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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
平和な日々編
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・サチコと園芸部

・サチコと園芸部


「ほい豆カス」

「いつもありがとう。助かるよ」


 元園芸部現園芸同好会部長、と書くと何が何だか分からないが、所属している人々にはそれで通る、


 斯くも不思議な肩書きの男は、感謝の笑みを浮かべて、麻袋を受け取った。


 ここは園芸同好会の活動場所である、校舎裏の畑。通称園芸部。


 昔学校の裏門側の内側に、植えられていた木々が、病気にかかり伐採することになった。


 その際に学校側も、特に代わりを植える予定は無かったので、彼らが打診して、使わせて貰えるようになったのである。


 園芸同好会は、愛研同総合部に所属する部(正しくは会)の一つである。部長は巨躯を誇り、顔中に年齢不相応な皺が刻まれた、おっさん系の男子である。


 この会は校内の緑化環境の整備に加え、家庭菜園を通して、農作物の研究を行う集団でもある。


 そして今のやり取りは、総合部内に出した依頼を、一人の女生徒が果たした、ということである。


「毎度どうも」


 総合部内では活動内容の一つとして、部や学校の困り事を、依頼として取り扱っている。


 有償ではあるが、これが各部活間の、交流の円滑化に役立っていることは、紛れもない事実であった。


「それこっちの台詞なんだけど」


 彼の出した依頼は『珈琲豆及びそのカスの入手』というものであった。依頼とは言っても、要するに麻袋を持って来た女生徒への、頼みであった。


 彼女が友人との会話で、地元の喫茶店でアルバイトをしていることを知ってから、店に譲って貰えないかを尋ねたのだ。


 一般ゴミとはいえ事業ゴミである。勝手に貰って良い訳は無い。しかし彼はどうしても欲しかった。


 だからと言って、必要な分の珈琲豆を、購入するのは気が引けた。何せ肥料にするのだ。砕いて土に蒔かねばならぬ。


 勿体無い。ただその一言であった。


 じゃあ飲めば良いだろというお叱りが、彼の心の中に轟いた。良心という名の存在に、彼の理性は反駁した。どのくらい飲めばいいと。


 毎日毎日肥料欲しさにせっせと珈琲淹れて飲んでって違うだろうそれは。


 そうして彼の心と頭脳は、等しき納得と罪悪感によって沈黙した。その矢先のことだった。


『サチコバイトするの』

『する』

『どこよ』


『東雲っていう喫茶店。めちゃくちゃ珈琲出す。チャイティーが美味い』


『珈琲飲みなさいよ……』


 一に二もなく彼は飛びついた。


 最初はバイトの日に、せっせと少量ずつ貰ってくれたのを、小銭で買うという日々だった。それを何とか肥料にし、珈琲の豆カスを使った土が出来た。


「そろそろだっけ」

「ああ、夏に蒔いた奴はね」

「早いもんだな」

「うん、本当にそうだな。そう思う」


 軍手を外して、彼は自分の頭を撫でた。坊主頭に麦藁帽子。如何にも土いじりが趣味の男。


 同年代の男子たちと、時の流れ方が異なるこの男は、直に収穫できそうな蕎麦の赤い茎を、感慨深そうに見つめていた。


 そう、蕎麦である。


「しかし珈琲豆の肥料を使った畑に、米の砥ぎ汁で蕎麦を育てるってのも、何かちぐはぐな取り合わせだな。米じゃなくて蕎麦。蕎麦茶でもなくて珈琲」


「いや、そうでもないよ」


 園芸部部長は蕎麦の傍に屈み込むと、そっと葉や茎を撫でながら言った。


「それぞれに栄養価を補間する組み合わせなんだ。この蕎麦に珈琲と米の砥ぎ汁の栄養が、上手く移ったらと思ってね。上手くいったら、この手法で作った蕎麦で、養蜂もやりたいくらいさ。まあ、学校では難しいと思うけどね」


「他との比較はしないのか。普通の土に砥ぎ汁の有無や、豆カス入りの土に砥ぎ汁の有無でやらないと、良し悪しは分からんだろ」


「それはもう前にやってあるんだ」


 彼はこともなげに言った。それこそ小学生の頃から、こういうことには取り組んでいた。


 土地などは持ってないから、一度に全部はできないので、こつこつと年を跨いで、何年もかけて。


「だから今年にギリギリ取り組めたのは、運が良かった。本当、ありがとう」


 園芸部部長は女生徒の苗字を読んだ。彼女はかすかに微笑んで、肩を竦めた。


「どういたしまして。しかしなんだな。これで俺が園芸部から、小銭を稼ぐ手段は無くなった訳か。ちょっと惜しかったな」


「本当に良かったのかい」

「何が」


 彼は麦藁帽子のつばを上げて、女生徒を見た。麻袋の中を覗きこんで顔を顰めていた。ゴミだしちゃんと乾燥させているわけでもないのでカビが生えて匂いも悪くなっている。


肥料にするためには一度醸さねばならないが、この辺りの取り回しの悪さが、肥料としての豆カスの評価を分ける所である。


「俺たちは助かったけど、ここまでしてもらって、正直申し訳ないっていうか」


「いいよ。俺も肩の荷が下りたし」


 女生徒は気にしていなかった。元よりこのことを言いだしたのは、彼女だった。自分がアルバイトを辞めた瞬間に破綻する、この状態を気にしていたようだった。


 学校では先々月から先月にかけて、不毛な争いがあった。その一環で多くの会に、不要な顧問を付けられてしまったのだが、彼女はこれを逆に利用したのだ。


 教師がいないとできないことを、教師にやらせようと。

 土を干していたある日、そう言ったのだ。


 発言権が強まるようなことは、させたくないという声も多々あったが、その内容は画期的であった。


 校内清掃と園芸部の肥料に使うので、女生徒のアルバイト先の喫茶店に、珈琲豆の廃棄物を譲って貰えるよう、学校と店に取り計らって貰うのはどうかと。


 部員、会員の要望をまとめて顧問に預け、顧問が校長に打診する。校長(学校)と店と自治体に確認の上、相互に同意が得られているのならば、まとまった量を表立って、受け取れるようになると。


