107 森の中の戦争8 炎の力の限界値
「……ったく、あぶねえことするぜ。この少年」
漆原は足元の血溜まりに転がる、腹から二つに裂けた少年を見ながらそう呟いた。
「危うく酸欠で死ぬところだったぜ……アレはちょっとやばかったな」
あたり一面、見渡す限りが火の海だった。今も木々は焼け、森に炎が燃え移っている。幾つか対処法はあるとはいえ、あのままだったら少し危なかった。
「無駄口を叩くな。もう行くぞ」
「ああ、わかってる。だが煙草が燃え尽きちまった。一服させてくれや」
「お前という奴は……!!」
怒りに頭を震わせるスキンヘッドの男……竜胆を尻目に漆原は上着のポケットからタバコを取り出して、辺りでまだくすぶっている炎で火をつけた。
「…………なあ少年。この世の中ってのはちっと残酷すぎると思わねえか」
体が半分になった物言わぬ少年を見下ろしながら、漆原は煙を一口吸って、吐いた。
「いい加減にしろ、漆原。行くぞ。この作戦をなんだと思っている……!!」
「……ああ、今行く。そう怒るなって」
そうして漆原が少年の死体から目を離そうとした、その時だった。
散り散りになった目の前の肉片が、淡く輝き……蠢きだした。
「何だ……?」
死体が、肉片が、動いている。
死体なら自分は腐る程見てきた。異形化する人間の姿も数多く脳裏に焼き付いている。だが……これは何だ? こんな状態の死体は見たことがない。
肉片が、飛び出たはずの内臓が、自ら蠢きながら、元の場所に戻ろうとする。それだけでなく、地面に染み込んでいった血も、逆回しの映像か何かのように宙に浮き、元来た場所……少年の体のある場所へと戻って行く。……何だ、何が起きている?
「……なんだ、こりゃあ……?」
これも、この少年の能力なのか? こんな挙動をする能力は自分の記憶の中にはない。『八葉リュウイチ』の記憶の中にだって見当たらない。……なんだ、これは? 今、この少年に何が起こっている?
漆原がそんな風に考えていると、目の前で二つに分かれて死んでいた少年はみるみるうちに元通りとなり……その場で、よろよろと立ち上がった。
「おい、漆原……やれ……!!」
後ろにいる竜胆から、声がかかる。
「どうなってんのか知らねえが……すまんな。死んでてくれ」
そう言って、再び彼の持つ異能の力で、目の前の少年の体を切断する。
「……がッ……!? 痛え……」
だが、真っ二つにしたと思った上半身はあっという間に元に戻り、まだ少年は立っている。少年は一瞬、痛みの声をあげただけだった。
「……どういうことだ、こりゃ……?」
確かに、斬れた。切断した。だが、これはどういうことだ? 何故この少年はそのまま立っている? そして、何故俺を生気の籠もった目で睨みつけてくるのだ? 一度、死んだ奴がそのまま蘇ったとでもいうのか? そんな能力を……『八葉リュウイチ』が知らずに放っておいたとでもいうのか?
「漆原……先に行け。こいつは……厄介だ」
先を急いでいたはずの竜胆が、「予定」を変えて少年に向きなおる。
同じ記憶を共有しながらあまり意見の合うことのない二人だが、この時の理解は一致していた。この目の前の少年は、危険だと。
◇◇◇
俺は気がついたら、地面に寝転がっていた。
傷がない。腹に手を当てて見ても、繋がっている。
あれは夢だったのか? いや、そんなはずはない。
あの痛みも、苦しみも、覚えている。
それに……自分の体を覆う、仄かな暖かい光。この感じを俺はよく知っている。俺の怪我を直すときに、あいつが異能を使う時の光だ。
「……神楽……なのか?」
俺はゆっくりと立ち上がる。体の調子はすこぶるいい。さっき倒れる前よりも、ずっと力がみなぎっている。
……今、俺が生きているのは神楽の力のおかげなのか? あいつには今、そんな力はなかったはずだ。あの時以来、力を失った。
……だが、俺をあんな状態から元に戻す力。そんな力……俺はあいつ以外に知らない。俺は一度見ているからだ。あいつがバラバラになったタロウの肉体をかき集め、元の生きた子犬に戻したところを。なら、あいつは今、同じことをやったのか? 力が戻ったのか? どうやって……?
混乱した頭でそう考えていると、また、腹を裂かれた。
「……がッ……!? 痛え……」
油断した……! また、俺は……!!
