・渇いた傷痕
・渇いた傷痕
「どうしたのサチコ。元気ないけど」
「ん、ああいや」
昼休み。学園祭を前にして、半ば学級崩壊したままの教室を後にした俺は、部室にて先輩と南の三人で、弁当を広げていた。
俺だけ魔法瓶型で二人は平型。
「昨日な、ママが会いに来たんだよ。もう六年ぶりくらいかな」
異世界は入れないものとする。人との説明時にボロが出ないよう、気を付けないといけない。
「さらっと飯が重たくなる話題来たなー」
「他人の不幸って身近だと、ごはんが美味しくなくなる調味料よね」
調味料とはいったい。
「サチコの家って確か離婚してんだよね」
「そっすね」
「それでお母さんはなんて」
「それが話すことがなくてさあ。事務的に俺が娘で、祖母の家に住んでることとか、今どう暮らしてるかとか、近況報告だけで」
昨日やって来たママはそうですか、とだけ。
家に入りたがっていたようだけど、上げないままそれは終了した。
異世界に行く前は、レトルトの飯が自動で補充される以外は、ほぼ一人暮らしだった。
婆ちゃんと暮らすようになったときも、振り返って見て、身も蓋も無い言い方をすれば、概ね老人の介護が増えただけ。
嫌な言い方をすれば、そのせいで支払われてしまった学費を、無駄にしないために、異世界から戻り、就学してしまっている有様だ。
南や先輩たちとの交友関係が出来たことは、通って良かったと思えるが、それは彼女たちに感謝することだ。他の誰のおかげでもない。
ママは俺が自分の子どもであるかを、確かめたかったようだ。でもずっと半信半疑の様子だった。
途中でテレパシーの能力が、どうして家に上げてくれないのか、家族なのにという心の声を拾っていた。
だが同居してるときから、そういう関係を築けてないので、俺からすると彼女がどういう心境の変化を遂げたのか、割と真面目にどうでもいい。
自分と自分の近くが見えてないまま、忘れてる可能性が高い。
良い面もろくに見せず、悪い所ばかり濃縮して、毎日体験させられた身としては、執着が薄れていることはむしろ掬いである。『ばか』で良かった。
「え、お母さんが今どうしてるかは聞かなかったの」
「うん。別に知りたくなかったし」
「なんで」
「興味がないし、もしかしたら生活環境が悪化して、転がり込みに来たのかもと思うと」
「あー分かる」
「え、分かるの」
先輩が頷いて、南が意外そうな声を上げる。この辺は育ちの差だな。
「だって何年も連絡が無かった母親だよ。離婚時に親権を持っていき易いのに、サチコ連れてってないし。それが今頃になってやって来るなんて、心境を考えたら絶対ポジティブな理由じゃないよ」
「それな」
「ええ、この時代の子って皆そうなの。でなきゃこの地域が、その、そういう」
「両方な。こんな田舎で場末の高校がある地域を踏まえれば、原住民の質なんかザルでも量れるわ」
南が『うええ』と可愛いく呻く。心底幻滅というか、軽蔑したというか、そんな表情だ。一方で先輩は今のやりとりで何か思う所があったのか、メモ帳を取り出して、何かを書き付け始めた。
しばしの沈黙。考える時間ができると、二人の考えが聞こえてくる。
(ザルでも量れるかあ。使えそうな罵声だな。どっかで使おう)
(ケロっとして言ってるけど、寂しいとか執着とかないのかしら。やっぱり関係が終わっちゃってるから、こんなに、希望とか前向きに考えるとか、ないのかしら。それにいっちゃんも分かるって)
「南。お前の家族ってどんなの」
「な、なにいきなり」
「たぶんそれでお前の疑問には答えられるよ」
俺がそう言うと南は何かを考えてから、いや、思い出したのだろう。心の声が今度は聞こえなかった。彼女は自分の家庭について、話し始めた。
「核家族だったわ。お父さんとお母さんと私。仲は悪くなかったと思う。共働きだけどよく話して、私が学校に通うために、寮に入ったり飛び級したり、就職が決まったときもお祝いしてくれて、褒めてもらって」
「写真は」
「私は他の子より早く家を出ちゃったけど、それでも家に帰るときは、必ず撮った」
「学校で作った工作は」
「今も実家に置いてある」
「連絡は」
「電話を掛け過ぎるとホームシックになるから、定期的に手紙を出してる」
嬉しそうだった。昔を懐かしみ、微笑みながら語った。そのうち家族のエピソードや、自分の就学を応援してくれたこと、経済的なことから、精神的なことまで感謝していることなど。
「そうか。お前は生まれも良かったんだな」
「そう言われると悪い気はしないわね!」
照れながらも、亜麻色のゆるふわ髪を掻き上げる。いい子だと思う。反抗期なのか、今迄通りの親の心配が、多少煩わしくなってきたという自覚さえ、見せてくれた。だけど。
