表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/518

・渇いた傷痕

・渇いた傷痕


「どうしたのサチコ。元気ないけど」

「ん、ああいや」


 昼休み。学園祭を前にして、半ば学級崩壊したままの教室を後にした俺は、部室にて先輩と南の三人で、弁当を広げていた。


 俺だけ魔法瓶型で二人は平型。


「昨日な、ママが会いに来たんだよ。もう六年ぶりくらいかな」


 異世界は入れないものとする。人との説明時にボロが出ないよう、気を付けないといけない。


「さらっと飯が重たくなる話題来たなー」


「他人の不幸って身近だと、ごはんが美味しくなくなる調味料よね」


 調味料とはいったい。


「サチコの家って確か離婚してんだよね」

「そっすね」

「それでお母さんはなんて」


「それが話すことがなくてさあ。事務的に俺が娘で、祖母の家に住んでることとか、今どう暮らしてるかとか、近況報告だけで」


 昨日やって来たママはそうですか、とだけ。


 家に入りたがっていたようだけど、上げないままそれは終了した。


 異世界に行く前は、レトルトの飯が自動で補充される以外は、ほぼ一人暮らしだった。


 婆ちゃんと暮らすようになったときも、振り返って見て、身も蓋も無い言い方をすれば、概ね老人の介護が増えただけ。


 嫌な言い方をすれば、そのせいで支払われてしまった学費を、無駄にしないために、異世界から戻り、就学してしまっている有様だ。


 南や先輩たちとの交友関係が出来たことは、通って良かったと思えるが、それは彼女たちに感謝することだ。他の誰のおかげでもない。


 ママは俺が自分の子どもであるかを、確かめたかったようだ。でもずっと半信半疑の様子だった。


 途中でテレパシーの能力が、どうして家に上げてくれないのか、家族なのにという心の声を拾っていた。


 だが同居してるときから、そういう関係を築けてないので、俺からすると彼女がどういう心境の変化を遂げたのか、割と真面目にどうでもいい。


 自分と自分の近くが見えてないまま、忘れてる可能性が高い。


 良い面もろくに見せず、悪い所ばかり濃縮して、毎日体験させられた身としては、執着が薄れていることはむしろ掬いである。『ばか』で良かった。


「え、お母さんが今どうしてるかは聞かなかったの」

「うん。別に知りたくなかったし」

「なんで」


「興味がないし、もしかしたら生活環境が悪化して、転がり込みに来たのかもと思うと」


「あー分かる」

「え、分かるの」


 先輩が頷いて、南が意外そうな声を上げる。この辺は育ちの差だな。


「だって何年も連絡が無かった母親だよ。離婚時に親権を持っていき易いのに、サチコ連れてってないし。それが今頃になってやって来るなんて、心境を考えたら絶対ポジティブな理由じゃないよ」


「それな」


「ええ、この時代の子って皆そうなの。でなきゃこの地域が、その、そういう」


「両方な。こんな田舎で場末の高校がある地域を踏まえれば、原住民の質なんかザルでも量れるわ」


 南が『うええ』と可愛いく呻く。心底幻滅というか、軽蔑したというか、そんな表情だ。一方で先輩は今のやりとりで何か思う所があったのか、メモ帳を取り出して、何かを書き付け始めた。


 しばしの沈黙。考える時間ができると、二人の考えが聞こえてくる。


(ザルでも量れるかあ。使えそうな罵声だな。どっかで使おう)


(ケロっとして言ってるけど、寂しいとか執着とかないのかしら。やっぱり関係が終わっちゃってるから、こんなに、希望とか前向きに考えるとか、ないのかしら。それにいっちゃんも分かるって)


「南。お前の家族ってどんなの」

「な、なにいきなり」

「たぶんそれでお前の疑問には答えられるよ」


 俺がそう言うと南は何かを考えてから、いや、思い出したのだろう。心の声が今度は聞こえなかった。彼女は自分の家庭について、話し始めた。


「核家族だったわ。お父さんとお母さんと私。仲は悪くなかったと思う。共働きだけどよく話して、私が学校に通うために、寮に入ったり飛び級したり、就職が決まったときもお祝いしてくれて、褒めてもらって」


「写真は」


「私は他の子より早く家を出ちゃったけど、それでも家に帰るときは、必ず撮った」


「学校で作った工作は」

「今も実家に置いてある」


「連絡は」


「電話を掛け過ぎるとホームシックになるから、定期的に手紙を出してる」


 嬉しそうだった。昔を懐かしみ、微笑みながら語った。そのうち家族のエピソードや、自分の就学を応援してくれたこと、経済的なことから、精神的なことまで感謝していることなど。


