・サチコと軍事部
今回長いです。
・サチコと軍事部
米神高校は愛研同総合部に所属の軍事部は、困ったことになっていた。
一年生部長に責任を押し付け、いや率いられた、総勢十二名の部員、そのまとまりが付かないのである。
元軍事愛好会及び研究会及び同好会現軍事部部長、と書くと何が何だか分からないが、所属している人々にはそれで通る、不思議な肩書きの男。
彼は育ちの良さそうな顔に、憂いの色を漂わせていた。
何故かと問えば、統合の末に一つになったこの集いは、部としてのあり方に迷っていたのである。
何せ他の部とは名ばかり、いや名実共に部で無くなった他の面子は、無頼の気概頼もしく、独歩独立を貫いている。しかして軍事部は、今や部と成り、部費を頂く身分となった。
金を貰うという立場を得た以上、当然責任が伴う。部の責任とは何か。無論部活動であるのだが、活動に目標を掲げる必要が出来た。
目標に沿った活動を、せねばならないのだ。
一年も早三分の二を過ごそうという時である。
彼もまた一年生の終わりが見えて、漸く学生にも一慣れし、かかる二年三年に、備えようという頃である。
しかしながら所属の部は、暗礁に乗り上げつつあった。
何故か。先ず三年の引退である。それでも部としての人数は足りるが、部内の均衡が崩れてしまうのである。
それぞれの会は四名であったが、その内訳は同じではないのだ。加えて部長は、とかくナーバスな時期にある、十六の男子である。
部の目標の設定、部内の力関係の梃入れ、自分自身のこと。どれ一つ取っても大きな悩みであり、どれ一つ取っても、自分一人で何とか何とかできるとは、思えなかった。
彼は小心で、己を過小評価するきらいがあったが、それでもこれは、先ず先ず正しい分析と言えた。
部員はといえば、我関せずとばかりに音沙汰がない。多くが目上であり、面倒事が嫌いな趣味人なのだ。友だちですらない。力は借りられない。
そこまで分かっており、そこで詰らない所が、彼の秀でた点であった。
(誰かの力を借りよう)
一人では手に余り、周りに頼れる者が、居ないのであればどうするか。
無理でも一人でどうにかするか、頼れる者を探して、助力を乞うしかない。彼は後者を以って決断した。心当たりが有った。
彼は色々な不祥事で廃部となった、元はサッカー部のものだった部室から出ると、その人物を求めて歩き出した。
「で、何で俺だ」
「北先輩からのご紹介でして」
学食隣の購買部に、職員の代理として詰めていた女生徒が、不満そうな声を上げる。その姿は駅のホームの売店にいる、中年女性のような納まりの良さ。
「俺よりもあの人か南のほうが、軍事関連は詳しいはずだけどな」
「部長は制度的な面倒事は臼居を頼れと」
「あいつらは俺を何だと思ってるんだ」
女生徒はやや傷付いた様子であったが、店の奥から出てくることはなかった。仕事でここにいる以上、持ち場を離れられないのだ。
「それで、用件はなんだよ」
「できれば部室にお越し頂きたいのですが」
「無理。今日は購買の職員が、子どもが熱出したって休んでるから。あと何か買ってけ」
彼女は端的に、自分がここにいて離れられない理由を話した。軍事部部長は、飴の缶詰を一つ購入した。枕式ドロップスという古典的な商品で、缶の表には春画系の浮世絵が描かれている。
最近は絵柄を現代式にしたことで、性的になったと抗議が入るようになった。
「用事を言って必要そうな物があれば、持って来てくれって頼むよ。それまでは先ず考えるんだ。人目があったって、購買部の暇潰しの話で、話題も軍事趣味と来れば、教員と女子はほぼ興味を持たねえ。安心して早よ話せ」
軍事部部長は彼女の態度に不快感を覚えた。些か失礼というのもあるが、態度や考え方が、どこか母親じみたものがあり、無頓着さから来る距離や隔たりの無さに、苛立つのである。
しかし紹介された相手の態度が、気に入らないからと、相談もせずに帰ったのでは、紹介してくれた相手に申し訳が立たない。
彼という人間にしては、珍しくその精神的な背伸びが、功を奏した。
「実はですね……ということなんです」
「悪いけど進路については相談に乗れないなあ」
「あ、そこは部活のほうだけで結構です」
購買部内にあった、もう一つのパイプ椅子を融通してもらい、彼も座って話す。
