105 森の中の戦争6 力の差
流血表現が多少あります。苦手な人、ご注意ください
芹澤があのスーツの男に蹴られ、吹き飛ばされるまで俺は見ていることしかできなかった。
あっという間の出来事だった。殆んど攻防は見えず、気がついた時には、芹澤がとんでもない速度で森の奥に吹き飛ばされていた。あいつは、大丈夫だろうか。
……あれで、無事でいられるとはとても思えないが。
「おい、やりすぎるなと言っただろう。今ので死んでいたらどうするんだ」
「……孵化云々ってのは仮説だろ? 決まったわけじゃねえだろうが」
背の高いスキンヘッドの男が、暗い色のスーツを着た男と何かの話をしている。あいつらは俺がここにいる事など意に介さず、何かを話し合っているようだった。
「現段階ではそうだ。だが、可能性を無視するわけにはいかんのだ」
「その可能性を考慮して、あの程度で済ませたんだぜ? 文句があるなら自分でやりゃあいい」
「…………この問答の時間が無駄だ。目標は向こうだ。急ぐぞ」
「ちっ……最初からそうすりゃいいんだよ」
そして、二人の男は俺を無視したまま宿営キャンプの方角に意識を向ける。
……駄目だ。そっちは駄目だ。行かせられない。
「…………おい、待てよ…………!」
緊張で震える体を抑え込みながら、声を絞り出す。
こいつらを先に行かせてはいけない。こいつらは……危険だ。
行かせたら誰かが犠牲になるだろう。絶対にそんなことはさせられない。
「……ああ、もう一人いたのか。なんだこいつは」
虫を見るような、石ころを眺めるような、冷たい目。二人の男はそんな感情のこもっていない注意をこちらに向けてきた。
「その少年は赤井ツバサだ。確かレベル3の【炎を発する者】だったな」
「そうか……無視してもいいが、どうする」
「ついでだ。潰しておけ」
背筋が凍る、あの感覚……神楽が誘拐された時に対峙した、白衣の男と同じような威圧感。いや……それ以上の危険さをこの二人からは感じる。呼び止めたはいいが、自分一人でこの男たちをなんとかできるのか?
「悪く思うなよ、少年。こっちもこれが仕事なんでな」
そう言ってゆっくりと歩いて来るスーツの男。男は一見、無防備だがさっきの芹澤とのやりとりを考えれば決してそうは思えない。目で追うのがやっとの攻防。あの異常な動体視力と反射速度を持つ芹澤でさえ打ち負けて吹き飛ばされた。
この男一人だけだって、今の自分が倒せる自信などない。
……いや、出来る出来ないの話じゃない。やるんだ。
「……ここは通さねェ……『火壁』」
俺は全力で異能を発動し、森に火災が広がるのを覚悟で辺り一面を火の海にする。自分から半径100メートル程の木々が燃え上がり、あっという間に消し炭と化す。
自身の周りの炎だけは多少威力を弱めているが、それでも肌が焼けている。それぐらいのダメージ覚悟でないと、こいつらの相手はできない。
「意外といい判断するじゃねえか、少年」
すでに数メートルほどの距離にいる奴は、完全に俺の炎に包まれながらも平然として立っている。
あいつの周囲は炎に包まれてはいる。だが、燃え上がる炎は奴を避けるように曲がり、届いていない。それどころか、炎の中で、奴は平然と煙草を吸っている。
とても俺に勝ち目があるようには思えない。だが、この先には神楽や他の生徒たちがいる。
あいつらは、近接戦にそれほど長けていない。
もしこんな奴らと遭遇したら、あっという間にやられてしまうはずだ。
絶対にこんな危険な奴らを、通すわけにはいかない。
……この身に替えても。
「……くッ……『火球』ッ!!」
俺は炎を維持したまま、相手めがけて渾身の火球を続けざまに打ち出す。一斉に射出された六発の火球はそのままスーツの男に直撃した……そんな風に見えた。だが……
「急いでるんでな。悪く思うな」
ブォン。
何か耳を震わせるような音がして、突然男が目の前に現れ……突然腹部に痛みが走り、風景が急に斜めになった。
「…………あ…………?」
そのまま、俺はわけもわからず地面に倒された。倒れる衝撃でまた激痛。……何かされた。一体、何が起きた……?
「……ぐあッ……!!」
急いで起き上がろうとして、また激痛が走る。それでも俺は無理やり地面に両手を付き、体を起こした。
……まだだ。まだ俺は倒れちゃいけない。
ここで倒れたら、誰があいつを守るんだ。俺が鍛えてきたのは、そのためじゃなかったのか?
ここで無様に寝転がっているわけにはいかないんだ。
そうやって立ち上がろうとした時、何かで地面についた手が滑り……俺は身体のバランスを失って、べちゃりと顔から地面へと倒れた。
「……なん……だ……?」
地面に赤い水たまりがあり、そこに顔を突っ込んだ。その水たまりから必死に顔を起こすと……目の前に人の下半身が転がっているのが見えた。……見覚えのある靴を履いている。気づけば、周囲には赤い染みが散らばっていた。
「…………あ……なん……だ…………これ……?」
周囲の赤い染み。それは血だ。そして、そのまわりに転がる何か…………それは、自分の内臓だった。見れば、体が腹から半分に千切れていた。目の前に転がる下半身……それも、自分のものだった。その間をつなぐように内臓が辺りにぶち撒かれている。
それを自覚した途端に腕に力が入らなくなり、再び、自分の血で出来た池に倒れ臥した。
「…………神…………楽…………」
これではもう、立てない。起き上がれない。
そう悟った時に出てきたのは、幼馴染の顔だった。
神楽。あいつは俺が守らなきゃいけない。
そのために俺は強くならなきゃいけない。弱いままじゃいけない。
異能に目覚めたことで肉親に捨てられ、全ての人間に疎まれ、それでも優しく迎え入れてくれた親父さんに、まだ何も恩返しができていないから。せめてこの体で、この異能の力で役に立ってあげたい。
こんな俺に家族同然に接してくれたあの人に、神楽に、自分はまだ何の感謝の言葉も伝えられていない。あの親子には一生分の借りができたと感じている。でも、それを上手く伝える言葉が見つからない。口下手な自分が、それを見つけられるとも思わない。
だから行動で、実力で……とにかく、神楽を守ることでそれを示そうと、自分なりには頑張ってきた。
そのつもりだった。
そう思っていたのに。
……俺は結局何も守れないままだった。
弱いまま、何も出来ないまま……ここで終わりを迎える。
この先、俺はお前を守ってやることは出来ない。
それを理解した途端、自分の目から涙が溢れてくるのがわかる。
「…………………ご………………め………………」
せめて、謝罪を……そう思って掠れるような声で呟くが、途中で血を吐き言葉にならなかった。
そうして、赤井ツバサは血の混じった涙を地面に零しながら……そのまま息を引き取った。
続きます