佇む女性、蘭瞳ヒトミが言葉を付け加えた。
「ええ、その通りです。生きていますよ、彼女は。貴方達は何も達成しないまま帰ってきたのです。無様にも程がありますね」
スーツの男、漆原シゲルは怪訝そうな表情を浮かべた。
「いや、そんなはずはないだろうよ。俺は確かにあの女を首を飛ばした筈だ。まさか……あの状態から再生したとでも――?」
漆原はそこまで言って、自分たちの邪魔をしてきた炎を使う少年のことを思い出した。体を半分に切断されてなお再生し、立ち上がってきた少年。てっきり、あれはあの少年独自の能力だとばかり思っていたのだが……そういえば、芹澤少年を瀕死の状態から立ち直らせたあの『白い狐』がいた。
そうか、確かにあの力があれば、あるいは――
――しくじった。
そう思って漆原が口を開こうとしたところに蘭瞳ヒトミからさらなる言葉が告げられる。
「違いますよ。再生したわけではありません。そもそも、お前たちが殺害したと思っていたモノ……あれはただの人形です。なかなか精巧に作られていましたが……あなた方二人ともすっかり騙されて逃げ帰ってきたとは。滑稽の極みですよ、漆原、竜胆」
「何? 人形……? あれがか? そんな馬鹿な――」
「ああ、その通りさ。僕も一緒に視ていたよ。君たちが必死に人形を斬って、満足して逃げ帰るところをね」
いつの間にか三人に近づいてきた少年は、手頃な大きさの椅子に腰掛けながら言った。
「まあ、人形とはいえ、あれは血飛沫まで再現されていたし。異常と言ってもいい再現力だったよ。君達が見間違うのも無理はない……あんなの、普通、ありえないから。……それでも、君たちならちゃんと気がつくと思ってたんだけどね? 残念だよ」
皮肉のつもりなのか少年は顔に満面の笑顔を浮かべながら、男達に親しげに語りかけた。
「じゃあ……俺たちは、まんまと騙されて逃げ帰ってきたってことか? それじゃあ、まるっきり……道化じゃねえか」
「はは、まあ、そういうことだね」
そう言って、さらに可笑しそうに嗤う少年、武神シンヤ。
竜胆は己のさらなる醜態を理解し、悔しそうに俯いて拳に力を込めた。
「何ということだ……あれだけの『兵』を用意されていながら、これ程の失態とは。こうなれば……」
「ああ、いいのいいの。責任とか感じなくて。あれは只の廃棄物だから」
あまりに軽い口調の少年に、思わず竜胆は振り向いた。
「……廃棄物?」
「1万体だっけ? 全然、まだまだあるからさ。作りすぎちゃってそろそろ倉庫を圧迫してたんだよ。今回の作戦はその処分も兼ねてたからね。君たちはその役割はしっかりと果たしてくれた。それに関していえば上出来さ」
漆原は少年の態度に違和感を覚え、口を挟む。
「……何だ? まるでお前があれを作ったような口ぶりだな」
「まあ、全部じゃないけどね。僕は結構、その辺を『原典』と共有してるんだ。だから、心配いらないよ。大事な備品を損耗して〜、とか……そういうの、必要ないから」
「そうか……それにしたって、格好はつかねえな」
「ま、それに関してはそのうち『原典』から処分が下るだろうさ。もし、彼が怒ってるならね」
多弁な少年は少し肩をすくめるようにして、大げさな身振り手振りを交えながら話を続ける。
「それにしても、さ。僕が疑問に思ってるのは……渡されてた『切り札』のことだよ。なんで使わなかったの、竜胆?」
「切り札? ……なんだ、それは?」
聞き覚えのない話に漆原は竜胆の顔を見たが、蘭瞳ヒトミが先に口を挟んだ。
「どうしても何も。私は見ていましたよ、武神。彼らはただ、なすすべもなくあの少年に殴り飛ばされたのです。それこそ、無様この上ない形で。彼らは何をする暇もなかったのですよ、武神」
あくまでも淡々と事実を口にする蘭瞳に、竜胆は頷いた。
「ああ……『切り札』は使う間も無く、俺たちはあの少年に吹き飛ばされた。その上、目標を殺害したと誤認して、撤退を優先した。使う機会を完全に逸した、というのが本当のところだ」
「……おいおい……なんだ、それは? 俺は何も聞いてねえぞ?」
一人戸惑う漆原の言葉に、少年は静かに笑みをこぼすと、嘲るように言った。
「……ああ……伝えてなかったの、竜胆? ダメじゃないか、教えてあげなきゃ」
「『原典』から、『作戦中は誰にも言うな』とメッセージを受けていたのだ。仕方なかろう」
「……私もそういうものがある、ということだけは知らされていたけれど」
「おいおい……じゃあ、仲間はずれは俺だけかよ……?」
「ああ、そのようだね。でも、そういう指示だったのなら、仕方がないね」
「……チッ……」
漆原はこのやりとり自体に、とても嫌な感覚を覚えていた。
どうもこの少年、武神シンヤは『上司』のお気に入り、ということらしい。
現『掲示板』メンバーの中では蘭瞳が最古参だと言う話だが、今や、こいつが上司の立場に近いところにいる感じだ。自分たちが皆、『上司』の消息を知らされないでいた中、コイツは何かを一緒にやっていたという。
それに比べて、竜胆と自分は数年前に『掲示板』に引き込まれた、まだメンバーの中では新参と言ったところだが――
それにしたってこの扱いの違い。あからさますぎる。
コイツは一体、何を考えている……?
