・増える被害者
・増える被害者
「え? えふっ! どぅっ」
一先ず胸倉を掴んで鼻面に一発ぶち込んでやったところ、時空アメリカなんとかの南はあっさりと尻餅を搗いた。
弱い。もしや権力を傘に着るだけのタイプか。言わばこいつは手下のいないワイニン。だとすれば俺でも勝てる。
※ワイニン
前シリーズのキャラ。初登場は『魔物が婚儀を挙げるには』から。貴族のアラサー女性でお家騒動にサチウスたちを巻き込んだ。私兵と権力にものを言わせようとして返り討ちに遭ったアル中。
「ま、待って! 待って、お願いだから待って!」
「なんだ日系ヤンキー」
「日本人だから! 私日本人だから!」
髪を引っ掴んで追い討ちをかけようとしたところ、南は必死になって抗弁した。なんだてっきりブラジル人の癖に日本人名を名乗ってるような類だと思ったけど違うのか。
でもアメリカだしな、現地の青年を抱き込んで、アメリカ人に仕立て上げてるだけかも知れん。考えすぎか。それはそれとして。
「突っ込み所がありすぎるし、胡散臭いし、そもそも自分でアメリカって言ってんだからお前アメリカ人じゃないの。そんな民族はいないけど」
「なんでそんなに異民族排斥を前面に強く押し出してくるのか分からないけど、嘱託って言ったじゃない、派遣よ、私は雇われなの! ていうか、早く髪を離してよ」
強く言うことかそれ。でもどうするか。解放しても逃げられたんじゃ意味がないし、こいつが危害を加えてこないという保証が、何処にもないんだよな。
「とりあえず洗い浚い喋ってくれ。そしたら解放するかもしれない」
「あ、あなたねえ。こんなとこ誰かに見られたら、間違いなく停学とか留年とか退学ものよ」
「構わん、俺に失うものはない。婆ちゃんが死んでからお前みたいな奴は爪が割れるほど殴ってきた」
空白の三年間は、俺に人間としての暮らしを与えてくれたが、こっちでそれは望むべくも無い。今はミトラスだけが俺の居場所だ。そして俺では彼を失いようが無い。
「元を質せばお前が先輩を誘拐したのが悪いんだろうが。危害を加えてくる可能性が高い人物に、先手を打ってやり過ぎはないんだよ。仮に俺が大人しくしてたら、どうするつもりだったんだ」
「私がするのは保護よ。多少強引だったかも知れないけど」
南は目を逸らしながら答えた。決め付けで言ったもののやはり浚ったのか。
「話が進まないから聞くぞ。先ず時空アメリカって何だ」
「タイムマシン的なものが出来たので、自分たち優位の歴史を確固たるものにしたいアメリカが管理しているタイムラインのことよ」
アメリカ時空ってことだな。だいたい同じ結末に至るようになっている、運命のレーンという訳だ。
「『時空アメリカ警察嘱託公安部』なあ。口に出して言うとすごい胡散臭いな」
「時空アメリカが改変されていないかを調査し、万一の際は改変された時代に赴き正すのが仕事の派遣社員。民間軍事会社というより防犯方面の。警察の下請けで一応それなりに権限はもらってるわ」
要するに鉄砲玉か。公安ってエリートヤクザのはずだけど。アウトソーシングされるとこうなるのか。黒いな。そして世知辛い。
「お前は?」
「飛び級で高校を卒業したのに就職先がなくて、登録してた派遣会社から紹介された仕事場に着いたら、そこからまた別の場所に回されて、それがこの仕事だったの。大本はアメリカで世界中に支部があるわ」
そりゃ世界中見張らないと、本国以外からの影響を観測出来ないからな。だからと言って採用してる手段が派遣の派遣じゃねえか。黒だよ真っ黒。
こいつ善玉っていうより、只の被害者なんじゃないだろうか。話を聞いてる俺のほうが嫌な汗かいてきた。道理で弱いはずだよ。
「正直捜査に進展がないと、元の時代にも帰れないのよ」
「つぶしが利くうちは仕事を選ぼうな」
「はい、すいません」
厄介なことになったな。当然ながらこいつは歴史改変の犯人じゃない上に、善玉であっても味方という雰囲気でもない。末端も末端、使い捨てタイプの人間だ。
「先輩はどうした」
「漫画のことを聞いた後にアジトで保護したわ。ちゃんと今日中に解放するわよ」
「今メール送って登校させろ。お前らは携帯持ってんだろ」
「あるけど、今は部屋に閉じ込めてあるから」
改めて思うけどやっぱり浚ってるんだな。
「分かった、後で先輩を解放しに行くから案内しろよ。これでだいたい聞くことは聞いたな」
「え、どうやって歴史が改変されたとか、私がどのくらい未来からきたとか、そういうのはいいの?」
掴んでいた髪の毛を離し、今度は手を取って立たせる。それから体の埃を軽く叩いて払う。大人しく尻のほうまで叩かれてなんとも無い辺り、育ち自体は良さそうだ。何を何処で如何間違ったのかなあ。
「いらん。俺たちは巻き込まれただけだ。現状把握のために、同じような境遇の人間を探してただけだし」
