第3話:アンサー10
二回、三回と、ファントムが砂の上を転がる間―――アカネの心は無になった。
そして思い出す。こんな事は何度もあったなあ、と。
ダンスで世界の頂点に立ちたいと志してから、幾つもの挫折を経験した。越えられない壁、追い付けない仲間、時に浴びせらせた嘲笑、人知れず流した涙、そして負けられない舞台で大技に失敗して、床を抱いた思い出。
それらが走馬灯の様に、ほんの数秒の間に、アカネの脳裏を駆け巡った。
遠くに、自分の名を呼ぶアオイの声が聞こえる。多分、自分の安否を気にかけてくれているのだろう。
だが、答えるかわりにアカネは、アオイの目にもはっきり分かるぐらいに、しっかりと操縦桿を握り直した。
そして思った。時が来た―――リンが倒されに、自分のところに近付いてくる瞬間が、と。
アカネのファントムが、ランオフエリアを転がる間、リンは機体をタンクモードからヒューマンモードに変形させ、二足歩行で砂地に足を踏み入れた。
倒れ方から見て、アカネの機体は深刻なダメージを負っている。もはや戦闘継続は不可能。我ながら、やり過ぎたかとリンとミユウが思った瞬間、二人は強い殺気を感じ、身構えた。
とどめを刺すべく演習用の光線銃を構えたリンの機体と、倒れたアカネの機体の距離は約五メートル。砂と砂利が敷き詰められたランオフエリアは、減速を目的としているため加速は効かないので、安全な距離のはずだ。
だが、この嫌な感覚はなんだ―――リンが困惑を深めるのに反応して、「終わらせましょう!」とミユウが射撃を促した瞬間、バランサーで立ち上がったアカネのファントムが、信じられない加速で飛びかかってきた。
それでも迅速に回避行動を取ったリンは、足元の悪い中、機体を半回転させ距離を離したが、その背中にアカネのファントムが組み付いてくるのを、避ける事ができなかった。
「つーかまえたー」
不気味な声を上げた、アカネの目は鈍い光を放ち、遂に訪れた逆襲の機会に心躍らせた。
ランオフエリアの中でリンのファントムが、後ろからアカネのファントムに羽交い締めにされている。
その異様な光景に、ギャラリーも一斉に驚きの声を上げた。
「ど、どうして、アカネさんは、ランオフエリアであんな速さで動けたのですか!?」
シオンが発した疑問は、そこにいた全員の疑問でもあった。
「二速……いや三速発進したのかも、しれないのですよ」
チトセはこの急加速が成功した要因が、そこにあると読んだ。そして説明を続ける。
「ギアは一速よりも二速、二速よりも三速の方が、砂地の様なホイールスピンがしやすい地面では、タイヤの駆動力が路面にかかりやすいのですよ」
「だからといって、あんな動きができるなんて、信じられませんわ!」
理論としては理解できても、現実として受け入れがたい事実に、カノンは思わず声を張り上げた。
「私もそう思うのですよ。いくら自動制御のトラクションコントロールを解除して、アカネの思う様にファントムが操れるといっても……これはもう奇跡なのですよ……でも実際、私たちは今、それをこの目で見てるのですよ」
説明はし切れない。だが、これはヒビキ=アカネが描き出した現実なのだと、チトセはカノンを諭す様に微笑んだ。
もう、どうなるか分からない展開に、カノンはハラハラする思いを抑え切れず、もう二機のファントムを祈る様に見つめる事しかできなくなった。
「くっ、なんて事だ」
さすがにこの展開は予想していなかったリンは、少なからぬ動揺を覚え、思わず声を上ずらせた。
「本当にこの子は規格外ね」ミユウも驚きを隠せない中、ひと呼吸おくと、「振り落としましょう!まずはランオフエリアを出て、リン!」と、反撃に移行するための指示を、すかさず飛ばした。
動きのままならないランオフエリアでの戦闘を避けるために、リンのファントムがランウェイに向けて歩き出す。その背中には、アカネのファントムが張り付いたままだ。
不格好ではあるが、先程とは逆で、今度はリンの背後をアカネが握る展開となった。
「アカネ、絶対に離しちゃダメだよ!」
「分かってるわよ、絶対に……逃がしはしないわ!」
背中を羽交い締めにする自分たちの機体を引きずりながら、リンのファントムが間もなくランオフエリアを脱出する寸前、次の展開に向けてアオイとアカネは気合を入れ直す。
そして、リンはランウェイに復帰した瞬間、ホイールドライブの急加速で、アカネを振り落とさんと試みた。
右に左に機体を振るリン。このままでは振り落とされるのは時間の問題だ。
「アカネ、引きずられないで!一緒に走って!」