「そうか。お前は生まれも良かったんだな」

「そう言われると悪い気はしないわね!」


 照れながらも、亜麻色のゆるふわ髪を掻き上げる。いい子だと思う。反抗期なのか、今迄通りの親の心配が、多少煩わしくなってきたという自覚さえ、見せてくれた。だけど。


「俺には一つもない」


 そして南の表情が凍った。


「家族とは、親子が互いに、大事にし合っているものを指します」


「私と両親は互いに大事にし合っています」

「従って私たちは家族です」


「これがお前んち」


 俺にはそれがない。そう結ぶと、その場から言葉が失われて、何かが止まったような気がした。


 止まってないのは、俺が弁当を食う手と、先輩のメモをとる手の動きだけ。


「婆ちゃんが絞り出したなけなしの良心が、学費だったってくらいで、他の二人にはそれさえない。思い出せないとかじゃない。優しい時もあったなんて、縋って庇えるものがない」


「実家に行ってもな、俺の私物は何もない。誰も持ってないんだ」


 お茶を飲む。いつもは水筒だけど、今日は寝坊したからペットボトル。夏の暑さからカロリーを得て、元気になるゴキブリみたいな人々も、寒くなってくると沈静化するので、ぐっすり眠れてしまう。


 冬はいい季節だ。


「……なんで」

「<ピー>と<ピー>が子作りするってそういうこったぞ」


「止してよまだ私ご飯食べてんだから!」

「すんません」


 俺の養育費だってない。強いて言うなら離婚時の取り決めで、ママが振り込むことになった金を、男が粗方使い込んだ際に、その余りをせっせとチョロまかした額が、それに当たる。


「南、お前は恵まれている。良い親御さんがいて、その辺が捻くれてないってことは、周りの人間もだいたい家族関係が、悪くない人たちってことだろう。地域そのものが、裕福で優秀なんだ」


 飯を食う手を一旦止めて、視線を上げる。


「俺も今は幸せだけど、親とか生まれについては、肯定のしようがない。お前はアメリカ人だけど」


「いやだから私は日本人」


「俺は敗戦国の人間の子どもで、クズの両親から生まれた。一生の恥を、生まれたときから二つ背負ってる。原罪だって一つで、仏の顔も三度までだよ。俺には耐えられなかった」


「この世界の歴史は変わってるから、敗戦は違うんじゃないかな」


「そうだな。でも俺はそれを許せないんだよ。だから俺は『そのまま』なんだ、斎」


 家の中には肯定できる要素が何も無かった。荒れるに任せた家の外、もっと大きなもので誤魔化したかったが、それさえ出来ない。


 家も地域も人種も、俺に味方してくれる要素は殆どなく、偶にできた友人も、すぐに去っていった。人生の最初の十五年、そういう生まれと暮らしをしたのが、俺だ。


 それなのに、ある日歴史が変わったから、今までのことは違うんですと言われて、はいそうですかと納得できるか。俺の過去は何も変わっていない。


 歴史の変化を受け入れられないんじゃない。俺がそのことから、逃げ惑ってることに、変わりがないとしても。


「心が狭いんだ」


 俺に不条理食らわして来た諸々が、一切の詫びも無く、歴史が変わったから、無かったことなるなんてのも、許せないんだよ。


「でももしかしたらその、経済状況が好転して、あなたを迎えに来た可能性も、あるんじゃないかしら」


「おおポジティブ。まあそれも無いとは言い切れないよね」


 南が食い下がるように言い、先輩がぎこちなくおどける。何とか希望のあることを言って、不安や不快感を、追い払いたいという気持ちのほかに、俺にそれを言って聞かせようとしている。


 優しい奴らめ。


「慰謝料とか養育費とかを払い終わったから、一緒に暮らさないかって、そう言いだしたったんじゃないかしら。そりゃこんなに時間かかったし、母子家庭じゃそれも難しいから、置いて行ったのもあるでしょうけど、でもサチコのお母さんは、サチコの元に帰って来たのよ。きっと悪いようにはならないわよ」


 励ましと希望的観測の狭間にあるのは、現実逃避なのか。或いは蜃気楼の奥からはみ出した真実なのか。


 南はちょっと必死な感じだった。彼女は彼女の気持ちから、良心に則って話している。


「俺には家庭がなかった。だから友だちが一番なんだ」


 だけどそれは俺に当て嵌まってはくれない。その時期を待っていたと思うけど、もう終わっている。


 だから俺は、南にそう言い返すしかなかった。


「だったらせめて、友達から嫌な気持ちの共感くらい、得ようとしなさいよ」


「ごめん」


 南の気持ちを汲むのなら、嘘でも同意と肯定を返すべきだったんだろうな。彼女は俯いてしまった。


 そのまま昼飯を食い終わって、時間が余った。不意に二人の心の声が、また聞こえてきたが、読むのは止そうと思ったら矢先、声は聞こえなくなった。


 代わりに昼休みの終わりを告げる、チャイムの音が鳴り響いたからだった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