部のこれまでとこれからの課題、人員の不均衡に混じり、愚痴が入ってついつい自分のことまで喋ってしまった。それは彼がまだまだ若い証左であった。
売店を挟んで、向かい合って話している訳だが、趣は刑務所での面会に近い。
「そうか。そこ一番大事なことだと思うんだけど」
「お気持ちはありがたいですが、目先の問題を終えないと、自分も自分のことに集中できません。ですので」
軍事部部長がそう言うと、女生徒は後頭部を掻いた。徐にスカートの中に手を突っ込むと、小銭を幾らか取り出して、レジの中に放り込み、店内のキャラメルの箱を一つ開けた。
昔懐かしのミルクキャラメルである。銀紙を剥がし、長方形の小さな塊を口に放る。
「あの、今」
「俺は昔学校で盗みに遭って以来、財布の中身は服の下に入れてるんだ」
何と言う常在戦場の如き生活態度であろうか。普通なら下品さに眉を顰めるところであるが、軍事部部長は何故か彼女を少しだけ見直した。
「取りあえず部活の目標の件だけどな」
「あ、はい!」
「手っ取り早いのは何かの大会に出て、上位入賞を目指すことだな」
とかく分かりやすい実績を求めるのが、教育の現場である。これが校長辺りの親戚や、身分ある人及びにその親戚の、天下りのために発足したような文化部なら、そうでもないのだが。
この軍事部はゲリラにも似た草の根の集まりである。
何かをやらせていると、学校側が人に具体的に言える要素が、必要なのである。
具体的も何も、趣味の分野を勉強していると、これ以上なく具体的なのだ。だが他に言いようのない、根っこの部分を見せられても、興味の無い者は疑問符を浮かべるより他に、無いのである。
「要は理解を端折るための、記号を用意しろとこういうことだな。判子文化が尊ばれるのは、こういう民族的な頭の悪さが、根底にあると俺は思うぜ」
女生徒はさらっと人種差別的発言を交えたが、日本人が日本人を悪く言う分には、さして問題はないと判断して、軍事部部長は相槌を打った。
「それなら民間の※野戦試合大会があります。今や分野として独立し、軍事とは言い難いものがありますが」
※サバイバルゲームのこと。
「そうですね。部費の用途も、これに絞れば余計な軋轢は、避けられそうです。一般の方には区別が付かないでしょうし」
「無いと困るという点じゃあ、これもある種の設備費だな」
「早速顧問に相談してみます。嫌がられそうですけど」
「部員への周知はいいのか」
「自分に任せっ放しですし、聞けばとりあえず反対か、良くて難色ですからね」
部員間の仲は冷え切っているようだなと、女生徒は思った。その内孤立して、外圧に負けて暴走しやしないかと、少し心配になる。
「話し合って決めるより、決めてから話したほうがいいんです。うちは」
彼女は疲れの見える軍事部部長の横顔に、北斎が彼らを疎んじ、軽んじた理由の一端を垣間見た気がした。
「で、次が部員間の梃入れ。俺はお前らの活動内容が、どうなってるかよく知らないんだけど」
「ああ、それならそれぞれの派閥の、成果を纏めたものが、ここに」
そう言って彼は肩に下げていた鞄から、三冊のノートを取り出して、女生徒に渡した。予め部室から拝借しておいたのである。
「用意がいいな」
「どうも。顧問に我々のことを説明する際に作ったものを、再編集したものです」
それぞれが『軍事愛好会』『軍事同好会』『軍事研究会』と表紙に大きく書かれその下には共通して『の歩み』とある。
「読ませてもらっても」
「どうぞ」
女生徒はノートに目を通した。
愛好会のものは戦史についての地理と風俗、当事者の価値観や、戦争に至る動機など。
歴史上の戦いを、どちらかと言えば民俗学的な読み物として、まとめており、洋の東西を問わない雑食さが、興味を引きまた感情に訴えるものがある。
同好会は戦場の説明に重きを置いており、どれかを深く掘り下げることもないが、概要として見る分には非常に分かり。
また偉人伝のような重要人物の紹介や、作戦や不測の事態の何故という所まで、解説がついており盛り上がりも意識してある。
研究会のものは、その名の通り戦争にて用いられた諸々を研究してあり、特筆すべきは数字について詳細に記してあることだった。
行軍距離、必要な食料とその重量、諸々に架かる費用などを通して、生々しい戦争毎の値段が付けられている。
女生徒が頷いてノートを返した。