「ちなみに、何が出来るんだ? その切り札ってのは」
「わからん。知らされていないのだ。だが困った時に使えば状況の助けになる、と。その時までとっておけ、と言われている」
その答えに、漆原は背筋がゾクリ、と冷えるのを感じた。
――ああ、やはり。
クソ真面目な竜胆に『切り札』とやらが託されたのはそういう理由か。
どんな用途か分からない? 中身を知らされていない?
それは絶対に使っちゃあいけない種類の切り札だろう。
……あの時の嫌な感覚の正体は、間違いなく……これだ。
あの時の嫌な予感は、その『切り札』とやらのことだったらしい。
今、自分たちは切られにかかっている。
竜胆はそれに、気がついていない。
「まあ、それはそれとして……ねえ、漆原?」
荒れる漆原の内面をよそに、黒髪の少年はとても楽しそうに声を上げた。何かいいものを見つけた、とでもいうように。
「なんだ」
自身に注がれる武神少年の視線を、険しい表情で受け流す漆原だったが、次の少年の質問に体が固まった。
「ソレはなんだい? 面白いものがポケットに入ってるね」
「……あ?」
漆原は言われたままにスーツの上着のポケットを探るが、見れば、見覚えのない小さな幾何学立体が入っている。こんなもの、自分は入れた覚えなどない。
「――それ、見たことあるね。確か、帝変高校の教師の一人が使う……」
その時、漆原の手の中で、ザザ、とその幾何学立体が揺れた。
そしてそこから、一人の女性の声が響く。
『……話は聞かせてもらいました』
その声は落ち着いた様子で、その場にいる人間に語りかけた。
「その声は、玄野メリアだね……はじめまして、でよかったのかな?」
声の主は武神の質問には答えずに言葉を続けた。
『貴方達は……八葉リュウイチに連なる人達ですね?』
「ああ、そういうことになるね。なかなか、僕らのことをよく分かってくれているみたいじゃないか」
『……貴方達の遺した論文は、すべて読みましたから』
「だと思ったよ。それに『達』って呼ぶからには、僕らがどういうモノかも、もう分かっているんだね? すごいよ、君。断片的な情報だけでそこまで行き着いたってこと? 『原典』がここにいたら、絶対に助手に欲しがると思うなぁ〜……どうだい? そっちの陣営は捨ててさ、こっちに来ない? 最上級の待遇で迎えるよ」
少年の軽口には反応を示さず、若い女の声は、静かに――
『ここから先、帝変高校に手を出さないでください』
しかし強い口調で、一言だけ告げた。
「ははは……面白いことを言うね、君。当然ながら、それは出来ない相談だよ。知っての通り……そこにはとっても興味深いモノが詰まっているからね。宝箱だよ、実際。それを分かっていて、手を出さないなんてこと、きっと、できないと思うなぁ〜。少なくとも、『八葉リュウイチ』はそんなこと、許さない」
『そうですか。こちらからの警告はしましたから……では、この先の干渉は――』
「いいよもう、そういうの。とっくに戦争は始めただろ? じゃ、またね」
玄野メリアの言葉を遮り、武神がそういうと、パキン、と音を立てて立体が割れ、消滅した。
「チッ……本当に生きていたのか……」
苦虫を噛み潰したような表情の漆原に笑いかけるように武神は視線を向けた。
「まあ、別に問題ないけどね。別に生きてたって」
「……どういうことだ? 『原典』から指示を受けて殺害の計画を立てたのはお前だろう?」
「ああ、そうだよ。でも『原典』は殺害にはこだわってないよ? そうなったらちょっといいなってだけ。別に生きていたってやりようはあるしね」
「……なら、そもそも何故あんな作戦を? 不可解ですよ、武神」
意図がまったく理解できない、というふうに目を細める蘭瞳に、武神はその薄い笑みを絶やさずに答えた。
「蘭瞳さんには前にも言ったかもしれないけれど……襲撃が起きた時点で、目的は達成されてたんだよ。襲撃の結果はどうあれ、ね」
「……なんだそれは。目標は達成してこそ、目標だろう」
同じく竜胆も疑問を呈するが、あくまで武神は落ち着いた様子で続ける。
「襲撃の成否より、あれだけ派手に玄野メリア個人が『襲撃された』という事実の方が重要なのさ。それによって奴らはどうあれ、これから守りに入らざるを得なくなる。あらゆることを警戒し、力を分散させなければいけない。だって、奴らは何処を攻めたらいいのか、何処から攻められるのかが分からないんだから。僕らの規模なんか知りようがないからね? ……誰かさんがさっきみたいなヘマをしなければ、だけど」
そう言って武神は漆原を鋭い眼つきで眺めた。
が、すぐに目を逸らし、再び冷たい笑みを浮かべる。
「……まあ、それも一興だ。それぐらいのハンデはあげてもいいじゃないか。どちらにせよ、彼らは脅威を認識した。だから、動かざるを得ないよね。ここから、どう動くか観察しようじゃないか? そうして……手薄になったところから攻めていく。僕らがやるのはそういう簡単なゲーム――」
武神は自身の発した言葉に、一瞬止まり、そして――
ニタリ、と綺麗な顔に亀裂の様な大口を開け、嗤う。
「そう、これはゲームだ。僕らの生死をかけた、戦争。折角なら面白おかしく、楽しくやろうじゃないか? 僕らにはその準備があるんだし。それで、これからどうするかだけど……」
その少年は年齢にとても見合わない、何処までも淀み腐ったような瞳を歪ませ――
一見あどけない、晴れやかな笑顔で言った。
「僕にとてもいいアイデアがあるんだ。みんな、協力してくれないかな?」