着々と準備は進んでいきます
結婚に向けて、先ずは・・・。
ノッコが大賀から東京に帰って来たのはお正月の三日の夜だった。
家族にはもう少し家にいたらと言われたが、家庭教師をしている中学生は二月の始めに本番の試験があるので、教師であるこちらもそうそうゆっくりしてはいられない。
東京に帰って来てから、ノッコはターチとアミに一度会って、結婚のことについて詳しく説明した。
「決断が早すぎるよ。外人との結婚、それも外国に永住覚悟ですって? 本当に良く考えたの? ノッコは一人娘だって言ってなかったっけ。両親はよく許してくれたね。」
「ターチ、ノッコにはノッコの考えがあるよ。ノッコの親も許可せざるを得なかったんじゃない? アレックスさんは情熱的な感じだったもの。」
「アミ、いいの。ターチがそう言うのもわかるんだ。私もターチが指摘したことで悩んだし…。でもね、うちの母親がこういうご縁というのは、人生にそう多くないってアドバイスしてくれたの。その時に、アレックスを断るのなら他の誰かと結婚するようになるんだなぁと思ったの。それは、ちょっと考えられなかった。私は今回の生ではこういう人生を送ることになってるんだなと腑に落ちたら、流れに逆らわずにこの生き方を充実させていこうと思えたの。それにアミが言うようにアルさんは引きそうになかったからね。」
アルさんのアプローチの数々を二人に話すと、ターチもアミもそれを聞いて喜んだ。
二人ともやっと結婚に納得して、夏の結婚式に出席するためにイギリスに行く費用を貯めておくと言ってくれた。
アルさんが安いツアーを組んでくれるらしいと伝えると、ついでに観光もしたいと希望の観光場所を付け足された。
もう、現金なんだから…。
アレックスの方はイギリスの家族や勤め先の会社と調整を続けていた。
大筋ではアレックスの第一希望が通ったようで、七月の始めにイギリスの家族全員で来日して婚約式をすることになった。
但し、それまで婚約指輪が無くても困るので四月の桜が咲く頃におじい様があちらの大学や伯爵家の歴史資料等を持って、日本に来てくださるということだ。
おじい様のストランド伯爵は以前外交の仕事をされていたそうで、日本の満開の桜を観たことがあるらしく、もう一度観たいという強いご希望もあって、春の来日が決まったらしい。
アレックスの勤め先では、八月から九月の初めまでの期間、上司のカレンさんがご主人と一緒に日本に来て、アレックスの代わりの仕事をしてくれるそうだ。
これは予想していなかったので、アルさんは喜んでいた。
「観光を兼ねての仕事だと言ってくれていたけれど、夏祭りの取材予定はたくさんあるからね。正直助かったよ。結婚式や新婚旅行に行っている間に、取材できないところが残るのを残念に思ってたんだ。」
こういうところがいかにもアルさんである。
仕事熱心で真面目で責任感が強い。
爵位を継ぐ長男気質なのかなぁ。
イギリス人の女姓にはアルさんのこんなくそ真面目なところはウケが悪かったらしいが、日本ではこういう人が主流だから、ノッコとしては別に恋人をないがしろにしている発言だとは思わない。
むしろ好感が持てる。
二月の半ばには、ノッコが家庭教師をしていた中学生は無事合格して、バイトもお役御免になった。
そのため空いた時間にはアルさんの通訳をしたり、会社に提出する資料作成の手伝いをしたりしていた。
手伝うために資料を整理していると、東京以西の西日本の観光地が多く、いやに偏っているなぁと思った。
「アルさん、東京より東の地域の観光資料を集めてないよ。」
そうノッコが指摘すると、アルさんは平然として答えた。
「もちろん決まってるじゃないか。うちの会社は西日本に強い会社にするんだ。そうすれば大賀とのパイプも太くなって、日本に帰って来やすくなるだろ。ノッコの実家に泊めてもらえたら出張費も安くなるし、お父さんたちには年に何回も顔を見せられるし、どっちにとってもウィンウィンの関係だしね。」
そんなことを考えていたんだね。
「それに滝宮さまやおじい様の外交筋の知り合いから、京都を中心とした国の仕事のオファーも来てるからね。西に強いのは使えるんだよ。要人接待も近郊の観光地をいかに細やかに知っているかにかかっているからさ。…そういえば伸也の大学の知り合いで観光業に携わっている人を紹介してもらったから、大賀を拠点に西日本各地を巡るツアーを組んでもらってるんだよ。こっちはうちの領地を中心にしたイギリス観光も紹介してる。これが実現したら、もっと度々大賀の実家に入り浸れるよ。お父さんたちもツアー客の人数合わせに余った席を融通してもらって、安くイギリスに来てもらえるしね。」
アレックスって周到だ。
うちのお父さんに寂しい思いをさせませんと言っていた言葉の裏には、こんな思惑の裏付けもあったんだ。
◇◇◇
三月の終わりにアルのおじい様が来日された時に、おじい様はお一人ではなかった。
持病があって療養中だと言っていたおばあ様も一緒に日本に来られたのだ。
成田空港の混雑している旅客到着出口でアルさんとノッコが立っていると、おじい様がおばあ様の車いすを押して一番先に出てこられた。
「アレックス! 元気そうじゃないか。…こちらがノッコだね、初めまして。スカルプでは何度もお会いしてたけど、別嬪さんだ。」
おじい様はそう言って、ノッコ達と握手をすると、そのままギュッとハグしてくれた。
「ダグラス、私も挨拶したいわ。」
「ああごめんよ、エバンジェリン。」
大柄なおじい様が車いすで焦れていたおばあ様に謝って、自分は後ろに下がった。
「おばあ様、お久しぶりです。」
アレックスが騎士のようにしゃがんで、おばあ様の手をしっかりと握った。
「貴方ったら、仕事ばかりでなかなかこっちに連絡をよこさないから心配するじゃないの。」
「ごめんなさい。これから一週間ずっと付きっ切りで日本を案内するから許して。」
「貴方に許してって言われるのは何百回目かしら…。」
おばあ様はくるりと目を回しながらアルさんの手を握っている。
呆れたような口調だが、目をキラキラさせて微笑んでいるので、アルさんがご自慢のお孫さんであることがノッコにもよくわかった。
「典子さん、こちらにいらして顔を見せて下さいな。」
おばあ様に言われて、ノッコがアルさんと場所を変わっておばあ様の前に行った。
手を出されたので、アルさんがしたようにおばあ様の手をしっかりと握った。
「ホホッ、そんなに緊張しなくてもいいのよ。私達はもう貴方のことを孫のように思っているんですから。目を見せてちょうだい。」
ノッコがおばあ様の方を見ると、おばあさまは目を細めてじっとノッコの顔を見た。
「なんだか懐かしい気持ちになるわね。黒い瞳の知り合いは多いけれど、不思議だわ。」
ノッコの方も最初は緊張していたのに、おばあ様の手を握って顔を見ていると、波打っていた気持ちがすっと凪いでいった。
おばあ様は私の前世に関わっている人なのかもしれない…。
今は周りがざわついているので、そのことはハッキリと見えてこないが、ノッコはそんな確信めいたものを感じた。
おばあ様、元気を出して日本に来てくださったんですね。