・サチコと漫研
今回長いです。
・サチコと漫研
『星後』は全国展開の喫茶店である。
ナウなヤングが気取って入り、注文した珈琲などを様々な撮影機器で撮影し、ネットに上げた後、大して食べもせず去っていく。
そんな客が後を絶たない飲食店である。
全部食べきるのは下品だと、勘違いした人々が時間を潰す中、小洒落てはいるが狭苦しい、本当に二人掛けか怪しい席に、二人の女子がいた。
一人は猫背、で所謂瓶底と呼ばれる、分厚い眼鏡をかけた女子で、ハンチング帽を被っている。
服装は茶色のショートブーツに赤いパンツ、七部袖の白ブラウスと、狐色のベストという出で立ち。愛研同総合部部長の北斎と、ほぼ同じくらいの背格好である。
もう一人は長身の女子。
ゆうに腰まである黒い長髪を、後ろで一本にまとめている。服装は白いワイシャツに黒のスラックス、黒い革靴に、草臥れた草色の軍用コート。
軍用とは言っても軍用風であり、背中には正面を向いた、桃色の不死鳥の顔と翼が刺繍されている。
「とりあえず、帽子脱いだら」
「あ、はいそうですね」
緊張しているのか、小柄なほうの女性は、大柄なほうの女生徒にそう言われ、慌てて帽子を脱いで鞄に突っ込んだ。
それきりまた黙り込んでしまう。ちなみに女生徒のほうはと言うと、先ほどまで何処の球団ともつかない、野球帽を被っていた。
「それで打ち合わせなんだけど」
「あ、はい」
「何処で何をするって」
女生徒は胡乱な者を見るような目で、相手を見た。元漫画部現漫画研究会部長、と書くと何が何だか分からないが、所属している人々にはそれで通る、不思議な肩書きの少女。
彼女は体を震わせた。通称漫研。
よく愛研同総合部、部長の北斎が漫画を描いているため、その存在の影に隠れがちだが、この少女こそ漫研の部長である。
「あの、ですね、突然呼び止めてしまって、申し訳ありません」
「うん、そこはいいからその次な」
「あ、すいません、その」
漫研部長はしどろもどろになった。話が進まないと女生徒は思った。この少女はずっとこの調子なのだ。
彼女は内心で、いつもと違うことをするべきではない、と溜め息を吐いた。
じゃあ何故そんなことをしたのかと聞けば、つい先日道端に落ちていた、この店の割引券の利用開始日が、今日だったからである。
近頃のクーポン券は配った即日ではなく、およそ数日から二週間ほど先にならないと、使えない物も多く、そのために捨てられがちである。
デートに誘った同居人は、今日は猫でいたいからと同行を断った。
「立ち話も何だからって店入ったけど、何か頼まねえの」
「え、あ、そ、そうですね、ええっと」
メニューを見る二人。この世界は歴史改変を受けており、日本の物価は元の世界よりも安い。予算千円でも、三つは頼めそうな価格設定だった。
「決まった。そっちは」
「あ、決まりました」
テーブルに備え付けのブザーを押す。天井から音がして、女性の給仕がやって来た。
制服が可愛いとは良く言われるが、働くようになった子からは、良い話を聞かない。
「ご注文はお決まりでしょうか」
女生徒はミルクの他に、三種類のケーキを頼んだ。割引券込みで、ギリギリ千円以内に納まる組み合わせだった。
「私はこのカモミール風味のリンゴジュースと、これ使えますか」
それはもうリンゴジュースで良いんじゃなかろうか。しかし女生徒は押し黙った。
漫研部長が財布から割引券、ではない別のチケットを取り出した。
今日から来週末まで使えて、注文時に差し出すと限定ケーキが一つ付いてくるという、サービス券だった。
「かしこまりました」
注文を繰り返して二人が頷くと、ごゆっくりどうぞという定型句を残して、給仕は去っていった。残された二人は、再度向かい合う形になる。
「それで」
「あ、はい、ええとですね、一つお願いがあってですね」
だいたいの人はこの『それで』が、ぶつ切りになった話の続きを差すことであるとは、分からないものだが、少なくともこのときは通じた。
何故かと言えば、少女が喋っている途中で女生徒がそれを遮った形であり、話は何も進んでいないし、終わってもいないからである。
つまり話を戻すとか、続きを促しただけなのである。
「その前に確認しておくけど、顔見知りだよね」
「あ、はいそうです。○○中の人ですよね」
