第10話:バベルの塔12
「チッ、よくかわしたっすね!」
一撃必殺の先制攻撃で、仕留めるつもりだったヤヨイは、舌打ちしながら驚きの声を発する。
イーグル改の加速性能も、通常仕様より長いダガーも、隠した上での、完璧なタイミングの奇襲だったのに、ファントムはそれを紙一重でかわした。
勘……か?―――ヤヨイの思考は、そこに至ったが、それは決して短絡的発想ではなく、勝負師である彼女ならではの、実戦に即した鋭敏な読みであった。
奇策は二度は通じない―――だがヤヨイは、もう一度だけ試してみる事にした。
「アカネ、キサラギ少佐が追ってきたよ!」
ヤヨイの先制攻撃をかわした瞬間、即座に逃げを打ったファントム―――その引き離した距離を、一気に詰めてくるイーグルの機影に、アオイは警戒の叫びを上げた。
「クソッ!あのイーグル、ムチャクチャ速いわ!」
「タイミングを計ってね!」
ここでもアカネとアオイは、断片的な言葉だけで意思確認をする―――狙うは、イーグルが仕掛けてきた瞬間のカウンターパンチ。
カスタムされた高速ホバーで接近してくるイーグル改は、近接格闘形態のヒューマンモード―――それは、ファントムを狩る意思の表れであった。
対するファントムは、高速移動形態のタンクモード―――上半身は人型形態であるため、このままでも攻撃は可能だが、反転のカウンターを狙うなら、やはり変形の必要があった。
そしてファントムを、ロングダガーの間合いに捉えたイーグル改が、その腕を振りかぶった瞬間―――背中を向けたファントムは、戦車部を脚部に変形させながら、同時にスピンターンで反転運動を取った。
変形とスピンターンの余波により、ファントムのスピードが落ちた事で、ヤヨイが計算したロングダガーの間合いは、若干だがその距離が詰まる結果となり―――すなわち、それはファントムのダガーの間合いともなったのだ。
「―――!」
危険を察知したヤヨイは、攻撃を継続しながらも、回避行動に転じた。
再び、ガリガリガリッ、というロングダガーがファントムを打撃した手ごたえを感じるヤヨイ―――だが今度はそれだけでなく、イーグル改のコクピットにも、ガリッという、振動が伝わってきた。
交錯した二機はそのまま離れ、約三十メートルの距離を取ると、お互い対峙したまま、ここで開戦から初めて、その動きを停止させたのであった。
ファントムの状況は、イーグル改の先制攻撃で右肩を浅く、先程の第二撃で左腰を、深々と斬り裂かれていた。
対するイーグル改は、ほんのわずかだが、その胴部にファントムのダガーでの傷跡と思われる、短いラインが入っている。
もし、さっき回避運動を取っていなかったら―――おそらく、ファントムの間合いに完璧に入り込んでいた、イーグル改はダガーで、コクピットのキャノピーを丸ごと吹っ飛ばされていたかもしれない。
中距離なら二十ミリ機関砲の弾丸も防ぐ、人馬戦車のコクピットまわりなので、さすがに命の危険まではないものの、胴部は操縦系統が集中しているため、ダガーのクリーンヒットを食らえば、システムが最悪停止する恐れがある―――もし、そうなれば一発でヤヨイの敗戦が確定であった。
「アカネさん、キサラギ少佐に当てました!」
「スピードなら、イーグルのカスタムホバーがはるかに上回っているのですが、旋回性能なら車輪走行のファントムの方が、一段上なのですよ!」
予想外のアカネの反撃成功に、シオンとチトセが次々に喜びの叫びを上げる。
「ですが、深手を負っているのはファントムの方ですわ……もしキサラギ少佐が回避運動を取らずに、そのままダガーを打ち込んでいたら―――良くて相討ちというところでしたわね」
二人の喝采に、冷や水を浴びせる様に、カノンはファントムの劣勢を口にする―――だがそれは、アカネを心から心配しているからこその、厳しい批評であった。
「確かに、車輪走行を活かした、急旋回のカウンターは良い戦法だけど、あの長いダガーを食らう事を前提とするならば……あまりに危険すぎるわね」
「肉を切らせて骨を断つ……か。それをキサラギ少佐が、どう思うかだな……」
ミユウの状況分析に、リンは言い得て妙の例えで応じると、険しい表情で次の展開を見守った。
その輪の中で、サツキはチラリとタマキに目を移す―――その表情は固く、優勢の中にも一抹の不安を抱えた展開に、手を胸の前で固く握り合わせ、口には出さないものの、その姿は一心にヤヨイの勝利を祈っていた。
サツキは、そんないじらしいタマキが可愛くて仕方がない。そして、その想い人であるヤヨイが駆るイーグル改に目を移すと、この展開に対して、彼女がどの様な次の一手を打つのかに注目した―――そのヤヨイは、コクピットで『鷹の目』をしながら、沈思黙考を繰り返していた。
「スピードでは勝てなくても、旋回性能ならアタシのダンスの方が上みたいね!」
ファントムのコクピットでは、先程の交戦に手ごたえを覚えたアカネが、意気盛んな叫びを上げていた。
それにアオイは答えずに、距離を置いて対峙するイーグル改の、その威容をあらためて、まじまじと観察した。
ステルス機能のために、歪な流線形のフォルム。ロングダガーを格納するために、異様に盛り上がった上腕部。そしてなによりも異様なのは、その脚部の太さ―――両脚を折り畳んだタンクモードの時は気付かなかったが、とにかく太い。あのホバー加速が、この両脚から生み出されているとしても、どこかアオイには腑に落ちない気持ちが拭えなかった。
その観察を嫌った様に、イーグル改が動き出す。空中浮遊のまま両脚を折り畳み、タンクモードに変形すると、そのまま逆方向に旋回加速して、ファントムからさらに距離を取る動きを見せた。
――――――!?
