幻との出会い
前世の人たちのターンです。
太田家に訪ねて行く日は、梅雨ももう終わったのではないのかと思うほど日差しの眩しい日だった。
皆で車に乗り込んで、川沿いの土手を走っていると、エミリーの前世のなつみさんが車窓を眺めながら懐かしそうに初枝おばあちゃんに話しかけた。
「へ~、川の形は変わらないんだー。あれ? ねぇ初枝、あんな橋あったかな?」
「ブリッジ? ああ岸蔵新大橋ね。あれは最近できたから。姉さんは知らないよ。」
初枝おばあちゃんはエミリーの側に座って案内役をしてくれている。
「えっ? 初枝はなんて言ったの?」
「できたばかりの橋なんだって。」
「ああなるほど。」
一緒に行く人数が多くなったので、今日が休みだという伯父さんが車を出してくれることになった。
キャサリンとデビッドと一緒に通訳の秀次くんが伯父さんの車に乗っている。
アレックスの車には、初枝おばあちゃん、エミリー、ロベルト、伸也とノッコが乗り込んだ。
総勢10人の大所帯だ。
今朝、初枝おばあちゃんが伯父ちゃんと一緒にうちにやって来た時に、なつみさんは「まぁ、初枝ったら老けたわねぇ。」と開口一番そう言った。
英語だったので2人ともキョトンとしていたが、ノッコが訳すと2人とも苦笑していた。
「なつ姉は変わらないね。世界が違っても性格は一緒なんだねぇ。」
でもその一言で初枝おばあちゃんも気が楽になったみたいだった。
今は聞き取れた単語だけで会話をしているが、さすが姉妹もどきだけある。
息もぴったりだ。
ノッコがたまに2人の会話に割り込んで解説をしているが、不思議なことに日本語と英語で話が通じていることがあった。
そんな様子を見ていたエミリーは、ふと思いついたのだろう。
「私が日本語を勉強すれば2人の会話はもっとスムーズになるんじゃないのかしら? ノリコ、イギリスに来たら私に日本語を教えてね。」
そんな提案をしてきたが、すぐにアレックスに反対されていた。
「ダメダメ! しばらくノッコは僕のものだからね。エムはロブに習ってろよ。」
ノッコにしては顔が赤くなる言い方だが、確かにロベルトはすごい。アレックスがそう言うのも無理はない。
ロブは喋りはまだまだだが、聞き取りがかなりできる。
日本に来ることが決まって、半年しか日本語を勉強してないなんて信じられない。
昨夜、漢字を書いてみせてくれた時には、伸也と2人でびっくりした。
太田家に着いて座敷に通されると、家族7人全員が勢ぞろいしていた。
「まあ、この人数だと法事みたい。でもある意味それに近いわね…。」
皆の顔を見廻していたエミリーが、「拓也…。」と一言呟くと拓真くんを見ながら泣き出した。
「お母さん、いえなつみさん、この子は拓真です。」
百合子さんがエミリーの背に手を置いて優しく諭すと、なつみさんも頷いた。
「そう、そうよね。ごめんなさい、取り乱して。でもそっくり。赤ちゃんの時の目元が残ってるわ。大きくなった拓也を見ることが出来てこんな嬉しいことはないわ。」
「アルバムを見ます? おばあちゃんが抱っこしている写真もあるのよ。」
そう言って颯介さんの奥さんの久美子さんが5冊ほどあるアルバムを全部持って来てくれた。
みんなで机を囲んでそのアルバムを見せていただいた。
最初の1冊目を見たエミリーが息を呑んだ。
「なつみさん…。」
そこには在りし日の尾方のおばあちゃんがにこやかに笑って写っていた。
「まぁ、この時はもう病気だったのに、この後100年ぐらい生きそうな顔ね。」
初枝おばあちゃんがそう言うと、百合子さんがお医者さんで義理の息子になる河井さんに話を振った。
「お母さんは楽しいことが好きだったから…。病気をネタにふざけたこともあったでしょ?」
「そうですね。楽しい患者さんでした。」
以前、主治医をしていた縁で河井さんは、なつみおばあちゃんの孫の真美子ちゃんと結婚したというのだから、世の中どこにどんなご縁があるのかわからないものだ。
河井さんが喋ると、アルバムを見ていたエミリーは勢いよく顔を上げた。
「まぁ! 河合先生じゃないのっ。麻巳子と結婚したの?」
「河井ですけど、真美子さんと結婚させてもらいました。なつみさんのお陰です。」