不名誉な出身校名でナチュラルに呼んでくる辺り、配慮の欠片もないことが、一言で判明した。
だがこの人物の中では、女生徒の印象はこれが最も大きかったのだろう。だからと言って口にしなくても良いことではあるが。
「そこより近いとこあるよね。部活とか」
「あ、そうですね。愛研同の」
「うん、それでその頼み事って、店の前をうろうろしてたのと、関係あるのか」
店の前でうろついて、中に入れないというのは、店内に誰か気になる人物がいるか、または鉢合わせしたくない関係であることを意味する。
「あ、無いです。一人でこういうお店、入ったことなくてそれで」
「あ、そう。」
「よく一人でこういうお店は入れますね」
周りには中高年のおばちゃんか、二人組みの若人かの、二つに一つである。そして一つにはやはり、不名誉な成分が含まれている。
「で、知り合いだし丁度いいやと思って声をかけて」
「正直なのはいいけど、言葉は選ぼうな」
「あ、すいません」
恐らくここだけの謝罪に、気が抜けるのを感じながら、女生徒は言葉を待った。
要約すると、一人で飲食店に入ろうとしたことに便乗しただけで、ついでに何か、別の頼みも有るとのことだった。
「それで」
くどいようだが話の続きを促す。
普通に聞いても、相手が緊張して話せない場合、別の話題などで遠回りをして、緊張を解す必要がある。でなければ声が出ないのである。
「あ、はい。実はネタに困ってまして」
「ネタ出しに付き合ってくれと」
そうですそうですと繰り返して、少女は嬉しそうに頷いた。女生徒は相手が相手なので、漫画の原稿を手伝ってくれと言われたら、どうしようかと不安になっていたが、違って内心で胸を撫で下ろす。
ネタ出しも立派な製作作業だが、北斎の下でよく背景を描かされる身の女生徒としては、無理も無い反応であった。
「用件は分かったけどさ、いつも他の部に、座敷わらしみたいに、紛れ込んでるじゃないか」
絵の練習素材として見た場合、学校は被写体がほぼ動き回っている点に目を瞑れば、宝の山である。
また人間観察に重きを置けば、それだけ妄想も膨らもうというものだが、少女は首を横に振った。
「実は幻想ものをやりたいと思ってるんですが、切欠が掴めなくて」
「それはオカルト部を頼ったらどうなんだ」
「参考になったけど、あの人たちだと現代超能力ものになっちゃうから」
先日女生徒と接触したことで、魔法も使えるようになったオカルト部部長は、そのうち自力で異世界に旅立ちそうな様子である。
「魔法が使えても幻想ものになるでしょ。でも超能力だと、もうそっちが主流になっちゃうんですよ。私戦闘ものってあんまり好きじゃないし、でも宇宙や科学ものもちょっと」
そういえば魔法で満足していて、超能力には手を出していなかったことを、女生徒は思い出した。そろそろ他の系統にも、手を付けるべきだろうかとも。
「規模がでかくなるし、収束させ難いんだよな。その点銀河鉄道は旅物語で、終着点を定め易いからいいと思うけど」
「そうですそうです。終わりから考えるのがいいって言われるんですけど、でも私それ嫌なんですよね」
「なんで」
「不安になるから。予定してた終着点からズレて来たら、どうしようってなりませんか」
「それで今まで完結できた話は何本あるの」
「一本……」
「完結できてないのは」
「ちょっと数え切れないですね」
「終わった奴、今ある」
「これです」
そう言って少女は鞄からタブレットを取り出した。慣れた手付きで画面を操作すると、自作の漫画が表示される。
「読んでもいいすか」
「あ、どうぞどうぞ」
「お待たせしました」
給仕が運んできた甘味が、配膳されるのを待ってから、女生徒は作品を読み進める。思いの外長編で、彼女は少しだけ漫研部長を見直した。
一つ目はとある家庭が崩壊するまでの話で、とても暗い。全体的にコマが大きく、キャラクターに動きが無く、一昔前のアメコミ並に台詞、というか内心が多い。
特筆すべきは序盤と終盤で、内心の量が逆転していることだ。初めこそ両親はあれこれと考えるが、離婚が近付くに連れて疲弊し、内心の量が減る。
逆に子どもは親への不信感や不満から、一気に増える。
またその内容も良い。序盤は山ほど考えているが、基本的に浅ましく、身勝手な親の考えに対し、思考の少ない子どもは、それでも何とか夫婦仲を取り持とうと奔走する。