「俺には一つもない」
そして南の表情が凍った。
「家族とは、親子が互いに、大事にし合っているものを指します」
「私と両親は互いに大事にし合っています」
「従って私たちは家族です」
「これがお前んち」
俺にはそれがない。そう結ぶと、その場から言葉が失われて、何かが止まったような気がした。
止まってないのは、俺が弁当を食う手と、先輩のメモをとる手の動きだけ。
「婆ちゃんが絞り出したなけなしの良心が、学費だったってくらいで、他の二人にはそれさえない。思い出せないとかじゃない。優しい時もあったなんて、縋って庇えるものがない」
「実家に行ってもな、俺の私物は何もない。誰も持ってないんだ」
お茶を飲む。いつもは水筒だけど、今日は寝坊したからペットボトル。夏の暑さからカロリーを得て、元気になるゴキブリみたいな人々も、寒くなってくると沈静化するので、ぐっすり眠れてしまう。
冬はいい季節だ。
「……なんで」
「<ピー>と<ピー>が子作りするってそういうこったぞ」
「止してよまだ私ご飯食べてんだから!」
「すんません」
俺の養育費だってない。強いて言うなら離婚時の取り決めで、ママが振り込むことになった金を、男が粗方使い込んだ際に、その余りをせっせとチョロまかした額が、それに当たる。
「南、お前は恵まれている。良い親御さんがいて、その辺が捻くれてないってことは、周りの人間もだいたい家族関係が、悪くない人たちってことだろう。地域そのものが、裕福で優秀なんだ」
飯を食う手を一旦止めて、視線を上げる。
「俺も今は幸せだけど、親とか生まれについては、肯定のしようがない。お前はアメリカ人だけど」
「いやだから私は日本人」
「俺は敗戦国の人間の子どもで、クズの両親から生まれた。一生の恥を、生まれたときから二つ背負ってる。原罪だって一つで、仏の顔も三度までだよ。俺には耐えられなかった」
「この世界の歴史は変わってるから、敗戦は違うんじゃないかな」
「そうだな。でも俺はそれを許せないんだよ。だから俺は『そのまま』なんだ、斎」
家の中には肯定できる要素が何も無かった。荒れるに任せた家の外、もっと大きなもので誤魔化したかったが、それさえ出来ない。
家も地域も人種も、俺に味方してくれる要素は殆どなく、偶にできた友人も、すぐに去っていった。人生の最初の十五年、そういう生まれと暮らしをしたのが、俺だ。
それなのに、ある日歴史が変わったから、今までのことは違うんですと言われて、はいそうですかと納得できるか。俺の過去は何も変わっていない。
歴史の変化を受け入れられないんじゃない。俺がそのことから、逃げ惑ってることに、変わりがないとしても。
「心が狭いんだ」
俺に不条理食らわして来た諸々が、一切の詫びも無く、歴史が変わったから、無かったことなるなんてのも、許せないんだよ。
「でももしかしたらその、経済状況が好転して、あなたを迎えに来た可能性も、あるんじゃないかしら」
「おおポジティブ。まあそれも無いとは言い切れないよね」
南が食い下がるように言い、先輩がぎこちなくおどける。何とか希望のあることを言って、不安や不快感を、追い払いたいという気持ちのほかに、俺にそれを言って聞かせようとしている。
優しい奴らめ。
「慰謝料とか養育費とかを払い終わったから、一緒に暮らさないかって、そう言いだしたったんじゃないかしら。そりゃこんなに時間かかったし、母子家庭じゃそれも難しいから、置いて行ったのもあるでしょうけど、でもサチコのお母さんは、サチコの元に帰って来たのよ。きっと悪いようにはならないわよ」
励ましと希望的観測の狭間にあるのは、現実逃避なのか。或いは蜃気楼の奥からはみ出した真実なのか。
南はちょっと必死な感じだった。彼女は彼女の気持ちから、良心に則って話している。
「俺には家庭がなかった。だから友だちが一番なんだ」
だけどそれは俺に当て嵌まってはくれない。その時期を待っていたと思うけど、もう終わっている。
だから俺は、南にそう言い返すしかなかった。
「だったらせめて、友達から嫌な気持ちの共感くらい、得ようとしなさいよ」
「ごめん」
南の気持ちを汲むのなら、嘘でも同意と肯定を返すべきだったんだろうな。彼女は俯いてしまった。
そのまま昼飯を食い終わって、時間が余った。不意に二人の心の声が、また聞こえてきたが、読むのは止そうと思ったら矢先、声は聞こえなくなった。
代わりに昼休みの終わりを告げる、チャイムの音が鳴り響いたからだった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




