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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
平和な日々編
88/518

・サチコと料理部

今回長いです。

・サチコと料理部


 ここは家庭科室。他の部が使っていないときにだけ、彼らも使用することができる。彼らとは誰か。料理愛好会に所属する生徒たちである。


 元料理部現料理愛好会部長、と書くと何が何だか分からないが、所属している人々にはそれで通る、不思議な肩書きの男。


 彼は白い割烹着に身を包み、一つの容器に全神経を集中させていた。


 白いプラスチック製の容器。大きなスペースが二つ有り、他には小さなポケットのような場所が数箇所。そこに入るのは調理したばかりの食材。


 大きいスペースの一つには米。白い。あまりにも白いそれは、善く炊き上がっている。


 神話の頃から人々を生かしてきた貫禄を、風格を、歴史を、今もその身に秘めている。最初に容器に盛ったのは、蓋をすると己の湯気で白米が濡れてしまうから。


 白米の上には黒胡麻が振りかけられ、中央には真っ赤な梅干が一つ、玉座の如く埋め込まれている。全ての始まりとも言えるその場所は、正面下段という名の王道。


 次に豆腐。佃煮とは別の鍋で煮込まれた、甘い香りがする厚揚げ。右上段。


 次に佃煮。褐色の中に浮かぶ飴色の光、白胡麻の塗された昆布。右中段。


 次に漬物。赤紫色の、一見して茄子のようなそれは、胡瓜の柴漬け。右下段。


 ポケットに納まったそれらは、自分の役目の下に整列し、箸の訪れを待つ。


 残すはもう一つの大スペース。白米と組む相棒。白米がなければ始まらないのに、おかずがなければ決まらない。そんな宿命の片棒を担ぐ存在が、立つのは決まって正面上段。


 千切りキャベツが絨毯として敷かれると、その上に遠慮も惜しげもなく投下される、二枚の豚ロース。生姜醤油に浸かった厚切り肉は、しっかりと焼かれ圧倒的な存在感を放っている。生姜醤油と肉汁を吸って、暮れなずむ緑。


 無礼、不躾、不遜。


 これ見よがしな全てがその実、他の具材、白米無くしては、決して許されぬものであることを、豚ロース自身が身に染みて承知している。故にこそ、小さく身を縮めることのほうが、許されぬということも。


 白い容器に納まった全ての者たちが、熱気を少し落とした所で、彼は蓋をした。蓋の上に油性のボールペンで『しょうが焼き』と書く。


 ――しょうが焼き弁当の完成であった。




「どうぞ」


 料理部部長が厳かに言うと、それを見守る部員たちも固唾を呑む。


「では」


 女生徒は後ろに束ねた髪を、服の内に仕舞い、両手を胸の前、顔のやや下で合わせると、静かに頭を下げる。そして今や、意味が失われるほど、長い間咀嚼された言葉を奉げた。


「頂きます」


 そして差し出された弁当を受け取り、渡されていた割り箸を開く。縁起が良い。綺麗に真っ二つ、少しもささくれていない。


 まるでこの先の出来事が、全て上手く行くと暗示しているかのように、憂いも迷いも与えない。


 蓋を開ける。湯気が上がる。最初に少し冷ましたにも関わらず、顕在の熱気。立ち昇る匂い。肉の匂い、白米の匂い。


 箸が動いた。躊躇いなく、しょうが焼きを鷲掴みにする。疑い無く口元へ運ぶ。淀み無く一口に頬張る。彼女の口内に、先ほどまで白い容器に在った、厚い豚肉が一枚。


 当然の熱さ、一度かみ締めて溢れる肉汁。ゆっくりと、しかし止まることなくごそり、と白米を掴む割り箸。二回。白米を口内へと運ぶ回数。


 咬む。嚙む。噛む。


 醤油の塩味と調味料の微かな甘みに、混じって広がる旨味。肉汁の旨味。豚肉の味。咀嚼の度に汁と味が広がり、白米と混ざり合う。


 圧縮された白米と肉を一度飲み込み、余韻のある内にキャベツを食べて、少量の白米を追加する。


 これで約半分。女生徒は自分で用意しておいた、自販機のお茶を少し飲む。洗い流される後味。それは次へと促す仕切り。彼女はここでポケットに待つ、厚揚げへと手を付ける。甘い露が舌を覆った油を中和する。