そうやって焦ったのも一瞬で、体はまた元に戻り、痛みも引いていく。目の前のスーツを着た男は何事かを呟き、俺の方を見つめている。こいつだ。今のをやったのは。
……そうだ、まだこいつはここに居たんだ。呆けている場合じゃない。
「……絶対に……ここは通さねェ……!!」
再び、辺り一帯を渾身の火力で焼き尽くす。さっきのような火力じゃダメだ。あいつらはそれをものともしていなかった。俺は火力を上げれば上げるほど、自分の体を焼いてしまう。だが、今はそれを気にしている場合じゃない。そして幸い、気にする必要もない。
相変わらず炎は体を焼き、皮膚を炭化させていく。それに変わりはない。だがその下から次々と細胞が生まれ変わり、再生していく。
「……痛え……これは痛ェな……死ぬほど痛え……だが」
肌を焼く痛みはある。だが、耐えられないほどではない。
「……お前らは絶対に行かせねェ……!」
普段威力をセーブしている「火球」も今は全力だ。
本来、火球そのものはかなり大きく出すことが出来る。だが、ある一定の大きさを超えると今度は自分の手を焦がす。だから、直径1メートル前後がベスト。そう判断して使っていた。だが、こいつら相手に出し惜しみなどしていられない。少しぐらい腕が焼けても、手が焼失し、肘ぐらいまで炭化しても、今はどういうわけかすぐに再生する。多少の痛みと引き換えに、大きな力が出せるのなら迷いなくやってやる。……それで神楽を守れるのなら。
「……焼けろ……『火球』ッ!!!」
そして俺は腕が、顔が焼けていくのも構わずに、10メートル級の火球を連続して放つ。周囲の消し炭になっていた木々が吹き飛び、辺りに爆発音が響く。爆風で視界が多少悪くなるが、途切れさせずに撃ち続ける。この程度で奴らを倒せるとは思わない。
だから俺は奴らの動きを注視する。目を開けば強烈な炎で瞼が焼けていく。爆風で目が焦がされる。でも、それもすぐ再生する。だから俺は目を目一杯見開いて奴らの動きを観察する。
今は瞬きすら、する必要がない。
「……見えた」
奴らは爆風を避けて二人、同じ方向に逃げた。とてつもないスピードで俺から遠ざかっていくのが見える。
だが、逃さない。一度っきりの非常回避手段としてしか使えなかった、爆炎による高速移動が今は普通に使えるからだ。肌を焼き、肉が炭化していく痛みさえ気にしなければ。
「……逃さねェ……!」
そして俺は背面を爆発させるように燃え上がらせて加速し、一瞬で二人に追いつく。新幹線に轢かれたかと思うぐらいの衝撃を伴う爆発的な加速で全身の骨が砕け、内臓が破裂して口から血が吹き出るが構わない。すぐに治っていくからだ。それぐらいの代償でこいつらに追いつけるなら、安いものだ。この痛みにはもう、慣れてきた。
「……お前らは、絶対先には行かせねェ……」
「……やはりコレは厄介だ。漆原……ここは俺に任せて先に行け」
「……そうさせてもらうぜ」
一人がこの場から逃げようとする。……消えた。消えたように見えた。だが、目を見開いている俺の視界の隅に奴が空間を歪ませ、そこに駆け込むのが見えた。そうして奴が遠くに出現するのも見えた。俺は即座に追った。そして瞬時に追いつき、奴に直接火球を喰らわせようとした時、体が何かに弾かれた。
「……なんだ?」
見れば、スキンヘッドの大男が俺の前に立ち塞がり、目の前に半透明の壁のようなものを作り出していた。その後ろでスーツ姿の男が逃げていくのが見える。あれは神楽のいる方向だ。駄目だ、あいつを行かせてはいけない。だが、目の前の男の作り出した壁に阻まれ進めない。
「……赤井ツバサ。そこで止まれ。オレが相手をする」
男は何故か俺の名前を知っているが、それは捨て置く。
こいつは……強い。さっきの奴も信じられないぐらいの強さだったが、こいつも底が見えない。どんな能力を持っているかもわからない。だが、引けない。俺が引いたら誰が神楽を守るんだ。
出来るかどうかじゃない。全力でやるんだ。ありったけの力で、こいつを排除するしかない。そう思って、体を覆う炎を極限まで大きくしていく。様子見で加減をして、勝てる相手じゃない。
「……だが本当にアチィな…………ここからは未体験ゾーンだ……」
俺は体全体が消し炭になる勢いで、炎の力を最大限に引き出していく。ここまでの炎の力を引き出したことは、今までない。そんなことをすれば、あっという間に自分の炎で焼け死んでいただろう。今、これが出来ているのは神楽の力があるおかげだ。あいつが俺に力を与えてくれている。
早くこいつを片付けて、逃げていった男を追わなければならない。
神楽に脅威が迫っているのだから。
それをなんとかするのが、俺の役目だ。こんなところで止まってなどいられない。