中盤から終盤にかけて、子どもは両親のことを理解して、殆ど行動しなくなる。親への期待や赦しが失われた状態で、家を出る準備をする。
一方で両親とも家庭を顧みなくなり、時折保身や自己を肯定したいがために、中途半端な行動に走っては褒められない類の失敗を繰り返し、その都度に家庭から遠ざかる。またそれを繰り返す。
色々な逆転を迎えるが、両親が我慢の限界を迎えて離婚する。子どもを押し付け合って協議は紛糾するが、子どもが高校の卒業を期に、家を出ることを打ち明けて、それならばということで一応離婚が成立する。
卒業式の日に家族で写真を撮るが、家を出て一人暮らしの新居に向かう途中で、それを子どもが投げ捨てるところで話が終わる。女生徒は急いで読んだが、読了まで二時間かかった。
ミルクとチョコレートケーキを間に挟んで、水で後味を流す。
「凄く良くできてると思う」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「まあまあ一本調子で、漫画としての盛り上がりには欠けるけど、毎回毎回少しずつ形を変えながら、駄目になっていく積み重ねは、とても真実味がありました。読者を誰一人甘やかさない内容なのは、難だけど」
「資料には事欠かないですからね。ただ、そのまま妥当な終わり方をすると、オチが弱かったから最後はちょっとだけ綺麗にしました」
「うん、自然な流れを通すと、子どもが非行に走って消失するっていう、ほぼ投げっぱなしみたいなことになるからな。ただな、なんでこの作風でファンタジーやりたいって思ったの」
「こういうのを人気の分野でも使いまわせないかなあって」
女生徒の米噛みの辺りに青筋が浮かぶ。挑戦してみたいとか、明るい話を描いてみたいとかではなく、自分の完走できた要素を、そのまま使いまわしたい。
チーズケーキを頬張ってから、水を飲んで彼女は考えた。これは何とか言い包めて逃げないと、厄介だぞと。
「恐怖もののほうが合いそうだな」
「幻想怪奇ものは架空の怪物出せるけど、猟奇描写が難しいですよ」
「贅沢言うな、写真週刊誌のなんちゃって漫画家と違って、線だってブレてないんだし、画力はあるほうなんだから、伸ばそうそこは」
褒めて断り難くしておいてから、女生徒は考えた。この他人の不幸で飯が美味く、自分に甘く虫のいい手合いに、好まれるのは何か。他者への理不尽である。ご都合主義と言い換えてもいい。
「資料も宇宙人とか、怪生物に侵略される映画でいいだろ。あと場所は海外の心霊ものを下地にして、お約束の陰湿な仕組みは、村の風習とか童話を使い、人物を差し替えたらどうだろう」
「おお、段取りが決まったら、なんか私でも出来そうな気がしてきた」
「いっそ怪物を悪霊になった被害者に、襲わせても良いかもな」
幻想怪奇というよりは、コズミック側がホラーするような展開だな、と女生徒は思った。
漫研部長は楽しそうに話を聞いている。自分で考えることに疲れてくると、他人に考えさせるだけで、何だかとても気分が良くなってくるものである。
「宇宙人対幽霊、いかにも駄目な映画臭がしますね!」
「なんならギャグ路線に舵切っちまってもいいな」
その後関係の無い話で談笑を交えていると、漫研部長も満足したのか、今日の話をまとめて、帰り支度を済ませて席を立った。
「今日はありがとうございました。おかげで何とか次に取り掛かれそうです」
「ならいいけど、たまには息抜きしろよ。趣味を義務感で失くすのは、損なだけだからな」
「気をつけます」
そう言って少女は先に店を出た。大分話しこんだせいで、外は日が傾いている。何ていうことはない。疲れてポジティブなことが、考えられなくなっていただけだったのだ。
調子の良いときは、面白そうなことを考えるだけで、それなりに体が動くものだ。女生徒はそれが分かっていたから、漫研部長の話を聞いたのである。
年齢のズレからく来る冷静な客観視と、経験の賜物であった。
思わぬ形で休日を潰した女生徒ではあったが、悪い気はしなかった。
少女が去って行ったほうを一瞥すると、今度描かれる漫画は、あまり面白くなさそうだなと苦笑する。
そして時間を置いて、少し温くなったショートケーキに、手を付けたのであった。
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