 そして佃煮。細かく切られた昆布の、やや酸味のある別の甘み。それぞれを頬張る度に少量の白米を口にする。最初の勢いと一転して、小さく分けて食べ進む。


 一、二、一、二と順番に繰り返した結果、二つのポケットが空になる。


 ここで徐に梅干を齧る。弾力の乏しい果肉を噛み砕くと、口中一杯を一撃で支配する、馴染みのある酸味に、彼女は顔を顰めた。


 種を空いたポケットに吐き出すと、溜らずお茶を飲む。消えない酸味に対して、残りのキャベツを食べる。そしてもう一度肉へ。


 再現映像と見紛うような動きで、もう一枚のしょうが焼きを口へ。小分けに噛み千切るような無粋はしない。白米を頬張り噛み締める。たまに砕ける胡麻の歯応えも、彼女を楽しませた。


 最初との違いは、頬張った白米が一口多いことだった。


 一口分多い白米は、肉の味が回り切らず、口内の後味を払拭しながらも、米本来の味を主張する。米だけを食わねば、米の味は分からない。しかして女生徒はそれが嫌ではなかった。


 容器が粗方空になった後、最後に柴漬けを口にする。弾力に富むそれをぽきぽきと噛み砕き、飲み込んでお茶を流す。彼女はしょうが焼き弁当を完食した。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さました」


 蓋を閉じ、箸を置いた女生徒に向かって、料理部部長は恭しく頭を下げた。ここに一つの挑戦が終わった。


「それで、どうだったかな」

「不思議なことを試みる奴がいるもんだなと思ったよ」


 恍惚にも似た余韻に浸りながら、彼女はそう言った。口をハンカチで拭うと、小さく息を吐く。そこには一切の否定が無い。


「間違いなく、あのお店のしょうが焼き弁当だった」

「……! っありがとうございます!」


 滅多に見せない彼女の、ほころぶ様な笑顔と、巣立ちを称えられるような言い方に、彼の心は否応なく震えた。


 続く部員たちの上げる歓声、祝福の言葉。今こそ無敵と覚えるかのような熱が、魂を衝いた。泣きそうだった。この日、料理部部長はまた一つ、その背中を大きくしたのであった。


 そして片付けが終わり。


「おいしいごはんをありがとう」


 女生徒は部員の去った家庭科室で、料理部部長と話していた。彼女が今回このような、正に美味しい思いをしたのは、単に彼が愛研同総合部に出した依頼にあった。


『弁当の味見をしてくれる人募集』


 タダ飯食わせて貰えるなら、皆して集るだろうと彼女は思っていたが、可愛い女子や美形の男子が調理するならいざ知らず、そうでないなら別にというのが人間の深い業である。


 要するに、応募者が全然いなかったのである。


 儲けと踏んで勇んだ彼女は、その依頼を受けた。しかしここからが妙な話であった。彼はその時もしょうが焼き弁当を振舞ったのだが、このような質問をしたのである。


『この弁当は○○の店と同じ味だったか』と。


 彼女は問いの意味が分からず首を傾げたが、正直にこっちの弁当のほうが美味い。と言った。レトルトで済ませていい日は、惣菜や店屋物で済ますこともあったのだ。味に覚えがあった。


 それに対し彼は礼を言ったが、同じ味が出せないといけないと付け加えた。


『店でも継ぐのか』


 当時の女生徒はそう尋ねた。店には店の持ち味がある。ただ美味ければ良いというものではない。だからこそ、彼が同じ味を求めたのだろうと予想したのだ。だが彼の答えは違った。


『俺はレシピを集めて保存してるんだ』


 そう言っていた。そのときは女生徒も、大して興味を抱かなかったが、今回二度目の依頼を目にし、珍しく飛びついた。


 また美味い飯が食えるというのもあったが、そういうことができる人間の話を、聞いてみたいと、本当に珍しくそう思ったのである。


「どういたしまして。今日は助かったよ、ありがとう」


 彼は朴訥な笑みを浮かべた。丸太のような腕から伸びる大きな手は、古風な万年筆を握り、ノートに何やら小さな文字を、書き連ねていく。


 寸胴鍋と瓜二つの体、上半身に見劣りしない下半身。校則でスキンヘッドに出来ないので、ギリギリまで丸めた坊主頭は、豊かな口ひげと相俟って大仏のようである。


 実は彼の外見から、異世界での知人であるオークに似たもの感じ取っており、それが抵抗の無さ、好ましさに通じていることを、女生徒は気付いていない。


「前は聞きそびれたけどさ、なんで料理のレシピなんて集めるんだ。それも有名なとこじゃなくて、小さな店の奴ばっかり」


「小さな店の料理だからさ」


 料理部部長は手を止めずに答えた。窓から差し込む光が、たった今地平の向こうへと沈んだ。


「本当に申し訳がないけど、俺は世界中の料理を食べ切れない。それどころか地元の飯でさえ」


 彼女は聞き間違いかなと思った。それとも『食べられない』を言い間違えたのだろうか。


「昔ね、行きつけの店があったんだ」

「その年でか」


「年は関係ないよ。そこは気持ちが合うか、合わないかだから」


 しっかりとした受け答えだった。以前の世界なら『この年でこんなことを言わない、考えられない、できる訳が無い、子どもらしくない』といった、失礼で浅はかな言葉を、浴びせられたかも知れない。