「え、あなたたちがこの事件を起こした訳でも、共犯を呼び寄せるためにあんなことをしたんじゃないの。そうだと話が早くて助かるんだけど」
人格に変調を来たすまで殴ろうか。こういうのは平気で自分に都合の良い話の進め方するんだよな。報告も捏造するかも知れない。せめて鼻血吹かせるくらいは、やってもよかったかも知れない。
「俺はネトゲをしてただけだし。先輩は知らないけど」
「彼女は絵の練習をしてただけ。逆に考えると、どうしてあなたたちは、改変前の歴史の記憶を持っているのかよね。未来から来た訳でもないのに」
未来から来た奴が歴史を変えると、そいつが自分のいた年代に差し掛かったときに変化があった場合、元の未来とは別になったのだと分かる。言い方はおかしいが、これは未来に遡って事の推移を確認してるに過ぎない。
これが現代に生きている人だと、それより前の改変は、例えば授業の中身が別物になったり、歴史的な事件が違っていたりで、そのときにあったはずの事柄が置き換わっているので『違い』というものが分からない。
二つのことがあるのではなく、一つのことが別の何かに塗り替えられているのである。現代人は何も知らずに歴史を知るだけである。
ああ、そういうことか。俺は確かに三年後の未来から来てるな。異世界のだけど。
向こうで三年間を過ごし、この世界に戻ってきたから歴史の改変に伴う記憶、というか知識の変更を受けなかったのだろうか。しかしそれだと北先輩のことに説明が付かない。
「歴史とか時間が改変された際にその影響を受けない、いや、言い方が合わないな。受けられない、周りの時間から逸れる、そういうケースってないのか」
南は形の良い唇に人差し指を当てて考え込む。言ってしまえば俺たちは時代に取り残されている訳だ。
まるで昔の好景気に生かされていただけなのを、自分の力と勘違いしたまま老い、現在は困窮している生活力のない中高年のように。
「そんな稀有な例があるかしら。調べてみないと分からないけど、そもそも未来に帰れないし」
「いや、進展があっただろ。それを報告して一旦元の時代に帰してもらえよ。それで頑張ってこの仕事辞めろって。誰がどう見てもこれはしたらいけない類の就職だぞ」
現地で改変前の歴史の記憶を持っている人物と接触、その理由は不明。少なくとも俺たちは事件とは関与してない。荒事になる可能性を考慮して、適当な人物との交代を打診するとかあるだろ。
「ダメ元で一度連絡してみろって。やり方は知らないけど」
「分かったわ、なんとかやって見る。……ねえあなた、一つ聞いていいかしら」
殴られた鼻の具合を確かめながら南が質問をする。そういえば俺はまだ自己紹介はしてなかったな。
「祥子。臼井祥子。何だ」
「今更こんなこと言うのもなんだけど、私の言うこと、その、疑わないの?」
「何が」
「だから、嘘吐いてるとか、すごい馬鹿みたいなこと話してるって分かるでしょ」
なんだそんなことか。三年も異世界で過ごした今となってはなあ。ああ次のシーズンなんですねくらいにしか思わないよ。言わないけど。
「この期に及んで担がれてるなら、まだそのほうがマシだろ。信じてるとは言い切れないのが格好悪いけどさ。あ、そうそう、さっきは殴って悪かったよ。ごめん」
「そんなもののついでに謝らないで、私も、無神経に脅かしすぎたと思うから」
少しだけ恥じ入るように俯いて、彼女は答えた。やっぱりこいつ、根っこの部分で育ちは善いんだな。
それから俺は南に入学式の前日の行動や、日頃何をしているか。これまで生い立ちなどを説明した。異世界のことは伏せたが。
一先ず俺と先輩の調書で、それなりの量の報告ができるそうなので、それで職場に連絡を取って見るそうだ。どうやるのかは知らないけど。
放課後は南のアジトである、学校すぐ側の安アパート、というか自宅へ行き北先輩を開放した。
借りてきた猫みたいになっていた先輩に、事情を話して解放すると、この日は一旦解散した。なんだか今日だけでどっと疲れた。人間の相手が一番疲れるし厄介だ。
そして自宅に帰ると、ミトラスが洗濯機の前でうんうんと唸っていた。こいつは今朝のことも忘れてずっとここにいたのか。守ってくれといったはずなのに。
俺はどれだけ怒鳴り散らしてやろうかと思い詰め寄った。のだが。
「ごめんサチウス、どうしよう……胤染みが取れないよう」
涙目で昨晩の共同作業後のシーツを握り締める彼を見て、今度こその俺の活力は根こそぎになった。
「そういうときはな、洗剤原液で垂らしたら熱湯をぶっかけてしばらくそのまま浸しとくんだよ……」
ああ何かもう、今日はもうどうでもよくなってしまった。
晩飯の支度と細々したことをして、俺は今日を終えた。
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