 園芸部部長はこのときのことを、今でも不思議に思っている。彼女はこういった手続き的なことに、妙に慣れており抵抗も無かった。


 まるで長いこと、その仕事に接してきたかのように。


「まあ大したことはしてないけどさ」


 学校側が先ず否と言うのは、分かりきっていたので、バイト先の店長に打診をした。


 先方、つまり生徒や身内ではない大人から、肯定的な声をかけさせることで、前向きな検討を促した。


 次に居場所がなく、熱意もない顧問を焚き付けて『教師の成果』という媚薬を、鼻先に吊るせとも言った。


 使わなかった分を焼いて、粉末にしたものを消臭剤として使えるという、付加価値も添えた。一部の洗剤や消臭剤の金額が浮くと囁き、そういう資料も添えた。


「そんなことないと思うよ」


 相手先から許可了承の類を受け取って、尚且つ相手から話を、持ち掛けさせなくてはいけない。最初に学校に持ちかけると、必ず失敗すると彼女は言っていた。


 手順を踏んだ結果、一週間かそこらで話は付いた。


 結果として月に一度、麻袋一つ分を限度として、豆かすの譲渡契約が結ばれたのである。


 継続して肥料が欲しい園芸部。実績が欲しい(どちらかというと自分たちが持ち込んだごたごたの処理が追いついておらず“まともな対処”ができなくなっていた)学校。事業ゴミの処分費用を浮かせたい喫茶店の、三方良しで話が付いたのが、つい先日。


 そして今日、初めて豆カスが一杯に詰め込まれた麻袋が到着した。彼女にとってはこれが、契約後の最初の仕事であり、仕事納めでもあった。


「これ見たら他の奴らも喜ぶだろ。今日は花屋か」

「ああ、来年の春ごろに咲く花を探しに」


 園芸部では部全体での活動として、畑の運営がある一方、個人の活動として、個別に花を育てるというものがある。


 今日は園芸部部長が前者、部員たちは後者に取り掛かっていた。


 もうじき冬が訪れる。十一月に植えて、春に咲く花はそう多くない。種や苗木を買出しに行った部員たちも、そろそろ帰って来る頃だった。


「そうか。じゃあな」

「あれ、皆には会っていかないのか」

「用は済んだからな」


 そう言って帰ろうとする女生徒の背中を見ていると、園芸部部長の中に、一抹の寂しさと感謝が込み上げてきた。


 今年の四月頃、部ではなく体育会系でもない為に、立場も低く、土や泥に塗れていた彼ら。


 心無い運動部から、謂れのない嘲笑を受け、花壇を荒らされたことが、何度もあった。例年通りの按配だった。


 だが今年は違った。園芸用の土を干して、殺菌していたときのことだった。花壇の手入れや、年度初めの忙しさで、作業が中々進まなかった折、夕暮れ時に彼女は現れた。


 彼がブルーシートに土を乗せて、広げていた際に、彼女はしばらくの間彼らを見て、手伝おうかと言ってきた。部員も欲しかったので、勧誘がてらに園芸部部長はお願いした。


 花が好きかと聞けば好きだと言う。何が好きかと聞けば特に無いという。でも祖母は薔薇が、母はテッセンが好きだったという。どちらもこの学校の、小さな花壇を独り占めしない限りは、育てることは無理だった。


 正直に言うと彼女は少ししょげた。終わって見れば、自分たちと同じく、汗と泥で汚れていたが、少しだけ楽しそうだった。


 部長を顧問だと思っていたらしく、三年生だと告げると驚いていたのを、彼は今でも思い出す。


 自分に対して敬語が直らないのが、地味に傷付くので、頑張ってタメ口にしてもらったのも、今では良い思い出だ。


 それ以来、彼女は園芸部ではなく、愛研同に所属し、しばしば依頼を通して顔を見せていた。


 そんな僅かに奇妙な関係も一、つの節目を迎えようとしていた。


「今までありがとう。また何かあったら依頼出すよ」

「受けるのが俺とは限らないけどな」

「そうだけどさ」


 くしゃり、という音が聞こえそうな笑みを、一度だけ浮かべると、女生徒は静かに去って行った。彼は帽子を脱いで、小さく手を振った。


 冷たい空気に、微かな熱を齎す夕日が、遥か彼方へと沈んでいく。木枯らしが吹いて、落ち葉を運んでいく。


 晩秋の一日の陰りを受けて、煌いていた後ろ髪から、光が失われていく。


 もう冬だ。彼女からはいつも、季節の終わりの匂いがする。彼はふと、そんなことを思った。


 園芸部部長は、彼女の後姿が見えなくなるまで待つと、帽子を被り直した。そして皆が帰ってくるまで、作業の続きに戻ったのだった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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