「まぁまぁ、本当に。これは自慢できるわねっ。最後に孫のキューピッドができるなんてっ。…本当にいい人生だった。あなたたちのなつみさんもたぶん今の私と同じことを言うわよ。」
ノッコがなつみさんの言葉を訳すと、太田家の人たちの間に静かな喜びが広がっていった。
幻と再開するようなものだったのに、そこには幸せを築き、2つの世界に生きた2人の女性の充実した「生」が存在した。
そしてノッコにはその2人の女性の思いが、しっかりと未来へと受け継がれているのが見えた。
◇◇◇
午前中を太田家で賑やかに過ごしてお昼までご馳走になった後に、私達は再び車に乗って、今度はおきぬさんの故郷に向かった。
初枝おばあちゃんと伸也は伯父さんの車で小溝に帰ったので、他の皆はアルの車に全員乗ることができた。
「あの寿司というやつは美味しいなぁ。」
「僕はサーモンが美味しかった。」
「えー、断然卵焼きだよっ。」
デビッドとロベルトとキャサリンは賑やかなのに、エミリーは黙ったまま何も喋らない。
ノッコはエミリーが心配だったので、秀次くんに助手席に座ってもらって、エミリーの隣に座った。
「エミリー、大丈夫?」
「うん。大丈夫なんだけど…なんか疲れた。あんなに感情的になったなつみさんを見たことが無かったから、ちょっと戸惑ってるの。それにあの写真!」
「どの写真?」
「ほら、なつみさんの笑った顔が写ってた写真があったでしょ。あの顔をね。私、最初に呪文を口にした時に鏡で見たのよ。そのときのショックを思い出しちゃって…。」
「そっか…無理ならおきぬさんの故郷は今度にしていいんだよ。これから会うことになってる杉村加代子さんていう人はあっけらかんとした人だから、日にちを変えても怒らないよ。」
「うん…ううん、今日行くっ。今度にしたらいつ行けるかわかんないもん。」
エミリーの決意を聞いて、向こう隣りにいたロベルトが「エムっ。」と言って両腕を広げた。
その腕の中にエミリーは顔をうずめる。
わー、幼いカップルなのに抑える所は押さえてるんだね。
ノッコは顔を赤くしながら2人のことを見て見ぬ振りをした。
いつも揶揄うデビッドもこういう時は何も言わない。
さすがー、紳士だね。
加代子さんとはお城で待ち合わせをしていた。
駐車場に車を停めると、エミリーはもう1人の前世であるおきぬさんを呼び出した。
「【アラ アラ カマラ アナカマラ】」
(ピーンポーン)
『お呼びですか?』
なんだかなつみおばあちゃんとは雰囲気の違う人だ。
でも鼻筋から口元にかけての感じが以前会った加代子さんに似ている。
ノッコと目が合ったおきぬさんは、すっと目線を下に落として綺麗なお辞儀をした。
ノッコが思わずお辞儀を返していると、エミリーとロベルトに不思議な顔をされた。
魂の残像がエミリーの姿に重なるということを話すと、ロベルトが嬉しそうな顔をして、いろいろと質問をして来た。
「どんなふうに見えるのか。」「姿かたちは?」「誰かに似ているのか。」等ということを矢継ぎ早に聞かれる。
「うーん、加代子さんと比べてみたいな。エム、鏡に顔を映してみてよ。」
「やだっ。」
「ねー、頼むからさぁ。加代子さんも見たいんじゃないかな? ご先祖様の姿。」
「……私は目をつぶってるからね。」
「うん。それでもいいよ。ノリコの言う鼻筋と口元が見れたらいいや。」
「もうっ、ホントに研究者バカなんだからぁ。」
とうとうエミリーがロベルトの勢いに折れたようだ。
この2人には、こんな一面もあるのねぇ。
ポンポン飛び交う言葉が、2人の歴史を感じさせる。
車の外に出てお城を見ると、エミリーの顔が歪んだ。
ロベルトがそっとエミリーと手を繋ぐ。
『…お城が、まだあったんですね。エミリーさん、すみませんが山を見てもらえませんか?』
ノッコが見晴らしの良い所にエミリーを連れて行くと、エミリーの口元が震えだした。
『ああぁ、もう一度この景色を見ることが叶うなんて…。』
しばらく山を眺めていたら、アレックスたちが加代子さんを連れて来てくれた。