「……そこはお店の人が、年で続けられなくなってね。本当に悲しかった。俺は店の人に、作り方を教えてくれって頼んだんだ。思えばそれが始まりだった」


 女生徒は小さなアルミ缶に入った緑茶を、一つ彼の前に置いた。今日のために幾つか買っておいたのだ。


 プルトップに指を掛け、先に自分が飲んでから相手に促す。料理部部長は手刀を切ってから、後に続いた。


「今までに身近な店が次々と無くなって、好きな料理が、どんどん食べられなくなっていった。作る人がいない。それだけのことでもう、その飯が食えない。次第に俺は、それが無性に許せなくなっていった」


 静かに語る声に、女生徒は怒りを感じなかった。


「俺はもっと、この料理を食べていたいと思った。俺が作るしか方法がないなら、そうするしかない。でもそれだけじゃ寂しいから、ネットに上げたり、こうして頒布物にしたりして、図書室にも置かせてもらってる」


 彼はそう言うと、今日作ったしょうが焼きの、レシピをまとめた冊子を見せた。写真と手描きのイラストが添えられ、どちらの画も想像の中の味を傷つけない。


「たまにさ、俺はこれからどれだけ飯を食えて、どれだけの人に飯を伝えられるだろうって、それを考えるとめげそうになることもあるけど、そんなときはやっぱり飯を作るんだ」


「そうか」


 女生徒は頷いた。彼女が時折図書室で物色している、生徒発行の料理のエッセイやレシピは、ここが作っていたのだ。


 彼女は感心しながら、一つ訪ねて見ることにした。


「こんなことを聞くのも何だけどさ、料理を広めたら、本音を言えば何も食わせたくないような奴だって、その料理を食っちまうかも知れないんだよ。その辺りを考えたことはあるのか」


 意地の悪い質問だった。しかし女生徒の本心であった。世の中には塩を撒いて、軒先はおろか惑星から追放したくなるような人間が、少なからず居る。嫌いな奴が自分の好きな料理を食べる、それは嫌じゃないのか、と。


「料理は何の為にある」

「食べる為にあるんじゃないのか」


「そうだな。でも、じゃあ何で食べる」

「死なない為だろ」


「そうだ。生きる為だ。生きるという選択が、食べるという選択なんだ」


 向き合った男の目は、仏の如く穏やかだった。


「料理は生きるためにある。調理して、食べて、それが人を生かすなら、それが料理の為であり、料理は本懐を遂げたことになるんだよ。俺の好き嫌いは、料理とは関係ない」


 困ったような仕草の後に、料理部部長ははにかんだ。陽が沈んだ家庭科室に、一瞬だが日輪が輝いたかのような錯覚を、女生徒は覚えていた。


 大きい。あまりにも大きいヒューマニズム、彼女の中の暗闇は、強かに打ちのめされる。


 生きるために食べるという主題。料理という手段。目的のための手段。その手段を尊ぶという、目的を抱く。これが信念というものなのか。その気高い若き息吹に、彼女は自身を恥じた。


 料理に対して料理の好き嫌いではなく、人間関係の好き嫌いを持ち込むのは、筋違いである。厳しいが正しい。一言一言が胸に刺さる。自分もまた愚かで、浅はかであったと女生徒は痛感した。


「それにさ、誰かに飯を作るのって、やっぱり楽しいじゃないか」


 恥じ入りながら彼女は、その言葉にも思い当たることがあった。脳裏に過るのは、愛する同居人のことであった。


 自分が料理をする日は、献立に一喜一憂し、時には図々しく文句を言う。前向きな反応が返ってくるとは限らない。


「そうかな」

「そうさ」


 分かっているのに、面倒臭いと思いながら、心の何処かで受け入れている自分がいる。


 そうかと呟いて、缶の緑茶を啜る。水のような透明さの中に、苦味がある。けれど飲み干した苦味の中には、仄かに、けれど確かに、甘みが存在していた。


「そうかもな」


 酸っぱいばかりと思った自分の人生に、いつの間にか甘さが加わっていた。彼女は遅まきながら、そのことに気が付いた。


「ごちそうさま」

「おう、ごちそうさま」


(久しぶりに、いつもと違うものでも作るか)


 そして女生徒は、今日の献立をどうするかを考え始めた。


 やがて外も暗くなり下校の時を迎えたが、彼女の足取りは、いつもより軽いものであった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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