「そこに有るのは、あくまで抜き出した一例で、本編は部室にあります」
「うーん。ここだけ読むと良くできてると思う。続きは今度借りに行くとして、何をしているのかは分かった」
「生憎と、部が発足したのに三年はもう引退です。それで愛・同・研の残りも三・三・二となってしまって、活動の質や量を担保できるかどうか」
「そうだなあ。先輩から勉強を教えてもらったらどうだい」
「勉強をですか」
「そうだよ。オタクっつっても、全部が独力じゃないんだ。手本もあれば先達もいる」
今度は胸元に手を突っ込んだ女生徒は小銭を取り出し、レジに入れて店内のお茶を飲み始めた。彼も同じ物を購入した。
「自分たちの製作物をどうやって作ったか。どう資料を集めたか。その手順を明文化して残して貰ったらどうだ。俺も漫画の背景描くときは漫研のとうちの部長から手解き受けたし」
「手解きですか」
「そうだよ。気は乗らないだろうけど、後輩が同じくらいのことを、出来るように残せるものは、残してもらいな」
要するに、先輩から勉強の仕方を勉強しろと、彼女が言うとら一年生の軍事部部長は押し黙ってしまった。
嫌だという感情を隠しもせずに顔に浮かべていた。
「嫌か」
「気持ちの上は」
「正直だなあ」
また一つキャラメルを頬張る彼女に対し、彼もドロップを一つ、口に放った。舌に広がるハッカの味が、強張った嫌悪感を脱力させる。
「ですが、それで彼らに劣ったままというのも、それはそれで嫌です」
「そうかい。反骨って奴だね。今時流行らないよ」
「流行りでオタクはするものじゃありません!」
軍事部部長の率直な言いように、女生徒は思わず吹いた。自覚があったのかという思いと、恐らくはこれで気取っているのだろうという、ちぐはぐさが思わぬ好印象を抱かせたのだ。
「なら話は早い。とっとと先輩方に自分たちの段取りを教えるよう部長命令を出しなよ」
「はい。そうします」
先輩のノウハウが失われないうちに部内に残しておけということである。現実に即したマニュアルが整備されれば大崩れはしないものである。
「体制の構築とか、先輩の教えを残しておかないと、とでも言えばいいだろう。オタクも一般人だからな。自分のおふざけを強調されて、取り出されたり許されたり、お誂え向きを用意されると、内省そっちのけでムキになるからな、自分もそれ好きですって態度で行かないといかんぞ」
「いや、部員同士仲は良くないけどやってること自体は俺も好きだから」
女生徒の見透かすような忠告に彼は思わず素が出てしまった。分かるけど他に言い方は無かったのだろうか、と自他双方への嫌悪と納得が表情に出る。
「しかしなんだな」
「どうかしましたか」
女生徒がまたお茶に口を付ける。彼女はキャラメルを一つ、渋い顔をしている男子に差し出した。
彼はいつの間にか、自分のハッカのドロップを、噛み砕いていたことに気付くと、お茶を買って口内を軽く漱いでからそれを頂いた。
「学校に来て、わざわざ自分たちの勉強法を作って、それを残そうなんて、お前ら相当勤勉だな。下手な学生よりよっぽど優秀なんじゃね」
「やらせといて言いますか。……戦いは勉強です、訓練だって武器だって作戦だって、集積された情報の賜物ですよ」
「勉強は戦いねえ。平和にならねえ訳だ」
「子どもの頃から戦ってますからね」
苦々しく呟く女生徒に、軍事部部長は困ったような笑みを浮かべた。育ちの良さそうな顔が、本来の形を取り戻す。
最後の一服を入れると、彼は立ち上がった。
「とりあえず、これで行ってみることにします。今日はありがとうございました」
「どういたしまして」
椅子を返された彼女は、そう言って軽く手を振った。
勉強が戦いなら、学問の探求とは、新たな敵を探し続ける行為になるのだろうか。だとすれば、なるほど世界に平和が訪れない訳だ。
去っていく他の一年生の背中を見送りながら、ぼんやりとそう考える女生徒だったが、直ぐに興味も失せ、売店の業務へと戻ることにした。不思議なことに、彼女がいるときは一向に客が来ない。
それならそれで構わないと、また一つキャラメルを口に入れて、女生徒は一つの平和な時間を、まったりと味わうのであった。
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