「片岡さん、お久しぶりですー。こちらがエミリー? あらっ、ということは貴方が公爵さまになる人なのねっ、ロベルトさんだったかしら? よろしくぅー。杉村加代子ですっ。」
『姉さん?!』
加代子さんの声を聞いて、おきぬさんがひどく驚いている。
けれどエミリーが振り返って加代子さんの姿を見ると、別人だと気づいたようだ。
『えっ、この服は…そうですよね。貴方がおかよ姉さんの子孫の方なんですね。お初にお目にかかります。杉田源兵衛の娘、おきぬと申します。』
後でおきぬさんに聞いてみたら、声が実の姉にそっくりだと言っていた。
「ということは、顎の骨格が似ているんだろうなぁ。実際のお姉さんと比べてみたいなぁ。」
ロベルトはそれを聞いてひどく興奮していた。
私達が以前行ったお城の側にある郷土資料館をみんなで見学してから、加代子さんの先導でお墓に参った。
そして加代子さんのお家におじゃますることになったのだが、その家を見た途端に全員でぽかーんとあっけに取られてしまった。
「どうぞどうぞ。遠慮しないで入ってっ。親戚みたいなもんなんだからさぁ。」
そう言われて中に入ると、広々とした板張りの玄関にスリッパがたくさん並べられていた。
そう、杉村さんのお家は完璧な洋風住宅だったのだ。
そしてこんな田舎には不似合いなほどヨーロピアン調というか薔薇やら蝋燭やらが似合いそうな家なのだ。
外の庭にはバラのアーチがあって、その向こうには白鳥の噴水も見えていた。
イギリス組は直ぐになじんだが、ノッコと秀次くんはあまりの意外さに目を合わせてしまった。
「こんな田舎にこういう家があるとは思いませんでしたね。」
「私も意外でした。」
「日本食が続くと飽きるかと思って…。」と言って出されたのは、洋食のオンパレードだった。
でも日本でいう洋食なので、イギリス組の人たちにとっては珍しかったようだ。
アルはグラタンを一口食べて唸っていた。
「なるほど。なつみさんに指摘されたことがよくわかったよ。家庭でもこういう料理を食べ慣れてる人たちなんだものな。旅行に出て、本場のイギリスで食べた料理があれでは不満に思うのも当然だ。」
アルはイギリスでなつみさんに観光業についてアドバイスを受けたことがあるらしく、「なるほど。なるほどなぁ。ハードルが高いなぁ。」と最後まで言い続けていた。
加代子さんのお父さんが帰ってらして、もう一度ひとしきり挨拶が交わされた。
この人の口元がやはり加代子さんに遺伝しているようだ。
お父さんは木を扱う会社を経営されているらしく、秀次くんと木材の端材を使った燃料について専門的な話を交わしていた。
「君は若いのによく勉強しているね。うちの会社に欲しいくらいの人材だよ。」
…お父さん、言えないけどその人皇太子さまなんです。
就職は…ちょっとできません。
お料理を作って私達を歓待してくれたお母さんは、趣味で英語を勉強されているそうで積極的にみんなに話しかけていた。
「加代子もこの機会に英語を勉強して欲しかったんだけど、全然興味を示さないのよ。」
母親にそう言われても加代子さんはケロリとしている。
「誰かが話せたらいいじゃない。別に私が勉強してなくても今も困ってないでしょ。」
そんな風にどこ吹く風だ。
それを見て『姉さんの性格に似てる。』とおきぬさんが言っていた。
遺伝子って、強いんだねぇ。
楽しい時間を過ごして杉村家を辞した時には、空いっぱいに星が輝いていた。
「うわーっ、これは見事な星だね。」
「本当。町中では見られないわねこんなにたくさんの星。」
私達が夜空を見上げて感嘆していると、私達を見送りに出て来ていたお父さんが教えてくれた。
「ここのもう少し奥に美星町と言って、星が降るように見えるところがあるんだよ。そこには天文台がある。また、行ってみるといいよ。」
「それはぜひ、行ってみたいです。」
アルは良い情報をもらって嬉しそうだ。
ノッコも地元のニュースでは聞いたことがあるけど、実際にそこに行ったことはない。
うーん、星空というのはロマンチックだ。
気持ちもお腹もいっぱいなって車に歩いて行く私達を、空からなにか大きなものが見守ってくれているような気がした。
それぞれの思いを胸に夜は更けていきます。