その行動に、アカネとアオイだけでなく、見守る一同もその真意を測りかねたが、すぐにそれは判明した。
一定の距離を取ったイーグル改は、加速距離を十分に確保すると、両腕のロングダガーを翼の様に展開しながら、高速移動形態のタンクモードで、ファントムに向けて突進を開始した。
「あ、あれは!?」
「タイガーシャークの鎌と同じ戦法か!」
ヤヨイの新たな一手に驚愕した、ミユウとリンが真っ先に叫びを上げた。
米軍の秘匿機であった、禁断のジェット人馬戦車、KF-20タイガーシャーク―――その異次元の加速性能を活かした、鎌によるすれ違いの斬撃を、今、ヤヨイはファントムに向けてトレースしようとしているのだ。
「アカネ!」
さすがにこの手は予想外だったアオイは、すぐさま警戒の声を上げるが、それに対して、意外にもアカネは落ち着きどころか、不敵な笑みさえ漏らしていた。
それに驚いたアオイが呆然とする間に、イーグル改は目前に迫り、見守るリンたちは、ここまでか、と悲痛な表情を浮かべたが―――
ファントムはまるで踊る闘牛士の様に、斬撃を紙一重でかわすと、イーグル改はそのまま空しくランウェイを駆け抜けていった。
そして旋回運動の末、再びファントムへの加速斬撃を試るイーグル改であったが、結果はまた同じであった。
二回、三回と、また同じ光景が繰り返される―――ファントムが、完璧にイーグル改の動きを捉えている事は、誰の目にも明らかであった。
「アカネ……タイガーシャークとの戦闘で、また一段と成長した様ですわね……」
この展開に目を見張る一同の中で、思わずカノンがライバルの成長に、感嘆と慨嘆が混ざった様な、複雑な呟きを漏らした。
「フン!タイガーシャークのジェット加速に比べれば、いくら速くても、ホバーなんてスローモーションに見えるわよ!」
ファントムのコクピットでも、アカネが自信に満ちた叫びを上げていた―――KF-15Eストライクイーグルを駆っての、過酷なジェット戦を制したアカネは、カノンの指摘通り、さらなる飛躍を遂げていたのだった。
「アタシのダンスも、なかなかのもんでしょ、キサラギ=ヤヨイ!」
華麗なバレエの舞手であるヤヨイに、舞姫としての対抗心をも燃やすアカネは、さらにそう叫びながら息巻いた。
そして、再び両機は距離を置いて、しばし対峙の姿勢を取ると―――またヤヨイが先手を打って、イーグル改の戦車部を脚部に変形させると、今後は近接格闘形態のヒューマンモードで、ホバーによるダッシュを開始した。
だが今度は、その軌道はファントムには向けられず、周りを大きく旋回する周回運動を繰り返すだけであった。
「何を考えてるのか知らないけど……攻めてこないなら、今度はこっちの番よ!」
そう叫ぶなり、アカネはアクセルを踏み込み、ホイールスピンの煙を上げながら、ファントムを追走に転じさせた。
「アカネ、無茶しないで!」
すかさずアオイは、その短絡的とも思われる動きに、警鐘を鳴らしたが、
「分かってるわよ、アオイ。こちらも、あくまで様子見よ―――でもね……アンタが言った『流れ』ってやつが、変わってきてる気がするのよ」
と、アカネは驚くほど落ち着いた声で、そう答えるのだった。
確かに苦戦しながらも、ヤヨイの攻撃をかわし続けた事で、『流れ』は変わってきている―――ここで守勢から攻勢に転じるのは、けっして悪くはない。しかもアカネは、その前のめりな性格は変わらないが、以前の無鉄砲さが消え、その思考には戦術的要素が加わっている。
ここが勝負所なのかもしれない―――そう思い定めたアオイは、
「よし、アカネ!このままいこう!」
と、パートナーの選択を支持したが、
「でも、状況が見えるまでは、絶対イーグルの間合いには入っちゃダメだよ!」
どこか心に残る一抹の不安を思い、そう付け加えるのだった。
そして、周回軌道を取るイーグル改、それを追走するファントムという展開となった。
当初と逆になった構図から考えられる、ヤヨイの狙いはカウンター攻撃―――それを理解しているため、アカネもイーグル改のロングダガーの間合いには進入しない。
「キサラギ少佐は、ファントムでも追いつける様に、速度を落としてる―――これは誘いだよ!」
「もう分かってるって。大丈夫よ、ちゃんと距離は取って―――」
アオイの警告に、アカネが苦笑いで応じかけた瞬間―――アオイの脳裏に嫌な感触がよぎった。
確かにアカネは、落ち着いている―――でも、少佐の攻撃をかわし続けた事で慢心している……まさか、これが少佐の狙い!?
そう気付いたアオイは、アカネの返事を遮り、叫んだ。
「アカネ、やっぱりダメ!今すぐ止まって!」
だが、もう間に合わなかった―――同時に誰もが、その光景に目を疑った。
なんとイーグル改の左脚部側面から―――人馬戦車の構造としてはありえない、ダガーが地面に向けて飛び出した。
そしてそのダガーが、深々とランウェイのコンクリートに突き刺さり、それがまるでコンパスの針の様に、イーグル改はクルリと回転すると―――残った右脚部を高々と掲げ、そこからも突き出されているダガーでもって、ファントムに蹴りを入れたのだった。
人馬戦車では、考えられない『足技』―――それは、まるでバレリーナの様な、美しい動きであった。
その舞いが、一連の動作を終えると―――ファントムの左腕は、高々と宙に飛んでいた。