リンの機体を後ろから抱いた状態で、アオイはファントムをリンと一緒に、ホイールドライブで走らせろと指示を飛ばす。常識で考えれば無茶苦茶だ。
「うおおおーっ!」
だが、アカネはその指示通りアクセルを踏み込んで、リンの加速に自機を合わせた。今それが、この状況で最上の選択である事を、感覚で理解したのだ。
後ろにぶら下がるアカネが勝手な加速を加える事で、リンのファントムの機体制御もままならくなった。今、二機はひとつの四輪車の前輪と後輪が、バラバラの動きをしている様な不安定な走行を続けている。
振り落とすどころか、下手をすればリンの方が機体を倒されかねない状況の中、二機がランウェイを駆け回っているのは、リンの操縦技術とミユウの管制制御の賜物であった。同時にアカネとアオイの技術も、それに匹敵する事を証明している。
そしてアカネは操縦桿のスイッチを押す―――すると、リンの機体の前に回った両腕からダガーが飛び出した。
「なっ、なにを考えて!?」
カノンが叫び声を上げる。既にランオフエリアの転倒で、アカネのファントムは機関砲を手放しており、残された武器はダガーだけとはいえ、光線銃での模擬戦に格闘戦用の、しかも本物のダガーを出すなど狂気の沙汰だ。カノンが驚くのも無理はなかった。
だがヒートアップしたアカネに、そんな常識は通用しない。なんとしてもリンを倒すという闘志に燃えるアカネは、野生の本能のおもむくまま、その牙をむき出しにした。
ランウェイいっぱいに遠心力をかけても、アカネを落とせず、それどころか次第にリンの動きへの対応がスムーズになっている事に、ミユウは危機感を抱き、
「リン、終わらせましょう!本当に」
と、リンに向かって、本気で戦闘に決着をつける事を進言した。
リン自身もそう思い初めていただけに、ミユウの言葉でリンの思いは定まった―――ヒビキ=アカネは脅威だと。
「倒れろ!倒れろー!」
機体の動きを乱し続けて、リンの転倒を狙うアカネも、踏ん張り続けるリンに正直、舌を巻いていた。そしてまた急加速を始めたリンに合わせて、慌ててアクセルを踏み込む。
そして繋がった二機が、ランウェイの中央に達した瞬間、
「決めるぞ!」
というリンの一声とともに、リンのファントムが突然、タンクモードに変形した。
アカネのファントムはヒューマンモードのまま。前述の通り、その高低差は一メートルあり、高速走行中に突然機体を下に引っ張られたアカネは、宙に舞う感覚を覚えた。
満場のギャラリーの目に映ったのは―――ランウェイの真ん中で、背負い投げをされた様に、前に吹っ飛ぶアカネのファントムだった。
そして背中から落ちたアカネのファントムの両腕に、衝撃が加わる。
それは再びヒューマンモードに変形したリンのファントムが、素早く繰り出したダガーの一撃だった。
模擬戦なので、光線銃で撃破判定させれば良いところだが、きっとアカネはそれでは済まず、ダガーで攻撃を続けてくるだろう。
それならば、完全に戦闘不能状態にするしかない。そう判断したリンは光線銃を捨て、自身も実戦用のダガーでもって、アカネのファントムの両腕を切断した。
これによって、戦闘は終了した―――結果的にはリンの完全勝利だが、そのあまりの激闘にギャラリー一同、声を失ってしまった。
「――――――」
コクピットで、ようやく息をついたリンとミユウも言葉が出ない。様々な思いが二人の胸にも去来していたのだ。
そして背中から地に横たわり、動けなくなったファントムのコクピットでは―――
「うわーーーん、うわーーーん」
アカネが止まらぬ涙に、顔を濡らしながら号泣し続けていた。
人馬戦車で初めて覚えた敗北感、どうしても勝ちたかった相手、認めざるを得ない相手の実力、それに届かなかった自分の不甲斐なさ、そして自分を支えてくれたパートナーへの申し訳なさ。
すべてが混ざり合い、アカネは涙が止まらない。
その背中を、隣からアオイは抱きしめた。
「勝ちたかったよね。勝たせてあげられなくて、ごめんね」
そう言いながら、アオイは腕に力を込めた。
それにアカネは首を振りながら、
「ごめんね、ごめんね、ううう―――」
アオイの気持ちに応えられなかった自分が悔しくて、声を詰まらせながら泣き続ける事しかできなかった。
アカネを胸に寄せ、その体をしっかり抱きしめながらアオイは言った。
「勝とうね……今度は勝とうね……」
「うん……うん……ううう―――」
アオイの言葉に頷きながら、アカネは子供の様にいつまでも泣きじゃくり続けた。




